年末ということで時間について考えると,赤毛のアンの印象に残るシーンが思い出されます。

自分の一番の支持者であったかい人が亡くなってしまった。それは悲しいショックな出来事なのだけど,喪失感に捕らわれていたアンも徐々に日常性を取り戻していきます。そうした中でアンがふとしたことで笑って,その後に泣いてしまうのですね。理由を聞くと,亡くなった彼のことを思うと今脳天気に笑っている自分が彼に対して申し訳ないのだと答えます(僕の記憶のなかでは・・・)。

確か,これに応えて誰かがアンが生きることが故人への供養になるとかなんとかっていう話に繋がるのですが,結局は生きている人の論理に過ぎないような気がするので納得はできないのです。

現実(それから時間)というのは無意味でそして残酷です。私の希望や考えとは無関係に歯車が廻っていくだけです。大切な人との別離などを経験する度にこうした現実を目の当たりにせざるを得なくなって,私は困惑して右往左往してしまう。これは勿論不快なことではあるのだけれども,それでも勝手な意味づけだけはしたくないなと思います。その位なら不快なままでいる方がずっと良い。