Hatena::ブログ(Diary)

イギリス文学・文化関係の本の紹介

2015-10-25

【スポーツ】フットボール・クラブは誰のもの?

16:57

日本でイングランドサッカー・クラブといえば、やっぱりこのクラブでしょうか。かつて香川選手も在籍したこともあり、日本で圧倒的な知名度を誇っているのはやっぱり「赤い悪魔」。

マンU 世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ

マンU 世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ

この本の副題は「世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ」。マンチェスターでは、「本当のマンチェスターのクラブはシティだけ」という人は今でも多いようだ。それは、オーナーの財力でもってすっかり強豪のビッグ・クラブになりながらも、今でもローカルな雰囲気を残している(悪く言うと「垢抜けない」)シティと比較すると、マンUマンチェスター・ユナイテッドの略称)はすっかりグローバルなクラブになってしまったことも関係しているのかもしれない。オールド・トラフォードのスタジアム併設のメガショップに行くと、イギリス人のガードマンに「ニイハオ」と挨拶され、「日本人なんですよ」と言うと、すまなそうに"I'm very sorry."と言われたことがある。確かに、マンUメガストアにはヨーロッパアジアからの観光客を含む多くの外国人客がいたが、街の中心地にあるシティのショップにはイギリス人らしきお客さんだけだったような記憶もある。これは、あきらかに、クラブの経営戦略の違いから生じたものであることが、本書を読めばよくわかる。

同様なことは、イングランドの他のクラブ、アーセナルとかチェルシースペインバルサレアル・マドリーなどの経営方針にも見て取れる。その地域や国内だけでなく、ワールドワイドにファン層を開拓していこうという強い意志を伺うことができる。「グローバルなファン層の開拓→ユニフォームなどのグッズ売り上げによる増収→補強費用への補填→有名選手の獲得→チームの強化→さらなるグローバルなファン層の開拓」というサイクルがうまくまわることにより、ビッグ・クラブとしての運営を維持しているのだ。彼らにとってフットボールはビジネスなのである。確かに資金繰りに苦しんで衰退していくクラブは多く、増収を図りながらチームを強化していくのがクラブの経営者の手腕なのではあるが、本書を読みながら、「やっぱり、それだけではないんじゃないの?」という疑問がどうしても生まれてくる。古い感覚なのだろうが、サッカーのもともとのクラブの理念は「ローカリズム」にあるのだから。

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"Support Your Local Club Not Sky Sports"というこのバナーは、現在、プレミア・リーグの放送権をほぼ独占している有料テレビを批判したものだが、この言葉にはいくつかのニュアンスが含まれている。ひとつは、莫大な放送権料にクラブの運営を頼るようになってしまい、お金の分配がクラブの強弱に偏り過ぎてしまうことで生じてしまっていることへの批判。それから、ケーブル・テレビが試合放送を独占することによって、合わせてチケット代の高騰が起こってしまう。では、スタジアムには行けないけどテレビで観ようかと思っても、高い視聴率が取れそうなビッグ・クラブの試合しか放送しておらず、地元のクラブよりも放送される頻度が高いビッグ・クラブのファンが増えるのは当たり前である(かつての巨人のことを想像するとわかりやすい)。さらに、ケーブル・テレビが放送権を独占しているため、テレビの地上波で観ることができない人たちさえもいる。つまり、自宅で無料でサッカーの試合を観ることさえできないのだ。こんな事情から起こったのが、先日のバイエルン・ミュンヘンのサポーターの抗議行動。これには試合相手のアーセナルのサポーターも賛同したとか。詳しくは以下のサイトを参照してください。(http://news.livedoor.com/article/image_detail/10731029/?img_id=9276520)。

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果たして、サッカーはグローバルなものなのか、ローカルなものなのか? 昨今の経済事情をなどを考えると、グローバル化をしていく方が変わりゆく現状にうまく適応していることはよくわかる。でも、やっぱりローカリズムこそがフットボールの魅力であり、あるべき姿なのではないかと思ってしまうのは、やっぱり古い人間だからだろうか。個人的には、スペインだと、バルサのようなグローバルなオールスター軍団よりも、アスレチック・ビルバオのようなクラブに肩入れしてしまう(バスク地方にあるアスレチック・ビルバオバスク人選手しか採用していない)。

マンUもかつては育成には定評のあるクラブであり、ベッカムなどが活躍していた頃までそれなりの骨太な魅力もあったが、現在のようなグローバルなスター軍団になってしまってからは、正直、そういう魅力はすっかりなくなってしまった。2年前、アジア・ツアーの一環で日産スタジアムにおいて横浜マリノスと対戦したが、結果は3−2で我らがマリノスの勝ち、ただ最優秀選手賞は大した活躍もしていない香川選手に与えられるという顛末で、スタジアムではブーイングどころか大きな失笑が起こるという、なんとも滑稽な事態も起こってしまうのだ。私もスタジアムにいたが、あまりのスポンサーの「大人の事情」ぶりに苦笑いをしてしまった。この件については香川選手自身のコメントがすべて。「あれは…すごくマリノスの方々に申し訳ない。真剣勝負の世界ですから。そこは日本の歴史(の浅さ)っていうのを感じます。そこに関しては自分自身、納得いっていない。真剣勝負の世界ですから、しっかりした判定ができてもいいんじゃないかなと思います。」

http://matome.naver.jp/odai/2137460220936021201

ということで、あまりマンUを好いてはいない人間が読むと、マンUが絶賛されればされるほど、あまのじゃく的に「本当にそうかいな?」と思ってしまうのであるが、良きにしろ悪しきにしろ、現在の日本のみならず世界のサッカー界が抱えている問題が浮き彫りになってくる。サッカーのファンなら考えてみなくてはいけない問題を提示してくれているのかもしれない。

いっきいっき 2016/09/24 16:24 あぶさん、こんにちは。いっきです。あぶさんと連絡を取りたいと思っているのですが、なかなかメールアドレスが見つからず、ここに書き込みをさせていただきます。私のメールアドレスは、現職場のプロフィールのところに掲載されております。もし、よろしかったら、連絡などが取れるようになれば、幸甚です。

2015-10-17

【スポーツ】フットボールにおけるダービー・マッチとは?

22:26

イギリスにおいて、かつては労働者階級のスポーツだったサッカーは、プレミア・リーグが作られ、莫大な放送権料が生じるようになってから、その環境は大きく変わったと言われている。また、いわゆるフーリガン問題が深刻化し、その対策に各クラブが積極的に取り組みようになって、スタジアムも安全な場所になっていく。多額の移籍金を用意することができるようになったことで、海外からも有名な選手がイギリスにやってくるようになり、騒動も起きなくなったスタジアムには女性や子どもの姿も見られるようになっていく。

そして、労働者階級の男性のものだったサッカーは、やがて階級や性別を超え、高騰するスタジアムのチケットが購入でき、ケーブルテレビ代を払うことができる人たちだけが観戦できるスポーツに変わっていく。環境が本質を変えてしまう好例。しかしながら、昔ながらの雰囲気が残るのがダービー・マッチ。この時ばかりは、スタジアムの雰囲気は昔ながらの熱気と殺気を帯びることになる。この本は、そんなイギリスダービー・マッチについてまとめたノンフィクション

英国のダービーマッチ

英国のダービーマッチ

取材されたのは、シェフィールド(Sheffield Wednesday vs. Sheffield United)、バーミンガム(Aston Villa vs. Birmingham City)、ノースロンドンArsenal vs. Tottenham)、マンチェスターMan United vs. Man City)、リヴァプール(Liverpool vs. Everton)、グラズゴー(Celtic vs. Rangers)、エジンバラ(Hearts vs. Hibernian)、タイン・アンド・ウィア(Newcastle vs. Sunderland)。もちろん、この他にも、クラブの強弱にかかわらず、各地域にはそれぞれのダービーが存在している。そして、試合が近づいてくるにつれて、スタジアムだけではなく、街全体が熱くなっていくのだ。

Jリーグにも「ダービー」を名乗るものがあり、例えば、横浜F・マリノス川崎フロンターレの試合は「神奈川ダービー」と呼ばれれることが多い。確かに、近場同士の戦いであり、ライバル意識からそれなりの盛り上がりを見せはするが、本書を読むと、これはやっぱり本物の「ダービー」ではないことがわかってくる。マリノス栗原勇蔵選手は次のようにコメントしている。「そもそもフロンターレのことをライバルだとは思っていない。F・マリノスフロンターレではサッカーの歴史が違うから。」サッカーにおける「ダービー」というのは、スポーツを超えた「歴史」が必要なのだ。

そのことは、本書の各章に置かれたエピグラフを読むだけでよくわかる。

「あえて言うならば、サンダーランドAFCを応援している人たちは、ニューカッスルFCよりも自分たちのほうが優れていると思っていて、ニューカッスルの人たちはサンダーランドよりも優秀だと思っている。サッカーはそのライバル意識を表現する最高の方法なんだ。」(「タイン・アンド・ウィア」の章)

「彼らは単にチームのために戦っているんじゃない。主義のために、そして応援してくれるみんなのためにプレイしているんだよ。」(「グラズゴー」の章)

そして、次の言葉が「ダービー」の意味合いを端的に表している。

「あの人にはハーツとハイブスの間にある緊張がちゃんとわかっていたとは思えない。二つのクラブはライバル関係にあって、もっと言えば憎みあっているんだ。」(「エジンバラ」の章)

イギリスの場合、地元のクラブは単なるスポーツの勝敗だけでなく、それぞれの地域の持っている歴史や信仰などのもっと大きなものを背負って、これまでずっと試合を戦かってきたのであり、そしてこれからも戦っていくのであろう。

このことはイギリスに限ったことではなく、ヨーロッパ各国に共通する感覚である。例えば、なぜ、バルサのファンはレアル・マドリーにあれほどのライバル意識を抱くのか。最近は、地域を超えて、いわゆるビッグ・クラブを応援する人たちも増えてきているのも事実であるが、しかし、それでも「ダービー・マッチ」だけは特別な存在であり続けるのではないか。それがヨーロッパサッカーの大きな魅力であることは確かであろう。

本書で紹介された以外にも、イングランドには百以上のローカル・ダービーがあるという。詳しくは、次のサイト参照のこと(http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/298050.html?pn=2)。サッカーが、いかに地域に根付いているかがよくわかる数字でである。個人的には、やっぱり、悪名高いロンドンの「ドッカーズ・ダービー」(ウェストハム vs. ミルウォール)を入れて欲しかった。

サッカーというスポーツの奥深さが伝わって本。

2015-10-04

【政治】【評伝】トニー・ブレアとは何者だったのか?

16:17

このところ、イギリスに関する授業の中でサッチャー首相について考える機会が多いのは、個人的に、彼女が行っていた政治の根本思想が現在の日本を考えるのにとても役に立つと言うか、知っておかないと、多くのことを見誤ってしまうように考えているからだ。彼女の評価は賛否両論、それぞれの立場によっていろいろではあるが、現代のイギリスだけではなく、世界のあり方についてついて考えるには避けて通ることはできないであろう。個人的には、諸々の点で尊敬するべきところは多いと思うが、やっぱり好きにはなれない。そもそも好きな政治家と言われても、なかなか名前が出てこない。

その例外は、やはりイギリスの元首相であるトニー・ブレア。理由をはっきり説明することはできないのだが、なぜだかずっと好意を抱くことのできる政治家であり続けている。彼は、首相の座を引いた2007年にカトリックに改宗したことでも大いに話題になった。

http://jp.reuters.com/article/2007/12/23/idJPJAPAN-29493020071223

今さらながらであるが、トニー・ブレア首相へと登りつめていく過程をドラマチックに描いた下記の本を読み直してみると、出版された当時には読み逃していたいくつかのことに気がついた。

決断するイギリス―ニューリーダーの誕生 (文春新書)

決断するイギリス―ニューリーダーの誕生 (文春新書)

クール・ブリタニア」をキャッチフレーズに、首相としてブレアが登場したとき、彼はなんと44歳であった。当時のアメリカクリントン大統領も「若さ」が売りであったが、伝統的で古い感じのイギリスの殻を打ち壊すような若々しく颯爽としたイメージが強かったことをよく覚えている。同時に、保守党との違いを打ち出すことで個性を発揮していた労働党のイメージも、彼が出ていたことで大きく変わったように見える。労働党というよりも、保守党労働党中間に位置するようなイメージ。それもまた、なんだか「新しく」見えた。結局、アメリカイラク戦争に巻き込まれるかたちで退陣に追い込まれてしまうのであるが、彼がやってきたことをたどっていくと、それらもまた、サッチャー首相と同様に多くの評価すべき功績もあるように思えてくる。

しかしながら、冷静になってみると、彼が打ち出した「新しいイギリス」というのは、もともとイギリスという国が持ち合わせた大きな特徴であったこともわかってくる。例えば、音楽の分野ではビートルズパンク・ロックを、ファッションではヴィヴィアン・ウェストウッドやオズワルドなど、現代美術ではダミアン・ハーストなどを生み出しており、「伝統的で保守的でありながら同時に斬新で奇抜な」というのは長くイギリスの伝統でもあったことがわかってくる。そうであれば、ブレアが登場したときに唱えた「クール・ブリタニア」というのは、ある意味で、イギリスのあり方のレッテルを貼り替えたものに過ぎないとも言える。結局、ブレアは、自分の売り出し方を含めたイメージ戦略に長けた政治であったことがわかってくる。ただ、これは、どの分野においても重要な資質であるが。

本書を読んで初めて知ったことがいくつかある。彼が決して裕福な家庭の出ではなく、むしろ複雑な背景をかかえていたこと。不勉強のため、フェティス・コレッジという名門校からオックスフォード大学に進学して…という経歴しか知らなかったので意外であった。また、彼が敬虔なクリスチャンであったことは知ってはいたが、どんなに忙しくとも、日曜日の礼拝を欠くことはなかったというエピソードを読むと印象が変わる。敬虔なクリスチャンであるイギリス労働党の党首というのも、矛盾をはらんだものであり、その点でもユニークである。

個人的に、ブレアに好感を抱き続けてきた理由は、彼が「ことば」を大事にする政治家であったこと、そして、バランス感覚を持ち合わせていた政治家であったことではないかと思っていることにあることがわかった。自分の政策を推し進めるために、一刀両断に反対意見を切り捨てることもなく、あるいは姑息な手段でもって出し抜くのでもなく、自分の考えをきちんと説明しようとする姿勢が感じられたことが大きかった。それだけに、退陣前、イラク戦争についてなんとか説明しようとする姿を見ているのが痛々しくもあったのだが。

政治家という存在のあり方について考えていくときに、マーガレット・サッチャートニー・ブレアというのは格好のモデルになるのではないかと改めて考えた。早めに彼の回想録も読んでみたい。

2015-09-24

【ブックガイド】&【料理】読書と食事の親密な関係

19:04

外国の小説を読んでいるとき、意外に困ってしまうのが登場人物が食事をする場面。食べ物というのは、書いている方も、想定している読者が知らないだろうと思わない限り、作品の中で詳しく説明されることもない。ちょっと考えてみるとすぐに納得できるが、当たり前のことは具体的に描写したりすることはない。例えば、日本の小説家が「目玉焼き」や「カレーライス」といった料理について、特別な意図がある場合を除いては、作品の中でわざわざ説明することはないだろう。なぜなら、日本語でその作品を読んでいる読者はみんな、説明などしなくても、「目玉焼き」も「カレーライス」もどういうものかがわかるからだ。

でも、これが自国以外の料理となると、こうスムーズにはいかなくなってしまう。先の例を引くと、日本の日常的な料理方法に馴染みがない人びとにとっては、「目玉焼き」と聞いたとき、もしかしたら「何かの動物の目玉を使った料理!?」と驚くかもしれないし、「カレーライス」と聞いて、おそらく日本風カレーライスのことをすぐに連想できる人は少ないだろう。たぶん、多くの人は、インドカレー料理のことを連想するような気がする。「スシ」とか「テンプラ」など、海外でも有名な日本料理について知っている人たちも、日常的に食されているものについては意外に知らないもの。同じことが日本で暮らす者にとっても言えそうだ。

そんなことを書いている私も次のような経験をした。イギリス小説によく出てくる料理に「〜・プディング」と呼ばれるものがある。例えば、ヨークシャー・プディング。「ヨークシャー」というのはイングランドの地域名ということはわかるが、いまいちどんな料理かわからないので辞書で調べてみると、「プディング(pudding)」は「1 [U][C]*1プディング, プリンプディング状の物. ▼日本のプリンはふつうcustard pudding. 」(『プログレッシブ英和中辞典』)とある。「プディング」という音から「プリン」を連想しそうだが、どうも日本語いう「プリン」とは違うらしいことはわかるものの、「プディング(状のもの)」といわれても、全くどういうものか想像がつかない。同じ辞書で「ヨークシャー・プディング」を調べてみると、「小麦粉に牛乳・卵黄などを加え, 肉汁をかけて焼いたもの」となっているが、これもいまひとつ具体的には想像できない。こういう場合、どんな料理かわからないまま読み進めても大きな支障はないことが多いのでそのままにしてまうのだが、何となく、釈然としない感じを抱きながら小説の先に進むことになる。

私の場合、初めて訪れたイギリスの食堂のメニューに「ヨークシャー・プディング」を見つけ、どんなものかと思いながら注文して出てきた料理は次のようなものだった(写真はそのときの料理ではなく、次のサイトから。https://www.homemadebyyou.co.uk/recipes/sides/giant-yorkshire-pudding)。

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要するに、温野菜や肉などを詰め物のようにいろいろと中に入れ込んだ料理で、パン代わりに食べてしまうもの。ある意味、器の代わりの役を果たしている。実物を目にして、初めてどういうものかわかったという経験がある。

個人的に、この「ヨークシャー・プディング」初体験のことを思い出したのは次の本を読んだから。

副題「主人公たちが食べた50の食事」にあるように、見開きの右ページに英米を中心とする世界各国の小説に出てくる食べ物を写真を載せ、左ページには食事の場面の引用と簡単な作者・作品紹介がされたもの。読んでいてすぐにわかる料理もあるが、たぶん、「ライス・プディング」や「ターキッシュ・ディライト」など、日本では馴染みのないが、写真で見ることができれば、「あ〜、こんなものか!」とわかりやすい。

読んでいて個人的に食べてみたいと思ったのは、『レベッカ』のクランペットトーストスコーンと真っ赤なベリー。それから、『太陽がいっぱい』のスパゲティ。反対に遠慮したいのは、やっぱりオリヴァーくんが食べさせられていたお粥。

小説から離れて、料理の写真集として眺めるだけでもとてもきれいで楽しくなるし、左ページの作品からの引用や下段のコラムなどを読めば、ちょっとしたブックガイドにもなる。お勧め。

*1:英

2015-09-17

【絵画】やっぱり猫が好き!?

12:28

私の知人にも猫好きの人は多く、「いかに猫が好きか」という話を直接に聞く機会はほとんどないものの、SNSなどの投稿にはしばしば強い猫愛を感じさせる写真の投稿やシェアを見かけることが多い。近所の野良猫の糞害との戦いに明け暮れている私でさえ、そういう写真を見ると、不本意ながら「かわいい!」と思うこともしばしば。糞争いの敵なのにかわいいと思うなんて、日和ってはダメだ、そんなことを考えながら読んだのが、イギリスの画家であるルイス・ウェインに関する、漱石の『我が輩は猫である』にも影響を与えたのかも、ということを紹介した次の本。

ルイス・ウェインは、19世紀末から20世紀初めにかけてイギリスアメリカで猫をはじめとする動物画の分野で活躍した画家。生涯について読んでみると、決して恵まれた環境にあった人ではなく、苦労しながら、波乱万丈とも言える人生を送った人であった。お父さんが亡くなった後は、妹5人を養うために得意の絵で生活費を稼ぐ必要があった。当時のヴィジュアルのマスメディアの代表格であった挿絵新聞『ロンドン・イラストレーティッド・ニューズ』の動物画などを担当した。また、自分の家に住み込んでいたガヴァネスと結婚したことで、家族と疎遠になった時期もあるという。

病気の妻を慰めるために飼った猫をモデルに絵を描いたことから、一連の猫画(猫をモデルにした絵画)が描かれていくことになった。そして、それはイギリスの人であれば誰でも目にしたことがあると言われるくらい広く愛されるようになったものの、現実的な経済感覚や野心がなく、相当数の絵、グリーティング・カードやポストーカードが売れたにもかかわらず、彼の生活は豊かなものにならなかったという。

不勉強なせいでウェインの名前は知らなかったが、確かにその作品は見たことがあった。中でも有名なのは、擬人化された猫たちで、これは猫の生態を描いたものではなく、「猫社会のホガース」とも言われたように、社会諷刺を目的としていることは明らか。本人も次のように言っている。

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「猫たちを使って、人間のさまざまな悪癖や、欠点や、情熱や、楽しみ、政治以外のあらゆるものを表現する。そして、私は、その絵が目的とする教訓を明らかにしたり、絵に語らせたい物語を飾ったりするために、欠陥を誇張し、特徴を強調し、題材を精一杯利用する権利を主張する。」(pp. 38-39)

ウェインの絵画は時期によって大きく変化していくが、晩年は、精神を病んで入院生活を強いられることになるが、それでも絵を描き続けた。その時期の絵には統合失調症の兆候を伺うことができるとしばしば指摘されているが、非常に特徴的である。どこかサイケデリック・アートを連想させるもので、個人的には諷刺画の頃よりもシュールさに深く惹かれるところがある。

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19世紀以降、イギリスでは読者層の拡大や印刷技術や進歩などもあり、挿絵つきの物語や小説などがたくさん書かれ出版されることになるが、ウェインのポストカードなどもその流れに入るものであろう。ただ、ウェインの描く猫たちは、いつの時代に書かれたものであっても、単にかわいいだけではなく、ある種の毒も含んでいることを感じ取りることができる。そういうところがイギリスの画家らしいところかもしれない。

そんなルイス・ウェインの作品をまとめて楽しむことのできる最適な入門書