女神カーリーの供物と、カトマンドゥの熱い夜


残り一週間の予定を思案しながら、カトマンドゥでのんびり時間を過ごしていた。

  1. 破壊してしまった膝の痛みをおしてでもエベレストに行くか
  2. エベレストを見るのは飛行機からにし、浮いた日数とお金でラーマーヤナの舞台であるジャナクプルに向かってみるか

前回:雨のポカラと、サランコットの丘

5月30日

 
 
世界遺産ルンビニ・チトワンを巡ってポカラに滞在するという、ネパール西部から中央部をめぐる旅もこれで完結。疫病に苛まれることもなく、旅は順調そのものです。

タメルに戻ってきた

タメル地区の入り口でバスを降ろされるやいなや、ホテルの客引きが次から次へと群がってくる。相変わらずの鬱陶しさの中、泊まろうと思っていたムスタン・ゲストハウスのオーナーから声がかかったので、渡りに船ということで付いていくことにした。
渡りに船のタイミングで現れる人物は大概トラップだったんだけど、今回こそは正真正銘の渡りに船でした。

シャワー・トイレ付きの部屋で200ルピー。フロントの真横というポジションに疑問さえ感じなければ、価格からは想像もつかないほどいいお部屋。円換算では300円くらい。
途中からトイレが流れなくなったりシャワーのお湯が出なくなったりしたので、グチグチ文句を言っていたら150ルピーにまけてもらえた。

タメルに着くと、「スミマセン、トモダチ」と言いながらしつこくストーキングしてくる多種多様の物売りや、リクシャーや牛のせいで完全に麻痺している交通網や、ひっきりなしのクラクションや酷い排気ガスは相変わらずだ。だけど、早くもそういったものが懐かしく感じられるようになってきている。

ジャスト・ジュース・アンド・シェイクス

…という名前のドリンクショップがゲストハウスの近くにあって、シェイクがとてもいけるお店なんだけど、特にチョコバナナシェイクやコーヒーバナナシェイクが絶品。下地に使われているヨーグルトがチョコやコーヒーの味を膨らませてふくよかにしていて、それが舌にふれると、熱にやられてほっこりした体が芯から溶かされていく感じ。4〜5回は飲みに行ったかなあ…。
この頃はガイドブックに載っている店を虱潰しにするような感じで、一日三食以上をレストランで食していたし、なにかにかこつけてはカフェに入ったりバーに入ったり、買い食いしてばかりいた。

ジッチョン(a.k.a.フリークストリート)

ちょっと遠出をして、ジッチョン界隈を練り歩く。往時にはヒッピー達が通りに溢れていたらしく、この場所はフリークストリートの異名を持っている。ダルバール広場の東南角で、エリアはほぼ隣接。

ヒッピームーブメントの時代に開店し、30年以上続いているというスノーマンというカフェにお邪魔した。マスターである眼鏡の老紳士は、ニューヨークにある客の少ない古書店の主人、みたいな喩えは自分でもどうかと思うけれども、道楽が昂じてそういうところに収まった人間にはあり得そうな、隠棲的だけど力を感じさせる独特の眼差しをたずさえていた。
照明のつかない薄暗い店内には夕陽が斜めに差し込んでいて、陰翳がねばついて感じられる。浅黒い肌の若者達が囲んだテーブルは、暗がりに没しているものだから、闇と人肌の境目もあまり判然とはしない。様々な輪郭の溶け合った闇の中から、どすの利いた声が石壁を伝ってこちらまで響いてくるんだけど、何を言っているのかはわからない。そうした声や陰翳に包み込まれながら、チベット密教について書かれた本をひたすら読みふけっていた。夢中で読んだ。

不気味に安いゲームソフト

ショッピングモールでは新作のXBOX360のソフトが200ルピー程度で売られており、新作もあるよということでグランドセフトオート4を店員から勧められたりした。新作だからちょっと高めで、250ルピー*1。勇気を出して、聞くまでもないことを聞いてみたよ。"Is this original?"

再会

隣がフロントということもあって、ゲストハウスの部屋には客や従業員の会話が扉越しに聞こえてくるんだけども、何やら日本語で楽しそうに盛り上がっている集団がいた。出かけようとしてドアを開けると「あーっ」という声がして、「なんでいるんですか!?」と張り上げられたその声は、チトワンで手を振り見送ってくれた例の日本人カップルのものであった…。
ここがいい宿だって教えてくれたのは彼らで、だから来たんだけど、来たら当の本人達がいてお互いにびっくりしてしまったというわけだ。チトワンで別れてからの出来事や、現在のカトマンドゥの情報をざっと交換しあった。

ライブバーとマリファナ

夜になると、近くで奏でられているらしい60〜70年代ロックがゲストハウスの部屋まで響いてきていた。クリームにジミヘン、ドアーズといった60〜70年代の音楽で、この街には本当によく似合っている。ベッドに寝っころがってぼんやりと聞いていたらあんまり気持ちがよかったもんだから、つい引き寄せられてしまってフラフラと。

界隈に四件ほどあるライブバーは、どこもそれなりにいい感じの音を出していた。少し先にあったレゲエバーの音が一番好みだったので、そこに決定。店内にはヘンプのマークがでかでかと掲げられていて、ネパールはマリファナが違法なんだけど、ここはハッパ大歓迎だったりするのかな…。完全にキマってる感じの白人の女の子から、「ハァイ、ロールペーパー持ってない?」とジョイント用のペーパーをせびられたりした。
店内はジミヘンやジェームズブラウンで盛り上がりまくっている。アイフィールグッドを合唱してたりして…いい感じ。

5月31日

ダクシンカリ

ちょうど土曜日ということもあって、生贄の儀式が盛大に催されるというダクシンカリへ向かうことにした。シティ・バスパークからバスに乗り込み、一時間半かけて山間部の目的地へと到達。運賃はたったの25ルピー。
儀式がおこなわれるのは午前中ということで、遅刻したら見逃してしまうため、バスパークの場所だけは確認しておいた。とはいえバスの行き先表示が系統番号も含めて全部ネパール語なもんだから、読めないし、どうすればいいのかわからない。そこら中の人に聞きまくってなんとかするしかなかったな。

屋台や露店の並ぶにぎやかな参道を抜けて行くと、供物を捧げる人たちが長大な列を作っている。
その脇をすり抜けるようにして石段を下っていくと、美しい亀を盥に住まわせている老婆や各種の物乞い、胸をはだけて母乳を与える若い母親などが次々と目に入ってきた。
母親のおっぱいの話をすると、ちらっと見ただけなんだけど、乳房が思ったより色白だったというか、普段から露出している部分とは全然色が違っている。彼らの肌の黒さは日焼けによる部分も多いのかな、なんか新鮮な発見だった。

生贄に捧げられる直前のヤギ。メェェ、メェェと悲壮な鳴き声をあげながら生贄台の前まで引っ張っていかれている。ちょっと離れたところには、首と胴体が生き別れになったヤギがよけてあったりもする。
もっと『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』的なおどろおどろしさを期待していたんだけども、中国の肉屋みたいにきわめて事務的な動作でポンポン首を跳ねていくもんだからそこに感情が介入する余地はないの。トン、ガリガリッ、ポポーイという軽快な動作で、鶏やヤギの首が切断されていく。ほんと鶏の首なんて、もぎとったら屋根の上にポポーイですよ。


残念ながらいいポジションが確保できなかったため、絶命の瞬間を詳らかに眺めることはかなわなかった。Youtubeにビデオがあがっているようなので、拝借してみます。※動物の首が切断されるビデオです。

五体をバラバラにしたヤギを、スーパーのビニール袋に詰め込んでカジュアルに持ち歩くのだけはやめてほしかったな。猟奇的というかなんというか、ビニール袋の端から蹄のついた脚がニョキニョキとはみ出してるの。トビー・フーパーも真っ青のリアルゴアショット。

意味はあります

なんでこんなことをするのかというと、この動物達は、破壊と殺戮の女神カーリーの捧げ物とされている。動物たちの死は、けして無駄にはなりません。水牛の首が捧げられることもあるらしくて、水牛を捧げることのできるのはこれすなわちお金持ちということでもあり、滅多には見られないんだって。※後日の日記に登場する、インチキ臭い男からゲットした情報です。

地元の人しか入らない食堂

腹が減ったので、現地の人しか入ってない食堂に押し入っていって、食べかたがよくわからないフードを見よう見まねで注文してみた。狭い店内は天井も低く、穴倉に押し込められているような格好だ。
色々な揚げ物をチャパティ*2やダル豆のスープと一緒に頂くというスタイルで、結構くせになる味なんだけど、申し訳なくなるほど安かったな。ミネラルウォーターの買い足しも含めて50ルピーくらいだったと思う。
はっきり言って、外人はそれほど歓迎されていないみたいだった。

屋根の上で死なされた

帰りはバスの屋根に乗り込まされた。

置いてあったタイヤに腰をかけてたんだけど、そもそもタイヤって座り心地よくないからね。揺れまくるしケツが痛いしで泣きそうでした。屋根の上まで人がぎっしり乗ってくるから、体を伸ばすこともままならないという…。しかも、夥しい紫外線が突き刺さってくる。補給したばかりのウォーターがあっという間に底を尽いてしまった。

またライブバー

ネットカフェで情報収集をしつつ、高級チックなタイレストランで、そんなに美味くもないグリーンカレーを食す。モクを二本ほど吸って、ふわ〜っとした足取りで昨日とは別のライブバーに向かいます。
音で決めたら、昨日と同じバンドが出ていてなんだかなぁと思った。ホワイトストライプスのエレファントみたいな若干新しめのもやっていたんだけど、ボーカルの喉の調子が悪いらしく、客も少ないし前日ほどには盛り上がってなかったかな。
ビールを呷り続けているうちにいつの間にやら爆睡をしていて、何か盗まれてたらえらいことだ、と肝を冷やす羽目になった。何も盗られてなかったのは不幸中の幸いだけども、さすがにちょっとネパールに慣れ過ぎてしまっていたかもしれない。
さっきのボーカルがすぐ横のソファに腰掛けてぼんやりしていたりして、面白かった。
ゲストハウスに戻ってきたのは深夜十一時すぎで、門の鍵がしまっていて焦らされた。入り口のところで毛布をかぶって寝ている従業員に起きてもらい、ようやく自室のベッドへと潜り込むことに成功。

*1:400円くらい

*2:ネパールのパン