Hatena::ブログ(Diary)

百錬ノ鐵 hyaku ren no tetsu

3014-12-20

「関西クィア映画祭2014」問題 まとめ

2015年8月21日 更新

2014年度「関西クィア映画祭」の宣言文において、レズビアンに対するヘイトスピーチが行われています。

その内容の差別性について、私は再三に亘り子細な検証と指摘を行ってきました。しかし同映画祭実行員会代表者不在)は、支離滅裂とも言える詭弁を弄して居直るばかりであり、クィアを称する自らの政治的党派性とそれに依拠する差別行為正当化特権化しています。

ここに私は実行委員会に対し、問題差別的宣言文の撤回謝罪、および総括要求します。

問題差別的宣言

関西クィア映画祭について http://kansai-qff.org/#about

公開質問状とその回答

公開質問状(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141013/p1

回答(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141014/p1

公開質問状(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141015/p1

回答(2)&公開質問状(3) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141017/p1

公開質問状(3)追記 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141017/p2

回答(3) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141018/p1

回答(3)追記 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141018/p2

通告(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141021/p1

回答(4) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141206/p1

通告(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141206/p2

公開質問状(4) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141219/p1

回答(5) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141223/p1

・経過報告

報告(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141224

シンパからの反応

@lolonzlol編 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141015/p2

@isidaiori編 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141101/p1

@yu_ichikawa編(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141110/p1

@yu_ichikawa編(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141110/p2

・総括

総括(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141020/p1

総括(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141020/p2

実行委員Twitterアカウント

実行員会 @kqff_official

斬 @__ZAN

福永玄弥 @Genya_F

冨川瞳(とみー) @hitomikawa

2016-12-13

「BL/百合」否定派の漫画家・御前モカ氏(Babylion_110)との議論をインタビュー形式でまとめてみた。

2016年12月18日 加筆修正

なんか航空業界漫画を描いているらしいよくわからない漫画家の人が、「BL」や「百合」という用語名前)を使って「恋愛漫画」を“区別”すること自体が「差別であるというラディカルな議論を展開されていたので、百合ヲタ立場から乗っかってみることにしました。

御前モカ氏の一連の言説は、「BL/百合」の分野に携わるすべての作家出版関係者書店ユーザーに対する謂われなき誹謗中傷に他なりませんので、公共性のある議論と判断しました。

よって以下に、御前モカ氏とのツイートのやりとりをインタビュー形式にしてまとめてみました。

私自身のツイート文脈に合わせて接続詞などを適宜補っていますが、御前氏のツイートは、人を小馬鹿にしたようなふざけた顔文字使用も含めて原文ママです。ただ、一つの発言複数ツイートにまたがる場合は一つにまとめたり、また一つのツイート複数の論点が含まれている場合は切り離すなどしました。

また著作権法における引用の条件(批評研究目的)を満たすため、私自身の解説や所感を挿入してあります

「BL/百合」は《差別用語》なのか?

http://togetter.com/li/1059387

私(@herfinalchapter)の側のツイートをまとめたものです。議論の元となったツイートのURLは、私のツイートクリックし、ツリーから辿ってください。

議論の発端となった御前氏(@Babylion_110)のツイート

以前も書いたと思うのですが、仲良しのCREWが最近漫画を読み始めて「BLBLと巷が賑やかなので読んでみたら普通恋愛漫画じゃないか、何が他の「恋愛漫画」と違うのか」と言っていた。多くのCREWは似た感覚の方が多いと思うのです。環境によって価値観常識が作られるのかもしれませんね

https://twitter.com/Babylion_110/status/807238461350494208

それに対する私(@herfinalchapter)の反応(※引用リプ。よって御前氏の反応を期待したものではありませんでした):

そもそも「普通恋愛漫画」というのがわからないし、またなぜBLを「普通」でないと思い込んでいたのかもわからないし、あまつさえBLを勝手に「普通から隔離排除しておいて「普通であることに難癖をつけるのはさらにわからない。

https://twitter.com/herfinalchapter/status/807408332784877569

聞き手・構成 百合魔王オッシー

御前 全ての方が異性愛恋愛以外を「普通」と受け取っていないことへの皮肉、です。航空業界業界以外ではマイノリティとされる方がマジョリティと言っても過言ではない業界です。その環境に長年いた友人がBLを読んだ時、BLが異性愛恋愛漫画と別のカテゴリーにされていることに違和感を覚えた、という話です。

私も、友人も、航空業界という狭い業界内での常識が、「世間一般」の常識とは違うと感じております百合魔王オッシーさんが、BLは「普通恋愛漫画(世間一般でいう異性間恋愛漫画)」と同等に扱われているとお考えの上の発言でいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは感じなかった、という話です。

漫画業界では「普通恋愛漫画」とされる枠とは別に「BL」がもうけられ、メディアなどで面白おかし報道されていると感じており、BLとは何なのか、名前だけしか知らなかった友人も同様に感じた。という話です。

私は「航空業界は、特別視されていない業界であり、そこでは全てが「普通・当たり前のこととして認識されており「世間一般」もいずれそうなればよい」ということを発信させていただいておりました。昔はカムアウトをし易い環境しかありませんでしたが、近年はいちいちする必要もない環境になっている会社が多いです。その中に長年おりましたので、私や友人にとって、区別する必要性は感じなかったのです。

航空業界は小さなコミュニティですが、環境により「人の常識普通」というものは違う、ということを常日頃呟き続けておりました。ですので卵が先か、鶏が先か、わかりませんが、いずれ枠をつくらなくても、皆が恋愛とは「異性愛普通で他は特殊」という認識ではなくなる日が来ればいい、という意味を込めた呟きでした。

――航空業界のことは存じませんが、まず「世間一般」において《BLは「普通恋愛漫画(世間一般でいう異性間恋愛漫画)」と同等に扱われている》という事実はなく、むしろ実態はその逆である認識しています

その上で私は、《普通/異常》《ノーマルアブノーマル》といった異性愛至上主義に基づく差別的価値判断とは別に、「BL」や「百合」といったカテゴリー名前自体必要であると考えています

御前 それは、今の「世間一般」では統一すると「差別意識、苦手意識」を持つ方が、好意的ではない反応を示し、対立を増長させる、という恐れがあるからでしょうか。

――いいえ違います。男女の恋愛と男同士あるいは女同士の恋愛表現の間に「差異」を認め、それぞれの違いを楽しむこと自体は《セクシュアリティ多様性》の肯定是認でこそあれ「差別」にはなりえないからです。

――またその意味で、「BL」や「百合」に関しては、そのじつ「普通」の恋愛と変わらないのであればなおさら男女の恋愛(を描いた作品)を求めるべきといった(ジャンル存在意義自体否定する)主張が昔からあり、件の「CREW」の方の意見もそのような文脈のものと判断しました。

御前 真逆ですね。(›´÷`‹ )

――「真逆」とは何を指しておられますか?

御前 カテゴリー必要ないと考えております

――あなたや一部の「当事者」にとって必要なくても必要とする人はいますし、またBLや百合を楽しんでいる「当事者」の方もおられますよ。なぜ一部の「当事者」の感性だけを特権化するのでしょうか?

御前 私の先輩は私の先輩は「違う」とされることに悲しみを感じられる方もいらっしゃいました。区別されることで傷つかれる方もいらっしゃいます差別はとても難しい問題で、差別にはなりえないとは言い切れないと思うのです。

差別ではないつもり」であっても「差別」と受け取り、悲しまれる方がいらっしゃいます

  • それを、隔離排除に“利用”される可能性があるからといって“無くすべきだ”というのであれば、包丁人殺しに“利用”される可能性があるから料理包丁を使うことを禁止すべきだという理屈と何も変わらないでしょう。

――「BL」や「百合」というジャンル名前)が存在すること自体が《同性愛差別であるので、「当事者」の悲しみに配慮してなくすべきという意味ですか?

御前 多分、お分かり頂けないと思うのです。 「無くす」わけではありません。 統一して、中から自分の好みに合うものを探せば良いのでは、と思っております。 探す利便性を優先させた結果が今だと思います

御前 私は、異性愛者ではない方々の受け止め方を考えていますマジョリティが楽しんでいるのだからマイノリティに合わせる必要はない。このお考え自体賛同しかます。この場合マジョリティは、傷つかず、作品が「BL棚」「百合棚」と書店様で分けられている作品を購入することに躊躇がない方を含んでいます

――あくま一般論ですが、ある言葉について「差別」に感じる「当事者」がいるから“なくすべきである”と短絡的に決めつけてしまうのはひじょうに危険な考え方です。どのように危険であるのかは差別表現表現規制をめぐる議論をお勉強なされてください。

御前 何か勘違いされているようですね。表現規制ではありません。 私も漫画家ですから、そのようなことは申し上げるつもりもありません。

  • 「BL/百合」といったカテゴリーや語彙を、たんに御前モカ氏自身が使わないというだけならまだしも「無くすべき」とまで言い張るからには、それはまぎれもなく表現規制であり《言葉狩り》以外の何物でもありません。

――だいたい《異性愛者ではない方々の受け止め方》と一口に言ってもさまざまであるのに、あなたの周囲の人の意見だけで決めつけてしまうのはどうなのでしょうか?

御前 百合魔王オッシーさんはどなたにとって差別ではないと仰っているのでしょうか?

――逆にお伺いしますが「BL」や「百合」といった言葉が《どなたにとって差別になる》と仰っているのでしょうか?

御前 ご自身恋愛感情特殊ものカテゴライズされている方々です。

  • あれ? 《「異性愛普通で他は特殊」という認識ではなくなる日が来ればいい》んじゃなかったの?

――《ご自身恋愛感情特殊ものカテゴライズされている》のであれば、「BL」や「百合」といった(既成の)概念にも当てはまらないはずですが、なぜそのような【方々】の主張や心情を「当事者のものとして一般化するのですか?

(中略)

御前 お伺い致しますが、百合魔王オッシーさんは、差別的表現に非常に敏感でいらっしゃり、あなた差別的表現だとお考えになった言葉に対し、発信者にご意見されている。何故今回の件のような、あなた差別だと思わない言葉を他の方が差別だと感じている場合、「差別とは思わない。あなたが間違えている」と主張されるのでしょうか。あなたが思わなくても、私は思っている。異性愛者ではない、私の身近な方も思っている。それだけの話だと思うのですが。

――「差別的表現」を問題視するからこそ、「当事者」が悲しむから差別」、などという恣意的基準で「差別的表現」と決めつけてしまうことには断固として反対します。

一部の「当事者」の間に、「BL」や「百合」というジャンル自体嫌悪する風潮があることは存じております。では、一部の「当事者」が「差別」と見なしたものについて、私たち「非当事者はいっさい異議申し立てをしてはならないのですか?

御前 自由にされたら良いじゃないですか(›´÷`‹ ;) あなたと私は、違う主義主張を持っているだけです。どちらが正しいというわけではないと思いますが。

御前 BLや百合という言葉がなくなることはないと思いますが、書店様で棚に掲げられなくなった場合、探すことに苦慮する以外のデメリットは何でしょうか。

―― 「BL」や「百合」という言葉がなくなってしまったなら、すべての「恋愛漫画」が男女の恋愛表現することを求められるようになりますね。「ゲイ」「レズビアン」という言葉に置き換えてみればわかることですよ。現実社会のものがそのようにできているのですから

――人間恋愛を「異性愛」と「同性愛」に二極化してしまうことの問題と、「異性愛」「同性愛」という概念自体の是非はまったく別です。「異性愛」「同性愛」という概念自体否定するなら、すべての人が「バイセクシュアル両性愛)」として扱われることになります

御前  (›´÷`‹ ;)極論ですね。

――なにが「極論」なのですか? 非差別的な「区別」までも「差別」と同一視した上で、一部の「当事者」の極端な主張・心情を一般化するあなた(御前モカ氏)の「論理」のことですか?

  • 上掲の私の指摘が「極論」に思えるのだとすれば、それは御前モカ氏自身が「差別」を定義するにあたって「意図」と「効果」と混同しているためでしょう。つまり私は御前氏の提言の「効果」について論じているのに、御前氏は自身の「意図」を説明している。だから話が噛み合わない。

――またすでに述べましたとおり、異性愛を「ノーマル」と呼ぶことは異性愛至上主義に基づく「差別的表現であるから批判しています。裏を返せば「男女物」「異性愛物」と呼ぶことには問題ありませんし、実際そのような用語が広まりつつあります

御前 作家側以外からですね。

――いいえ作家も使いますし、そもBLや百合二次創作が盛んなので作家と読者の垣根もあいまいです。というか自分の明るくない分野についてこれ以上知ったかぶりしないほうがいいですよ。

御前 ?なにを使うのですか?

――「男女物」「男女CP」といった表記のことですよ。「異性愛物」はあまり使われないかもしれませんね。 

御前 言葉使用の有無に関しての質問ではなく、百合魔王オッシーさんにとってのデメリットをお伺いしたいのです。

――〈男/女〉〈異性愛同性愛〉の「差異性差)」が否定されることにより、マイノリティである同性愛(BL/百合)」の存在が不可視化され、結局はマジョリティである異性愛(男女の恋愛)」が基準化・規範化されてしまうことの「デメリット」を論じています

【私】にとっての「デメリット」は【私】の問題なので、あなた(御前モカ氏)には関係ありません。私のほうからは以上です。

御前 わかりやすくありがとうございます。ですが、やはり私は賛同しかます百合魔王オッシーさんと願いや根本は同じだと思いますよ。違いはそれを実現させる為の方法論です。百合魔王オッシーさんがこうした方が良いと仰る方法論と私が思うものが違うだけ。以上です。

  • けっきょくのところ御前モカ氏は、氏の提言に対して私の指摘した「デメリット」について、それを「極論」である一方的に切り捨てるばかりで、その問題をどのように回避・解決できるのかという対策提示することは、いっさいできませんでした。
  • が、それでも私は御前氏の“告発”を「百合」の愛好者として真摯に受け止め、できるかぎり誠実にお答えしたつもりです。

一言でいうと、典型的マイノリティ憑依」ですね。

マイノリティ」と一口に言っても様々な主張や心情があるにも関わらず、自説に都合の良い「当事者」の意見だけを取り上げて、勝手に「代弁者」を気取る。

そのような態度は「マイノリティ」に寄り添っているようでいながら、そのじつ当事者」のありようを「非当事者」の立場から恣意的価値判断し、分断をもたらしている点で、これも一つの差別構造に他なりません。

御前モカ氏のおっしゃるとおり、私は常日頃から差別」の問題に関心を抱き、当ブログツイッター上で問題提起をしてきました。

それでも私は、御前モカ氏と違って《「当事者」が「差別」だと感じている(言っている)から差別」だ》といった恣意的基準で「差別認定」を下したことは、一度もありません。

ある表現が「差別」に当たるか否かは、表現自体意味性や文脈検証した上で、私自身の主体性に基づいて判断します。もちろん私の主体的判断に同意しないという人もいるでしょう。しかし少なくとも一部の「当事者」が「差別」と感じた(言った)から差別であるといった、主体性の欠落した無責任な決めつけには何の説得力も感じません。

《「当事者」が「差別」だと感じている(言っている)から差別」だ》といった物言いは、そのじつ「非当事者である自らの主体性放棄し、体よく「当事者」に責任転嫁する、きわめて不誠実な態度であると考えます

2016-09-14

LGBTを「性癖」呼ばわりし親の責任を問う“似非リベラル”の橘玲

集英社週刊プレイボーイ」で作家橘玲が連載しているコラム真実ニッポン』は、折々の時事ネタに絡めて、しばしばセクシュアリティジェンダーをめぐる問題を“科学的”な見地から解説している。

だが“科学的”といっても、そのベースとなるのは進化心理学などの通俗的なオカルト擬似科学である(そんな橘が新潮新書から上梓した新書言ってはいけない』は、我田引水確証バイアスに成り立つ「トンデモ本」の見本のような代物だ)。

とくに今週号(No.39-40 10月3日号)では、俳優強姦事件に関するマスコミの反応を取り上げながら、LGBTを引き合いに出すことで、その「ダブルスタンダード」をあげつらっている(P.87)。

子育てプロジェクト」では性癖矯正できない

(前略)

 ところで、親は子ども性癖自在矯正できるのでしょうか。この「子育て神話」には、LGBT(レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダー)という反証があります性的マイノリティーが多数派異性愛者と平等人権もつのは当然としても、子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられる親は多くないでしょう。だとしたらなぜ、子どもの「性癖」に気づき、行動に「ブレーキ」をかけなかったのでしょうか。

 もうおわかりのように、ここにはマスコミ定番ダブルスタンダードがあります。LGBTは人権問題から、その性癖を問うと面倒なトラブル引き起こします。それに対して強姦致傷は犯罪なので、好き勝手に「悪者」を探し出して叩くことができるのです。

 合法性癖子育て関係ないが、違法性癖は親が矯正できるという「政治的に正しい」主張にはなんの根拠もありません。子ども性格性癖というのは、法律に合わせて遺伝環境子育て)の影響が決まるようにできているわけではないからです。

(後略)

橘の論旨展開は、まず前提からして大きな事実誤認がある。

若いLGBT当事者は、その性自認および性的指向について親からブレーキ」をかけられないどころか、異性愛ないしシスジェンダーへの適応を“強制矯正)”される危険に晒されているという事実は、もはや一般常識のレベルだ。いわゆる《ゲイ治療》の多くは当事者が自ら望んだことではなく、まさに《子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられ》られないという親が、当人意志に反して強制的医師の診断を受けさせた事例である

そもSOGI(性的指向性自認)に立脚するLGBTの概念性癖などという侮蔑的な語彙で言い表すことからして、いかにも典型的かつ露悪的なホモフォビアトランスフォビアに満ちた文面だ。

元より「性癖」とは「性格パーソナリティ)」の偏差(癖)を示す言葉であり、それを「性(セクシュアリティ)」の意味で用いるのはありがちな誤用である(よって《子ども性格性癖》という記述は同語反復だ)。作家立場から報道のあり方に疑義を呈するのであれば、卑俗で刺激的な文言に飛びつく前に、その言葉誤用を指摘すべきであろう。

不肖の息子のしでかした性犯罪について、その親に監督責任を問うことの不合理を指摘するのはいいとしても、橘が実際にやっていることといえば、それにかこつけてLGBTに対する「ヘイトスピーチを行っているだけである

子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられ》られないという親の差別意識を無批判に追認した上で、あまつさえ《だとしたらなぜ、子どもの「性癖」に気づき、行動に「ブレーキ」をかけなかったのでしょうか。》などと“問う”行為は、裏を返せばLGBT当事者の親に向けて、子の性自認ないし性的指向に「ブレーキ」をかけるべきだと主張しているに等しい。

また、その一方で性的マイノリティーが多数派異性愛者と平等人権もつのは当然》などと薄っぺらな建前を並べるのは論理矛盾であり、読者から批判を交わすための予防線を張っているのが見え見えだ。

同連載をまとめた単行本『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』のタイトルに顕著なとおり、橘の基本的論調は「正義」や「政治的正しさ」を大義名分としたマスメディア欺瞞を暴き立てるというもので、ようはTwitterに蔓延る十把一絡げの「反PC主義者」「PCフォビア」と変わらない。

だが他ならぬ“似非リベラルである自身が、このようにして「PC」を盾にした「ヘイトスピーチ」を垂れ流している。トンデモさん”は自分に当てはまる言葉他人攻撃するという「法則」が、また新たに実証された。

2016-08-01

過去ログ整理

過去ログの中から、すでに閉鎖したサイト更新履歴、あまりに時代遅れ話題記事などを削除しました。

またアイドルデュオ推定少女」と映画虹色ロケット』関連の記事は、アメブロに移行しました。

http://ameblo.jp/herfinalchapter

2016-05-20

「性的発達論」のヘテロセクシズムを隠蔽する、牧村朝子の奇怪なフロイト擁護〜『同性愛は「病気」なの?』批判

かつては「レズビアンタレント」として注目を呼びながら、現在レズビアンを(名乗ることを)やめたタレントとしてマスメディア発言する牧村朝子が、前著『百合リアル』に続き、星海社新書から同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』を上梓した。

百合リアル』の問題点の数々については以前、当ブログ検証したとおりである。この度の『同性愛は「病気」なの?』についてもそれと同等の“突っ込みどころ”が予測されるため、時間と心に余裕が出来た時に目を通そう……と思い、とりあえずカバーに保管用のビニールをかけたところ、袖の部分に後述するジークムント・フロイトのものとされる言葉が、フロイト自身肖像と共にデカデカとデザインされていた。

書籍の中でも折に触れて目に入るそのような位置に、牧村はどのような意図で、フロイト言葉引用したのだろうか。取り急ぎ、本書の中から当該箇所を探してみた。

(p.66-70)

同性愛理由を「こころ」に探す

 心理学に興味のある人ならば、フロイトという名前を聞いたことがあるでしょう。オーストリア精神科医で、「精神分析の父」とも呼ばれる、ジークムント・フロイトのことです。

 同性愛者を自認する人の中には、フロイト悪者扱いする人もいます。私もそのひとりでした。同性愛を「性的倒錯」と呼ぶ風潮は、フロイトが著書で繰り返しそう書いたことで広まったからです。

同性愛者って異常でしょ?」

「本当の愛じゃないんでしょ?」

 そういうことを私に言ってくる人たちは、みんなフロイトに毒されているんだと思ったのです。

 が、実はフロイトも、フロイトなりに同性愛の非犯罪化に向けて戦っていました。一九三五年には、ある女性からの「ウチの息子が男性ばかりに恋しちゃうみたいで困ってるんです。どうしたら治せますか?」みたいな質問に答えて、こんな手紙を書いています

 お手紙拝読しました。あなたの息子さんは同性愛者だそうですね。私が一番気になったのは、あなたが息子さんについてお書きになるにあたり、この「同性愛者」という単語を避けていらっしゃることです。一体なぜ避けるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?

 確かに同性愛には有利なところがないかもしれません。しか同性愛は、恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。同性愛は、病気ではありません。私どもは同性愛について、性的発達の過程に起因する、性機能バリエーションの一つだと考えております

 古代、また現代においても、偉大な人物が同性愛者であったことは珍しくありません(プラトンミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチなど)。同性愛犯罪として罰することは、たいへんな不正義であり――そして、残酷なことです。(筆者による抄訳

 なんという内容でしょうか。私はフロイトの墓に向かって土下座したい気持ちになりました。今まで悪者扱いしてごめんなさい、と。

 確かに、フロイト同性愛を「性的倒錯」と呼んだことや、フロイト精神科医であったことは、同性愛一種精神的な異常とみなす風潮に手を貸したかもしれません。けれども、それはフロイト理論同性愛者を異常とみなしたい人々に利用されただけのことであって、フロイト自身は「同性愛病気ではない」「バリエーションの一つだ」と明言していたのです。

 フロイトは、「すべての人間が異性を愛するように生まれつく」という理論に代わり、「すべての人間はなにに性欲を向けるのか定まらない状態で生まれてくる」と提唱しました。この「なにに性欲を向けるのか定まらない状態」のことを、フロイト用語で「多形倒錯」と呼びます。その中で、異性を愛するように発達する人もいれば、同性を愛するように発達する人もいるんだよ……というのが、彼の考えでした。

はて。一読して矛盾を感じないだろうか。

フロイトが「同性愛」を性的倒錯規定しておきながら《恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。》とは、辻褄が合っていない。

これはいったいどういうことなのか。性的発達の過程というフレーズにその鍵がある。

そもフロイトの「性的発達論」とは、唯一《健全》と規定する「異性愛」以外のあらゆる性の「バリエーション」を、「異性愛」に“発達”するまでの《過程》として下位に置く、明確な異性愛至上主義ヘテロセクシズム)に根差したイデオロギーだ。すなわち「同性愛」を《一過性の擬似恋愛》と決めつける(今日においても根強く蔓延る)差別的偏見ベースとなっているのが、この理論である

よってフロイトが「同性愛」について《恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。》と説くことは、ようするに男性(同性)ばかりに恋しちゃうという【あなたの息子さん】もやがて時期が来れば「異性愛者」に“発達”するのだから、今のところは大目に見てやればいいと言っているだけなのである

まり《「同性愛者(非異性愛者)」として生きる(=〈異性愛者〉に転向することなく、いつまでも同性愛者〉のままでいる)》という人生設計については、フロイトはいっさい肯定していないのだ。

ところが、上掲した牧村による講釈では、そうした「性的発達論」の異性愛至上主義について言及すらされていない。あまつさえ《異性を愛するように発達する人もいれば、同性を愛するように発達する人もいるんだよ》などと、あたかもフロイトが〈同性愛者〉を〈異性愛者〉と同等に扱っていたかのように“曲解”している。

つのところフロイト【異性を愛するように発達する人】存在しか認めておらず、《同性を愛する》ことをも“発達”の「バリエーション」として認める発想自体が――言い換えるなら“発達”の先に「異性愛」以外の「バリエーション」が存在するという前提が――フロイト念頭にはなかったと理解されるべきであろう。

* * *

牧村は、このフロイト手紙がよっぽど気に入ったらしく、先述のとおりカバーの袖にまで載っけた上、本文中に原本コピーを丸々1ページ費やして掲示している。

そうした牧村のぬか喜びを、たんなる誤解として片づけることはできない。なぜなら「性的発達論」はフロイト思想の中核を成す理論であり、フロイトについて言及した文献を参照する上で、当然ながら牧村自身も目にしているはずであるからだ。

となれば。牧村は性的発達論」の差別性を認識した上で、それを意図的隠蔽したと判断するほかない。

なぜ牧村は、そのような真似をするのか。私が牧村の奇怪な「精神」を“分析”するに、次の3通りが考えられる。

1.同性愛者を自認する人の中》悪者扱い”されているというフロイトが、じつは〈同性愛者〉を“差別”していなかったという「珍説」が、単純に話として意外性があって面白いから

2.同性愛者を自認する人の中》悪者扱い”されているというフロイトを、《同性愛者を自認していた(過去形)》という牧村朝子があえて擁護することにより、フロイトを“悪者扱い”する【同性愛者を自認する人】を「差別する人たちを差別する」「ホモフォビアフォビア」として糾弾することが、多くの〈異性愛者〉の読者の歓心を買う上で有利であろうと判断したから

3.牧村自身フロイトと同様に【同性愛者を自認する人】について、現時点では《異性を愛さないこと》を認めながらも、やはり将来的には《異性を愛する可能性》に“開かれる”べきであると考えているから

フロイトについては悪者などというあやふやイメージとして“扱う”のではなく、異性愛至上主義思想学術的に正当化権威化した「差別主義者」として、正確に認識することが相応しいだろう。

さらに言えば、フロイト自身は「精神科医」であっても、精神分析学」は精神医学とはまったくの別物である

生物学が「優生学」と混同された上で、しばしば「同性愛」が“生物学的に”間違っている根拠として利用されるように、「精神分析学」もまた科学の装いをすることで非科学的な異性愛至上主義イデオロギー権威化する擬似科学似非科学の類にすぎない(じじつ今日精神医療現場で指針となるのはもっぱら「DSM」ないし「ICD」であり、「精神分析」は一部の療法がまれに“併用”されるていどである)。

もっとも近年はクィア運動の影響から、「同性愛(者)」を《異常》と認めた上で《異常であっても差別されてはならない》といったようなことを言うための事例として利用するレトリック流行であるらしく、そんな中で「精神分析学性的発達論)」を再評価する動きも起こりつつある(それにしても、いったいどこの「同性愛者」が《異常であれば差別してもいい》などと言っているのだろうか? こういう屁理屈藁人形論法と呼ぶのだ)

しかいかなるもっともらしい「理論」に根差したものであっても、《正常/異常》の二元論採用する以上は「異性愛」が《正常》として特権化される構造解体することができない。

また「ヘイトスピーチ」の観点で論じるならば、「同性愛」を《性的倒錯》と位置づけた上でその“犯罪化”にのみ反対することは、裏を返せば犯罪化(ないし物理的・身体的暴力)”を除いた、あらゆる《同性愛差別》の様態を許容する方便・建前となる。

換言すれば、たとえフロイト精神科医立場から同性愛病気ではない」という理由でその“治療”に反対していたとしても、すべての人がその性的指向を問わず異性愛者〉として生きることが前提化された現代社会にあっては、手間暇かけて“治療”を試みるまでもなく〈同性愛者〉に対して《異性を愛すること》を要求・期待する行為可能であるというだけの話だ。

よってフロイトが「同性愛」の“犯罪化”および“治療”に反対していたという事実同性愛者って異常でしょ?」「本当の愛じゃないんでしょ?」などのヘイトスピーチに対する反証とはなりえない。その意味同性愛者を異常とみなしたい人々】が「フロイト理論」を《同性愛者を異常とみな》す行為に“利用”することは、むしろ理に適っていると言える(が、前提が間違っているので正しい結論は導かれない)。むしろフロイト言辞を“利用”しながら真逆の(自分に都合の良い)帰結を導く牧村の主張こそが矛盾欺瞞に満ち満ちているのである

そも21世紀を生きる私たちが、前世紀の差別思想立脚したフロイト権威にすがる必然性は、まったくない。

人間セクシュアリティを論じる上で重要なのは性的指向に変化があるか否かといった“可能性”ではなく、自らの人生をどのように設計していくかという“主体性問題に他ならない。

参考資料

中野明徳『S.フロイトの性欲論(pdf)