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hhoshibaの日記:「宇宙の中心は勇気だ」part2 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-05-12

『酒場 學校の日々』読書ノート

| 10:11 | 『酒場 學校の日々』読書ノートを含むブックマーク 『酒場 學校の日々』読書ノートのブックマークコメント

草野心平が当初は『火の車』というバーを持っていて、その次に新宿ゴールデン街に持ったのが『學校』という名の酒場だった。

草野心平卒論のテーマにしたくらいの草野ファンの金井真紀さんが、強力な磁石に引きつけられるビール瓶の蓋のように、このゴールデン街に引き寄せられ、「水曜日だけのママ」という臨時雇い教師をやる羽目になってしまった。そしてそのことは、この酒場が2013年に閉店するまでの5年間続いた。

その間そこで起きたこと、聞いたこと、観察したことを纏めた本である。(イラストも彼女の手になるもの。)

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私は下戸遺伝子の持ち主で、自分の人生の傍に酒があったことは皆無に近い。自分の意思で酒場に赴いたこともほとんどない。

ただ、「ゴールデン街」には、20代の頃、誰かに連れられて一度は行ったことがあるかもしれない。さりながら、特段の興趣が起きたということでもなかった。ただの通りすがりの者でしかない。

草野心平。名前だけは知ってはいたが、彼の詩をきちんと読んだことはなかった。

何れのアングルからも、この本の読者としては、私ははなはだ似つかわしくない者だと思う。

考現学」という言葉が「考古学」の古→現にして新造された言葉だと聞いた。ゴールデン街がまだまだこの先“昭和の遺跡“として生き残っていくのか覚束ないけど、この本が考古学をまぶした考現学になっていて、私を「酒場」とか「酒を飲むということ」の疑似体験に誘ってくれた。

信頼する人が金井真紀さんを「言葉のセンスがある人よ」といって紹介してくれた。ああ、彼女はこういうことを言っているんだろうなと思った箇所がいくつかあった。マークしてあるところから、抜書きをしてみる。


ヒヨコが最初に出会ったものを親だと認識する刷込み現象とどこか似ていて、志水さんと私の友情は、おやどりとヒヨコのような不思議な味をしている。

・禮子さん曰く。「わたし、死んだら地獄がいいな。天国に行っても、知っている人誰もいないもん。心平さんも天国に行くはずないし」

・「真紀ちゃん、わたし非暴力のためなら鉄砲玉にだってなるわ」

・ うっとり夜は更け、そして事件は起きた

・ 「母親が死んだらこの世が終わるんじゃないかと思ったけど、亡くなった翌日も世の中は変わらずにあった」

・ 「お互いの人生の一番輝いていた時期を知っているから、どうしても厳しくできないの。それがあたしの意気地のないところなんだけど」

・ ……そして、この瞬間を味あうためにぜんぶがあったんだということが、なんとなくわかった。

・ 禮子さんの留守を預かった二か月のあいだに知ってしまった滋味が、わたしの襟首をつかんで離さないのだ。

・ ……すると薄暗くて狭い學校のなかに、心平さんをはじめとする「昔の男ども」があわあわと姿をあらわすのだった。

・ 落第つづけの優等生

・ あれはもう独特の時代なのね。たぶん……戦争に負けたということ……口には出さないけど、男たちの心のなかにはずっとそれがあったんじゃないかな。戦争が終わってホッとしたというものもあるけど、やっぱり日本で生まれ育った男がね、たとえ共産党だろうとなんだろうと、戦争で負けたということについては……何か心のなかに屈折するものを持っていたのでしょうね。……

辻まことを火葬したとき、心平さんと串田孫一は遺骨を食べた……らしい。

・ 誰かがくれた鮭一匹が、たった一つの装飾品だったな。柱にしばっておいて、片方からはさみで削って食べていたんだ。前を食い、裏返して後ろを食い、しっぽから骨、最後に頭と、全部食べた。歯は丈夫だったね。だから、鮭の骨を食うなんて、わけなかった。鮭の歯と俺の歯とどっちが堅い、何て言いながら何も残さずに全部食べてしまうわけだ。

草野心平:『凸凹の道』)

・ 「君、徳利は『とくり』と言いなさい。『どくり』と言ってだれが喜ぶ。言った人は喜ばない。聞いた人も喜ばない。徳利自身も喜ばない。それを君はどうして言うのだ」

・ はるか彼方のオホーツク

・お祭りはずっと続かないからお祭りなのだ。

昨日生まれたタコの子が

弾に当たって名誉の戦死

タコの遺骨は

いつ帰る

骨がないから帰れない

タコの母さん悲しかろ


相当に端折ったが、こんなところかな……。


赤坂の花屋のティールームで金井さんと二度目のデート。

会った瞬間から溢れて滴り落ちるような愛嬌。思わずその滴りを両手でドンブリを作り、受け止めたくらいだ。

“人生の達人“にはこのタイプが多い。愛嬌はIQに通じる。

「あれはなぜ書いたの?」

という極めてプリミティブな質問に、金井さんは……

「この世から消えてしまった『酒場・學校』の墓碑を書きたかった……」

それだけではないと思う。

金井さんにとってあの5年はベラージュ(le bel age:美しき時:青春)であったのだと思う。

まだその魔力に襟首を掴まれているように見えた。

(完)

※※ 金井真紀さんのウエブ・マガジンうずまきマガジン

http://uzumakido.com/

2016-04-23

いい本を教えてくれる友人はいい友人である

| 17:14 | いい本を教えてくれる友人はいい友人であるを含むブックマーク いい本を教えてくれる友人はいい友人であるのブックマークコメント

大学で先生の真似事をやって、うかうかと随分な時間が経ってしまった。

当初は広告の「企画」、次いで「プロデューサー論」かな、そして最近のものは「日本語のレトリック」で、この最後のものは、さすがに自分でも相当に言葉関連の本も読み勉強もした。

一貫して本を読め!読め!と言い続けて、次々と本を紹介したが、今日日の学生は何かと忙しくなかなか読んではくれない。

「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから」

……という宮崎駿さんの言葉を取り上げて鼓舞したりもしたが、どれほどの触発になったものやら……。

まあ、本を読む学生はすでに小・中学校の時代から読んでいるし、本を読む習慣のない学生はそのまま社会にずるり!と出て行ってしまう。そこから苦労するのは勝手だ。二十歳だとして、10年ほどの間に失い続けてきたものを取り戻するためには、また10年の歳月を必要とする。いや、もっと掛かるだろう。


「本を読む」ことにいつもアクセントを置いてきたせいなのか、彼ら学生から本をプレゼントされてきた。意趣返しだったということではないと思うが……。

(以下、著者敬称略)


 愃欧ふるえるとき』:宮本輝

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宮本輝が若い人から、「いい小説を読みたいけど、何がいいですか?」と聞かれることが多く、それではと都合18人の作家の短編を抽出してきて“物語の贈り物“をしてやろうという趣旨の本。

井上靖の『人妻』は原稿用紙2枚。文庫本で1ページ。だが、膨大な心と人生を果実のひと雫に滴らせている。

尾崎一雄随筆『虫のいろいろ』。20代の頃、文芸誌か何かで読んで印象深いエッセイに数十年ぶりに遭遇した。これを読んで以来ずっと蜘蛛を尊敬していたのだ。

これをプレゼントしてくれた男子学生はそもそもラッパーで、それから言葉に関心を持ち始めたと言う。それゆえコピーライターになりたがっていたけど、今は広告代理店営業をしている。


◆悒轡隋璽肇愁鵐亜戞枡野浩一

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口語短歌歌人である枡野浩一の小説なのだが、多くの短歌が登場してきて、いい感じに綯い交ぜになっている。

もともと短歌には季語というものがなく、それが口語になっちゃうと本当に自由な天地になる。

彼は自らを「世界で一番売れている現役男性歌人」と称しているが誇張ではない。伝統的な歌壇がほとんど秘密結社めいているのに対してこの“流派“はオープンで仲間も多い。彼はコピーライター、エッセイ、小説、お笑い芸人などいろいろなことをやってきたが、すべては口語短歌をやりたいがためと見える。

詩人草野心平は酒場もやっていたが、詩人を成立させるために酒場をやっていたわけで、酒場のオヤジが詩を書いていたわけではない。枡野浩一口語短歌以外は世過ぎ身過ぎなんだと思う。

こここに載っていた短歌で好きなものを二つ。

好きだった雨 雨だったあのころの日々 あの頃の日々だった君

                         (枡野浩一

だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもない

                        (宇都宮敦)

これを呉れた男子学生はmixi口語短歌同人会をやっていたが、

卒業して今や広告代理店営業をやっている。


白磁の人』:江宮隆之

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韓国から留学生がいた。「厳兄」という強面の名前だった。

私は留学生にはすごく弱い。慣れない第二外国語で授業を聴き、テストをクリアしていくのは半端なことではないのは身に沁みている。自分もアメリカの大学で悪戦苦闘したからだ。

そのころは、今ほどではないにしても韓国朝鮮に対してヘイトする気分が隠然と存在していた。

在日韓国人の息子である劇作家の「つかこうへい」の名が「いつか公平に」という彼の祈りから来たというくらいだから、差別はずっとあり続けたわけだし……)

そんなこんなで、彼に司馬遼太郎さんの『からの国紀行』を贈った。


この本は……

「私が韓国にゆきたいと思ったのは、十代のおわりごろからである」……その宿願をはたすため、いまだ“日帝支配三十六年”の傷口の乾かぬなかをゆく。素朴な農村をたどって加羅新羅百済の故地を訪ね、「韓」と「倭」の原型に触れようとする旅は、海峡をはさんだ両国の民が、はるかいにしえから分かちがたく交わってきたことを確認する旅でもあった。……と述べ、実際、“地理的な差異はあるものの文化的には一衣帯水である“というニュアンスを述べている。

「この司馬さんのように君の国のことはきちんと深く理解している人もいる。君もみだりにへこたれたり、落ち込んだりはしないように。胸張って大通りを歩け」と言ってプレゼントした。

そのあと、彼がプレゼント返しをしてくれたのが、この『白磁の人』

植民地政策下の挑戦で、民芸の中に朝鮮民族文化の美を見つけ出し、朝鮮の人々を愛し朝鮮の人々から愛された日本人林業技師がいた。浅川巧。日本では知る人が少ない。現在もソウル郊外の共同墓地に眠る。碑文にはハングルで「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土となれり」

この浅川巧さんは韓国の教科書にも記述されてと出てくると厳兄は言っていた。

その彼はソウルで日系のゲーム会社で頑張っている。


ぁ慘襪里覆詁察戞星野富弘

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<花の詩画集>という副題が添えられている。ナニよこれ?と思って多少パラパラと読んでいるうちにある記述にぶつかった。

この星野さんという人は元・中学校の体育教師だった。クラブ活動の指導中に誤って頸髄を損傷して手足の自由を失ってしまった。

(へ?)

「私が一つの作品に仕上げるのに大体十日から二十日かかります、

一日にどんなに無理しても二時間くらいしか筆をくわえられません」

(えっ!……筆をくわえてなのかァ……この絵も文字も)


彼は電動の車椅子に乗って詩と画のハンティングに出掛ける。未舗装のでこぼこ道を通る時には脳味噌がひっくり返るほどの振動に往生していた。ある人が鈴を呉れた。それを自分の手では振ることはできないので、車椅子にぶら下げた。すると、でこぼこ道に差し掛かると澄んだ音色がチリンチリンチリリ〜ンと鳴る。今まで苦痛でしかなかったデコボコ道が楽しみになったと言う。

これがこの詩画集の題名になっている。


ァ悗澆后兇気鵑檗戞金子みすゞ

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作家も本の名も知ってはいたが、この詩集が自分の手元に来るとは露ほども思っていなかった。

その中の一つ。


 雨のあと

日かげの葉っぱは

泣きむしだ

ほろりほろりと

泣いている。

日向の葉っぱは

笑い出す

なみだの痕が

もう乾く。

日かげの葉っぱの

泣き虫に、誰か、ハンカチ

貸してやれ。

明治36年の生まれ。20歳くらいから詩作に。23歳で結婚して一女をもうけるが、夫がみすゞの父親との相克などによりその女の子を連れて離婚することになった。そうはさせじと服毒自殺をして阻止しようとした。まだ若い26歳の母みすゞの死であった。

ハンカチが欲しかったのは彼女自身だったのだろう。


Α悗椶が読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』:立花隆

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田中金脈問題を追及して一躍全国区のルポライターになり、今や社会、宇宙、脳、生と死などなどにまたがる“知の巨人“と称されるあの立花隆の本である。書庫書斎の通称猫ビルに10万冊と言われる蔵書を有している。

この標記の本だけで300冊のダイジェストが詰め込まれている。自身でも言っているが、彼の読書というのは“職業としての“が頭に付く。アメリカの大学生が必須の「スキム・リーディング」というやつだ。つまり、“要約と引用“と言い換えてもいい。

だが、この脆弱な読者はイントロ部分でお腹がいっぱいになり、ちゃんと読まないまま書棚に飾ってある。贈ってくれた学生に合わす顔がない。ま、それが学生たちの企みだったのかもしれないのだが……。

※き⑹は何人かの学生がカネを出し合い、私の誕生日祝いとしてプレゼントしてくれたもの。


А夜露死苦〜現代詩』都築響一

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アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリがからみあうストリートにある」

と目から火花が弾けるような名言を吐いた都築響一の本である。『ポパイ』『ブルータス』の編集に携わり、その後現代美術建築、写真、デザインなどの分野で編集・執筆で活動する学際、業際の人だ。彼の定義するストリートの“アート“ をずっとコレクションをしてきている。





最初のページにある

人生八王子

という現代詩にドギマギする。老人病院の介護士が書き留めたものだという。痴呆系とジャンルされている。今なら認知系か?

秋天

母を殺せし

手を透かす

桜ほろほろ

死んでしまえと

降りかかる

母親を殺し、31歳で死刑になった男がいる。その処刑前の絶句である。

今年から貝が胃に棲み始めました。

誤変換シュールだ……。

他に、タイトルになっている暴走族系の「ポエム」、玉置宏の名調子、ラップや演歌文句などなどがぎっしりと並ぶ。

これは間違いなくスゴ本の一つだと思う。

この本をくれた女子の学生は、好きな言葉を挙げなさいというホームワークに「あけもどろ 」という言葉を提出してきた。沖縄奄美諸島に伝わる古代歌謡「おもろそうし」のなかでの言葉で、海に登ってくる日の出……さまざまな色が混じり合い飛び散っている壮観を描写する言葉だという。

言葉のセンスがきらきらしていた彼女。その娘(こ)が、この『夜露死苦』をなぜくれたのかは、分かるような分からないような……。

彼女は現在エンタメ情報e-マガジンのライターをイキイキとやっている。


─悒ラフル』:森絵都


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たくさんの児童文学賞をもらった後、小説にも進出してきて、この『カラフル』の後の『風に舞い上がるビニールシート』で直木賞を貰った森絵都の小説の文庫版。

「ぼく」というのが死んじゃっているのだが、天使の気まぐれで、自殺した小林真という中学校三年生の肉体に入り、彼を演じ始める……というもの。

確かにティーンネージャー向けと言われているだけに、読みやすいがプロットの立て方その他が児童文学に片足は突っ込んでいる。

この本の贈り主は、詩作をしていて、詩の朗読会にも参加している女子学生であった。

彼女はアルチュールランボオ宮沢賢治と同じように「共感覚」の持ち主であった。小学校の頃よりの半端ない読書量とその「共感覚」が“角筋“のように効いている鋭敏な言葉の感覚……。

いまだに、詩作に打ち込んでいるといいな……。


長くなってしまった。

人生はせいぜい50年とちょっと。他人の人生までは経験できる時間はない。だが、本は他の人生を垣間見せてくれる。ちょっと覗けたり、ときには、上澄みのクリームをちょこっと味見なんかもできたりする。

そうなんだ、新たな本との出会いは新たな価値観とか今までとは異なる視座を与えてくれる。

信頼できる人から勧めてもらった本はなるべく読むようにしてきた。素晴らしい出会いを数多く経験してきてきたから……。学生たちから贈られた本も私の人生に魅力的な彩りを加えてくれた。「あけもどろ」なのである。

「いい本を教えてくれる友人はいい友人である」

……ってどこかで聞いた。

彼らも十分に「いい友人」だ。


(完)

ti_clocksti_clocks 2016/04/26 08:00 星野富弘は、子供の頃に親に聞かされました。
首から上しか動かないのに絵を描いて大成した人、という印象がありました。
なにかしらくじけそうなことがある時に、必ず思い出す人でもあり。

ご存知かもしれませんが、子供の頃に読んだ本で、灰谷健次郎の兎の目というのがあり、推薦読書としては未だに思い出す本です。
児童書なのですがゴミ処理場に住む人々の子供達と、学校の先生との葛藤や成長を描いたものです。

今読んだらまた全く違う印象になるかも。
古い友人に会う気分といえばそうなのかもしれません。

hhoshibahhoshiba 2016/04/26 20:33 >>クロックスさん:
この中で本をもらうまで知らなかった著者は????の本。世の中にはよく知られてないけどいい本は結構あるってことだよね。ネットと同様に玉石混交なんだけど、ある人にとっての玉が自分にとっては石ころだったり、その逆だったり。それがデモクラシーなんだろうね。

2016-03-30

小さな詩人たち

| 16:21 | 小さな詩人たちを含むブックマーク 小さな詩人たちのブックマークコメント

はみがき


はだかで はをみがくと ちんちんがゆれます

(まつした やすゆき)


この詩?を最初に読んだときにころげるほど笑った。“そうだな。女にはわからんだろうな、コレって?!“

それから、歯を磨くたびにこのことばを思い出す。(裸では歯を磨かないが……)

これは『一年一組  せんせいあのね』(鹿島和夫/灰谷健次郎)という本の中に載っていたもの。

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(……と言っても、実物は手元にない。誰かに貸してそのままになっているようだ。)

アメリカン・インディアンは生まれつきの詩人だという。もちろん天与のものはあるのだろうが、セカンド・ラングエッジの英語を豊富ではないボキャブラリーで語るので、かえって深遠な詩的な表現になることは想像に難くない。

その伝で言えば、子どもも十分に詩人だ。

この本は大学を出て小学校一年の担任になった鹿島和夫さんが生徒とのコミュニケーションを密にするために、「あのねちょう(帳)」というものを作り自由になんでも書かせたものの中から採録している。つまり「ことば」を綴っているのだが、それが天然自然に「詩」になってしまっている。



もっと“詩人“たちのことばを読んでみよう。

けんか


くちげんかは

おとうさんがつよくて

ぼうりょくげんかは

おかあさんがかちます

(くぼ かつよし)

(※母は強し!)


すきなもの


ぼくがすきなのは

ふゆやすみとはるやすみと

なつやすみとずるやすみです

(くぼ かつよし)

(※そうかァ、ずるやすみも入るのか?)


つり

                     

おとうさん いつもつりにいっとうのに

おかあさんは いちばでさかなこうてくる

(よしむら せいてつ)

(まだ不条理に慣れていない。)


すきどうし


おおはたさんはかじくんがすきで

かじくんはおおはたさんがきらいで

かじくんはわたしがすきで

わたしはかじくんがきらいです

せんせい こういうとき

どうすればいいのかおしえてください

(かわつ ゆう)

(※世の中ややこしい……)


丸谷才一さんが『袖のボタン』という随筆集の中で次のように述べている。

「詩はレトリックと音楽とを同時に表現するものである。この同時性があるからこそ、最上の詩句を口中にころがすとき、われわれはあんなに魅惑される。そして大事なのは、この場合レトリック詭弁でも欺瞞でもないということである。むしろそれはロジックによってしっかり裏打ちされていなければならないし、……。詩が文学の中心部に位置を占めるのは、単に発生が古いからではなく、それが文学の本質だからである。戯曲も批評も小説も、レトリックと音楽の同時的表現という性格を基本的に持っていなければならない。」

そうなんだ。彼らの“詩“にはレトリックもあるし音楽も聴こえる。


それにしても、「あのねちょう」に子どもたちが最初から自由にのびのびとことばを綴ったわけではないと灰谷健次郎さんとの対談で鹿島先生は言っている。

彼の器量の大きさとか彼らを慈しむ気持ちが生徒に伝わり、心を開いて豊かな表現になっていったのだと思う。こういう先生に恵まれて、学校生活の一歩を踏み出せた彼らは幸福であったと思う。


この『せんせいあのね』ではなく、長らく子どもたちに俳句を教えてきた俳人長谷川櫂という人のブログにあったもの。

せんぷうき

あああああああ

おおおおお

(山本咲良さくら


扇風機に顔を近づけて声を出すと変な声になる。いい大人はやらないが、子どもの頃はよくやったはず。それをこの小3の女の子は五七五でこう表現した。

「私はこれまで大人俳句ばかりでなく、幼稚園児から大学生までの俳句の選をしてきました。……

おもしろい俳句をたくさん作るのは小学校の四年生、五年生です。日本語の使い方にも慣れてきて、いろんな言葉を使うのがおもしろくて仕方がない年ごろです。

……小学校高学年から中学生以上になると、だんだん大人のような俳句をつくるようになり、逆に子どもの「きらめき」は失われていくようです。そうなると、大人というものは逆に<きらめきを失くした子ども>であるということもできます。」

長谷川櫂さんは言う。


そういえば、こんなことばをどこかで聞いた。

「すべての人の内側には、若い頃に死んだ詩人が宿っている。」


それじゃ〜、amazonの古本で『一年一組  せんせいあのね』を注文して、ゴミやらサビやらを落としましょうか。心の洗濯っていうやつを。


「革命には詩人が必要だ」って司馬遼太郎さんも言っていたし……。



(完)

2016-03-13

この世の中には二種類の人間がいる。“自分の国でしか暮らしたことがない人“と“自分の国以外の国で暮らしたことがある人“と……

| 21:45 | この世の中には二種類の人間がいる。“自分の国でしか暮らしたことがない人“と“自分の国以外の国で暮らしたことがある人“と……を含むブックマーク この世の中には二種類の人間がいる。“自分の国でしか暮らしたことがない人“と“自分の国以外の国で暮らしたことがある人“と……のブックマークコメント


「4社転職した経験からいいますと、その全てで“社会人としての常識”は互換性がありませんでした」


twitterで読んだ呟き……

つまり、アレだ。不滅の定理。
—「我が社の常識、世間の非常識」。

(“我が社“の所へ自分の会社名とか組織名を入れてみればいい。伝統とか慣習って大概一般性はない。)

その近くにあった別の呟きでも……

「ひとつの業界しか知らない人ほど『社会人としての常識』にうるさい。複数の業界を見てきた人は『社会人としての常識』が業界どころか、多くは企業内ローカルルールに過ぎないということを嫌というほど見てしまうから、恥ずかしくて『これくらい社会人として常識だろ』なんていえない」


これは日本の社会に連綿としてある“族”化現象、“団”化現象、“結社”化現象なんじゃないかと思う。

これに連関していると思うのだが、友人がぼそっと呟いた言葉を思い出す。


「この世の中には二種類の人間がいる。“自分の国でしか暮らしたことがない人“と“自分の国以外の国で暮らしたことがある人“と……」

これを大声で言い立てるのは憚かるところがあるし、多少の勇気もいる。なのに。顰蹙を顧みず思い切って言ってしまっちゃった。

実際のところ、その友人みたいな経験者たちとは密かにその話をしたことはある。たとえ初対面の人であっても、多くは話をしないのに、阿吽の呼吸のような感じで互いにoverseasだったのねって分かってしまう。


ジマーマン(横に叩いても縦に叩いてもドイツ系ジューイッシュの名前なのだが……)というアメリカ人の若い女性としばらくの間、お茶やランチをすることが続いた。コーネル大学の才媛であった。大学院生インターン生として会社に来ていた。
彼女の関心の在りどころを訊いたら、「坪庭(壺庭)」と答えた。さすがに不意を衝かれたが、たまたま作庭関連の本を読んだばかりのところだったので、たたらを踏みながらも危うく受太刀はできた。


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その彼女にプライベートな友達のことを訊いた。

「女性の友人は同じアメリカ人だけど、男性の友達にはアメリカ人はいないわ」

「なぜ?」

「日本に来ているアメリカ人の男って変なのばっかり。ビジネスマンでもそれ以外でも。そんな屈折したのと付き合うのは疲れるの」

「分かる気がする」

「だから、男の友達は100%日本人なの。でもそれには条件があって、外国で暮らしたことがある人ね。少なくとも、英語とか外国語を話すことができる人……」

痛痒いほどに分かった。

念のために言い添えると、彼女はコーネルの日本語学科を出ていて、日本語はほとんど問題ない。そうだとしても、ドメスティックな日本人にはコミュニケーションの綾の部分の理解で困難を感じるということらしい。

異文化への価値観や世界観へのアクセプタンス(受容性)の不足が同じ地平に立たせてくれないことを言っていた。
それは尤もだ。同じ日本人同士でも異なる文化背景を持っていれば、悲劇的にコミュニケーションが成立しない。ましてや、異なる文明の中で育ってきた互いであれば、共通の踏み台がなければ絶望的である。



最近よく目にする、……美味しいものを食べたり、美しい風景やいい話に出会って……

「日本人に生まれてよかった」

「日本ならではのおもてなし」

「生まれついて優れた日本人」……etc.



あのね、キミね、世界中の人々、国々を全部知っているのかい?ただのイナカモンだろっ、ソレって?夜郎自大になっているだけなんだろう?



「自分が属する民族は偉い。頭がいい。進んでいる。徳が高い上、外見まで素敵だ。それに比べてアイツらときたら、どうしようもない馬鹿だ。遅れている。品性が卑しい。おまけにかっこう悪い」

……という思考法に陥るのを「エスノセントリズム」という。

前述したことが同じ国の中で起きる現象だとしたら、「エスノセントリズム」というのはサーベル・タイガーの剣歯がそうであるように“定向進化”(いったん進化の方向が定まると持ち主の意思は関係なくそのこと自体が勝手に進化する)して国家とか民族レベルへと肥大化してしまった宗教のごときもの。それが“日本は素晴らしい“音頭だ。

サーベル・タイガーの牙はどんどん伸びてついには腹を突き破り絶滅したんだよ。日本教の人たち大丈夫?



それから5年後くらいかな、LAの総領事館のガーデンパーティでジマーマンにばったり再会した。眩しい南カリフォルニアの太陽のもとでサングラスをしていたので、当初気がつかなかった。相変わらずの美人で、相変わらず背も高かった。

坪庭の本を出版したと言っていた。

(完)

2016-03-05

春は残酷な季節です

| 00:35 | 春は残酷な季節ですを含むブックマーク 春は残酷な季節ですのブックマークコメント

世に言うところのアラサーの女性とランチをした。

彼女と最初に会ったときの印象は、控え目でありながら微笑みがよく似合う美人というものだった。

しばらく音信が途絶えて数年後に再会したときには、デザイナーになっていた。

その種の学校を出たわけでもなかったので、プロとしてやっていくためには密かな刻苦勉励があったのに相違ないと思ったが、それはこっちの勝手な推量であった。多くを語らなかったけれど、もともと絵やイラストレーションが好きだったので、編集という職場のニーズに応えて自然とそうなってしまったという風情であった。

それだけではない。数年前にはまとまって話をすることがなかったのでまったく気が付かなかったことを発見する。会話をしていて、鋭い洞察に驚くことが度々であった。勉強は嫌いだったと言っていたが、地頭のよさには密かに舌を捲いていた。

そして、不意を衝かれたのは、彼女はいつの間にか、休日は山歩きや渓谷歩きをする山ガール爐砲覆辰討い燭海箸澄

「……だって、あんなに美しいものってないんですよ」

東山魁夷が『人の心理とか感情の入っていないで、美しい風景とされるものはない』って言っている。それだよ、キミの気持ちが風景を美しくしている」

「そうでしょうか?」


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(その彼女が撮ったフォト。冬にちょっと前の晩秋の枯木立。この青に転んだ幽玄な色感から東山魁夷を思い起こした。)


そして、春にはくにへ帰るという。幼馴染の同級生から結婚をと申し込まれているのだという。(その彼の家は犬の散歩の途中にあると笑っていた。)

母親からの帰郷の懇願もあるらしい。

相手は親父の会社を継ぐことになっているという。

「ほう!玉の輿っていうヤツだね」

「まだ決めたわけではないのですし……」

「代継ぎの惣領との結婚といえば、華燭の典になるよね」

「そういうのがイヤなんです」

「彼のお嫁さんになるんだから、親戚や取引先の人たちに披露されるわけだよね。ビジネスって割り切れないの?」

「う〜ん。もちろん、子供は欲しいのです。でも、そういう虚しいのってダメなんです」

「世の中でお嬢さんたちが言う“勝ち組“になるんだよね……」

「結婚する・しないで“勝ち組“・“負け組“っていう価値観がよく分からない。そういうことを言う女性って、なんなんですか?」

……という具合に、こちらの手垢にまみれた世間知恵のようなものは、真綿に包まれながらも、その上からハンマーで打ち据えられて粉々になる。石灰の粉のようになってしまっているのに、どっこい気持ちがいい。

こういう女性が増えると、日本もいい国になる。


「くにへ帰る前に、もう一度くらい会えますか?」

……彼女が東京からいなくなる。


「春は残酷な季節です」

……まるでスパゲティーに振りかけられるタバスコのように、4月になるといろんなところで引用される長い詩の頭の一行。

本当に酷く長い。ここでは七行のみを。

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4月はいちばん残酷な月

死んだ大地からライラックを育て

記憶と欲望を混ぜ合わせ

春の雨で鈍い根を搔き立てる

冬は何でも忘れさせてくれる雪で地面を覆い

干からびた球根で小さい命を養いながら

わたしたちを暖かく保ってくれた

(TS・エリオット:『荒地』)

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(完)