ARIA The NATURAL #6 その 鏡にうつる笑顔は…

オレンジぷらねっとの中で一人浮きがちだったアリスが自分から近づこうとする、とかそんな話。id:kkobayashi:20060425:p1#cからいろいろ感想巡りして、いろいろ思ったことなど。

メッセージとしての風景

ARIAのテーマは、「遠く離れた人から想いが伝わるのは素敵だね」ということでしょう。想いが伝わらないのは悲しいですから、いつか必ず伝わると言うのは救いになります。遠く離れた、というのは空間的距離だったり、時間だったり、心理的な距離だったり。手紙のエピソードとか差出人と名宛人が具体的な個人であることもありますが、宝探しのエピソードのように、名も知らない誰かから不特定の誰かへと伝わっていく想いもあります。むしろその方が多いかもしれません。ネオ・ベネツィアの風景そのものが開拓者からの贈り物、という灯里のセリフは何度か繰り返されていたと思います。
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とりあえず以前書いた原作のマンガの方の感想のポインタ。AQUAなりネオ・ベネツィアが主役というのは原作の方がよりはっきり出ています。クライマックスは見開き一枚絵の風景で、その眺めをもっとも効果的に見せるためにそれ以前のページが存在しています。列車がトンネルを抜けたら窓一面に海原が広がっていたときの爽快感、とかそう言う感じです。ただ、ここで出てくる風景は建物であったり、ときに置き去りにされた廃線の車両であったり、人の手の加わったものであって、まるきり天然の自然ではありません。
もちろん、AQUAそのものが、海も空気も重力さえも人間が造り出して管理しているわけですが、そうした巨大技術ではなく、小路の石畳だとか草に埋もれかけた廃墟だとか、そこで暮らす人間あるいはかつて暮らしていた人間を思わせる風景が、ARIAの主役になっています。そしてその風景は、メッセージを伝えていく媒体でもあるわけです。
ところで、ARIAはイタリア風の異国情緒が目を引きますが、生活感の描写となるといきなり和風になってしまうこの作品は特に異世界を描くわけではありません。では、この外側イタリア内側日本という奇妙な風景は、どういう世界なのでしょう。

保護された無垢な灯里

ウンディーネが働いてない、という話題は何度か出てましたし、私自身も感想で突っ込んでたりしましたが、そもそもAQUA自身どうやって経済を回してるのか謎です。観光立国なんでしょうが、テラフォーミングにかかったであろう莫大なコストを回収できているんでしょうか。さらに気温やら重力やら環境維持のコストも日々かさんでいる筈です。まあ億万長者に別荘地としてバカ高い土地を売りつけて、さらに別荘住民には特別税を課して、とか考えてみたりもしましたが、そういう具体的な設定はでてこないでしょう。無尽蔵な資源によって環境が完全に管理されている、つまり絶対的な保護を象徴しているのがAQUAだからです。灯里は、全てのものを無条件に肯定して受け入れてしまう存在ですが、それは予め全能の保護者の庇護下にあるからこそ可能なのです。まるで家庭の中で安心して甘えている子供のように。ARIAの「癒し」とは幸福な子供時代という幻想なのです。