59回目の曲目



日本独自のヒット曲集の第6回目です。


1.花のささやき ・・・ウィルマ・ゴイク

リグーリア州サヴォーナ県カイロ・モンテノッテに生まれる。1964年にデビューし、バルセロナで行われた地中海フェスティヴァルに参加、ルイジ・テンコ作曲の「Ho capito che ti amo 愛のめざめ」で優勝した。1965年からサンレモ音楽祭に参加し「Le colline sono in fiore 花咲く丘に涙して」で入賞。1966年の入賞曲「In un fiore 花のささやき」は日本のチャートでも上位にランクされ、ジリオラ・チンクエッティ、ボビー・ソロ等と日本のカンツォーネ・ブームを担った。


2.帰らぬ少年兵 ・・・コリーン・ラベット


ベトナム戦争の最中、日本でヒットしたがアメリカではあまりヒットしなかった反戦歌。「そばかす顔の18歳の兵士が母と恋人を残してベトナムに出征した。数週間後、彼の名誉を讃える勲章だけが母のもとに届いた」彼女の語りが印象的な曲。


3.4.5. ストップ・ザ・ミュージック







イギリスのディック・ジョーダン、デンマークのヒットメイカーズ、スウェーデンのレーンとザ・リーキングス、この3つのバージョンを聞き比べ、最も強く感じるのはイギリスの音楽シーンのセンスの良さだ。歌い方、ドラムス、ギター・ワークなど、すべてがおしゃれでカッコよく、このバージョンがいちばん古いのに、他の2曲よりも新しさを感じる。



6.孤独の太陽・・・ウォーカー・ブラザーズ



ジョン・ウォーカー(本名ジョン・マウス):ギター、スコット・ウォーカー(本名スコット・エンゲル):ベース、ゲイリー・ウォーカー(本名ゲイリー・リーズ):ドラムの3人からなるアメリカ出身のグループで、イギリスに渡り成功を収めます。アメリカ時代はリーゼントでロックン・ロールを歌い、リード・ボーカルをジョンも担当していたようです。
イギリスでの彼らの最初のヒット曲「涙でさようなら」と、それに続く「太陽はもう輝かない」は、当時、日本では大したヒットにはなりませんでした。ただし、日本ではヒット曲が無いにもかかわらず、音楽雑誌の誌上では、ビートルズを凌ぐ人気とか言う触れ込みで彼らのイギリスでの加熱ぶりだけは報道され、名前と顔だけは知られていました。
そんな状況の中、彼らの1枚目のアルバムから日本独自にシングルカットされたのが「孤独の太陽」です。重厚なパイプオルガンの序奏で始まるバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」言うまでもなく66〜67年にかけて日本で大ヒットしたウォーカー・ブラザーズの「孤独の太陽」原題は「In My Room」はスコット・ウォーカーの憂いを帯びた声とこのイントロが強烈な印象を残して話題となった。だがこの曲がヒットしたのは何故か日本だけという。66年1月黒人女性歌手Verdelle Smithがデビュー・シングルとしてこの曲を発売したのがオリジナルであった。
ジョンとスコットはソロに、ゲイリーはゲイリー・ウォーカー&ザ・レイン(後にバッド・フィンガーに加入するジョーイ・モランドがおりました)を結成する事になります。しかし、日本のファンとの約束を守る為(?)と、翌年1968年1月に日本でのみ公演を行ったのです。一度解散した(している)グループが日本公演の為だけに集まるという極めて稀なケースです。ちなみにサポート・メンバーのドラムスは、後にジェフ・ベック・グループに加入するミック・ウォーラーでした。



7.男と女・・・ニコール・クロワージルとピエール・バルー


クロード・ルルーシュとフランシス・レィが手を組んだ1966年のフランス映画の主題歌です。映画以上にこの主題歌は話題を集め、今でもよく聴くスタンダード・ソングとなりました。あまりに有名なこの映画のテーマ曲をつくった映画音楽界の大御所フランシス・レイ Francis Lai もまた監督のルルーシュ同様、この映画まではほとんど無名に近い存在でした。
彼は1932年4月26日、南仏のニース近郊に生まれています。初めはアコーディオン奏者としてマルセイユのキャバレーなどで演奏していましたが、その後知人の薦めでパリに進出。そこで知り合った詩人ベルナール・ディメとともにシャンソンを作り始めると、彼らの曲はイブ・モンタンジュリエット・グレコなどに取り上げられます。さらにシャンソン界の大御所エディット・ピアフが彼の曲を気に入り、晩年のわずかな期間ではありましたが、彼らは彼女の曲を担当することになりました。
ピアフの死後、彼は当時シンガー・ソングライターとして活躍していたピエール・バルーと出会いコンビを組みます。そしてこの頃、二人はクロード・ルルーシュと出会いあの「男と女」の名曲の数々が生まれることになったわけです。



8.殺しのライセンス・・・サウンド・トラック


007やナポレオン・ソロに代表されるスパイ映画が流行りました。この映画も大ヒットではありませんが映画館で見た覚えがあります。



9.恋はみずいろ ・・・ ヴィッキー


ヴィッキー、ギリシャ生まれのドイツ人です。はじめはヨーロッパで、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1967においてヴィッキーの歌唱で発表され4位に入賞。 翌年にはポール・モーリア編曲のインストゥルメンタルバージョンがヒットチャート5週連続1位を獲得するなど爆発的にヒットし、数多くのアーティストによってカバーされ、60年代〜80年代に突出した頻度で各メディアで流れた曲であり、また現在でもイージーリスニング音楽やBGMの定番のひとつとして用いられており、世界中の多くの人々に親しまれている曲である。




10.オーケー・・・デイブ・ディー・グループ

デイブ・ディ・グループが1967年8月25日にリリースした2ヶ月後の10月25日にザ・カーナビーツがリリースしました。面白いことに1968年に始まった記念すべきオリコン・チャートの第1回にデイブ・ディ・グループが3位でチャートインしております。恐らく当時の洋楽ファンがザ・カーナビーツのカヴァー曲を聴いて原曲のデイブ・ディ・グループを買い求めた結果がチャート3位というセールスにつながったのではないでしょうか・・・?

11.キサナドゥーの伝説・・・デイブ・ディー・グループ

1968年にリリースされた彼らの最大のヒット曲で全英トップに輝きました〜ムチによる効果音がアクセントになって曲の流れにメリハリをつけています。ただし、全米ではチャートインもせず〜後3年程前なら、ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗れたかもしれませんね!日本ではザ・ジャガースがカヴァー・ヒットさせています。


12.好きさ好きさ好きさ・・・ゾンビーズ


ゾンビーズが1965年に発表した楽曲。原題は『I Love You』。元々は、『お好きな時に』(Whenever You're Ready)のB面曲であった。本国(イギリス)ではヒットしなかったが、日本などではヒットした。



13.トウィンキーリー・・・ゲイリー ウォーカー&ザ・レイン

ウォーカーブラザース解散後、いち早くソロ活動を開始したゲイリーウォーカーのソロデビューシングル「夜明けに恋はない」に続くソロ第二弾シングル「トゥインキーリー」67年作品


14.初恋の並木道 ・・・ ナンシー・シナトラディーン・マーチン






この曲は、62年に全米3位となったボビー・ダーリンがオリジナルで、カヴァーはアン・マレー(76年・89位)が知られています。海の向こうでは68年に♪ビロードのような朝(A面)とのカップリングでリリースされましたが、日本ではこちら(B面)の曲の方がヒットしました。ただし、全米ではノン・ヒット。