池上彰氏が朝日新聞コラム復帰

1月30日、池上彰氏が朝日新聞のコラム「池上彰の新聞ななめ読み」に復帰しました。慰安婦記事の検証不十分という池上氏の朝日批判記事の掲載を拒否されたことに対して、その後の執筆を拒否してきました。
氏は、朝日新聞が掲載を拒否したのは、「日本の大企業にありがちな典型的な誤りを犯した」としています。池上氏は、それを「問題の先送り」だとし、積み上がる不良債権を見ながら、何もしないで処理を先送りしてきた日本の金融機関と同じだと言います。
どこかで読んだ記憶があります。新聞編集のデスク会議がただの顔合わせで意見が出たことがない、という中堅記者の発言を。私達の身近な所でも、周りを眺めながらその場のやっかいが起こらなければいい、という問題の先送りは結構見られます。組織が陥る病として先送りや無責任が3.11でもあれほど言われ、その主張を率先して先導してきた朝日新聞がそのものだったとは、そういう規範や倫理がわれわれの社会では身につかないものかと、がっくりきてしまいます。

お茶の水

議会関係のセミナーに参加するためにお茶の水へ行きました。快晴ながら寒風が吹きすさぶ日。聖橋からの風景は、順天堂大学の5棟の建物が連なることによって昔と大分変わりましたが、目を下に転じれば神田川の土手の木々と中央線の線路は変わりません。

セミナーの講師は、全国市議会議長会の調査広報部参事である廣瀬和彦氏。私達一議員の身分では、通常のルートすなわち議長会に電話して、何か問題の相談をしても話しを聞こうとしても聞けない方なのです。議長の配下にある事務局員でないと話しをしないシステムになっています。
議会運営や議員の発言についてのことは、本を読んでもなかなかスカッと分からないことが多く、法的な面、理論的な面、慣習的な面、政局的な面の切り分けが難しい。
自治法や議会規則の正確な理解に基づいていなかったり、私も含めて自分に引きつけての解釈であったり、多数派の数を頼んでの無理筋であったりと、いろいろです。講師は、全国の市議会から多数の事例の相談に乗っているわけで、この方だったら、明快な説明をしてくれるだろうから一度聞いておこう、というわけです。
講義は明快も明快、明快すぎるほどの名調子の話しで、機関銃のように(この形容が全くぴったりしています)言葉が打ち出されてきます。あまりの早い言葉の展開についていくのが大変ですが、そこは研修等で培われたのでしょうが、聞く側のことに配慮しての行きつ戻りつもあるので、最後はよく理解できたような感覚になります。
平等の上に立った少数意見に配慮した多数決の民主主義は、議員の言動について、重層的に制約を課しています。それを知らないと独りよがりになったり、多数の中に安住しての考えない行動になってしまいます。
それぞれの市町村の議会で議会改革がどの程度すすんでいるか、個々の議員の意識がどのようであるかによって事例の解釈も一様でないでしょうが、一つの基準的な話しを頭に入れたことで私の理解もすすみました。