お茶の間寄席 権太楼

古典派の権太楼師匠珍しく演目が「雪椿」とあり、なにとおもったら所謂、少々不満のある現代世相の話で、バレンタインのバカバカしい話、近頃年末の紅白のつまらなさ、そして話は「スマホ」ですよ。大阪へ行く用事が出来、切符が届いたので、「どうやって行こうかな」とつぶやいていたら、弟子のさん光っていうヤツが、得意げにスマホを取り出しピッピッとやって師匠、三田線に乗りまして巣鴨で何号車に乗りますと、東京駅でエレベーターのある所に着きますから、何時何分に着きますと。そんな事はどうでもいいんだっ。「わたしはどうやって遊びながら行こうかな」と思っただけなんだ。わたしはずうっと東京に住んでるんですよっ!山手線を「省線」という時代から乗ってるんだ!西日暮里がない前から乗ってるよっ。今のお若い方は知らないでしょうが、戦前から戦後ちょっとの間「省線」と言っていたのを私めも知っています。駅ホームの表示は「山手」となっていましたが、澁谷から有楽町まで私めも通っていた時代、丸の内街には赤レンガのビルばかりで異様な街に見えました。その赤レンガに勤めていましたが、まるで穴グラのようでした。先輩の話では、我が社のビルは、ここでいつも権太楼師匠が言うマッカーサー率いる進駐軍に接収されて、やむなくここでの仮住まいなのだと。師匠の話で昔が懐かしく思い出されました。高座の終盤は演歌の女王 小林幸子さんの「雪椿」を気分良く歌って(客席からも拍手)「さようなら」と言って退場。