人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけである。人間自身が現実に、客観的に自然的存在者以上のものであり、それと異なったものであるのは人為的対象を作り出した後であり、人間が自己の人間的かつ主観的な実在性を真に自覚するのは、ただこの実在する客観的な所産においてである。[…]労働することによって人間は精神を『体現』し、歴史的な『世界』となり、『客観化された』歴史となるのである。
(『ヘーゲル読解入門』)
参考:http://blog.tatsuru.com/2006/12/19_1116.php
加納氏の言うトルストイが、芸術によっても思想を通じても果すことの出来なかった人生とは何ぞやという問題の解決を、トルストイの実生活に於ける悲劇が果しているとは一体どういう意味だろう。彼の痛ましい悲劇も、それ自体問題の解決だ、では彼の死もまた問題の解決ではないのか。それでは問題を解決したのは彼ではなく、彼は寧ろ問題に解決されたのではないか。
(「思想と実生活」)