Lucy への伝言

2012-04-02

「今日のダーリン」

・野球やら、女子サッカーやら、

アイススケートやらの結果が知りたくて、

スポーツ番組を見ていました。

そしたら、WBA世界スーパーフライ級王者である

清水智信選手の特集があったのです。

清水選手といえば、

ラーメン店勤務のチャンピオンとしても有名ですが、

そういうことは、とりあえずおいといてですね、

こういうセリフがあったんです。

「そのときまで、感謝するべき人のことを忘れていた。

 彼女はどんなときでも、いつも笑顔でいてくれた」

つまり、これは、彼の奥さんのことなんです。

じぶんを大切に思ってくれる奥さんのことを、

同じように大切にできていなかったという反省でした。

そのセリフのあと、奥さんの映像が何度も出てきました。

それがね、「いつも笑顔でいてくれた」って、

よくある言い方みたいだけれど、

ほんとに「いつも笑顔」だったんですよ!

なんの関係もないぼくが、驚いてしまったわけです。

この人は、ほんとに、実際、まったく、

事実として「いつも笑顔」だったんだ!

世界チャンピオンになる人も素晴しいかもしれないけど、

その人の苦難の道をいっしょに歩みながら、

「いつも笑顔」を見せていた人は、もっと素晴しいです。

高校野球、春のセンバツでも、21世紀枠で出場した

石巻工の阿部主将は「感動、勇気、笑顔を見せましょう」と、

選手宣誓で約束したのでした。

そして、チームのみんなが、

ほんとうに笑顔のプレイを見せてくれていた。

「いつも笑顔」って、ぼくは表現のひとつだと、

勝手に決めつけていました。

でも、それは、ぼくがまちがっていたんですね。

「いつも笑顔」の人は、実際にいたわけですし、

「いつも笑顔」の高校生たちも、試合をしていました。

「いつも笑顔」ってできるんだよと、じぶんに教えます。

いま、せめて、口角をあげて原稿を書き終えます。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

大人になるにつれて不機嫌な顔になるって、ヘンですよね。

2012-02-26

「今日のダーリン」

・毎日、やすみなく毎日、いやいやでも毎日、

 ずっと毎日続けて10年経ったら、

 一丁前に食っていけるようになっている。

 吉本隆明さんに教わって、なんども言ってることです。

 このことばは、たくさんの人を勇気づけたようです。

 しかし、10年間も、毎日続けて何かするというのは、

 そうそうできることではありません。

 できそうだけれど、なかなかできない。

 だからこそ、10年間、毎日続けられた数少ない人は、

 「そういえば、これでいける」と思っていいのでしょう。

 

 同じことを『天才! 成功する人々の法則』という本で、

 著者のマルコム・グラッドウェルさんという人は、

 「1万時間やったら」というふうに言っています。

 おもしろいんですよ、10年って3650日でしょう。

 グラッドウェル説の10000時間を、

 吉本隆明説の3650(365×10)日で割り算すると、

 約2時間45分になります。

 毎日やすみなく何をするのかは知りませんが、

 その毎日やることっていうのは、

 3分やら30分やらのことではないみたいですね。

 多少の休憩まで入れて、約3時間です。

 これは、みんな「そうだろう」と思うんじゃないかな。

 

 空手の稽古でも、ピアノの練習でも、文章書きでも、

 料理でも、編みものでも、靴の修理でも、農作業でも、

 3時間ずつ毎日続けて10年間です。

 こう説明されたら、やってない身でも、

 「そりゃそうかもしれないな」と納得できるでしょうね。

 

 ビートルズも、無名のハンブルグ時代に、

 安酒場で演奏しまくった日々が、1万時間につながった。

 どこかで濃密に何かと取り組む時間がないと、

 なかなか1万時間にはならないのかもしれません。

 さてさて、と、じぶんのことを考えてみます。

 「ほぼ日」のこの原稿を書くのに、約14年間、

 毎日かけている時間を、ぜんぶ足したらイケそうですね。

 その前のコピーライターとしての仕事で一丁前、

 「ほぼ日」以後でもう一丁前‥‥あら二丁前ってこと??

2012-02-19

「今日のダーリン」

・全体ミーティングなどで、

 みんなが共有しておいてほしいことがあると、

 ちょっとまとめたメモを配ることがあります。

 やがて、どこかに埋もれてしまうかもしれませんが、

 誰かがひとりでも、ちょっと憶えていたら、

 役に立つかもしれないことを、記してあります。

 「ほぼ日」にも、新しい人が入ってきてますから、

 ずっと前に配ったメモの内容は、

 その人たちに伝わってないことになります。

 そこで、「先輩」がメモをメールで回すことになります。

 そのメモを読んで、書いた本人であるぼくが、

 「こりゃ、いいや。これで原稿にしよう」とね、

 思ったりすることも副産物としてあるわけです。

 

 ◆なにかを考えるための10カ条

 

  ひとつのことを考えるとき、

 1.そのことの隣りになにがあるか?

 2.そのことのうしろ(過去)になにがあったか?

 3.そのことの逆になにがあるか?

 4.そのことの向かい側になにがあるか?

 5.そのことの周囲になにがあるか?

 6.そのことの裏になにがあるか?

 7.それを発表したら、どういう声が聞こえてくるか?

 8.そのことでなにか冗談は言えるか?

 9.その敵はなにか?

 10.要するに、それはなにか?

 というものです。

 そのことが「缶コーヒー」でも「合コン」でも、

 なんでも、いったんここに入れて考えてみるわけです。

 意外に気がついてないことや、可能性や欠点が、

 見えてきたりすることがあるものです。

 

 ぼくも、いま考えている「そのこと」について、

 このメモを利用して、しばらく考えてみます。

 うまく行くと、最後の10「要するにそれはなにか?」に、

 すとーんと答えられたりすることがあるんですよね。

2012-01-31

「今日のダーリン」

・先日、「なめるな」という文をここに書きました。

 ま、だいたいの人は、なにかしらなめていて、

 そのせいで、すいすい進むことも多いけれど、

 なめないほうがいいですね、というような内容でした。

 こんどは、「なめられろ」です。

 「なめられるな」じゃなくて、「なめられろ」です。

 「なめられるな」のほうについても、

 いずれ書くかもしれませんが、今回は「なめられろ」。

 まず、若いうちは年上の人たちからなめられます。

 「こいつはたいしたことないだろう」という顔で、

 つきあってくれる人が、多いものです。

 若い人がたとえばなにかを取材する場合には、

 取材される側が、油断した分だけ余計に、

 いろいろしゃべってくれたりもします。

 また、バカでもわかるように語ってくれたりもします。

 これは、無用な警戒をされるより、ずいぶん得でしょう。

 

 また、職業や性別によっても、なめられるものです。

 たとえば、水商売をしていたりすると、

 お客として来ている人たちが、

 意識するしないにかかわらず、しっかりなめてくれます。

 そこで観察できる人間の表情というものは、

 なかなかに奥深いものがあると思います。

 人間には、公式でない時間というものがあるのですが、

 そういう場面に参加できるのは、

 「親しい者」と「なめられた者」だけです。

 いろんな人の、なかなか複雑な面を見られるでしょう。 

 

 「なめられる」のは、けっこう勉強になるんです。

 ただ、そこで「がっかり」しないことが大事なんです。

 人間の表裏を知って、それを「がっかりした」とか 

 「見損なった」とか感じるのではなくて、

 「おもしろいもんだなぁ」と思うのが、

 「なめられろ」のコツではないでしょうか。

 なめられている間に学ぶことは、すごく多いのです。

 <人はなめられなくなったら、おいしくないってこと。>

 ま、甘い人ほど、なめられるのかもしれませんけどさ。

うーむ。新鮮。

たしかに「なめられるな」というのは自分の単なるプライドだけの問題だ。

なめられないようにしないと不利になる、と思っていたが、

なめられてしまった方がかえって(スキをみせてくれたりして)有利になることも多くなるかもしれない。

どういうときにどっちなのか、それとも常にどっちかなのか、ちょっと考えてみよう。

2012-01-25

「エイズ否認主義」と「脱原発」は似ている?!

『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』 [著]セス・C・カリッチマン[評者]斎藤環(精神科医)

http://book.asahi.com/review/TKY201104190166.html

■放射能情報巡り混乱する前に

 疑似科学を信ずる人々はいつの時代にもいる。「進化論はデタラメ」「アポロは月に行ってない」などなど。笑えるネタが大半だが、ホメオパシーのように命にかかわってくるとそうもいかない。

 しかし、史上最悪の疑似科学である「HIV/エイズ否認主義」ほど多くの犠牲者を出したものは他に例がない。これは簡単に言えば「エイズの原因はHIVではない」という主張である。彼らは抗レトロウイルス薬をはじめとするHIV治療は有害で、HIVの流行は製薬企業の陰謀だと信じている。

 例えば南アフリカでは、ムベキ元大統領が否認主義者の主張を真に受けてエイズ対策を誤り、260万人以上が犠牲になったという。その政策助言者の一人が、アメリカのがん遺伝子研究の権威、ピーター・デューズバーグであった事実には驚かされる。

 優れた科学者やジャーナリストが否認主義の罠(わな)に陥るのはなぜなのか。HIV陽性という診断を受けた患者は、絶望のあまり否認主義者の主張に救済を求める。デューズバーグのように高名で、ちょっと被害妄想的な学者が否認主義を支持すれば、たちまち救世主に祭り上げられるだろう。ここに(レーガンのような)政治的無関心とインターネットが加われば、否認主義の蔓延(まんえん)はいっそう確実になる。

 著者も述べるとおり、疑似科学を根絶することは不可能だ。真面目な科学者が反証を山と積んで批判しても、否認主義者はかたくなになるだけだ。彼らによる被害を防ぐには、その存在をただ否定するのではなく、なんらかの社会的包摂、すなわち「居場所を与えて囲い込む」しかないのだろう。

 では、否認主義に騙(だま)されないためにはどうするか。本書に記された具体的なアドバイスは、「放射能」の情報を巡る混乱が続く今こそ、パニックを防ぐヒントとなるだろう。

    ◇

 野中香方子訳/Seth C. Kalichman 米国・コネティカット大学教授。心理学者。