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トラの日記

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2015-01-02 年表

   幕末維新年表 幕末期(1853〜1867)

   

1853年 嘉永6年

   

 2月 2日 関東地方で大規模な地震。小田原を中心に被害多数。

 4月19日 ペリー率いるアメリカ東インド艦隊が琉球に到着する。

 4月 坂本龍馬、江戸千葉定吉道場に入門。

 5月 8日 東インド艦隊、小笠原諸島に到着。

 5月17日 東インド艦隊、那覇に向けて小笠原を出港。

 5月24日 陸奥南部藩閉伊郡の農民1万6000人以上が仙台藩領内へ逃散を求め、領界に集合する。また領内各地では、強訴、打ち壊しが多発。仙台藩は人を遣り農民と交渉、幕府にも伝わったことから、南部藩も交渉に応じる。

 5月26日 東インド艦隊、那覇港を出港。

 6月 3日 東インド艦隊、浦賀沖に到着する。浦賀奉行与力中島三郎助と通詞堀達之助が交渉に当たるが、長崎回航は受け入れられず。夜の時砲で、沿岸が騒然とする。

 6月 4日 浦賀奉行与力香山栄左衛門と中島三郎助が、再度長崎回航を求めるが、失敗。ミシシッピ号が示威行動のため、江戸湾奥に向かう。

 6月 4日 佐久間象山、米艦隊を視察するため浦賀へ行き、吉田松陰らと会見する。

 6月 9日 浦賀奉行戸田氏栄、井戸弘道が久里浜でペリーと会見。アメリカの国書を受け取る。艦隊4隻は江戸湾を周回する。

 6月 9日 米艦隊に同乗していたドイツ人画家ハイネ来日。

 6月12日 東インド艦隊、那覇へ向けて江戸湾を離れる。

 6月15日 幕府、ペリー来航を朝廷に上奏。

 6月21日 ペリー、琉球王府に貯炭所の建設を強要する。

 6月22日 12代将軍徳川家慶死去。61歳。

 6月24日 伊豆下田沖にルソン船が来航し、紀州漂流民8人を置いて去る。

 7月 1日 老中阿部正弘アメリカの要求について諸大名、幕臣らに意見を求める。

 7月 3日 幕府、前水戸藩主徳川斉昭を海防参与に任命する。

 7月18日 プチャーチン率いるロシア極東艦隊が長崎に来航する。

 7月18日 ロシア人文学者ゴンチャロフプチャーチン艦隊に同乗して来日。

 7月 勝海舟、老中の幕臣への要請に応え、貿易論、人材論、兵制改革論の海防意見書を提出する。

 7月 オランダ商館長クルチウス、幕府に「別段風説書」を提出。

 8月 6日 幕府、砲術家高島秋帆の禁固を解いて、韮山代官江川太郎左衛門の配下に置く。

 8月19日 ロシア帝国の国書を受け取る。

 8月15日 幕府、大砲50門の鋳造を佐賀藩に要請。

 8月16日 関白鷹司政通、ロシア使節の来訪について幕府に問いただす。

 8月23日 越後長岡藩栃尾郷の農民1万人が、紬買い占めなどに反対し、米屋、織屋を打ち壊す。

 8月24日 幕府、江川太郎左衛門の指揮のもと、11基の品川沖台場の築造を始める。

 8月29日 島津斉彬、幕府に建艦、武器・兵書の購入を要求、幕府、薩摩藩に建鑑のみを許可。

 8月30日 ロシア軍艦が樺太のクシュンコタンに来航し兵舎を建てる。

 8月 諸侯、学者、町人ら500余人が、米国書に対する意見を上陳。

 9月15日 幕府、大船建造禁令を解除。

 9月23日 徳川家祥(家定)、本丸に入る。

 9月25日 幕府、長崎奉行をしてオランダ商館長クルチウスに軍艦・鉄砲・兵書を注文する。また、西洋砲術奨励を布告。

 9月25日 幕府、長崎奉行をしてオランダ商館長クルチウスに軍艦・鉄砲・兵書を注文する。

10月 8日 幕府、筒井政憲川路聖謨を対ロシア交渉全権に任命し、長崎派遣を決定。

10月20日 徳川斉昭、ロシアとの和親不可を建議。一方大槻磐渓は、幕府に親露を献策する。

10月23日 ロシア艦隊、上海のペリーに会うため長崎を出港。

10月23日 徳川家定に将軍宣下。

10月27日 閉伊郡一揆で、南部藩は農民側の提案を受け入れ、首謀者も処罰せず、一揆は終結する。

11月 1日 幕府、外国語を船舶・鉄砲名称と練習用語に用いることと、薬屋などでの商標に洋字の使用を禁止する。

11月 6日 幕府、江戸と周辺の豪商、豪農に上納金を命じる。

11月 7日 幕府、アメリカより戻っていた中浜万次郎を登用し普請役格とする。

11月12日 幕府、水戸藩に大船建造を命じる。

11月14日 幕府、相模・上総・安房の江戸湾岸警備を彦根・肥後藩等に命じる。

11月 幕府、浦賀に造船所の建設を開始する。

11月 島津斉彬、大船建造を申請し、船印のため、日の丸国章制定を建議する。

11月 佐賀藩、火術局と製煉局を設置する。

12月 3日 久留米藩家老尊皇攘夷を主張して自刃。

12月 5日 ロシア艦隊4隻、ペリーとの協力がうまく行かず、長崎に再来。

12月 5日 幕府、石川島を造船所とすることを決定し、水戸藩に石川島で軍艦建造を命じる。

12月20日 幕府、ロシア側と交渉を開始。

12月26日 幕府、新貨南鐐一朱銀を発行する。

12月 韮山代官江川太郎左衛門、韮山に反射炉を建造。

 

1854年 嘉永7年・安政元年

 

 1月16日 前年の予告通り、ペリー率いる7隻の艦隊が来航。江戸湾羽田沖まで来た後、小柴沖に停泊。

 1月17日 米国使節、幕府にエレキテル・テレガラフ・蒸気車などを献上。

 1月29日 阿蘇山噴火する。

 1月 京都で田中久重が蒸気を利用したからくり芝居を興業。

 2月 3日 幕府、アメリカ軍艦見物を禁止する。

 2月 6日 幕府、漂流民保護と薪水食糧給与は承認し、通商条約は拒絶する方針を決定する。

 2月23日 横浜村の応接所で、ペリーの持参した模型蒸気機関車の試運転を行う。

 2月24日 ドレイパーとウィリアムス、横浜で電信の実験を行う。

 2月26日 力士小柳、米国人水兵3人と相撲を取り勝つ。

 3月 3日 幕府、日米和親条約調印(神奈川条約)。

 3月27日 吉田松陰、米艦に乗船を求めるが断られる。

 3月28日 吉田松陰が下田沖の軍艦に密航を企てて失敗し自首する。

 3月 2代目河竹新七の「都鳥廓白浪」が河原崎座で初演。

 4月 5日 吉田松陰密航事件に連座して、佐久間象山も逮捕される。

 4月 6日 京都御所出火。

 4月 8日 御所炎上に伴い、京都所司代は、洛中洛外の30日鳴り物停止を命じる。

 4月13日 角力年寄稲川政右衛門自殺。

 4月14日 幕府、紙幣の山田羽書銀札を新札引き替えにすることを命じる。

 4月30日 徳川斉昭日米和親条約締結を不満として、幕政参与を辞任。

 4月 江戸の料理屋百川が初めてテーブルで料理を出す。

 5月10日 幕府の浦賀造船所で、西洋型帆船鳳凰丸が竣工。

 5月20日 日米通貨交換比率及び石炭価格の協定成立。

 5月25日 幕府、日米和親条約付録協定(下田条約)に調印。

 5月25日 幕府、海防及び御所造営のために、町民に献金296000両を課す。

 6月11日 土佐藩参政吉田東洋が、開国論を唱えて免職される。

 6月11日 江戸柏木淀橋の火薬製造場で爆発事故。

 6月13日 福井城下で大火。

 6月14日 近畿地方で大地震。伊勢・伊賀などで死者700人以上。

 6月17日 琉球王府、米国と琉米修好約条を締結。

 6月26日 幕府、松前藩領の箱館一帯を直轄領とする。

 6月30日 幕府、箱館奉行を設置する。

 7月 9日 幕府、島津斉彬徳川斉昭の言を採用し、日の丸を日本惣船印とする事を決定する。

 7月28日 造船技術と航海術を伝えるためのオランダ船スンビン号が長崎に入港する。

 7月 肥後の石造り水道アーチ型の通潤橋が完成。

 7月 品川沖台場のうち1から3番までが完成する。

閏7月15日 英国東インド艦隊が長崎に入港。

 8月 6日 八世市川団十郎自殺。

 8月23日 幕府、日英和親条約を調印。長崎・箱館の2港が開港される。

 8月29日 英国使節スターリング退去。

 8月 下田奉行伊沢美作守政義ら、下田外国人休息所の建設と女性の接待を建議する。

 9月 2日 幕府、オランダに対して下田と箱館の2港を開港する。

 9月18日 プチャーチン大坂湾に投錨。

 9月18日 幕府、吉田松陰佐久間象山を蟄居処分とする。

 9月21日 幕府、オランダに蒸気軍艦2隻を発注。

10月 2日 幕府、警火令を発する。

10月19日 蘭医、柴田方庵、西洋料理会を開く。

11月 3日 日露条約交渉が下田で行われる。

11月 4日 東海道沖でM8.4の大地震が発生、東海道沿いの諸宿場が壊滅。大津波などで10000人以上が死亡。ロシア軍艦ディアナ号も大破。

11月 5日 前日の32時間後に西日本で大地震。大津波で80000余戸が流出、死者3000余人。情報伝達より速い地震の連続により、2つの地震と区別できない者も多かった。

11月 7日 伊予などで前2回と別の地震が発生。5日での地震で破損した家屋などが倒壊。

11月27日 安政に改元。

12月 2日 地震による破損で、修理のために戸田港へ回航中のディアナ号が沈没。乗員は付近の漁民に救助される。

12月 7日 幕府、沈没したディアナ号の代替船建造を許可する。

12月21日 幕府、日露和親条約に調印。下田・箱館・長崎をロシアに開港し、択捉−ウルップ間を国境と定める。また樺太を両国人雑居地とする。

12月23日 朝廷、毀鐘鋳砲の命令を発する。

12月28日 江戸神田から出火し大火となる。

12月 品川台場5、6番が完成。しかし4番、7番は未完成のまま、8から11番は着工せず、資金不足で計画は中止となる。

12月 薩摩藩が建造していた西洋式大型帆船昇平丸が竣工する。

  この年、上野、陸中、常陸、越後、美濃、紀伊、備前で農民による打ち壊しや強訴が起こる。

  この年、村上英俊著の和英仏蘭対訳辞典「三語便覧」が刊行される。

 

1855年 安政2年

 

 1月 5日 幕府、日米和親条約批准書を交換。

 1月11日 幕府、浦賀・下田・箱館の3奉行に外国船寄贈の書籍・武器の江戸送付を命令する。

 1月11日 金子重輔、萩野山獄で獄死。

 1月16日 江川太郎左衛門死去。

 1月16日 幕府、領事駐在規定に対する反対意見により、日露和親条約の再交渉を決定する。

 1月18日 幕府、天文方から洋書研究・翻訳のための洋学所を独立させる。

 1月 薩摩藩西洋式大型帆船昇平丸の試運転が行われる。

 2月22日 幕府、松前藩領の内、松前氏居城付近を除く蝦夷地全土を直轄領とする。

 2月30日 富山大火。

 3月 3日 幕府、朝廷の指示により、諸国寺院に梵鐘の鉄砲改鋳を命令し、銅鉄による仏像の新鋳を禁止する。僧侶ら反発。

 3月 4日 フランス軍艦コンスタンチーヌが下田に来航し、物資の補充を願い出るが、拒絶される。

 3月 6日 江戸城本丸の金蔵から、徳川家慶の遺産のうち4000両が盗まれる。

 3月 9日 福沢諭吉緒方洪庵の蘭学塾に入門する。

 3月10日 沈没したディアナ号の代替船として、ロシア人の指導で建造されたヘダ号が完成する。

 3月12日 英国軍艦3隻が箱館に入港する。

 3月22日 プチャーチン提督らロシア側交渉団は、ヘダ号で帰国の途につく。

 3月27日 幕府、松前・南部・津軽・秋田・仙台の各藩に蝦夷地警備を命じる。

 3月 薩摩藩西洋式大型帆船昇平丸が江戸へ回航され、幕府に献上される。

 3月 飯沼慾斎「草木図説草部」発行。

 4月 間宮林蔵著「北蝦夷図説」が刊行。

 5月19日 安中藩で、御遠足と呼ばれる長距離走が実施される。

 5月20日 松前藩、幕府の命令により、樺太のクシュンコタンにあったロシア兵陣営を焼く。

 6月 2日 摂津・河内の1263か村の農民が、菜種油・油粕売買をめぐって訴訟を起こす。

 6月 9日 オランダ蒸気船ゲーデー号とスンビン号が長崎に入港し、オランダ国王は幕府にスンビン号(後の観光丸)を贈る。

 6月19日 幕府、江戸湯島鋳砲所で洋式小銃の鋳造を開始する。

 6月29日 幕府、諸大名・旗本に洋式銃の訓練を命じる。

 6月    幕府長崎官軍海軍伝習所の創設

 7月 熊本藩、独自に24ポンド入り子砲2門を製造。

 8月 4日 老中松平乗全と松平忠優が徳川斉昭らの派閥の圧力で辞任。

 8月13日 徳川斉昭が幕政参与に再任。

 8月22日 薩摩藩、実験用で初の国産蒸気船雲行丸の試運転に成功する。

 8月29日 日英和親条約の批准書を交換。

 8月 小田文蔵、電信機の取り扱いと電池の製法を将軍家定の前で実験する。

 9月30日 幕府、旗本への貸付金の返納を免じ、代わりに武備の充実を命じる。

 9月 幕府、朝廷や諸大名に対し、日米和新条約の内容を公開する。

 9月 月末頃から、江戸で地鳴りや水が吹き出るなどの怪現象が発生する。

10月 2日 夜、江戸で直下型の大地震が発生。死者7000余、家屋倒壊14000戸に及び、特に下町は壊滅、新吉原はほぼ全て焼失する。藤田東湖戸田蓬軒も圧死。

10月 3日 江戸で町会所が握り飯配布を開始したほか、御救小屋が建てられる。また月末にかけて大量の瓦版や鯰絵が発行される。

10月 4日 長崎奉行が購入した3000丁の洋式小銃が江戸へ輸送される。

10月 9日 佐倉藩主堀田正睦が老中に再任され、首座に就任。

10月14日 幕府、旗本・諸藩士・庶民の蝦夷地移住開拓を許可する。

10月15日 琉球王府、フランスと琉仏約条を締結。

10月24日 幕府海軍伝習所が長崎に開校し、幕臣・諸藩士・庶民ら多数の伝習が始まる。

10月 幕府、大地震による物価高騰抑制令を布告。

11月15日 町会所が震災窮民381000人に対し施米を開始。

11月23日 焼失した京都御所の紫宸殿、清涼殿が完成。

11月 豊前時枝藩領の14か村が、圧政に抗議して一揆を起こす。

12月15日 長州藩、吉田松陰を出獄させ、蟄居とする。

12月23日 幕府、日蘭和親条約を調印。

12月 三池大ノ浦炭鉱で、洋式斜坑開削が始まる。

  この年、柴田方庵が、長崎でビスケットの製法を学ぶ。

 

1856年 安政3年

 

 1月21日 岡山藩、倹約のために、被差別民に渋染・無地藍染以外の着用を禁じ、被差別部落民が撤回の嘆願書を提出する。

 1月23日 幕府、将軍通行時の規則を緩和する。

 2月11日 幕府、洋学所を蕃書調所と改称。

 2月28日 幕府、合薬座を設け、火薬の私販を禁止。

 2月 地方街道の定期飛脚制度が始まる。

 2月 歌川広重の「名所江戸百景」の出版が始まる。

 3月 4日 鉱山学者大島高任が水戸藩の反射炉で銑鉄溶解実験に成功。

 3月 8日 朝廷、黒住教教祖に宗忠大明神を追贈。

 3月12日 老中・若年寄ら駒場で兵士の洋式訓練を視察。

 3月20日 成田山新勝寺と深川永代寺で60日間開帳。江戸時代では最後の開帳となる。

 4月13日 幕府、築地に陸軍講武所を開設。

 4月 岡山藩、渋染・無地藍染制限令撤回の嘆願を却下。

 5月21日 箱館奉行、アイヌ人へ日本語習得を命じる。

 6月 4日 幕府、新鋳の二分金の通用を布告。

 6月13日 岡山藩領80余か村の被差別部落民が渋染・無地藍染以外の着用禁止撤回を求めて吉井川に集まる。

 6月13日 幕府、洋書と翻訳書の蕃書調所による検閲を定める。

 6月14日 岡山藩渋染一揆の被差別部落民約8000人が藩家老へ嘆願書を提出。藩はこれを黙殺するも、事実上衣服差別は廃止する。

 6月18日 吉田松陰「講孟余話」を著す。

 6月26日 幕府、個人蔵の洋学書籍の目録提出を命じる。

 7月 1日 幕府、蕃書調所での旗本子弟の修学を許可する。

 7月10日 オランダ商館長クルチウスが幕府に列強との通商条約締結を勧める。

 7月12日 水戸藩、幕命により石川島造船所で軍艦を建造、旭日丸と命名する。

 7月18日 大坂の安治川・木津川河口に砲台を建設する。

 7月21日 アメリカ総領事ハリス下田に到着。

 7月23日 陸奥南部で大地震。

 8月 5日 ハリス、下田玉泉寺をアメリカ仮領事館とする。

 8月11日 大坂で雷雨、70余カ所に落雷。

 8月22日 吉田松陰、禁固中に武教全書の講義を開始する。

 8月25日 江戸で大風水害。死者多数。

 8月26日 ハリス、下田奉行に通商の自由と貨幣等価交換を要求。

 8月26日 蝦夷駒ヶ岳噴火。

 9月10日 (陽暦10月8日)アロー事件発生。

 9月18日 長崎奉行、浦上村山の隠れキリシタン15人を逮捕、浦上三番崩れの弾圧が始まる。

 9月25日 (陽暦10月23日)第二次アヘン戦争勃発。

 9月 長州藩、吉田松陰に私塾主催を許可。身分に関係なく約80人が塾生となる。

10月17日 老中堀田正睦、外国事務取扱、海防月番専任に就く。

10月20日 農政家二宮尊徳死去。

10月 佐佐木弘綱「源氏物語語俚諺解」出版開始。

11月 1日 広瀬淡窓死去。

11月10日 日露和親条約批准書を交換する。

12月10日 仙台藩主、乞食岩五郎の仇討ちを賞し永世銅7貫を与える。

  この年、蝦夷古平でニシン建網漁の枠網が発明される。

  この年、薩摩藩、鉱山採鉱に火薬を使用。

  この年、飯沼慾斎が植物図鑑「草木図説」を著す。

  この年、飯室楽圃が虫類図鑑「虫譜図説」を著す。

  この年、片山宗助、元込雷管銃を製作。

 

1857年 安政4年

 

 1月15日 幕府、市川斎宮に蕃書調所での和蘭活字印刷事業を命じる。

 1月18日 前年より準備の進められていた蕃書調所教育部門が正式に開講。幕臣190余人が入校する。

 1月 軽業師早竹虎吉の曲芸が流行する。

 1月 下田奉行に通詞の英語習得を命じる。

 2月 1日 オランダ商館長クルチウスが長崎奉行アロー号事件を伝え、通商条約交渉に警告を与える。

 2月18日 ハリス、米国人の居住権や治外法権などを要求する7ヶ条を下田奉行に提出する。

 2月26日 江戸城4000両盗難事件の犯人藤岡藤十郎と無宿富蔵が逮捕され、磔となる。

 2月29日 遠江豊田郡の幕府領農民1400人が増税に反対し強訴。

 3月 4日 幕府海軍伝習所第1期生が観光丸を操作して長崎を出発。

 3月22日 観光丸、江戸に到着。

 3月 吉田松陰「外蕃通略」出版。

 4月 鹿児島城内に精錬所「開物館」が完成。

 4月11日 幕府、陸軍築地講武所内に軍艦教授所を設ける。

 5月26日 治外法権などを定めた9ヶ条の日米和親条約修補条約(下田協約)が締結される。

 5月 佐々木弘綱「源氏物語語俚諺解」出版終了。

閏5月 4日 幕府、箱館通宝の蝦夷地での使用を開始。

閏5月19日 薩摩藩主島津斉彬が、磯別邸に完成した工場群を集成館と名付ける。

 6月 1日 下京で大火。

 6月11日 土佐藩、財政窮乏のため、藩士の俸禄を半減する。

 6月17日 阿部正弘死去。

 6月 長崎製鉄所に印刷所を新設するため、印刷設備一式を輸入する。

 7月23日 徳川斉昭、再度幕政参与を辞任。

 7月26日 諸大名が、老中堀田正睦にハリス登城反対を申し立てる。

 7月 米軍艦ポーツマスが下田に入港。

 7月 幕府、肥前飽之浦に熔鉄所建設を開始(10月10日?)。

 8月14日 幕府、ハリス江戸登城を許可。

 8月26日 幕府直営の箱館産物会所が落成。

 8月29日 オランダと40ヶ条の追加条約を締結。通商条約としては初めて。

 8月 広島・松山・大洲などで大地震。

 8月 島津斉彬、礒の別邸に石灯篭ガス灯を設置。

 9月 7日 ロシアと通商条約に当たる28ヶ条の追加条約を締結。

 9月16日 島津斉彬、薩摩藩集成館で宇宿彦右衛門に自分の写真撮影を行わせ、続いて自ら写真を撮る。

 9月 横山由清、ロビンソン・クルーソーを翻訳し、「魯敏遜漂行紀略」と名付けて紹介。

10月16日 福井藩主松平慶永、徳島藩主蜂須賀斉裕が連名で一橋慶喜の将軍推挙意見書を提出。

10月21日 ハリス、将軍家定に謁見し、米国大統領の親書を提出。

10月26日 ハリスと堀田正睦が会談。

11月 1日 幕府、米国大統領親書とハリスの口上書について、諸大名に意見を求める。

11月13日 (陽暦12月28日)英仏連合軍、広州を攻撃。

11月14日 英仏連合軍、広州を占領。

12月11日 日米通商条約締結交渉が始まる。

12月13日 幕府、朝廷に対し日米通商条約に調印することを報告。

12月20日 南部藩、大橋鉄山(釜石)洋式高炉を完成させ銑鉄生産に成功する。

12月29日 長崎奉行が翌春執行予定だった踏絵の中止を決定。

  この年、幕府は東西蝦夷地のアイヌ人6000余人に種痘を行う。

  この年、肥前藩が電信機を完成。

  この年、薩摩藩が電気式地雷と水雷の実験を行う。

  オランダに発注していた新造軍艦ヤパン号(咸臨丸)が教官らを乗せて到着。

 

1858年 安政5年

   

 1月 5日 幕府、朝廷の許可を得るために日米修好通商条約の締結2ヶ月延期をハリスに求める。

 1月 8日 老中堀田正睦、条約勅許を得るため、京へ赴く。

 2月10日 江戸で大火。124000軒が焼失という。

 2月23日 朝廷、老中堀田正睦に対し、条約勅許は諸大名の意見を聞いてから願出せよと指示。

 2月 植物学者伊藤圭介が、博物館兼植物園の旭園を開設。

 3月 8日 農政家大原遊学自刃。

 3月 9日 関白九条尚忠、外交を幕府に委任する案を上奏するが、多くの公家の反対にあう。

 3月11日 孝明天皇は、九条尚忠の上奏を受け入れ、外交は幕府に委任することを裁可する。

 3月12日 公卿88人、参内して幕府外交委任の勅諚案改訂を建言する。

 3月20日 朝廷、公卿88人の外交委任反対案をいれ、老中堀田正睦に対し、条約勅許は諸大名の意見を聞いてから再願するよう再度指示。

 3月25日 市川斎宮、蕃書調所での最初の印刷事業に成功。

 4月20日 堀田正睦、京から江戸への帰途につく。

 4月23日 将軍徳川家定井伊直弼を大老に任命。

 5月 1日 井伊直弼、将軍継嗣を徳川慶福にする旨老中一同に申し渡す。

 5月 6日 大目付土岐頼旨、勘定奉行川路聖謨の左遷が決定。

 5月 7日 伊東玄朴ら約80人の蘭医が、神田お玉ヶ池に種痘所を開設。

 5月 コレラが長崎で発生。

 6月13日 米軍艦ミシシッピが下田に入港。

 6月15日 米軍艦ポーハタンが下田に入港。

 6月17日 ハリス、ポーハタンで江戸湾に入る。

 6月18日 幕府、将軍継嗣問題発表を延期。夜、ハリスと井上清直、岩瀬忠震が会談。ハリスは、英仏連合艦隊の日本接近と、条約締結後の調停を伝える。井伊直弼、条約調印を決定する。

 6月19日 幕府、日米修好通商条約と貿易章程に調印。

 6月21日 老中堀田正睦松平忠固が、外交処置不行き届きにより免職処分となる。

 6月24日 松平慶永が井伊邸を訪問し外交処置に抗議し、徳川斉昭、同慶篤、同慶勝が登城し、井伊直弼に談判を行う。

 6月25日 幕府、諸大名に総登城令が出され、将軍継嗣は徳川慶福と発表される。

 6月 長州藩、農民の商業自由化を認め、また農村からの徴兵を定める。

 7月 3日 幕府、官医に西洋医術の採用を許可する。

 7月 4日 徳川家定死去。

 7月 5日 井伊直弼、不時登城の罪をもって尾張藩主徳川慶勝、越前藩主松平慶永を隠居の上謹慎、徳川斉昭を謹慎、徳川慶篤一橋慶喜を登城停止処分にする。

 7月 8日 幕府、外国奉行を設置。

 7月10日 幕府、日蘭修好通商条約と貿易章程に調印。

 7月11日 幕府、日露修好通商条約と貿易章程に調印。

 7月16日 薩摩藩主島津斉彬急死。

 7月18日 幕府、日英修好通商条約と貿易章程に調印。

 7月 コレラが大坂、京都、江戸へ拡大。

 8月 8日 孝明天皇、水戸藩他13藩に密勅を出す。

 8月 8日 幕府、将軍家定の死去を公表。

 8月10日 朝廷、水戸へ降下した密勅を幕府に示す。内容は、条約調印批判と攘夷決行、水戸と尾張に対する処分の撤回。

 8月 歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」が完結。

 8月 松浦武四郎、蝦夷地調査旅行をほぼ終える。

 8月 桂川圃周、「ハルマ和解」を改訂増補した「和蘭字彙」を蕃書調所に納める。

 9月 2日 捕縛令の出ていた梁川星巖、コレラで死去。

 9月 3日 幕府、日仏修好通商条約と貿易章程に調印。

 9月 5日 幕府、徳川家茂に将軍宣旨が下りるよう朝廷に要請。

 9月 6日 歌川(安藤)広重死去。

 9月 7日 小浜元藩士梅田雲浜逮捕される。

 9月 豪商近藤茂右衛門逮捕される。

 9月 この月までにコレラの死者160119人に達する。

10月 佐久間象山「迅発撃銃図説」出版。

10月23日 越前藩士橋本左内逮捕される。

10月25日 徳川家茂に将軍宣下。

10月 福沢諭吉、藩命により築地中津藩中屋敷内に蘭学塾を開設。

11月16日 西郷隆盛と月照が入水。月照は死亡し、西郷は助けられ、藩の手で奄美大島に匿われる。

12月 5日 長州藩、吉田松陰を逮捕。

12月30日 老中間部詮勝、参内して条約調印事情了解の勅諚(条約勅許)を得る。

12月 宝生九郎、将軍家茂のための本丸表舞台での将軍宣下能を舞う。最後の宣下能。

  この年、佃煮が一般に売り出される。

 

1859年 安政6年

 

 1月13日 幕府、神奈川・長崎・箱館への出稼ぎ・移住・自由売買を許可。

 1月 宮家公卿の家臣30余人と水戸藩京都留守居役鵜飼親子らが逮捕される。安政の大獄始まる。

 2月 5日 幕府、宮家・公家の処罰の意向を明らかにする。

 2月17日 青蓮院宮尊融親王、一条忠香ら謹慎処分となる。

 2月21日 青山から出火し、山手一帯で大火。

 2月 長崎の幕府海軍伝習所閉鎖される。

 4月22日 鷹司政通近衛忠煕三条実万ら出家・謹慎処分となる。

 4月26日 水戸藩家老安藤帯刀ら逮捕される。

 4月 吉田松陰、江戸へ護送される。

 5月17日 漂流中に米国船に助けられた浜田彦蔵がアメリカから長崎に帰着。

 5月24日 幕府、安政金銀の鋳造と外国貨幣の通用を布告。

 5月26日 英国駐日総領事オールコックが着任。

 5月28日 幕府、アメリカ・ロシア・イギリスフランスオランダの5ヶ国に、神奈川・長崎・箱館の3港での自由貿易を許可。

 5月29日 幕府、旧貨幣の併用令を布告。

 6月 5日 幕府、外国人の神奈川居留地及び遊歩区域を定め、取締り布告。

 6月 7日 琉球王府、オランダと琉蘭修好条約を結ぶ。

 6月20日 幕府、諸侯・旗本以下の武士に、開港場での舶来武器の購入を許可する。

 6月 大橋訥庵「闢邪小言」が差構之儀ありとして発禁処分。

 6月 碓井藤塚の沼賀茂一郎、水車動力の製糸機械を製作。

 7月 6日 フィリップ・ファン・シーボルト再来日。

 7月25日 大雨で利根川が決壊する。

 7月27日 ロシア海軍士官ら3人が横浜で日本人数名の襲撃を受け、2人が死亡、1人が負傷する。

 7月 生糸貿易の開始で、生糸不足と糸価格急騰したため、桐生地方の35か村の代表が、幕府に生糸輸出の禁止を願い出る。

 7月 京・大坂・安芸・日向でコレラが流行。

 8月27日 第1次断罪により、水戸藩家老安島帯刀らに切腹命令。

 9月13日 幕府、日米修好通商条約本書交換のため、新見正興・村垣範正・小栗忠順らのアメリカ派遣を決定する。

 9月14日 梅田雲浜獄死。

 9月 桐生地方の35か村の代表が、再度生糸貿易禁止について願い出る。

10月 7日 幕府、橋本左内頼三樹三郎・飯泉喜内を処刑。

10月11日 小村幸八、仏領事下僕の清国人を斬殺。

10月17日 江戸城本丸が火災。

10月18日 ジェームス・C・ヘップバーン(ヘボン)来日。

10月24日 幕府、新潟開港延期を米・仏両国に通告。

10月25日 幕府、新潟開港延期を蘭・露両国に通告。

10月 江戸の呉服問屋・糸問屋が生糸の急騰に困窮し、奉行所に支援を願い出る。

11月 オールコック、駐日公使に昇格。

11月 桐生35か村の惣代が生糸急騰問題で、井伊直弼間部詮勝へ駕篭訴を決行。

  この年、フルベッキ来日。

 

1860年 安政7年・万延元年

 

 1月 7日 イギリス公使館通詞の伝吉、泉岳寺で暗殺される。

 1月13日 遣米使節護衛艦咸臨丸、木村喜毅、勝義邦(海舟)らを乗せて出発。

 1月18日 遣米使節、米軍艦ポーハタン号で出発。

 2月 5日 オランダ船長デ・ヴォスとデッケル、暗殺される。

 2月26日 咸臨丸、サンフランシスコに到着。

 3月 3日 桜田門外の変勃発。大老井伊直弼暗殺される。

 3月 3日 幕府、洋書出版手続きを改正。天文・暦算は天文方へ戻し、洋書の翻訳と医学書は蕃書調所へ出稿し、出版後は一部を納本すると決定。

 3月11日 琉球王府物奉行の恩賀朝恒獄死。

 3月18日 万延と改元。

閏3月19日 幕府、五品(雑穀・水油・蝋・呉服・生糸)の神奈川直送貿易を禁止し、江戸問屋経由を命じる(五品江戸回し令)。

 3月 砲術家成瀬平三自殺。

 4月 3日 日米修好通商条約の批准書を交換。

 4月 藤屋菊次郎、同九兵衛より出版の「五国條約書」が無届板行であるとして発禁、藤屋に処分。

 4月 横浜大田新田に外国人向けの遊郭ができる。

 5月27日 歴史家飯田忠彦自殺。

 6月17日 日葡通商条約締結。

 6月20日 幕府、陪臣の軍艦操練所入学を許可。

 7月19日 プロシア使節来日。

 7月20日 プロシア使節、和親条約締結を求め、また幕府に電信機を贈る。

 7月22日 水戸藩と長州藩、江戸品川沖に停泊中の丙辰丸内で幕制改革協力の盟約を結ぶ。

 7月26日 イギリス公使オールコック、外国人で初めて富士山に登る。

 8月17日 長崎に西洋式の病院(養生所)が設立される。院長は松本良順、教授にポンぺが就任。

 8月28日 江戸幕府、大風雨による、江戸市中での材木その他の価格高騰を及び所職人の賃金引き上げを禁止する。

11月 1日 幕府、和宮内親王降嫁を発表。

11月 6日 外国奉行堀織部正、プロシアとの交渉に苦慮して自殺。

11月 9日 火災で焼失した江戸城本丸を復元。

11月21日 幕府、外国人襲撃計画の風聞により、外国使臣館と横浜運上所を警備。

12月 5日 米国公使館通訳のヒュースケン、中ノ橋付近で襲撃される。

12月 6日 ヒュースケン死亡。各国外交官は、危険を考慮し江戸を離れる。

12月13日 江戸八丁堀から築地にかけて大火。

12月19日 戯作者暁鐘成獄死。

  この年、五稜郭完成。

 

1861年 万延2年・文久元年

 

 1月21日 幕府が安全を保障する条件を呑んだ為、各国外交官が江戸に戻る。

 2月 3日 ロシア軍艦ポサドニック、占領を目的として対馬に来航。

 2月 4日 ポサドニックの兵士、芋崎に上陸し占拠。

 2月19日 文久と改元。

 2月 幕府、物価高騰により貧民に施米。

 3月 5日 歌川国芳死去。

 3月23日 徳川家茂、江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港の7ヶ年延期を求める親書をオランダ・ロシア・フランスに送る。

 3月25日 幕府の肥前飽之浦製鉄所が完成。

 3月28日 長州藩士長井雅楽、藩主に公武合体海外進出の「航海遠略策」を建言。

 4月 5日 伊予新谷藩火薬製造場で爆発、9人が死亡。

 4月12日 ポサドニックの兵士、対馬大船越瀬戸で住民と衝突する。住民松村安五郎射殺される。

 4月28日 函館奉行支配調役水野正太夫ら、貿易や国勢調査のため、ニコラエフスクへ派遣される。

 5月 7日 小栗忠順、対馬問題の対応で対馬に到着するが、解決示さず離島。

 5月10日 シーボルト、幕府外事顧問。

 5月15日 A・W・ハンサード、日本初の英字新聞The Nagasaki Shipping List and Advertiser」を創刊。

 5月15日 長井雅楽、上洛して「航海遠略策」を朝廷に建白。

 5月27日 ポサドニック艦長ビリレフ、対馬藩主と会見。

 5月28日 品川東禅寺に置かれたイギリス公使館を浪士ら14人が襲撃。オリファントとモリソンが重傷。襲撃犯は3人が自殺。

 6月 1日 ポサドニック艦長ビリレフ、対馬藩に芋崎−昼ヶ浦間の土地租借を拒絶される。

 6月 2日 ロシア政教修道士ニコライ、箱館に到着。

 6月 3日 伊東玄朴、手術にクロロホルム麻酔を使う。

 6月19日 幕府、庶民の大船建造と外国商船購入を解禁し国内輸送使用を認める。

 7月 1日 幕府、講武所の伝習生、軍艦乗込み方の洋服着用と目的による一般市民の洋服着用を認める。

 7月 9日 老中安藤信正、英国公使オールコック東インド艦隊司令官ホープと会見し、対馬問題の解決を話し合う。

 7月20日 幕府、津・明石・薩摩・浜田・高田の各藩に、東海道、美濃・尾張・伊勢の諸河川の修理を命じる。

 7月23日 英国東インド艦隊ホープ司令官、軍艦2隻を率いて対馬に行き、ロシア軍艦ポサドニックに退去を要求。

 8月15日 ポサドニック、ロシア外相の命令で対馬を去り箱館へ向かう。

 8月25日 連絡に来航していたロシア軍艦オプリチニック、対馬を離れる。

 8月 江戸で武市半平太土佐勤王党を結成する。

 9月 5日 幕府、蕃書調所頭取勝義邦を講武所砲術師範役に任命。

10月20日 皇女和宮の一行が京を出発する。

10月28日 種痘所が幕府経営となり西洋医学所と改称。

11月13日 ヒュースケン事件で、彼の母親にメキシコ銀10000$を支払うことで解決する。

11月15日 和宮一行が江戸に到着する。

11月23日 ハンサード、横浜でジャパン・ヘラルドを創刊。

12月 2日 幕府蕃書調所翻訳の官板バタビヤ新聞発売。

12月 4日 外国奉行水野忠徳ら咸臨丸で小笠原諸島へ向かう。

12月11日 和宮、江戸城本丸に入る。

12月22日 幕府の遣欧使節が出発する。

12月 幕府、物価引上・暴利の禁止令を出す。

 

1862年 文久2年

 

 1月12日 極攘夷主義者大橋訥庵逮捕される。慶喜擁立運動に参加したため。

 1月15日 坂下門外で老中安藤信正が6人の武士に襲撃され重傷を負う。襲撃者は全員死亡。

 1月15日 久坂玄瑞坂本龍馬会合する。

 2月11日 徳川家茂と和宮内親王の婚儀が挙行される。

 3月 1日 市村座で2代目河竹新七の「白浪五人男」が初上演。

 3月24日 坂本龍馬沢村惣之丞と脱藩。

 3月28日 ハリス、リンカーン大統領の親書を徳川家茂に送る。

 4月 8日 開国論者の土佐藩参政吉田東洋、帰宅途中に那須信吾ら4人に暗殺される。

 4月16日 島津久光、藩兵1000人を率いて上洛し、幕政改革9ヶ条を提出。

 4月23日 伏見寺田屋で激発薩摩藩士と慰撫しに来た藩士が衝突、10人が死亡。

  この年の春、下岡蓮杖、横浜で写真館を開設。

 5月 9日 遣欧使節、対イギリスの開港・開市の延期を定めたロンドン覚書に調印。

 5月18日 蕃書調所が、神田一橋門外に移転し、洋学調所と改称する。

 5月29日 イギリス公使館東禅寺警備中の松本藩士伊東軍兵衛がイギリス兵を斬殺。

 6月10日 勅使大原重徳、一橋慶喜松平慶永登用の勅旨を将軍徳川家茂に伝える。

 6月11日 幕府、西周助・津田真一郎・榎本釜次郎・赤松大三郎・林研海・伊東玄朴らにオランダ留学を決定。

 7月 4日 幕府、諸藩に外国船購入の自由を認める。

 7月 6日 幕府、一橋慶喜将軍後見職に任命。

 7月 6日 長州藩、藩是を公武合体から尊皇攘夷へ変更。

 7月 9日 幕府、松平慶永政事総裁職に任命。

 7月19日 琉球官吏牧志朝忠自殺。

 7月20日 島田左近、田中新兵衛らの手で暗殺される。

 8月 2日 土佐藩士井上佐一郎、同藩攘夷派の手で扼殺される。

 8月 8日 長州清末藩士船越清蔵暗殺される。

 8月19日 遣欧使節、ロシアと開港・開市の延期を定めた約定書に調印。

 8月20日 朝廷、岩倉具視・千種有文・富小路敬直の蟄居・辞官・落飾処分を決定。

 8月21日 生麦村で、島津久光の行列を横切った英国人4人が藩士に斬りつけられ1人が死亡、2人が重傷を負う。

 8月27日 彦根藩政変により長野主膳処刑される。

 8月 アーネスト・サトウ来日。

閏8月 1日 幕府、松平容保京都守護職に任命。

閏8月20日 本間精一郎、岡田以蔵らに暗殺される。

閏8月22日 幕府、参勤交代を3年に1回に緩和し、大名妻子の帰国を認める。

閏8月22日 宇郷重国、岡田以蔵らに暗殺される。

閏8月30日 目明し猿の文吉、岡田以蔵らに暗殺される。

閏8月 横浜の「伊せ熊」で牛肉を煮た料理が売り出されはじめる。

 9月 1日 足軽・中間の帰農令が出される。

 9月 2日 フランス人カミュ殺害される。

 9月11日 西周助・津田真一郎・榎本釜次郎・赤松大三郎・林研海・伊東玄朴らオランダ留学生長崎を出発。

 9月18日 薩摩・長州・土佐の3藩、朝廷に幕府へ勅旨を派遣し攘夷を決行させるよう建言する。

 9月21日 朝儀、攘夷を決定する。

 9月23日 同心森孫六、大川原重蔵、渡辺金三郎、上田助之丞ら近江石部宿で暗殺される。

10月 9日 商人平野屋寿三郎と煎餅屋半兵衛、志士によって生き晒しにされる。

10月20日 万里小路家士小西直記暗殺される。

10月22日 一橋慶喜、開港の持論が容れられずとして、将軍後見職の辞表を提出。

10月24日 慶喜征夷大将軍の辞表を提出

10月27日 慶喜征夷大将軍の再任の御沙汰

10月27日 勅旨江戸に到着。

10月27日 彦根藩士宇津木六之丞、政変により処刑される。

11月 2日 幕府、攘夷の勅旨に従うことを決定。

11月15日 村山たか、志士の手で生き晒しにされる。

11月16日 村山たかの子多田帯刀暗殺される。

11月27日 勅使三条実美姉小路公知、攘夷督促勅書を幕府に伝達。

11月 上野彦馬、長崎に写真館を開設。

12月 5日 徳川家茂、勅使三条に攘夷決行と親兵編成について奉答書を上程する。

12月 9日 赤穂藩急進派15人、家老森主税ら3人を暗殺。

12月12日 品川御殿山に建設中のイギリス公使館が高杉晋作らによって焼き討ちされる。

12月18日 知恩院侍深尾式部暗殺される。

12月19日 横井小楠と吉田平之助、襲撃された吉田が死亡。

12月21日 塙次郎と加藤甲次郎、伊藤博文らの手で暗殺される。

12月22日 壬生藩家老鳥居志摩、急進派に暗殺され、鳥居千葉之允も自刃。

12月 幕府、陸軍奉行設置。

 

1863年 文久3年

 

 1月 5日 一橋慶喜入京。

 1月 8日 坂本龍馬の斡旋で高松太郎千屋寅之助望月亀弥太ら勝海舟門下となる。

 1月13日 勝海舟、大坂港から江戸へ向けて順動丸で出発。

 1月13日 高槻藩士宇野八郎暗殺される。

 1月13日 京東町奉行同心小寺仲蔵、仲間の暗殺に苦悩し自殺。

 1月14日 京の町役人村助、暗殺される。

 1月21日 長州藩士香川助蔵、暗殺される。

 1月22日 池内大学、大坂で暗殺される。

 1月28日 千種家雑掌賀川肇暗殺される。

 1月 グラバー邸完成する。

 2月 4日 清河八郎主宰による幕府直轄隊編成のための浪士の会合が行われる。

 2月 5日 鳥取藩士岡田星之助殺害される。

 2月 6日 長井雅楽自刃。

 2月 6日 洛南唐橋村庄屋宗助暗殺される。

 2月23日 足利三代木像梟首事件が起こる。

 2月23日 幕府浪士組234人が上洛。清河八郎は、攘夷のための組織化であることを表明。

 3月 4日 将軍徳川家茂、3000人を率いて入京。二条城に入る。

 3月 4日 対英危機の噂が広がり、江戸と横浜の市民が動揺する。

 3月 7日 将軍徳川家茂、御所に参内。

 3月 8日? 勝海舟、何者かに襲撃されるも、岡田以蔵に救われる。

 3月11日 天皇、賀茂下社・上社に行幸し、攘夷を祈願する。

 3月13日 江戸帰還に反対した浪士13人が京都守護職に属して治安組織「新撰組」を結成。

 3月16日 江戸火災で湯島天神全焼。

 3月18日 僧正惇暗殺される。

 3月24日 新撰組殿内義雄同僚の殺される。

 3月28日 横井暗殺に失敗した堤松左衛門自殺する。

 4月 6日 新撰組阿比留栄三郎暗殺される。

 4月 9日 浪人朽葉新吉、神戸六郎悪事を働いていたとして梟首。

 4月11日 天皇、石清水八幡宮に行幸し、攘夷を祈願する。

 4月13日 清河八郎、佐々木唯三郎らに暗殺される。

 4月13日 彦根家老木俣清左衛門家来大塚六郎、同新蔵、処刑される。

 4月20日 徳川家茂、攘夷期限を5月10日とする旨奉答する。

 4月22日 常栄寺住職祖溟西堂暗殺される。

 5月 8日 勤王商人深野孫兵衛暗殺される。

 5月 9日 老中格小笠原長行生麦事件の賠償金440000ドルをイギリス代理公使ニールに公布する。

 5月10日 長州藩、攘夷期限が来たとして、軍艦2隻で田ノ浦に停泊中のアメリカ商船ペムブロークを砲撃する。

 5月12日 長州藩士井上聞多・野村彌吉・伊藤俊輔・山尾庸三・遠藤謹助の5人が、留学のため横浜を出発する。

 5月16日 坂本龍馬横井小楠・三岡八郎・村田巳三郎会合。

 5月18日 幕府、英仏両軍の横浜駐屯を許可。

 5月20日 儒者家里慎太郎暗殺される。

 5月20日 姉小路公知、御所猿が辻で何者かに襲撃され、抵抗するも殺害される。

 5月23日 長州藩砲台、フランス軍艦キンシャンを砲撃。

 5月26日 姉小路暗殺事件で西町奉行所で取り調べを受けていた薩摩藩士田中新兵衛、取り調べ最中に自殺。

 5月26日 長州藩砲台、オランダ軍艦メデューサを砲撃。

 5月29日 肥前藩士中島名左衛門、暗殺される。

 6月 1日 長州藩、アメリカ軍艦ワイオミングと交戦し敗北する。

 6月 3日 江戸で大火。江戸城西丸にも類焼する。

 6月 5日 フランス東洋艦隊、長州藩砲台を攻撃し、陸戦隊を上陸させ前田・壇ノ浦両砲台を占領。

 6月 7日 高杉晋作、藩に奇兵隊編成を建白する。

 6月 8日 土佐藩、尊王攘夷派の上士平井収二郎・弘瀬健太・間崎哲馬に切腹を命じる。

 6月12日 長府藩医興膳昌蔵暗殺される。

 6月13日 将軍徳川家茂、江戸へ戻るため大坂港を出発。

 6月17日 杵築藩士小串邦太暗殺される。

 6月24日 長州藩兵、小倉藩田ノ浦を占領し、砲台を築いて、外国船攻撃を準備する。

 6月24日 長州で外国船水先案内をしていた重兵衛が何者かに殺害される。

 6月26日 徳島藩儒者安芸田面暗殺される。

 6月27日 イギリス艦隊、生麦事件の処分を求め、鹿児島湾に到着。

 7月 2日 イギリス艦隊と薩摩藩砲台群が交戦し、鹿児島市街が大きく焼失。一方英国艦隊も嵐の中の戦闘がうまくいかず死傷者を多数出す。

 7月 2日 浪人石塚岩雄、志士と称して金を強談した罪により処刑される。

 7月 4日 土佐藩尊王攘夷派の豊永伊佐馬、京で暗殺される。

 7月11日 元華頂宮家役人森田道意暗殺される。

 7月19日 徳大寺家用人滋賀右馬大允夫妻殺害される。

 7月23日 長州藩兵、下関港に来航した幕艦「朝陽丸」を砲撃。

 7月26日 奇兵隊、朝陽丸を占拠。

 7月26日 徳大寺家臣二条寛斎、熊本藩士上松巳八に襲われ、戦闘の末2人とも死亡。同日、東本願寺用人大藤幽叟も暗殺され、油商人八幡屋卯兵衛も交易利得を理由に殺される。

 8月 2日 大津豪商矢島藤五郎方に浪人50人が押し入り、主人以下8人を殺害する。

 8月 3日 但馬生野代官所元締手代の安福大次郎暗殺される。

 8月10日 新撰組佐伯又三郎、芹沢鴨の内命で佐々木愛次郎を斬るも、自らも芹沢一派に暗殺される。

 8月12日 西本願寺用人松井中務暗殺される。

 8月13日 攘夷親征の詔勅発布。

 8月13日 大和屋庄兵衛宅、芹沢鴨らによって焼き討ちされる。

 8月17日 吉村寅太郎ら、中山忠光を擁して天誅組を結成。

 8月17日 鳥取藩士河田佐久馬ら、藩内保守派の黒部権之助ら6人を殺害する。

 8月18日 早暁、薩摩藩と会津藩が天皇の許可を得て、御所を閉鎖し薩摩藩兵の軍事力でクーデターを起こす。長州藩、御所の警備を解かれ、攘夷親征も中止となる。

 8月18日 天誅組大和で挙兵。五条代官所を襲撃し5人を殺す。

 8月19日 長州派公卿7人、朝廷を離れ長州へ落ち延びる。

 8月19日 長州藩に派遣されていた幕使鈴木八五郎ら3人、長州藩士に殺害される。

 8月21日 長州藩に派遣されていた幕府正使中根市之丞ら5人も長州藩士に殺害される。

 8月26日 天誅組、高取城を攻めるが敗北。

 8月29日 洋書調所、開成所と改称。

 9月 1日 一橋慶喜、鎖港談判の着手勅命を受ける。

 9月 4日 幕府、天誅組討伐を決定。

 9月 5日 朝廷、親兵解散命令を出す。

 9月14日 老中水野忠精外国奉行竹内正雄ら、アメリカ公使とオランダ総領事に横浜鎖港を交渉。

 9月15日 アメリカオランダ両代表、横浜鎖港を拒否。

 9月 上旬、新撰組局長新見錦、近藤派によって自刃に追い込まれる。

 9月18日 新撰組局長芹沢鴨、近藤派に暗殺される。

 9月21日 土佐藩、土佐勤王党郷士の弾圧を開始、党首武市半平太らを逮捕。

 9月23日 井上聞多伊藤俊輔ら、ロンドンに到着。

 9月26日 江戸目黒三田村の幕府合薬製造所で爆発事故。死傷者70人以上。

 9月27日 鷲家口の戦闘で天誅組壊滅。中山忠光は長州藩大坂藩邸に逃亡。

 9月28日 薩摩、英国代理公使ニールと和平談判を開始。

10月12日 平野国臣ら沢宣嘉を擁して、但馬生野幕府代官所を襲撃する。

10月23日 一橋用人中根長十郎、急進派志士によって暗殺される。

10月28日 長州藩士坪井九右衛門、野山獄で処刑される。

10月29日 膳所藩家老村松猪右衛門、尊王攘夷派に襲われるも難を逃れる。

11月21日 25日にかけて大坂で大火。

11月28日 幕府、横浜鎖港談判のため、池田長発、河津祐邦らを遣欧使節として任命。

12月29日 幕府、スイスと修好通商条約を締結。

12月29日 横浜鎖港談判遣欧使節出発する。

12月30日 朝廷、一橋慶喜松平容保松平慶永・山内豊信・伊達宗城を朝議参与に命じる。

  この年、長崎英語伝習所を洋学所と改称する。


 

1864年 文久4年・元治元年

   

 1月13日 朝廷、島津久光を朝議参与に加える。

 1月15日 将軍徳川家茂、再度上洛。

 2月11日 幕府、毛利敬親を糾問し、長州藩討伐の準備を始める。

 2月16日 国学者伴林光平処刑。

 2月20日 元治に改元。

 2月20日 浦上の隠れキリシタン大浦天主堂を尋ね、信仰を表明する。

 2月28日 山内豊信、朝議参与を辞任。

 2月 播磨屋版元「大坂大火記録−名はなしの種」が無届けにより発禁。

 2月 長州藩義勇隊、周防別府浦に停泊中の薩摩船を外国交易の疑い有りとして襲撃して焼き払い、船主大谷氏を殺害。26日、大谷氏の首を大坂東本願寺に晒し、義勇隊士水井精一郎ら3人が自刃。

 3月 5日 長州藩処分が決定される。

 3月 9日 鎖港問題で対立した一橋慶喜松平慶永松平容保伊達宗城島津久光が辞任。朝議参与は瓦解。

 3月14日 江戸大火。

 3月15日 賀茂別雷社遷宮。

 3月22日 フランス公使レオン・ロッシュ着任。

 3月27日 水戸藩士藤田小四郎ら天狗党が筑波山で挙兵。

 3月 外国人サーカス団が横浜で公演。

 4月 4日 建仁寺の幸助、志士逮捕の協力をしたとして過激派に暗殺される。

 4月22日 江戸大火で中村・市村・守田座焼失。

 4月25日 英米仏蘭の公使、幕府に対して、下関通航と横浜鎖港についての共同覚書を通告する。

 5月 5日 画家冷泉為恭暗殺される。

 5月17日 鎖港談判遣欧使節、パリで輸入税率改正と下関通航についてフランスとの約定に調印する。

 5月20日 大坂西町奉行所与力内山彦次郎、新撰組に殺害される。

 5月21日 幕府、神戸海軍操練所を設置。勝海舟を軍艦奉行・海軍操練所総管とする。

 5月23日 空也堂の僧鴨誉暗殺される。

 6月 2日 今小路侍近田松之助、暗殺される。

 6月 3日 坊官今小路範成暗殺される。

 6月 5日 新撰組、古高俊太郎を逮捕し、続いて池田屋で会合中の攘夷派志士を襲撃する。吉田稔麿宮部鼎蔵ら死亡。桂小五郎は難を逃れる。

 6月14日 新島襄、脱藩して函館から密かにアメリカへ出発する。

 6月14日 三田聖坂下で松山藩主行列をアメリカ人らが横切り、同藩目付池田次郎左衛門が切腹する。

 6月18日 井上聞多伊藤俊輔、長州藩の危機により、藩を説得するため急遽帰国。

 6月25日 井上・伊藤の和平提案、長州藩重臣会議で否決される。

 6月28日 長州藩、外国船との戦闘を布告。

 6月 浜田彦蔵、岸田銀次郎ら「新聞誌」を創刊。

 7月 1日 富山藩家老山田嘉膳暗殺される。

 7月 7日 一橋慶喜、京の長州藩士に退去を命じる朝旨を提示するも効果なし。

 7月11日 佐久間象山河上彦斎らに暗殺される。

 7月18日 京都近郊に集結した長州藩軍勢4隊の内、福原越後隊・真木和泉隊が郊外から市内に向けて進軍を開始する。福原越後隊は丹波橋付近で敗北。

 7月18日 英米仏蘭4ヶ国連合艦隊、出撃を通告。

 7月19日 長州軍勢の、国司信濃隊・真木和泉隊が御所付近で薩摩・会津・桑名3軍と交戦。幹部が多数戦死し、後詰めの益田隊も含めて敗走。戦火で京都市内811町に渡る民家27511戸、土蔵1207棟、寺社253などが焼失。

 7月20日 平野国臣ら37人、戦火が迫っていたため急遽処刑される。

 7月21日 天皇、蛤御門の変に関し、長州追討の勅命を発する。天王山に残った真木和泉ら長州側17人自決。

 7月22日 横浜鎖港談判遣欧使節、成果なく帰国。使節代表の池田長発は鎖港の不可を建白。

 7月23日 池田長発、職務失敗により処分される。

 7月23日 水戸藩内でクーデターが起こり、保守派が台頭。失脚した武田耕雲斎ら天狗党に加わる。

 7月24日 幕府、パリ約定を破棄。また21藩に長州征伐の命を発する。

 8月 2日 幕府、長州藩征討令を35藩に命じる。

 8月 4日 英米仏蘭4ヶ国艦隊17隻、兵力5000が、下関を出撃。同日下関で火災、10日までに約5000軒が焼失する。

 8月 5日 4ヶ国艦隊17隻、砲撃を開始。

 8月 6日 4ヶ国の陸戦隊2000余人が上陸。砲台を占拠し破壊する。

 8月 8日 長州藩、高杉晋作を降伏使として4ヶ国艦隊に和議を申し入れる。

 8月11日 幕府、京・大坂の豪商14人に献金を命じる。

 8月14日 長州藩、4ヶ国艦隊と講和5ヶ条で和睦。

 9月 1日 参勤交代制度を旧に復す。

 9月 5日 土佐野根山に屯集した尊王攘夷派藩士23人が処刑される。

 9月 7日 4ヶ国の公使、前年の長州藩砲撃事件の賠償を幕府に求める。

 9月22日 幕府、前年の長州藩砲撃事件の賠償として3000000ドルの支払い、もしくは1港開港の条件に署名する。

10月11日 幕府、上洛無事終了祝に江戸市中の133541世帯に対し63000両を分配。

10月21日 毛利敬親、幕府への恭順・謝罪のため、藩内の諸隊に解散を諭示。

11月 5日 4ヶ国代表、横浜・長崎・箱館3港における外人居留地配分規則協定を締結。

11月10日 勝海舟、神戸海軍操練所を免職となる。

11月10日 幕府、ロッシュに横須賀製鉄所などの建設援助を求める。

11月11日 長州藩、3家老に自刃を命令。

11月15日 長州藩に亡命していた公卿中山忠光暗殺される。

11月16日 征長総督徳川慶恕、広島に到着する。

11月21日 外国奉行ら横浜居留地覚書21ヶ条に調印。

11月24日 土佐藩士中島与一郎、脱藩の途中で村民に追われ自刃する。

11月28日 土佐尊皇攘夷藩士田中衛吉、獄内で自殺。

12月 5日 長州藩、幕府に謝罪書を提出。

12月15日 歌川国貞死去。

12月16日 天狗党、加賀藩に降伏。

12月16日 高杉晋作伊藤俊輔ら率いる力士隊が、下関新地会所を襲撃。

12月18日 備中倉敷の豪商下津井屋吉左衛門、米の買い占めをしたとして奇兵隊士立石孫一郎に殺害される。

12月27日 征長総督徳川慶恕、征討軍撤兵を命令。

12月 徳之島犬田布村の農民が、圧政に反発して強訴を行う。

 

1865年 元治2年 慶応元年

 

 1月 2日 高杉晋作、馬関で挙兵する。

 1月 7日 高杉に呼応した太田市之進らの率いる御楯隊が小郡を占領し、山口へ進軍。

 1月 8日 土佐藩士大利鼎吉、大坂で新撰組と戦い死亡。

 1月15日 幕府、長州藩へ藩主親子の服罪で征討中止することを布告する。

 1月24日 大浦天主堂完成。

 1月29日 内戦状態の長州藩で中立派が台頭し、俗論党を更迭。

 1月29日 幕府、フランス公使に対し横須賀製鉄所建設約定書を交付。

 2月14日 久留米志士真木菊四郎暗殺される。

 2月22日 土佐の井原応輔ら6人、美作土居で郷民に賊と間違えられ自刃する。

 2月23日 新撰組山南敬助、組からの脱走に失敗して切腹する。

 2月28日 毛利敬親、藩是を一変させる。

 2月 天狗党の主要メンバー352人が処刑される。

 3月10日 幕府、英米仏蘭4ヶ国に下関開港不可を申し入れる。

 3月15日 長州藩諸隊再編成され、軍制改革が行われる。

 3月17日 毛利敬親、倒幕論を決定する。

 3月18日 神戸海軍操練所正式廃止。

 3月22日 薩摩藩士19人がイギリス留学のため、長崎を出発。

 3月23日 土佐藩士島村衛吉獄死。

 3月25日 長村郡平暗殺される。

 3月26日 京で大火。

 3月27日 幕府、物価引下令、買占め売惜しみ禁令を出す。

 3月29日 徳川家茂、長州藩再征討の将軍進発を布告する。

 3月 浜田彦造・岸田銀次郎・本間潜蔵ら、「新聞誌」を「海外新聞」として再創刊。

 4月 7日 慶応に改元。

 4月25日 幕府、軍制調査のため、柴田剛中らをフランスに派遣。

 5月 1日 坂本龍馬ら土佐脱藩者、鹿児島に入る。

 5月11日 土佐藩、岡本次郎を処刑。

 5月14日 伊勢神宮領内の異獣引き入れを禁止。

 5月16日 徳川家茂、江戸城を進発。

 5月22日 徳川家茂、参内して長州再征を奏上。

 5月24日 坂本龍馬、大宰府の三条実美を訪問し薩長同盟案を示す。

 5月25日 坂本龍馬東久世通禧と面会。

 5月27日 坂本龍馬、大宰府で五卿全員と面会。

 5月28日 長州藩、椋梨藤太を処刑。

 5月 桂小五郎、潜伏先から帰国。

閏5月 6日 坂本龍馬・土方久元と桂小五郎、下関で会合し、薩長同盟について話す。

閏5月10日 イギリス公使パークス、赴任する途中、下関で井上聞多桂小五郎らと会見。

閏5月11日 土佐藩、勤王党の武市半平太に切腹を命じ、岡田以蔵ら9人も処刑。

閏5月13日 大坂の商人志士藤井藍田獄死。

閏5月16日 西郷隆盛、下関に寄らず薩長同盟締結失敗。

閏5月 坂本龍馬ら長崎に亀山社中を興す。

 6月23日 ロッシュ、パリ万国博に幕府の参加を要請する。

 6月24日 坂本龍馬中岡慎太郎西郷隆盛と会合し再度薩長同盟について話し合う。

 6月27日 毛利敬親、領内士民に徹底抗戦令を発する。

 7月 2日 幕府、パリ万国博参加を決定。

 7月19日 中岡慎太郎・田中顕助、京都を離れ長州へ向かう。

 7月21日 井上聞多伊藤俊輔、銃器買い付けのため長崎に入る。

 7月27日 幕府のロシア留学生6人が箱館を出発する。

 7月27日 長州藩、幕府の藩主召還令及び支藩主召還令を拒否。

 7月28日 井上聞多伊藤俊輔鹿児島を訪問。

 8月14日 仏領事下僕の清国人を惨殺した小村幸八処刑される。

 8月24日 幕府横浜製鉄所完成。

 8月26日 薩摩藩士新納刑部と五代友厚ブリュッセルフランス人モンブランと貿易商社設立の契約を交わす。

 8月 井上聞多伊藤俊輔亀山社中の協力でグラバーから銃器を購入。

 8月 明石博高、医学研究会を結成。

 9月16日 英仏米蘭の公使、徳川家茂に条約の勅許、兵庫の先期開港の要請をするため、軍艦10隻で兵庫沖に来る。

 9月17日 針医矢野元隆、初のプロテスタント洗礼を受ける。

 9月21日 長州再征の勅許が降りる。

 9月27日 横須賀製鉄所起工。

10月 1日 将軍徳川家茂、朝廷に条約勅許と兵庫開港を願い出る。

10月 2日 将軍徳川家茂、将軍職の辞表を提出。

10月 5日 長崎・横浜・箱館の開港勅許が降りる。また幕府に対し条約改正の勅命が出される。

10月 6日 幕府、3港開港勅許と条約改正の勅命について、4ヶ国に通知する。

10月18日 井上聞多伊藤俊輔亀山社中の協力でグラバーから蒸気船ユニオン号を薩摩藩名義で購入、桜島丸条約を締結する。

10月23日 福岡藩で尊王攘夷派への大弾圧が始まる。

10月 西郷隆盛、兵を率いて上洛。

11月 7日 幕府、32藩に長州藩征討出兵令を出す。

11月20日 膳所藩で尊王攘夷派11人を処刑。

11月 薩摩藩使者として黒田了介ら長州へ赴く。

12月 3日 長州、薩摩、亀山社中で桜島丸改定条約締結。

12月12日 本所・浅草で大火。

12月27日 桂小五郎・黒田了介、京に赴くため三田尻を出発。

  この年幕府、直轄牧場の牛から牛乳を採取し一部を民間に販売。

 

1866年 慶応2年

 

 1月10日 坂本龍馬・三吉慎蔵・池内蔵太・新宮馬之助、上京するため下関を出発。

 1月14日 高島秋帆死去。

 1月14日 亀山社中近藤長次郎、英国密航計画に失敗し切腹。

 1月19日 坂本龍馬ら入京。

 1月21日 京で薩長極秘同盟締結。

 1月24日 坂本龍馬と三吉慎蔵、寺田屋で伏見奉行所の捕方に襲撃され負傷。

 2月 5日 坂本龍馬桂小五郎の手紙に同盟確認の裏書きをする。

 2月 6日 桂小五郎、山口に帰着し、藩主へ薩摩との提携について復命する。またこの日同盟裏書きを持った村田新八と川村与十郎が長州へ向かう。

 2月26日 幕府のロシア留学生、ペテルスブルグに到着。

 2月27日 乱暴を働いたフランス水兵を殺した鳶職亀吉が処刑される。

 2月28日 幕府、開港場への出稼ぎ、自由交易、商人の外国船購入を許可。

 3月10日 坂本龍馬と妻の龍、鹿児島に入る。

 3月13日 神職の高橋清臣と原田七郎、花山院家理擁立挙兵に失敗し自殺。

 3月16日 坂本夫妻、傷療養をかねて霧島一帯を遊行。

 4月 1日 新撰組7番隊組頭谷三十郎暗殺される。

 4月 7日 幕府、学術修業や貿易のための海外渡航を一般に開放する。

 4月15日 薩摩藩主島津忠義、書面で征長不可を解き、出兵を拒否。

 4月22日 幕府、大坂の商人から2525000両を献納させる。

 5月 2日 亀山社中の帆船ワイル・ウェフ号五島列島近海で沈没。12人が遭難。

 5月 3日 西宮で打ち壊しが始まる。

 5月11日 中岡慎太郎西郷隆盛に乾退助を紹介し会談。

 5月13日 幕府、英米仏蘭と改税約書12ヶ条に調印。

 5月23日 川崎で打ち壊し。

 5月28日 米価高騰により、この日以降江戸、大坂、兵庫で打ち壊しが頻発する。

 5月 高杉晋作、独断で小型蒸気船オテントサマ号(丙寅丸)をグラバーから購入。

 6月 7日 一橋慶喜、長州征討の勅許を奏請し、勅諚が降下。同日、幕府軍艦、周防大島を砲撃し続いて占領する。

 6月 8日 幕府、長州藩に宣戦布告

 6月 9日 大坂城の堀から長さ7尺5寸のとかげ状の怪物の死体が上がる。

 6月12日 高杉晋作、夜半丙寅丸で周防大島の幕府艦隊に奇襲攻撃を行う。

 6月13日 幕府軍、芸州口から長州藩領内に進撃。

 6月15日 周防大島の幕府軍、逆撃を受けて退却する。

 6月15日 陸奥信夫・伊達の両郡で170000人参加の大規模な一揆が起こる。

 6月16日 桜島丸、長州に入り乙丑丸と改称。

 6月17日 乙丑丸、小倉藩領門司浦と田ノ浦を砲撃し、長州軍逆上陸作戦を支援する。

 6月17日 パークス公使、鹿児島訪問。

 6月 根岸に洋式競馬場が作られる。

 6月 秩父・多摩地方の農民10000人が一揆を起こす。

 7月 2日 ロッシュ、兵庫沖で老中と会見し、軍艦買付けを約束する。

 7月18日 長州軍、浜田藩浜田城を攻め落とす。

 7月20日 徳川家茂、大坂城内で死去。

 7月30日 一橋慶喜、徳川宗家相続に奉られる。

 8月 1日 長州軍の攻勢で小倉城陥落。城主老中小笠原長行逃亡。小倉藩兵、八百屋町の獄につながれていた英彦山勤王僧6人を処刑する。

 8月 3日 鳥取藩医大谷準蔵、長州再征の不可を論じて切腹させられる。

 8月 4日 画家木下逸雲、海難事故に遭い死去。

 8月16日 徳川慶喜参内して、征長軍解散と諸藩召集を奏請して勅許を得る。

 8月18日 樺太国境確定談判のため、箱館奉行小出秀実らをロシアに派遣。

 8月20日 幕府、徳川家茂の喪を発する。

 8月21日 幕府へ征長停止の勅命が下る。

 9月 2日 勝義邦と広沢兵助が会見し、撤兵協議が成立。

 9月 3日 鳥取藩士高浜鉄之助、長州再征の不可を論じて切腹させられる。

 9月 4日 幕府征長軍撤兵開始。

 9月 8日 新撰組武田観柳斎暗殺される。

 9月12日 三条大橋の高札をめぐって土佐藩士と新撰組が戦闘し、土佐藩士安藤鎌次、藤崎吉五郎死亡。

 9月 留学生の榎本、赤松ら新造軍艦「開陽丸」で帰国。

 9月 パークス、賠償金の代わりとして8ヶ所の灯台設置を要求。

10月 1日 幕府、江戸市内と五街道に輸送馬車の使用を許可。

10月11日 豊後の医師志士長愛次郎獄死。

10月13日 幕府、諸国凶作と米価暴騰により、庶民の外国米輸入を許可する。

10月20日 横浜大火。

10月26日 中村敬宇・外山正一・菊池大麓・福沢英之助ら14人が英国留学のため出発する。

10月28日 亀山社中プロシア商人から帆船を購入し、大極丸と名付ける。

10月 福沢諭吉「西洋事情」出版。

11月 9日 江戸大火。

11月11日 幕府、窮民対策として施米と傭兵を布告する。

11月20日 講武所と陸軍所合併。

11月24日 新島襄、アメリカで洗礼を受ける。

11月28日 幕府、万国博覧会参加のため、徳川昭武らの派遣と留学を決定する。

12月 5日 徳川慶喜征夷大将軍となる。

12月 6日 幕府、浪人取締令を令達。

12月25日 孝明天皇崩御。

12月 前島密、徳川慶喜に「漢字御廃止之議」を建白。

 

1867年 慶応3年

 

 1月 3日 肥前大村藩家老針尾九左衛門、藩儒松林廉之助、暗殺される。

 1月 9日 睦仁親王践祚し、摂政に二条斉敬

 1月11日 徳川昭武ら遣欧特使出発。

 1月23日 幕府、長州征討解兵勅許を諸藩と長州藩に伝達。

 1月 ベーリー「萬国新聞紙」創刊。

 1月 大鳥圭介訳「手銃論」出版。

 1月 大洲藩士国島六左衛門、いろは丸購入の責任をとって自刃。

 2月18日 久留米志士渕上郁太郎暗殺される。

 2月22日 金光教の川手文治郎、白川家より布教を許される。

 2月25日 遣露使節、ペテルスブルグで樺太仮規則5ヶ条に調印。

 2月30日 大坂渡辺村の農民ら、幕府へ「穢多」の称の廃止を請願。

 2月 柳川春三「洋学指針・英語部」出版。

 3月 5日 慶喜、兵庫開港勅許奏請。

 3月 7日 遣欧特使、パリに到着。

 3月13日 広島藩士丹羽精蔵暗殺される。

 3月22日 慶喜、兵庫開港勅許再奏請。

 3月 西周、将軍にフランス語を教授。

 3月 豊後志士青木猛比古暗殺される。

 3月 福沢諭吉「雷銃操法」出版。

 4月14日 高杉晋作死去。

 4月23日 深夜、瀬戸内海で大洲藩気船いろは丸、紀州藩気船明光丸と衝突し、間もなく沈没。

 4月24日 幕府、外国総奉行を設置。

 4月 幕府、アメリカから「東艦」を購入。

 4月 亀山社中、土佐藩の援助を受ける形で「海援隊」となる。

 5月19日 越後村松藩、泉仙介ら尊王攘夷派7人を処刑する。

 5月21日 土佐の乾退助と中岡慎太郎、薩摩の小松帯刀西郷隆盛が京で会合し、倒幕挙兵の密約をかわす。

 5月24日 朝議、長州処分を寛大にすることと兵庫開港勅許を決定する。

 5月29日 五代友厚の仲介で、いろは丸事件の談判成立。

 5月 島津久光、磯に初の洋式機械紡績所を開設。

 5月 ヘボン「和英語林集成」の印刷が上海で完了する。

 6月 5日 幕府、大坂の豪商に商社の結成、兵庫開港資金拠出、貿易取締方を命じる。

 6月 6日 幕府、兵庫開港と江戸・大坂開市を12月7日と布告。

 6月 7日 長州藩士村岡伊助暗殺される。

 6月13日 長崎のキリスト教徒68人逮捕。

 6月13日 水戸藩士住谷寅之助暗殺される。

 6月14日 新撰組茨木司ら4人が暗殺される。

 6月15日 坂本龍馬、京に到着し、長岡謙吉に船中八策を起草させる。

 6月22日 京で薩土盟約成立。

 6月23日 佐々木三四郎・毛利恭助・中岡慎太郎坂本龍馬会合。

 6月25日 中岡慎太郎坂本龍馬岩倉具視と会見。

 7月 4日 後藤象二郎大政奉還建白進言のために土佐へ帰国の途につく。

 7月 6日 長崎丸山で英国水兵殺害事件が起こり海援隊に嫌疑がかかる。

 7月 8日 長崎で英国水兵を殺害した金子才吉が自刃するが、この時は彼が加害者とわからず。

 7月23日 天理教の中山秀司、吉田家より布教を許される。

 7月26日 西郷隆盛アーネスト・サトウと会見。

 7月28日 英国水兵殺害事件で、事件審問のため、佐々木三四郎ら大坂へ赴く。

 7月29日 陸援隊発足。

 8月 7日 パークスと後藤象二郎会見。

 8月14日 一橋家臣原市之進暗殺され、加害者の同藩士3人も自刃。

 8月18日 英国水兵殺害事件審問が始まる。

 8月 ええじゃないか踊りが流行し始める。

 8月 渡仏中の栗本鋤雲、アルプスに登山し植物を採集する。

 9月 3日 上田藩士赤松小三郎、中村半次郎に暗殺される。

 9月10日 英国水兵殺害事件で、海援隊の嫌疑が晴れる。

 9月14日 海援隊、丹後田辺藩と契約、同日ライフル1300挺購入。

 9月18日 長州と薩摩の両藩、倒幕挙兵の順序について約す。同日、芸州船震天丸、田辺藩士、海援隊士らと兵器を満載して長崎を出港。

 9月20日 震天丸下関入港。伊藤俊輔坂本龍馬と下関で会見し、薩・長・芸3藩連合出兵を説明する。菅野覚兵衛と陸奥陽之助、ライフルの一部を持って大坂へ向け陸行。

 9月23日 震天丸土佐浦戸に入港。

 9月25日 坂本龍馬、土佐藩重臣渡辺弥久馬・本山只一郎・森権次と会談。ライフルを土佐藩に売却。

 9月 ジャパン・タイムズ創刊。

10月 3日 土佐藩、藩主山内豊信の名で大政奉還徳川慶喜に建白。

10月 6日 大久保利通品川弥二郎岩倉具視・中御門経之ら王政復古の方略を謀議。

10月 9日 岩倉具視王政復古の意見書を密奏。

10月10日 坂本龍馬、永井尚志を訪問。

10月13日 倒幕の密勅が薩摩に、藩主官位復旧宣旨が長州藩にそれぞれ降下。

10月13日 徳川慶喜、在京40藩の重役を召して大政奉還を諮問する。

10月14日 徳川慶喜大政奉還を上奏。朝廷これを勅許する。

10月14日 長州藩に倒幕の密勅が下るが、大政奉還に先を越される。

10月17日 西郷隆盛鹿児島へ向かう。戸田雅楽、坂本龍馬らの起草した新官制擬定書を西郷に渡し、鹿児島まで同行。

10月17日 江戸に大政奉還が伝わる。

10月21日 朝廷、薩長に倒幕の猶予を命じる。

10月22日 朝廷、徳川慶喜に庶政を当分委任する。

10月22日 福知山藩家老飯田節、薩摩藩士と誤認され暗殺される。

10月24日 徳川慶喜、将軍の辞表を提出する。

10月28日 坂本龍馬、福井の村田巳三郎を訪問。

10月 柳川春三「西洋雑誌」創刊。

11月 1日 坂本龍馬松平春嶽と面会。

11月 2日 三岡八郎、坂本龍馬と会合。

11月 6日 野村望東尼死去。

11月12日 紀州藩急進派の田中善蔵、同藩士に暗殺される。

11月13日 島津忠義、兵を率い京へ向けて鹿児島を出発。

11月13日 京都町奉行ええじゃないかを禁止。

11月15日 坂本龍馬中岡慎太郎、京都近江屋で幕府見廻組隊士に襲撃され、坂本龍馬死亡。

11月17日 重傷を負っていた中岡慎太郎死亡。

11月18日 伊東甲子太郎、京油小路で新撰組に襲われ殺害される。直後に伊東派の新撰組脱退メンバーが駆けつけ新撰組と交戦し、さらに3人が死亡。

11月21日 後藤象二郎入京。

11月23日 西郷隆盛入京。

11月25日 萩藩家老毛利内匠、兵を率いて京に向けて三田尻港を出発。

11月26日 近藤勇、坂本・中岡暗殺について事情聴取される。

11月28日 幕府、ロシアと改税約書に調印。

11月 西周、徳川慶喜のために議題(憲法)草案を起草。

12月 2日 西郷隆盛大久保利通後藤象二郎王政復古を12月8日とする旨伝える。

12月 7日 西郷と大久保、王政復古を12月9日に変更。

12月 7日 兵庫開港と大坂開市。

12月 7日 海援隊士と陸援隊士、両隊長暗殺事件にからみ、紀州藩士三浦休太郎を襲撃、新撰組と闘争に及ぶ。

12月 9日 王政復古の大号令。幕府廃絶、総裁・議定・参与の設置が決定する。夜、小御所会議で、徳川慶喜の辞官納地が決定。

12月12日 勤王家村井政礼処刑される。

12月14日 王政復古を諸藩に布告。徳川慶喜、辞官納地を拒否し、事態は悪化。

12月16日 徳川慶喜、大坂城に英米仏蘭伊普6ヶ国の代表を招き、大政奉還王政復古の情勢について伝える。

12月18日 近藤勇、高台寺党に襲われて重傷を負う。

12月23日 江戸城二ノ丸焼失。

12月25日 三田薩摩藩邸が焼き討ちされ90人が死亡。

  この年、幕府は横浜に語学所を開設。

  この年、「万国新聞紙」創刊。

  この年、「倫敦新聞紙」創刊。

  この年、国産初の実用蒸気船(プロペラ推進)千代田型が建造される。




明治政府木戸孝允

王政復古の政変は、 慶応3年ー 2月 9 日に起こった。 ここで大活躍したのは、 公家の岩倉具視

あり、 薩摩藩士の西郷隆盛大久保利通らで、 木戸孝允はまだ長州の山囗に在って丶 討幕出兵の準

備に余念がなかった。 木戸が、 京都の維新政府から上京命令を受けたのが同月半ばで、 京都に入っ

たのは鳥羽・伏見の戦いも済んだ翌慶応4年正月 2 ー 日のこと、 2 5 日に徴士・総裁局顧問を拝命

した。 新政府の重鎮木戸孝允の門出である。 幾人かいる長州藩の政治家総代の一人の位置に木戸孝

允は立っていたのである。

その後は、 参与、 外国官房ひ矢口事丶 待詔院出仕、 参議 (3年6月~7年5月)、 特命全権割使、 文

部卿 (7年ー月~同年5月)、 兼内務卿、 再度の参議 (8年3月~9年3月)、 宮内省出仕、 内閣顧

問等を歴任したが、 その履歴は複雑だった。 つまり、 要職就任を周囲から懇請されても、 多く辞退

したり、 要職に渋々就任しても政治方針上の問題でしばしば辞意を表明したり、 政界引退を広めか

したり、 その出処進退は儘ならなかった。

維新の元勲、 薩摩派と共に政府の根幹を支える長州派の代表である木戸孝允の明治ー 0年間は、

政治の現状に対して不平不満が多く、 その行路は不安定で複雑だったのである。 木戸の出処進退が

複雑だった原因が何であったのか。 この問題を考察しながら、 初期明治政府の性格と政治家木戸の

個性を併せて究明する ことが本稿の課題である。

2 維新の目的と征韓論

(ー) 現実主義的目的合理主義者

衆知のように薩摩出身の西郷隆盛大久保利通、 そ して長州出身の木戸孝允は、 「維新の三傑

と併称される。 討幕運動から維新政府の樹立に甚大な功績があったための尊称である。 しかし、 こ

の三傑は、 政治家と しての資質 ・ 性格が三者三様に個性的で、 さ らに明治ー 0年間の経歴も個性的

で区々 (まちまち) だった。 西郷は、 戊辰戦争が終わったころから、 自分たちが創り出した維新政

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g。 高知大学学術研究報告 第44巻 (ー995年) 人文科学

府に満足できず、 廃藩置県断行から留守政府の一時期丶 政府を指導したが、 それ以外は政府から離

れた位置に立ち、 最終的には明治ー 0年の西南戦争で賊の汚名を着て自刃するに至る道を歩む。 他

方、 大久保と木戸とは、 時には反目 ・衝突しながらも一貫して危うい提携を持続して、 明治国家形

成の基礎確立に尽力した。 大久保と木戸との提携は、 薩長提携の象徴的重みを持っていたのである。

しかしながら、 薩摩出身政治家総代たる大久保利通が丶 殆ど終始一貫して政府の重職に就いて、

政府権力基盤の構築、 さ らには新国家建設の基盤構築に全身全霊を打ち込んで尽力したのに対して、

長州出身政治家総代たる木戸孝允の足跡は軒余曲折に富んでいだ。 大久保は、 木戸との提携断絶は

薩長提携の破綻を意味すると理解して、 不平・不満の多い木戸を極力立てて、 政府につな ぎ止める

こ とに多大の努力を傾注した。 木戸は自己を主張しつつも、 結果的には大久保を支持したのである。

と ころで、 歴史家徳富蘇峰は、 木戸孝允を 「理念的政治家」 (『近代日本国民史・明治三傑』 講談

社学術文庫版、 4 4 5頁) と性格規定した上で、 次のように解説している。 「木戸は決して単純な

る理念家ではない。 乾燥無味、 我が考えたる所を遮二無二押し付けるというがごとき狭陰なる理屈

屋ではない。 むしろ何れかと言えば世情に通じ、 人間味豊かな人物である。 しかも、 彼の頭脳は、

一面詩人的であると同時に、 また論理的であり、 理路整然、 条理分明、 始終一貫するの傾向がある。

従って丶 彼は国家の重大なる評定には、 欠くべからざる人であるが、 それを実行する責任者と して

は、 寧ろ不適任というても過言ではあるまい。 それは彼が余りに自説を主張し、 他と妥協するを好

まず、 また健康を害して丶 激務を執ることに甚だ困難であり、 且つ一面非常なる感情家であり、 そ

の感情の興奮するところ、 ややもすれば女性のヒステリーに類するが如きことさえ少な」 (同前書、

4 6 9~7 0頁) くなかった、 と。 そのうえで、 蘇峰は 「大久保は丶 自ら進んで、 或いは自ら好ん

で責任の衝に当たらんと欲したが、 木戸は出来る限り責任の街に立っことを回避した。 これは、 木

戸が責任感の希薄なるがためといわんより も、 余りに濃厚なるがためであったかも知れぬ」 (4 6

2頁) と比較した。

木戸孝允は、 政治行動の目的を何時も強く確認しつつ行動した。 幕末最終局面の木戸の政治目的

は、 外圧高揚に対処して、 乱れた朝幕関係の大義名分を正すにあった。 乱れた大義名分状況では外

圧対抗の国家的態勢がとれないと確信したからである。 明治期の彼の政治目的は、 世界の情勢

(「宇内之大勢」) を睨みながら、 欧米列国に並列することが出来る新国家の建設であった。 維新の

目的のキーワー ドは、 「宇内之大勢」 に追いつくであり、~換言すれば欧米列強の世界跳梁という新

しい時代情勢の中で 「皇国を維持する」 ことであった。 そのことはまた、 「世界万国と並立する」

とか、 「世界万国と対峙する」 という言葉で語られた。 しかし言うまでもなく、 この様な認識は、

時代の認識であって、 木戸にのみ特有のものでは勿論なかった。 しかし、 それにしてもこのキーワー

ドを原点と して木戸の政治発想は目的合理主義的に展開された。 そ して、 幕末動乱期に恩師吉田松

陰から実体験的に深く学んだ、 公明正大で 「誠意」 ある政治を常時目ざそう と心掛け、 なおかつ空

理空論に走る事なく、 政治・社会の現況を見据えながら発想を脚色する現実主義を同時に具えてい

て所に、 木戸の木戸たる所以があったといえるのである。 「理念的政治家」 の色彩は徳富蘇峰が指

摘したように強かったが、 単純な理念家ではなく、 明らかに暇な現実主義的目的合粧義者であっ

たg

木戸は、 「維新の目的」 (「維新之宏読」 「維新之皇読」) を先ず明確に認識しな く ては政治行動は

始ま らないと強調する。 例えば、 「版籍奉還の建言書案」 (『木戸文書』 8巻、 2 5頁) では、 次の

ように表現している く註ー)。 曰く 「抑一新之政たる無偏無私、 内は普く才能を登庸し、 専ら億兆

を安撫し、 外は世界各国と並立し、 以て邦家を在置富岳之安」 (2 5頁) と。 また、 同年ー ー 月の

「賞典様給与中止の建白書」 (同前書、 7 6~7頁) では、 「抑一新之御盛挙は、 内億兆 (国民の意)

をして安撫、 其処を得せしめ、 外世界万国と並立する之叡旨にして、 誠に前途之目的、 不容易。 一

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新之御盛挙は固より希有之御成業と誰も、 必 (華) 寛内国の事に係わり、 自今海外に関渉して、)為

将来不良事由を被為定候は、 真に至重至大、 未曾有之御事にして、 前途實に悠遠と奉存候。 今日内治之

艱難に際し、 挺身命、 報美麗家候は、 元々志士仁人之所不避に可有之、 就而は速に今後天下一致、 対

海外候而皇国之基本確定仕候事、 至切至要と奉存候」 と述べたが、 これな どは維新の目的表明の典

型的文型である。

3月 ー 4 日に天皇が公卿・諸侯以下百官百僚 (政府高官) を率いて天神地祇を祀り、 国是5箇条

を誓約した所謂 「五箇条の誓文」 に、 「旧来の胴習を破り天地の公道に基く べし」 (第4条)、 「知識

を世界に求め犬に皇基を振起すべ し」 (第5条) と有るのは、 先日まで破約接夷の急先鋒だった長

州藩のリ ーダーである木戸が特に深く関与した所である。

ところで、 明治期 ー 0年間の木戸の政治行動は、 明治4年ー ー月から6年7月までの米欧回覧の

一年半を中に挟んで、 目的を追求する方法論の面に大きな変化が認められるのである。 戊辰戦争

廃藩置県まで、 木戸は朝藩制的割拠体制の打破、 中央集権制の採用に当面の目的を設定して、 命

を懸けて運動した。 また、 この時期の木戸は丶 目的を目指すのにやや性急で、 「開明官僚」 の首領

の位置にあった感が深い (註2)。

と ころが、 米欧回覧から帰った後の木戸は丶 明らかに意識的に新国家建設に漸進主義を選択した。

そして、 当面の目標を立憲政治導入の基盤構築に設定して、 併せて国民教育と民力酒養の必要性を

極力主張したのである。

まず始めに、 明治初年における木戸孝允の征韓論から見て行こう。

(2) 木戸の征韓論

京都に到着して参与・総裁局顧問を拝命した翌月、 慶応4 (ー 8 6 8) 年2月、 木戸は朝廷に

「至正至公之心を以て七百年来之積弊を一変 し、 三百諸侯を して挙而其土地人民を還納せ しむべ し」

と建言した。 維新政府要人の中で、 木戸が初めて 「版籍奉還」 の必要を公言したのである (『木戸

松菊略伝』 2 0 5頁)。 「版籍奉還」 の構想は、 朝藩的寄り拠体制を打破して 「皇国の一致一定」 =

「朝廷政府への権力帰一」 =廃藩を目指す第一着手である く註3)。 また同月、 木戸は外交方針が開

国未ロ親に確定したからには丶 朝鮮に使節を派遣して新しい国交を樹立すべきであると建言したので

ある (同前書2 3 4頁)。 ~

しかし、 当時は戊辰戦争の最中で維新政府には、 木戸の二つの建言を取り上げる力量は無く、 一

般的状況は整っていなかった。 それどころか、 「版籍奉還の建言」 は外部に漏れて、 木戸は激しい

反感に晒され、 命まで狙われたのである。 三年後、 4年7 月 ー 4 日、 廃藩置県の話勅換発の日の

『日記』 に、 「余御一新の際、 諸藩京都