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hhoshibaの日記:「宇宙の中心は勇気だ」part2 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-03-08

メタメタ認知

| 19:46 | メタメタ認知を含むブックマーク メタメタ認知のブックマークコメント


取引先である会社を経営する年上の男がいた。もう亡くなってから随分経つ。

彼が我が席に立ち寄っていろんな話をしてくれるのだが、この話がなんとも取り止めがない。

他の者もちょっと……いや、相当に辟易していた。

それをみんなが許していたのは、彼のひたむきさと人柄の可愛さであった。


彼は大学を中退している。それがコンプレックスになっていたのだろうか……、大変な読書家であった。そのときどきでブームになった本はもとより、経営、文明論、思想、社会学などなども手当たり次第という感じで読んでいた。

ただ、「人は本を理解できる範囲内でしか読まない」「自分が理解したいように読む」などという言葉があるが、彼の読書はまさにこれであった。


つまり、はっきり言うと壮大な体系とか重厚なファンダメンタルズを持ったこれらのコンテンツを彼は精々のところ3〜4%しか読み取れなかったんだと思う。(よくて…10%)今で言えば、それらの本の「キュレーション」をしてくれるワケだ。ありがたい部分もあるのだが、迷惑の部分の方が遥かに大きい。

というのは、その数%以下の理解では「キュレーション」にはならないので、足らざるを他の本からのもの(やはり3〜4%の理解のものを)とブリッジする。もしくは、自分のオリジナルの考えをミックスさせて説く。

後年は幾多のインテリジェンスを顧問に迎えていたので、彼らの一言半句がさらに挿入されるというテンヤワンヤなのである。


これらの断片たちが散りばめられて(「散らばって」が正しいのだが……)、脈絡がなくなってしまうので、それらをジャンクションさせるのは彼独特の“陰謀論”で糊付けで繋げていく。従って、その不気味にゆがんでバラック造りで倒れそうな建造物は「ゲリマンダー」のように奇怪で怖ろしい。

ゲリマンダーというのは1812年マサチューセッツ知事E.Gerryが自分に有利になるように決めた選挙区画の形が火トカゲ(salamander)に似ていたところからgerry + salamander=gerrymanderという政治用語になった。

因みに、「ウーパールーパー」はメキシコサラマンダーの幼態成熟で普通に成熟したら恐ろしげなサラマンダーになる。

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北米の「レッド・サラマンダー」。要するにサンショウウオ


最近では陰謀論に走りやすい精神構造の持ち主を揶揄して“陰謀ポルノ”というが、たしかに彼もややポルノグラフィではあった。

それよりも……。

メタ認知」という言葉がある。つまりは認知を認知すること。 自分の思考や行動そのものを客観的に把握し認識することなどを指す。

司馬遼太郎風に表現すると、「 自分が佇む地平を一旦離れ、翼を得て飛翔し、改めて虚空の彼方から宇宙に接している地平を眺め、そこに存在している自分自身を観る」ということになるのかな……。

だが彼の場合は、短かすぎる翼しか持ち合わせがなく、すぐ落下し、よろよろとそのあたりを這いずり回るだけ。万巻の書を読もうとも、ただただしっちゃかめちゃかの“メタメタ認知” に終止した。


こういう風に書くと故人も草葉の陰で、よくて苦笑、多分激怒していることだろう。

だが、こういう人ってSNSブログに案外多くてヤレヤレって思うことが少なからずある。

いやいや他人事でもなく、こっそりと我が身の首筋のイヤな汗を拭っている。

(完)

2016-11-19 AIが推論してくるもの

AIが推論してくるもの

| 13:08 | AIが推論してくるものを含むブックマーク AIが推論してくるもののブックマークコメント

AIが人類の最後の発明になるだろう」

(ニック・ボストロム博士:オックスフォード大学

ぐふっ!ってなった。自分が今まで何の発明にもまったく関与してこなくて、今後もないのだが、その可能性さえもあり得なくなることを嘆いているわけではない。

いままで人類が数限りない発明・発見を積み重ねてきて、人類を繁栄させてきた。それが大団円を迎えるのか……という嘆息というか気落ちである。

言われてみれば、AIの誕生以降は以後の発明はAIの担当するところとなるのね。

それにしても、1968年製作されたスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』のなかで、「HAL」という名のAIを観てからたった50年で現実のものとなって来る。

人類の好奇心、探究心そして切磋琢磨も大したものだと思う。

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2年後にAIが人類の知能を凌駕する“シンギュラリティ”が迫ってきているって言われている。

社会、文化、経済テクノロジィーに大きなウエイブ(……いや、構造変革とか革命)が来ることは容易に想像できる。

で、ぐっちゃらぐっちゃらの政治へのAIの導入はどうなんだ?「政治は感情である」といわれるその分野は?

“どちらのウンコがより臭わないか?”なんていうlesser evilの政治ゴッコにはコチトラもう心底飽き飽きしている。

ファージーな人間らしさとか義理とか人情、面子とか立場などにもウンザリを通り越している。

“政治は勘定だ”というカネまみれ腐敗・汚職まみれも胃袋ひっくり返るほどの反吐が出る。

AIによるビッグデータからの解析そして冷静な推論、さらに人類の未来を組み込んだ透徹した判断を望みたい。

シンガポールではこの政治へのAIの導入へ実際のトライアルに入ったという噂を聞いたことがある。

国父リー・クアンユーに永らく統率されていて、めでたく息子に「開発独裁」を移譲出来た“明るい北朝鮮”のシンガポールであれば、AI導入は比較的容易なのかもしれない。

だがそうでもない。

野村総研」などがまとめた日本の産業界まわりでの「AIに負ける仕事は」という仮説で、

公務員事務職、政治家会計士金融、記者…などが挙げられている。

http://ameblo.jp/karurosu2013/entry-12129904659.html


さらにもっと踏み込むと、AIは政治とか経済の面にだけ変革を強いてくるだけではないかもしれない。

いまわれわれは辛うじて「民主主義」の中にいるのだが、そのシステムだってベストだとも思わない。「民主主義」にはさまざまなコメントがあるが、そのなかで3つほど。


民主主義とは、半数を越える人々の選択が、二回に一回以上は正しいかもしれない、という仮定の上に成り立っている。

(E.B. ホワイト)▶アメリカの作家。数々の評論・詩・小説を発表>

民主主義は最悪な政治だが、これまで存在したいかなる政治体制よりもマシである。

(ウインストン・チャーチル

❏人類の貧困を生産する作業に加担して、骨の髄まで腐っていない民主主義国家は存在しない。

ミッシェルフーコー


AIがこの「民主主義」という政治体制とか「資本主義」という生産様式の“その先”を提示してくれるかも知れないのだ。

人類は永らく最大多数の人々の腹を満たし、より多くの人々の幸福を成就させるシステムが探してきて、一つの到達点が「民主主義」✕「資本主義」なわけだ。(もしろん、異なるシステムで国家経営している国もある。)

しかし、必ずしもこのペアリングが最終到達点ではないことは人類の歴史の顰みに倣えば解る。

必ず次のステージにジャンプしてきた。

結構刺激的な世紀になるのじゃないかな?

こういう言葉もある。

「人間は本来、もっと違う生き物なのではないかと私は考えています。人生の7割を労働に捧げ、その多くが苦心を伴うものだというのは、人類にとって本当に豊かなことなのでしょうか?

労働文脈では、まるで“シンギュラリティが私たちから仕事を奪う”といった論調が目立ちますが、そもそも人間が"働きっぱなし"の生き物になったのは僅かここ300年ほどの出来事です。歴史から見ても、日本などの先進国における人間の働き方は、そもそもイレギュラーなのではないか、と私は考えます。

(メタップス社長 佐藤 航陽)

10時頃、会社に出て、いろいろウオッチして2つ3つのキーを叩いて仕事自体は終わる。のちは職場仲間と情報交換とか交流をしながら会社のカフェでランチをする。そして退社する。あとは、自分自身がオノレに課したタスクに向かう。

ハレルヤ!だ。


(完)

ti_clocksti_clocks 2016/11/21 19:10 ベーシックインカムについての議論の中で、そもそも人類の中で生産性のある仕事をしているのは3割程度だ、という話があり、その他の人間は「仕事のための仕事」をしている、というくだりがありました。

極論、利便性を増やすことが人類の仕事を減らすことだと考えれば、さして優秀でない部類の我々「3割未満」の人間は、そもそも働かないのが社会のため、という結論になり、美味しいお米を産するために削り取られた籾殻みたいな存在なのだなと思いました。

で持って今回、AIがすべての人間の仕事を奪うのであれば、いっそ奪って本当に一部の純米大吟醸みたいな人々だけに指揮観察された世界になるのが、最適、最効率なセカイということになります。

でもそうはならないのは、結局人間て、それが望まれたものであろうがなかろうが「働きたい」のだろうなぁと思うです。

最大の贅沢は遊ぶこと、楽しむこと。
でも心から遊び楽しむことができないから、働くしかない、というのが、世界の7割。

ことによるとAIのおかげで、9割くらいがその状態に陥るのかもしれませんね。

幸福な世界かどうかは、訪れてみないとなんともいえませぬ。

干場英男干場英男 2017/03/01 12:32 「籾殻」とか「純米大吟醸」とか比喩がすばらしい。「遊びをせんとや生まれけむ」ってドキュメンタリーの幼い獣たちを見るとつくづく思います。

干場英男干場英男 2017/03/01 12:32 「籾殻」とか「純米大吟醸」とか比喩がすばらしい。「遊びをせんとや生まれけむ」ってドキュメンタリーの幼い獣たちを見るとつくづく思います。

2016-10-10

道半ば

| 22:28 | 道半ばを含むブックマーク 道半ばのブックマークコメント

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◾️ジョブスの追悼式で彼の妹で作家であるモナ・シンプソンがとても長い弔辞を捧げた。その最後の方のフレーズ……。

“We all — in the end — die in medias res. In the middle of a story. Of many stories.”

「私たちは誰でも結局“道半ば“で倒れるのです。たくさんの物語の中のある一つの物語の途中で」

<Of many storiesーたくさんの物語の中の、a storyーその一つの物語 の、In the middle ofーその途中で>

と追い込んでいくレトリックにしているんだろうとは思った。

(in medias res=イン・メディアス・レスは“物事の中途で“というラテン語。これでサビを効かせているんだろう。)

日頃英語を喋っている人に確認したら、そうだといってくれた。

でも、さらに深掘りしてくれた。many storiesというのは「輪廻転生」も 含んだコンセプトかもしれないよって 。

頭の中で、火花が散った。

スティーブ・ジョブスは「一身にして二生」どころでない人生を折り重なって送ってきたので、それをmany storiesと表現したのだろうと思っていたが、それだけではなく、「輪廻転生」してきたいくつかのあの世まで含んだ ものをstoriesの中に包含しているのだろうと彼は言うのだ。

スティーブは何度か転生してきていて 、今回の生(せい)でわれわれにAppleを 見せてくれたのだろうか?


◾️山崎豊子が70歳を超えたとき、引退を決意して新潮社斎藤十一氏の元を訪れたら、

芸術家に引退は無い。書きながら棺に入るのが作家だ」

と言い放たれたという。

すでに80歳を超えていた斎藤氏は「私の葬式も近いので、生前香典代わりに新作を頂戴したい」と続け、その叱咤激励に山崎豊子が書いたのが『沈まぬ太陽』だったという。


◾️ファッションデザイナー山本耀司も、インタビューに答えて……

次のように述べている。

「どのシーズンもどの年もどの瞬間も、

私は自分の義務を果たし続ける。

多分、リタイアはしない。

働く一生を送り、仕事中に倒れるのが私の理想だ。

覚悟はできている。

人々を興奮させたり、失望させたり、

その準備はできている」


そうなんだよね。「道半ば」がどうした!生きるってそういうもんだ……と聞こえる。

「人はチャレンジして後悔するよりもチャレンジせずに後悔する方が酷い」という。

チャレンジしている限り、いつかは「道半ば」になるのだ。いわば、それが勲章なのだ。

それにしても、

「人生というのは、誰にとっても、いつ、どんなタイミングで終わったとしても爐笋蠅け“になってしまうものだ」

とか

「人生はいつもちょっとだけ間に合わない」

というのは切なくなるし、

「死ぬとわかっていてなぜ人は生きていけるのか?」

という根源的な問いは根源的に辛い。

(完)

2016-08-16

オリンピック雑感

| 12:39 | オリンピック雑感を含むブックマーク オリンピック雑感のブックマークコメント

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「リオ・オリンピック」をさっぱり観ない。余儀なくニュースで取り上げるので、“ああ、そうか“という程度のことで終始しているが、もう中盤に差し掛かってきているんだよね。

1996年の「アトランタオリンピック」をアメリカで観ていた。これがまるで面白くない。

アメリカはスポーツの大地である。Sportsというのは英語じゃなくてアメリカ語なんだよねって思うくらいだ。この広大で多様性に富む国土は様々なスポーツが可能だし、その設備もリッチだ。さらに加えて、新たなスポーツを次々と“発明“してきた。(バスケットボールアメリカン・フットボール、サーフィン、カヌー、ハングライダースケートボード……などなど枚挙にいとまがない。)

アメリカに存在する駐車場の総面積は概算でプエルトリコに匹敵する」という統計があったが、同じく三分の一くらいはバスケット・コートの総面積になるじゃないの?って思う。屋外駐車場の敷地の中には必ずと言っていいほどバスケットが設えられている。

話を戻して、その「アトランタオリンピック」。

日本人にはあまり馴染みがない種目でルールも知悉していない競技も含めて“くまなく“アメリカ人の選手が出場している。それらを丹念にテレビカメラは追いかけるのだが、視聴している日本人のこちらとしてはinvolveなんかさっぱりできない。

当たり前だ。オリンピック視聴というのは、オリンピック憲章の底流に流れる相互理解の世界市民なんかじゃなく、偏狭なナショナリズム(国家主義)の切っ先を改めて研磨して鋭くさせるための装置じゃないのかって思うくらいに、極めて“国粋的“心持ちで没入するものだ。

今やっている「リオ・オリンピック」も「日本選手」が金だ、やれ銅だ、でニュースにされる。その他の悲痛な顔の選手はほんの申し訳程度に触れる。(頑張って頑張って、それでも4位とか8位になった選手にも賞賛とか顕彰があってもいいのじゃないかとは思う。「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」とか能書きこいていたんじゃね?)

つまり、同じこの“大運動会“を世界で等しく観ているようでも、それぞれの国の人々はそれぞれのフィルターで掬い上げてきたものを観ていて、それを「オリンピック」と見做しているだけなんだ。

オリンピック憲章」の6章目には……

オリンピックムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」

……ってかっこよく謳っているが、画に描いた餅なんだよ。一番自己撞着を起こしているのは「難民選手団」だと思う。

オリンピックはずいぶん長いこと「平和でより良い世界を作ることに貢献」してきたんじゃないの?だが、お題目だけで未だになんの力にもなっていないってことだよね。「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」という言葉のなんと虚しいことか。四年に一度オリンピックを開いたところで、相も変わらず戦争は終わらないし、テロは続き、難民はとめどもなく流れ出てくる。

さらにさらに。

古代オリンピクを復活させたクーベルタンの精神とはウラハラのオリンピック組織委員会マフィア化、巨費化、権利ビジネス化、果ては、アスリートそのものへ国家ぐるみでのパトロン化(ステート・アマ……まあこれはプロの参加許容で薄まったけど……)、 ドーピング問題、年齢詐称国籍移動……。まるで、詐欺詐称、ごまかし、賄賂、イカサマなどなど“悪のデパート“状態。贅肉ダブダブ、ラードどろどろで賞味期限はとっくに切れている。クーベルタンの精神などどこを探してもカケラも微塵さえもない。虫眼鏡を使っても、ない。

これらバックヤードの薄汚い話は自然と漏れ伝わってくるわけで、一般の人々にもシラケを蔓延させている。

かてて加えて、友人がボソッと呟いた極めて日本的なことが一番しょんぼりと項垂れるかもしれない。

「このなかから、また国会議員が出てきたりするんだろうな。小脳だけ発達したバカ議員がね……」

やるせないねぇ。はぁ〜……。

(完)

※これはFacebookタイムラインの8月9日の「松本薫」と8月10日の「アトランタオリンピック」を纏めて加筆編集したものです。

2016-08-15

民は愚かに保て……か?

| 11:07 | 民は愚かに保て……か?を含むブックマーク 民は愚かに保て……か?のブックマークコメント

軽井沢で二日連闘で息子とゴルフ。ブルーマークのバックティからやろうという。受けて立ったのはいいが、毎ホール、ティーショットで常に80ヤード前後は置いていかれて、ゼーゼーハーハー。ヘトヘトで新幹線で帰京。

夜の9時頃、帰宅した途端に風呂の蛇口が壊れて、水が出っぱなし。盆休みで人がいるのかどうか?とにかく、電話をすると水道局の下請けのテクニシャンが一時間ほどで来てくれて、あっという間にフィックス。「もう相当に古くてガタ来てますね」「ま、もう16年ほどは使ってますから……」

その同じ日、エアコンが効かない。翌朝、これまたメーカーの修理セクションに電話。明日の日曜日10時には伺いますと。

そこへ軽井沢からの宅急便のゴルバッグが届く。

日曜朝。坊さんが棚教を上げに来る朝でもあり、両テンパイ

坊さんも来て、エアコンのテクニシャンも到着。坊さんはカミさんに担当を任せ、こちらはエアコン担当。

ちらっと室内のエアコンを見て、「室外機の不調ですね」とポツリ。室外機のカバーを外して、「あ、やはり冷媒ガスが抜けてますね。30〜40分で治ります」

額に汗しているその30前後の男の頼もしいことと言ったら。

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オランダジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン の『民は愚かに保て』 という名著がある。「見えない権力」をさらに強固にしているのは大新聞と官僚であると喝破した著作。“擬装民主主義国家“の病根にメスを入れている。


だが、この二日間で感じたのは、日本の労働力(技術、サービス)の品質の高さだ。

どっこい!「民は賢い」ということだ。

このダンドリの良さ、オン・スケジュールへの実直さと柔軟さの両立というのは、日本が米作農業で永年培ったものだと誰かが言っていた。つまり、「米つくり」というのは周年で気まぐれな天気天候を睨みながら、段取りに次ぐ段取り。段取りの結晶のようなもの。それが民族のDNAに落とし込まれているんだという。

アメリカで同様のケースが発生して、テクニシャンを待つのに、軽く3日から一週間は掛かる。それで直れば、幸運だ。

かつてニューヨーク・タイムスが、ボディショップ(車修理)に車を出して、使用前・使用後の状況を密かに調査したところ、以前より車の状態が悪くなったのが全体の30%くらいあったのにはひっくり返ったが、これがアメリカの現実。

アメリカ人男性の重要な教養科目にDIYがある。これはもちろん開拓者魂の一環で丸太小屋を自ら作り、生活周り用品も自分で工作するという伝統に依っていることはもちろんのことだろう。だが、現在ではアメリカ人自身がその種の労働力の質を信じてないことが、Do It Yourselfへドライブを掛けていると思う。

私は必ずしも、“日本は素晴らしい““日本民族は優秀だ““日本に生まれてよかった“音頭をアホのように楽しげに歌う人ではない。だが、この二日間の出来事にはうむむむ!と唸らされた。

それにしてもだ。

日本の行政官僚、大新聞は日本の無辜の民の優秀さ・賢さに甘えているんじゃないの?と深々と思う。

(完)