スキーのことは、振り返りながら…

スキーのほうは2週間後にあと1試合残っているもののほぼシーズン終了である。初滑りは平成19年12月1日、栂池だった。前日は父が飲み会でカラオケボックスへ。

父の職場のある部署では有線が入る。父のお気に入りはチャンネル「B‐12」、80年代邦楽ベストヒットである。シブガキ隊の「Zokkon命」や「挑発∞」が入ってしまうと指先が止まりそうになる。これをいつも見ている人が、「夜7時集合、一次会からカラオケ、集まれ80年代」というような会を企画してしまった。

次の日は初滑り、次の日は初滑り、と頭の中で繰り返していたにもかかわらず、いつの間にかビールは6杯目、歌は次々入れる入れる、90年代の「がじゃいも」、3年前の大塚愛さくらんぼ」、やっぱり80年代河合奈保子「大きな森の小さなお家」、と前後不覚、善悪の判断がつかない状態になってきた。

会が終われば12時を超え、明日本当にスキーに行けるんかいな、と思いながら帰宅した。

翌朝はやっぱり寝坊、って言うか、息が酒臭かったので8時頃まで待って出発した。

スキーのカテゴリーの話だったけどなぜか前の日の飲み会の話になってしまった。初滑りの話はまた後で。

初滑り

12月1日。二日酔いで検問に合うとやばいかもと思いながら8時出発、9時30分に栂池スキー場着。10時からハンの木高速ペアを滑り始める。2本滑ったところで早くも子供たちから休憩した〜い、の声。なんじゃまともに滑ってもないのに、と思いながら、「シーズン初めから怒ってしまってはダメダメ。」と自分の心をいさめてレストランへ。「できてなくても誉めるしかないです」というKANAのライバルRUKIちゃんのお父さんの言葉が頭をよぎる。その後はストックなしでやってみよう、とか、外向傾を意識するために外足を触ってみよう、とか、何とかあの手この手で目先を変えてもともと少ないモチベーションを何とか引っ張った。14時半下山。

来週はOHYAMAスポーツクラブの初めての練習だ。KANAはヒゲのコーチを怖がっている。怖い気持ちよりスキーが楽しい気持ちが上回れば、うまくクラブに溶け込んで行ってくれると思うのだが、果たしてどうなることやら。