昼寝

朝七時半に目覚めても体は昼の二時に目が覚めたような感覚のままで、言葉にしたいものがまだ多く残ってる気がする。
肩の力が入りすぎてたと旅の途中感じてから、今に至るまで課題になってます。急いだりプレッシャーを感じる度に無意識に肩が固くなってる、だから寝てもすぐ目が覚めて気持の悪い日々を過ごしていたみたい、ふとした拍子にリラックスして目が覚めた時に肩の力が抜けているのに気付けた。そして感受性もオープンになっていることにも。
ベニスビーチでレッチリのファニーフェイスってスノーのCWを聞いてほぐれた心が気持よかった。
ロスは日本の大阪みたいで、エンターテイメントの街でした、知り合った人がブレイクダンスをストリートで見ながら、技術なら日本の方がすげぇけど、見せ方に差があるってショックを受けてた、ストリート文化がアメリカの都会では根付いてる、たしかにそれはあるのかもしれないが、見せ方というのはプロという意味ではかなり重要なのではないか、見ている人を引き付ける力。
だってポリバケツをドラムにしてしまうことだって可能なんだよ。
凄く刺激されました。
ストリートという可能性。それは世界を発表の場とすること、チケットという壁も何もない開かれた場所でのアート。

メキシコと死者の日

メキシコにはお盆の日のように死者の日というものがある、それは偶然にも友人がこの世を去った日とほぼ同じ日なのである。
シャーマンの中には神の肉と呼ぶ幻覚キノコであの世とこの世を結ぶ文化も存在している、本当はそれを体験したかった、突然逝ってしまった彼にもう一度でいいから会いたいと想う心が消えない。
メキシコの民芸品に多くのこの死者の祭りで使うようなものがあり、ガイコツが踊り唄い、生命を感じる置物があって、きらびやかに飾られた十字架など、お土産としておいてあるのだ、エルビスやモンロー、フリーダも写真としてその置物に中で笑っていた。
何だか底抜けに明るいガイコツを見ていたら、友人に会えなくてもいいかなと思えた。どこか向こうへ手紙をおくる場所があればと思ったんだけど、その向こうへの入口はきっと心の奥底にあるんだろう。
返事はなくても伝える事ができたらと思えたけど、きっといつか見つかるし、死んだらまた会えるかもしれない、元気な姿を見せたいから、精一杯生きよう、だから待っていてねと思えた。
ここと向こうを繋ぐ道。here-thereというアドレスにもう一度何か感じた。
タコスが刺激的でキンキンに冷えたコロナに、フローズンマルガリータサルサもメキシコの一部なんだね。