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百錬ノ鐵 hyaku ren no tetsu

3014-12-20

「関西クィア映画祭2014」問題 まとめ

2015年8月21日 更新

2014年度「関西クィア映画祭」の宣言文において、レズビアンに対するヘイトスピーチが行われています。

その内容の差別性について、私は再三に亘り子細な検証と指摘を行ってきました。しかし同映画祭実行員会代表者不在)は、支離滅裂とも言える詭弁を弄して居直るばかりであり、クィアを称する自らの政治的党派性とそれに依拠する差別行為正当化特権化しています。

ここに私は実行委員会に対し、問題差別的宣言文の撤回謝罪、および総括要求します。

問題差別的宣言

関西クィア映画祭について http://kansai-qff.org/#about

公開質問状とその回答

公開質問状(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141013/p1

回答(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141014/p1

公開質問状(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141015/p1

回答(2)&公開質問状(3) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141017/p1

公開質問状(3)追記 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141017/p2

回答(3) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141018/p1

回答(3)追記 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141018/p2

通告(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141021/p1

回答(4) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141206/p1

通告(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141206/p2

公開質問状(4) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141219/p1

回答(5) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141223/p1

・経過報告

報告(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141224

シンパからの反応

@lolonzlol編 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141015/p2

@isidaiori編 http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141101/p1

@yu_ichikawa編(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141110/p1

@yu_ichikawa編(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141110/p2

・総括

総括(1) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141020/p1

総括(2) http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20141020/p2

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実行員会 @kqff_official

斬 @__ZAN

福永玄弥 @Genya_F

冨川瞳(とみー) @hitomikawa

2016-09-14

LGBTを「性癖」呼ばわりし親の責任を問う“似非リベラル”の橘玲

集英社週刊プレイボーイ」で作家橘玲が連載しているコラム真実ニッポン』は、折々の時事ネタに絡めて、しばしばセクシュアリティジェンダーをめぐる問題を“科学的”な見地から解説している。

だが“科学的”といっても、そのベースとなるのは進化心理学などの通俗的なオカルト擬似科学である(そんな橘が新潮新書から上梓した新書言ってはいけない』は、我田引水確証バイアスに成り立つ「トンデモ本」の見本のような代物だ)。

とくに今週号(No.39-40 10月3日号)では、俳優強姦事件に関するマスコミの反応を取り上げながら、LGBTを引き合いに出すことで、その「ダブルスタンダード」をあげつらっている(P.87)。

子育てプロジェクト」では性癖矯正できない

(前略)

 ところで、親は子ども性癖自在矯正できるのでしょうか。この「子育て神話」には、LGBT(レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダー)という反証があります性的マイノリティーが多数派異性愛者と平等人権もつのは当然としても、子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられる親は多くないでしょう。だとしたらなぜ、子どもの「性癖」に気づき、行動に「ブレーキ」をかけなかったのでしょうか。

 もうおわかりのように、ここにはマスコミ定番ダブルスタンダードがあります。LGBTは人権問題から、その性癖を問うと面倒なトラブル引き起こします。それに対して強姦致傷は犯罪なので、好き勝手に「悪者」を探し出して叩くことができるのです。

 合法性癖子育て関係ないが、違法性癖は親が矯正できるという「政治的に正しい」主張にはなんの根拠もありません。子ども性格性癖というのは、法律に合わせて遺伝環境子育て)の影響が決まるようにできているわけではないからです。

(後略)

橘の論旨展開は、まず前提からして大きな事実誤認がある。

若いLGBT当事者は、その性自認および性的指向について親からブレーキ」をかけられないどころか、異性愛ないしシスジェンダーへの適応を“強制矯正)”される危険に晒されているという事実は、もはや一般常識のレベルだ。いわゆる《ゲイ治療》の多くは当事者が自ら望んだことではなく、まさに《子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられ》られないという親が、当人意志に反して強制的医師の診断を受けさせた事例である

そもSOGI(性的指向性自認)に立脚するLGBTの概念性癖などという侮蔑的な語彙で言い表すことからして、いかにも典型的かつ露悪的なホモフォビアトランスフォビアに満ちた文面だ。

元より「性癖」とは「性格パーソナリティ)」の偏差(癖)を示す言葉であり、それを「性(セクシュアリティ)」の意味で用いるのはありがちな誤用である(よって《子ども性格性癖》という記述は同語反復だ)。作家立場から報道のあり方に疑義を呈するのであれば、卑俗で刺激的な文言に飛びつく前に、その言葉誤用を指摘すべきであろう。

不肖の息子のしでかした性犯罪について、その親に監督責任を問うことの不合理を指摘するのはいいとしても、橘が実際にやっていることといえば、それにかこつけてLGBTに対する「ヘイトスピーチを行っているだけである

子ども性的指向が「ふつう」とちがうことを自然に受け入れられ》られないという親の差別意識を無批判に追認した上で、あまつさえ《だとしたらなぜ、子どもの「性癖」に気づき、行動に「ブレーキ」をかけなかったのでしょうか。》などと“問う”行為は、裏を返せばLGBT当事者の親に向けて、子の性自認ないし性的指向に「ブレーキ」をかけるべきだと主張しているに等しい。

また、その一方で性的マイノリティーが多数派異性愛者と平等人権もつのは当然》などと薄っぺらな建前を並べるのは論理矛盾であり、読者から批判を交わすための予防線を張っているのが見え見えだ。

同連載をまとめた単行本『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』のタイトルに顕著なとおり、橘の基本的論調は「正義」や「政治的正しさ」を大義名分としたマスメディア欺瞞を暴き立てるというもので、ようはTwitterに蔓延る十把一絡げの「反PC主義者」「PCフォビア」と変わらない。

だが他ならぬ“似非リベラルである自身が、このようにして「PC」を盾にした「ヘイトスピーチ」を垂れ流している。トンデモさん”は自分に当てはまる言葉他人攻撃するという「法則」が、また新たに実証された。

2016-08-01

過去ログ整理

過去ログの中から、すでに閉鎖したサイト更新履歴、あまりに時代遅れ話題記事などを削除しました。

またアイドルデュオ推定少女」と映画虹色ロケット』関連の記事は、アメブロに移行しました。

http://ameblo.jp/herfinalchapter

2016-05-20

「性的発達論」のヘテロセクシズムを隠蔽する、牧村朝子の奇怪なフロイト擁護〜『同性愛は「病気」なの?』批判

かつては「レズビアンタレント」として注目を呼びながら、現在レズビアンを(名乗ることを)やめたタレントとしてマスメディア発言する牧村朝子が、前著『百合リアル』に続き、星海社新書から同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』を上梓した。

百合リアル』の問題点の数々については以前、当ブログ検証したとおりである。この度の『同性愛は「病気」なの?』についてもそれと同等の“突っ込みどころ”が予測されるため、時間と心に余裕が出来た時に目を通そう……と思い、とりあえずカバーに保管用のビニールをかけたところ、袖の部分に後述するジークムント・フロイトのものとされる言葉が、フロイト自身肖像と共にデカデカとデザインされていた。

書籍の中でも折に触れて目に入るそのような位置に、牧村はどのような意図で、フロイト言葉引用したのだろうか。取り急ぎ、本書の中から当該箇所を探してみた。

(p.66-70)

同性愛理由を「こころ」に探す

 心理学に興味のある人ならば、フロイトという名前を聞いたことがあるでしょう。オーストリア精神科医で、「精神分析の父」とも呼ばれる、ジークムント・フロイトのことです。

 同性愛者を自認する人の中には、フロイト悪者扱いする人もいます。私もそのひとりでした。同性愛を「性的倒錯」と呼ぶ風潮は、フロイトが著書で繰り返しそう書いたことで広まったからです。

同性愛者って異常でしょ?」

「本当の愛じゃないんでしょ?」

 そういうことを私に言ってくる人たちは、みんなフロイトに毒されているんだと思ったのです。

 が、実はフロイトも、フロイトなりに同性愛の非犯罪化に向けて戦っていました。一九三五年には、ある女性からの「ウチの息子が男性ばかりに恋しちゃうみたいで困ってるんです。どうしたら治せますか?」みたいな質問に答えて、こんな手紙を書いています

 お手紙拝読しました。あなたの息子さんは同性愛者だそうですね。私が一番気になったのは、あなたが息子さんについてお書きになるにあたり、この「同性愛者」という単語を避けていらっしゃることです。一体なぜ避けるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?

 確かに同性愛には有利なところがないかもしれません。しか同性愛は、恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。同性愛は、病気ではありません。私どもは同性愛について、性的発達の過程に起因する、性機能バリエーションの一つだと考えております

 古代、また現代においても、偉大な人物が同性愛者であったことは珍しくありません(プラトンミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチなど)。同性愛犯罪として罰することは、たいへんな不正義であり――そして、残酷なことです。(筆者による抄訳

 なんという内容でしょうか。私はフロイトの墓に向かって土下座したい気持ちになりました。今まで悪者扱いしてごめんなさい、と。

 確かに、フロイト同性愛を「性的倒錯」と呼んだことや、フロイト精神科医であったことは、同性愛一種精神的な異常とみなす風潮に手を貸したかもしれません。けれども、それはフロイト理論同性愛者を異常とみなしたい人々に利用されただけのことであって、フロイト自身は「同性愛病気ではない」「バリエーションの一つだ」と明言していたのです。

 フロイトは、「すべての人間が異性を愛するように生まれつく」という理論に代わり、「すべての人間はなにに性欲を向けるのか定まらない状態で生まれてくる」と提唱しました。この「なにに性欲を向けるのか定まらない状態」のことを、フロイト用語で「多形倒錯」と呼びます。その中で、異性を愛するように発達する人もいれば、同性を愛するように発達する人もいるんだよ……というのが、彼の考えでした。

はて。一読して矛盾を感じないだろうか。

フロイトが「同性愛」を性的倒錯規定しておきながら《恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。》とは、辻褄が合っていない。

これはいったいどういうことなのか。性的発達の過程というフレーズにその鍵がある。

そもフロイトの「性的発達論」とは、唯一《健全》と規定する「異性愛」以外のあらゆる性の「バリエーション」を、「異性愛」に“発達”するまでの《過程》として下位に置く、明確な異性愛至上主義ヘテロセクシズム)に根差したイデオロギーだ。すなわち「同性愛」を《一過性の擬似恋愛》と決めつける(今日においても根強く蔓延る)差別的偏見ベースとなっているのが、この理論である

よってフロイトが「同性愛」について《恥ずべきことでも、悪いことでも、劣ったことでもないのです。》と説くことは、ようするに男性(同性)ばかりに恋しちゃうという【あなたの息子さん】もやがて時期が来れば「異性愛者」に“発達”するのだから、今のところは大目に見てやればいいと言っているだけなのである

まり《「同性愛者(非異性愛者)」として生きる(=〈異性愛者〉に転向することなく、いつまでも同性愛者〉のままでいる)》という人生設計については、フロイトはいっさい肯定していないのだ。

ところが、上掲した牧村による講釈では、そうした「性的発達論」の異性愛至上主義について言及すらされていない。あまつさえ《異性を愛するように発達する人もいれば、同性を愛するように発達する人もいるんだよ》などと、あたかもフロイトが〈同性愛者〉を〈異性愛者〉と同等に扱っていたかのように“曲解”している。

つのところフロイト【異性を愛するように発達する人】存在しか認めておらず、《同性を愛する》ことをも“発達”の「バリエーション」として認める発想自体が――言い換えるなら“発達”の先に「異性愛」以外の「バリエーション」が存在するという前提が――フロイト念頭にはなかったと理解されるべきであろう。

* * *

牧村は、このフロイト手紙がよっぽど気に入ったらしく、先述のとおりカバーの袖にまで載っけた上、本文中に原本コピーを丸々1ページ費やして掲示している。

そうした牧村のぬか喜びを、たんなる誤解として片づけることはできない。なぜなら「性的発達論」はフロイト思想の中核を成す理論であり、フロイトについて言及した文献を参照する上で、当然ながら牧村自身も目にしているはずであるからだ。

となれば。牧村は性的発達論」の差別性を認識した上で、それを意図的隠蔽したと判断するほかない。

なぜ牧村は、そのような真似をするのか。私が牧村の奇怪な「精神」を“分析”するに、次の3通りが考えられる。

1.同性愛者を自認する人の中》悪者扱い”されているというフロイトが、じつは〈同性愛者〉を“差別”していなかったという「珍説」が、単純に話として意外性があって面白いから

2.同性愛者を自認する人の中》悪者扱い”されているというフロイトを、《同性愛者を自認していた(過去形)》という牧村朝子があえて擁護することにより、フロイトを“悪者扱い”する【同性愛者を自認する人】を「差別する人たちを差別する」「ホモフォビアフォビア」として糾弾することが、多くの〈異性愛者〉の読者の歓心を買う上で有利であろうと判断したから

3.牧村自身フロイトと同様に【同性愛者を自認する人】について、現時点では《異性を愛さないこと》を認めながらも、やはり将来的には《異性を愛する可能性》に“開かれる”べきであると考えているから

フロイトについては悪者などというあやふやイメージとして“扱う”のではなく、異性愛至上主義思想学術的に正当化権威化した「差別主義者」として、正確に認識することが相応しいだろう。

さらに言えば、フロイト自身は「精神科医」であっても、精神分析学」は精神医学とはまったくの別物である

生物学が「優生学」と混同された上で、しばしば「同性愛」が“生物学的に”間違っている根拠として利用されるように、「精神分析学」もまた科学の装いをすることで非科学的な異性愛至上主義イデオロギー権威化する擬似科学似非科学の類にすぎない(じじつ今日精神医療現場で指針となるのはもっぱら「DSM」ないし「ICD」であり、「精神分析」は一部の療法がまれに“併用”されるていどである)。

もっとも近年はクィア運動の影響から、「同性愛(者)」を《異常》と認めた上で《異常であっても差別されてはならない》といったようなことを言うための事例として利用するレトリック流行であるらしく、そんな中で「精神分析学性的発達論)」を再評価する動きも起こりつつある(それにしても、いったいどこの「同性愛者」が《異常であれば差別してもいい》などと言っているのだろうか? こういう屁理屈藁人形論法と呼ぶのだ)

しかいかなるもっともらしい「理論」に根差したものであっても、《正常/異常》の二元論採用する以上は「異性愛」が《正常》として特権化される構造解体することができない。

また「ヘイトスピーチ」の観点で論じるならば、「同性愛」を《性的倒錯》と位置づけた上でその“犯罪化”にのみ反対することは、裏を返せば犯罪化(ないし物理的・身体的暴力)”を除いた、あらゆる《同性愛差別》の様態を許容する方便・建前となる。

換言すれば、たとえフロイト精神科医立場から同性愛病気ではない」という理由でその“治療”に反対していたとしても、すべての人がその性的指向を問わず異性愛者〉として生きることが前提化された現代社会にあっては、手間暇かけて“治療”を試みるまでもなく〈同性愛者〉に対して《異性を愛すること》を要求・期待する行為可能であるというだけの話だ。

よってフロイトが「同性愛」の“犯罪化”および“治療”に反対していたという事実同性愛者って異常でしょ?」「本当の愛じゃないんでしょ?」などのヘイトスピーチに対する反証とはなりえない。その意味同性愛者を異常とみなしたい人々】が「フロイト理論」を《同性愛者を異常とみな》す行為に“利用”することは、むしろ理に適っていると言える(が、前提が間違っているので正しい結論は導かれない)。むしろフロイト言辞を“利用”しながら真逆の(自分に都合の良い)帰結を導く牧村の主張こそが矛盾欺瞞に満ち満ちているのである

そも21世紀を生きる私たちが、前世紀の差別思想立脚したフロイト権威にすがる必然性は、まったくない。

人間セクシュアリティを論じる上で重要なのは性的指向に変化があるか否かといった“可能性”ではなく、自らの人生をどのように設計していくかという“主体性問題に他ならない。

参考資料

中野明徳『S.フロイトの性欲論(pdf)

2016-01-11

《レズビアンを男とキスさせる動画》に関する「GENXY」編集部からの回答(2)

レズビアンを男とキスさせる動画》を拡散するLGBTメディア「GENXY」の責任を問う

http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20160106/p1

 

レズビアンを男とキスさせる動画》に関する「GENXY」編集部からの回答(1)および再反論

http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20160107/p1

本日18時18分、「GENXY」編集者のUechi Makito氏より回答がありましたので、以下に転載ます原文ママ)。

ご返信ありがとうございます、GENXY編集部です。

 

以下回答させて頂きます

 

レズビアン特別視・差別視”しているという件について

 

記事掲載する際、「レズビアンキスしたら…?」動画だけでなく、「ゲイキスしたら…?」動画掲載することにより、双方記事へ導線を張っております

すなわち、これらはゲイレズビアンリアクション動画シリーズであることはユーザー想像に難くなく、”レズビアンのみ”を特別視・差別視したものではないと再度申し上げておきます

 

媒体の例を紹介した件について

 

媒体動画紹介例を挙げた件ですが、これは私共編集部動画を取り上げたことに対する責任転嫁ではなく、「LGBTメディア」というものがどのように報道活動されているか比較頂く例として記述したまででございます

 

リンク先をお読み頂くとお分かりになりますが、動画善悪ジャッジするものではなく”ありのまま”をテキストに起こしており、「世界中LGBT関連話題ユーザー提供する」というスタイルは、私共報道姿勢と通じる部分があると考えるからです。

 

「キュート」という表現について

 

私共は、貴殿が仰っているレズビアン男性との恋愛および性行為経験が未熟であるとされるレズビアン女性》といった認識ではなく、セクシャリティ(個人の未熟・成熟度、過去の異性・同性関係の有無、社会的地位)を問わず「等しい」との概念のもと記事作成を行っております

 

よって、貴殿が仰っる《レズビアンのぎこちなさにエロスを見い出す》発想そのもの根本にございません。

 

前回答でも述べましたが、これらはセクシャリティレズビアンゲイストレート男女)に関わらず、動画に出演する全員の会話・仕草を総括し、端的に「キュート」という表現をしております

 

ですが、仰っている通り「動画見解ユーザーに委ねている」と申し上げた当媒体が、一概に「キュート」という肯定的とも取れる表現使用することは矛盾しているとのご指摘を受け、文言を削除することで対応させて頂きます

 

この度は貴重なご指摘・ご意見頂きありがとうございました。

 

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます

 

GENXY編集部

レズビアンノンケ男子キスしたら…?(動画

http://genxy-net.com/post_theme04/1231315l/

<2016/1/11 記事内を一部修正・削除>

腑に落ちない見解ではありますが、こちらの要請には応じていただけたため、これをもちまして今回の抗議活動は終了とさせていただきます

拡散にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。