知られざる日高の巨大な知識人「桑田衡平」

 17日に図書館で行われた歴史講演会(歴史散歩の会)で「桑田衡平の生涯」の話しを聴きました。講演者は北平沢の入江武男氏。6月に『幕末、明治初期の翻訳家 桑田衡平 思出草』という著書を頂き、読後の感想とお礼の手紙を出してありました。著者本人とお会いできる機会と思っての参加です。
 講演は本の記述の流れに沿って、パワーポイントを使って資料を示しながらの分かり易いお話しでした。パワーポイントを自在にお使いになることは意外感がありましたが、考えて見たら入江氏は技術者だから当然のことかと思いました。
 入江氏は、桑田衡平は外国の医書の翻訳をいち早く手がけ、日本の医療の進歩に貢献した人物で、その業績は福沢諭吉等の明治草創期に活躍した人物に匹敵するものと強調されていました。
 桑田衡平の翻訳はただ単なる翻訳ではなく、言葉を取り巻く周辺の事情や意味をも調査しその成果を取り込んだものだったらしい。医学者で翻訳家で、さらに、ここからは私の見解で入江氏も使っていない言葉だが、優れた編集者・出版者であったということです。
 入江氏の著書に拠ると、桑田衡平は自分の翻訳原稿を、自分で版木職人や後には活字工を雇って本を印刷・製本し販売したとのこと。それ故に利益はすべて自分に滞留し莫大な富を築いたようです。その富が、兄の高林謙三の発明の資金に回ったことも明らかにされています。
 本の感想を少し。

 『幕末、明治初期の翻訳家 桑田衡平 思出草』は、丹念に関係資料を読み解き、事実を発掘する姿勢に貫かれたノンフィクションです。「桑田衡平」という人物像が全体的に描かれており、優れた伝記を読んだ後の満足感を十分得られる作品です。
 私は「桑田衡平」についてはほとんど知識がありませんでした。製茶機械を発明した兄、高林謙三については、手近の資料に啓蒙的文章があり、最低限のことは知っていました。また日高町教育委員会が編纂した史跡・遺跡を調査した資料には、両者が兄弟であるという記述が、碑の解説として載っております。いずれにしても、私の知っていたことはその程度でしかありません。
 読み始めてすぐですが、私は驚愕の気持ちを伴いながら刺激的面白さに引き込まれました。桑田衡平・高林謙三兄弟の父母「忠吾」と「きく」という人物の生き方です。忠吾の強い精神力は生来のものかもしれませんが、それにしても、家、一族、郷、村の慣習に逆らえなかった時代に、一人の娘への思いを遂げるために金や地位の全てをなげうったことは驚くべき事です。
 思いを寄せられた娘「きく」についても同様です。忠吾と一緒になった後、貧困の中で勤勉に励みながら、子どもの将来について広い見識をもってあたり、羽ばたくことのきっかけをつくったことは、母として人間としての偉大さを感じます。
 衡平の知識・学問へのほとばしるような情熱と行動には、このような両親の素質を受け継いでいたのかもしれません。日高という土地から、このような知識と真理・真実を求める人材が生まれたことに非常に感動しました。
 艱難辛苦の中での桑田衡平の「知識・知ること」に忠実な生き方は、情報が溢れる中で自ら知識・真理を求めようとせず、大勢の先入観に埋没してしまう私たちに清清しい示唆を与えてくれます。
 日高にこのような偉大な知の源流があったことは、まだ良く知られていないようです。入江氏の著書によって、生涯が明らかになりました。図書館の入り口に兄の高林謙三の銅像が最近建立されました。弟の桑田衡平については、まず何よりも、市民が彼の生き方を知ることです。