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野良のかぜ 街のかぜ

2015-02-15

藻谷 vs 竹中論戦を見て――1年前の記録

以下は、『里山資本主義』の著者、藻谷浩介氏が出演した、平成26年1月2日のテレビ番組「朝まで生テレビ」を見た時の感想です。ブログにアップするつもりで書いたものだが、機会を逃してしまって1年が過ぎてしまった。著書『里山資本主義』の共著者のNHK井上恭介氏の講演を聴いて、出番がきた。日の目を浴びることになってよかった。

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 12月31日の深夜、というより元日の早朝というべきか、寝ようと思ってテレビを消す前にチャンネルを回した。これがいけないことであることは分かっているが、夜中はいい番組をやっていて見てしまうことがある。

田原総一郎の「朝まで生テレビ」をやっていました。しばらく立って見ていたのですが、椅子に浅く腰掛け、次は座り直しストーブを引き寄せ、本格的に見る態勢に入ってしまいました。

 2人の国会議員の他、記憶にある出演者は、次の各氏。

言わずと知れた小泉内閣の経済財政担当大臣竹中平蔵、男女共同参画経済評論家の勝間和代、ローソン社長の新浪剛史、年収300万円経済評論家の森永卓郎、日本総合研究所主席研究員でまちづくり評論家の藻谷浩介。

 話題はもっぱらアベノミクスに対する評価だった。全員の主張していることをキチンとフォローした訳ではないが、藻谷氏以外は、賛成派であろうという私の先入観でした。

 個々の政策では違いはあるかもしれない。例えば日銀によるマネー投入、消費税、TPP等です。しかし萎縮している市場に対してカネをジャブジャブ投下し、モノ経済を刺激して成長を起こしパイを大きくすれば全てうまくいくとする考えにおいては、藻谷氏の他の人は賛成ではないかと思う。

 藻谷氏は今までの論からして、単純な金融緩和と公共事業では日本はよくならないという考えのはず。日本全国のすべての市町村に行ったというほど、地域の実態に詳しい。急速に変化する高齢化と生産年齢に関する人口実態と地域の現場から発想する主張は、個別政策の改革のミックスです。司会の田原総一郎は竹中教授に非常に近い。

 さぁ、そうすると議論はどう展開するか。どの出席者もマスコミ上でのケンカには慣れていたり、一流ビジネスの最前線で論を磨いている人達である。特に、竹中教授と藻谷氏がどう主張を展開するか、ここが私が椅子を座り直しストーブを引き寄せた理由です。

 結論を先に言えば、藻谷氏が劣勢。劣勢もいいところ、完敗に近い。私は1時間くらい見てこの流れを見届けて寝てしまった。

 やはりというか、当然というか、テレビでの論戦は恐い。主張の正当性もさることながら言葉の選定と繰り出し方で勝敗が決してしまう。竹中教授は、小泉内閣の閣僚として与野党両方の議員から叩かれ続けた。それを蹴散らしながら普通の学者にはないディベート力を発揮することになった。

 学者としての理屈立てと単純・明快説明力にさらにこのディベート力が加わったら、よほど同等の力がないと渡り合えない。論の正当性はあまり問題ではない。さらに司会が竹中支持の田原総一郎となったら尚更だ。案の上の展開となってしまったが、藻谷氏が論戦“劣勢”となってしまった理由はいくつかあると思う。

 竹中氏は個別の政策や個々の現象には関心を示さないというか、全体の経済システムとその中の変数という観点で発言する。竹中氏は“ああ言えばこう言う”の間髪を入れずに言い返せる。堅固に構築された陣地からの体系思考で少しも崩れないから強い。一方、個別のケースとか影響とか現場の空気から発言する藻谷氏の話しは、現場に詳しいという自分の領域で話そうとするから、話しが複雑で分かりにくい。

 私自身も、聞いていてイライラ。もっと簡潔に話せよ、と何度思ったことだろう。戦場の状況判断を間違えるな、と藻谷氏に言いたいところだ。時間と紙面がいくらでもある場とテレビの瞬間、軽薄短小の場では当然、表現と言葉も違うはずです。そんなことは分かっているはずなのだが、結果は何も伝わってこない。発言するたびに、隣の勝間女史から背中越しに何度も論点外しを指摘されてしどろもどろ。陣地構築がなっていない、本当は多くの人が知りたい論点を提起しているのに、打って出てもことごとく竹中氏と同調者に打ち砕かれる。

 藻谷氏は竹中氏や自民党政権の経済改革手法に反対なのだが、その背景に金融・財政的従来の方法による単なる成長を追い求めることではダメだ、という考えがある。反または非成長の哲学や思想を語ることはいいが、それで国家の現実に動いているシステムを説得的に語ることは難しいのではないか。カネを湯水の如く溢れさせ、流れるぞ、さあ使おうぜ買おうぜ、に対抗するのであれば、相手の言葉をがっちりと受け止めた上での、我々に分かる簡潔な言葉を開発すべきです。そこから豊富な地域の観察や実態が臭ってくればいい。本当は国民の一定部分もそういう気持ちなのかもしれないのに、それを代弁する現実的な理屈がない。テレビを見ながら、藻谷氏には頑張って欲しいという思いを強くしました。

 それにしても、竹中氏の一部を捉えて全体のシステムに転換させるレトリックを操る能力といい、どこを動かせばどうなる、という全体説明の鮮やかさはダントツです。年収300万評論家の森永氏の懸念など歯牙にも掛けない。

 司会の田原総一郎氏はしきりに藻谷氏を指名し、発言をさせようとしていました。これは藻谷氏の反成長論を引き出そうとしているな、出たら竹中氏に振って竹中ロジックで木っ端みじんにやっつけようとしているな、と見ながら感じました。今の状況からして、“それを言ったらお終いよ”と内心思いながら見ていたが、藻谷氏はかろうじてとどまった感じ。

 それにしても竹中教授とテレビでガチンコ勝負が出来る人はいないのか。理論構成とディベート力で自信満々同士がやりあう番組をみたいものです。何時間でもいい、両者へとへとになるまでの論戦は面白いのでは。

 

2015-01-07

青学大の優勝の秘密がわかった!

昨日のテレビ朝日のニュースステーション。いつものごとく私はテレビを付けっぱなしなので、聞こうとしなくても耳に声は入ります。スポーツの時間になって「青山学院大学の活躍」という声が聞こえました。「おっ」と思って振り返って見ると、監督へのインタビューと練習風景が写っています。原監督の発言をメモしました。


――どんな選手が好みか、と問われて、

○胸が厚い、肺活量が多そうだから。

○マラソンの経験は重視しない、バネがいい、飛び跳ねる走り方をする。

○いい男、明るいやつ。

○質問した時、ハイ、ハイ言うだけではだめ。

○自分の意見を言う。言葉のキャッチボールができる子。


――練習方法を問われて、

○アップダウンをつけた練習コースをグラウンドの周囲に作った。

○毎月、チーム目標と個別目標を立てる、つまり目標管理(選手のノートには目標と達成手法及び反省などが)。

○目標管理ミーティングを4年生がリーダーで行う、これが一番重要(ミソコアと表した)。

○厳しいトレーニングをやっていく中で、やらされるのではなく、自分自身の思いで走らなければ無理。


――監督就任の思いとビジネスの経験から

○マラソン選手としての挫折の経験。

○営業マンとしてビジネスで成功。

○成功にもかかわらず、選手としての不完全燃焼を監督挑戦に転化。

○マラソンもビジネスも同じだ。


――監督選考の面接では数人いたが何を主張したか。

○マラソン、陸上部だけではだめ、大学自体も良い大学をめざし、相乗効果をめざすとアピール。

○計画的な育成・目標達成。

○10年で優勝を約束。


以上が、メモしたキーワードとフレーズを整理した内容です。

なるほど、納得です。突然、強くなったのではなかったのです。徐々に段階目標をクリアしつつ、なるべくしてなった、と言うべきか、優勝までの10年計画の目標達成でした。

先入観なき人材選定と、個々の能力開発を目標管理によって自主的、組織的両面から行うという科学的手法による優勝でした。そこには監督自身の経営理論と経験による考え方が反映していると思われます。それは、そのまま選手の社会能力と職業能力の訓練にもなっていました。正に「マラソンもビジネスも同じだ」です。

私の直感も当たりました。選手インタビューでの豊富な言葉遣いと表現力に注目したことです。「自分の意見を言える」ことを監督が重視したことは重要です。当たり前のようであって、これがいかに難しいか。しかも、スポーツに置いて前例と慣例の中に埋没しない選手を育成というのは、新鮮な感覚を覚えます。ここに、自分自身の思いで走るというモチベーションの確立が見えます。

表現能力の発露の背景には、これだけの計画の組織的実践があったわけです。また。経験を重視しない、という点も全く同感です。経験重視、前例重視という世間一般の価値観にとらわれない柔軟な人材への見方です。

スポーツの強化には、大学のブランド確立とCI戦略によって社会的、市場的価値を高める意図がありました。そういう中での監督選考。複数の候補の中から現監督を選考した眼力について、大学経営陣の判断は賞賛されるべきです。

ふと、思いました。10年という計画期間は、市政での総合計画と同じではないかということです。その中で各種計画の達成によって実現する生活環境と市民生活の向上。相当するのはインフラの計画ではないか。道路計画、区画整理による市街化計画、それにリンクする下水道計画など。原監督の言葉を借りると、目標管理による計画推進です。さて、日高市のそれらの計画をみるとどうなのか。

2015-01-04

青学大、強さの秘密?

今朝の新聞見出しです。

青学大、初の総合V 箱根駅伝 記憶的タイム…1面(朝日新聞、以下同)

青学大、ぶっちぎりV 故障減らす充実の肉体ケア……スポーツ面

脱サラ指揮官、11年目のV 青学大・原監督 退路断ち部再建……社会面

強さの秘密は、社会面の記事にありそうです。「自主性をもって取り組む」「立て直しに役立ったのは、陸上を離れて仕事をした10年間のサラリーマン生活」「駅伝もビジネスもいっしょ」「5人で始めた子会社を3年間で100人規模に育てた」「監督就任を打診され退社して退路を断った」「大学の理事長には10年で優勝争いをします」

こんな言葉が、記者の表現を通してですが、強さの秘密の背景らしい。なるほど、ビジネスの経験かと納得であるが、それでも腑に落ちないところはあります。

2012-02-07

図版の力

 6日の朝日新聞に「インフォグラフィックス 複雑な情報を分かりやすく」という記事が出ていました。私の問題意識と重なっていますが、これを著作物として流通させることには及んでいません。本当は情報としての流通が重要なのですが、情報へのアプローチの手法としては相当進んでいることが分かります。

 過去2回ほど、図版のことやテレビに出るフリップのことを書きました。工夫された分かりやすい情報が詰まったフリップ等の図(グラフィックス)が何らかの手段で使えればいい、流通すればいい、ということです。またそういう図版の価値を評価すべきということでした。

 流通まではいかないが、見えにくい情報を分かりやすい形にするグラフィックデザインとして、専門的な分野があることが分かりました。日本タイポグラフィ年鑑で優秀作品が表彰が行われ、経産省も支援しているとのこと。

 インフォグラフィックスとは、インフォメーションとグラフィックスを掛け合わせた言葉で、

 「新聞や雑誌で事件現場の詳しい様子や経済統計などを伝える手段として発達した、表やグラフ、イラスト、チャート、地図、ピクトグラム(絵文字のサイン)などがあり、組み合わせることも多い」。

 こういうことに関心があるのは、自分のルーツに突き当たるからです。

 小学校3年のころ、『児童図鑑』という本(確か平凡社だったと思う)を買ってもらって、いつもそれを模写したりしました。その図鑑は、精密イラスト図鑑ともいえるもので、日本と世界の事情をカラー図版(全体ではなかったが)で表したものでした。その本によっていろいろなことへの関心が生まれたような気がします。

 日本タイポグラフィ年鑑で「東日本大震災の被害」という作品がグランプリを受賞したデザイナーの言葉。

 「知っているつもりのものを<未知化>していく視点。できるだけ少ない整理された情報を使って、結果として『もっとわかりたい』という主体的な能動性をどれだけ引き出すかが肝要です」

 全く同感です。デジタル化されても、情報を取捨選択して組み立てる力を磨くことについては変わらないと思います。図を書くことが教育でもっと重視されていい、とも思います。

 

 

 

 

2012-02-06

「プロメテウスの罠」

 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」は、福島原発事故発生時の総理官邸での対応を検証する記事です。35回を数えた連載は今日で終わりました。

 3.11以降の福島原発事故への対応が時間軸に沿って再現されていきました。総理官邸、東電、原発の現場の主要3カ所を中心に関係する方面の動向も含めて、関係者の言動が明らかにされていく。実名での報道ですから、面談しての取材で、しかも当人も名前を出すことを了承しての記事です。

 ノンフィクションは、書き手によって“あたかも見てきたように”再現されてしまう恐れがあります。ノンと言っても、その辺の警戒感を持って読まなければなりませんが、記者の地の文章ではなく、今なお関わっている当事者や関わってきた人の証言を実名で報じることであれば真実性は相当高い、と見ていいのではないかと思う。

 総理大臣を中心とする官邸の情報取集と対策の姿は、事故と同時進行で報じられてきたし、一段落したころから分析を加えて実態が語られてきました。

 それらの情報は断片的で、大体、この種の情報の通例としては悪い局面を捉えて強調するというのが普通ですが、私の目のした記事もそうでした。メディアの特徴と性格によっては、もっと極端なのかもしれません。

 その結果、事故対策の最高司令部としての官邸の行動は危機管理能力に乏しく、責任者の管総理はリーダーとしての責任をはたせなかった――大雑把に言って、こんな感じではないかと思います。メディアによって作られた世間一般の印象というものは。

 私もそんなものかと思っていました。以前、官邸で首相の姿を間近に見た人間の談話を、同じ朝日新聞が報じていました。たしか、「管総理は怒鳴るばかりでリーダーとしての資質を欠いている」という内容。この記事はよく覚えています。

しかし、連載記事を読み終えての感想は、そういうことではなかったな、ということです。情報が上がってこないのに焦燥感を覚えるのは当然。多少の言動の荒さはあったでしょうが、あの破滅的事態への進行が進んでいる状態ではそれも当たり前。

 しかし、それよりも強烈な印象を残したのは、東電の対応です。情報が上がるか否かは設備を所有している東電の情報取集と伝達にかかっています。それが組織としての機能不全かつ人為的判断が加えられて、最高司令部の意思決定の材料欠如となって初動の対応を難しくしたように思えました。

 東電撤退に関して、社長は「過去は語らない」と口を閉ざしました。これは責任ある立場の人間の自己保全、組織延命への一つの姿であり、九州電力、オリンパスと連想が繋がれば日本の企業社会の風景です。

 新聞の取材の限界もあると思います。真実がどこにあるかは、私たち一般国民には分かりません。いずれ、明らかにされるでしょう。いま進行中の官民3つの福島原発事故を解明する調査委員会の報告が完成した時です。

 初動の情報が頭に刷り込まれて、そのままいってしまい固定化されてしまうことは日常よくあることです。そういえば、陸前高田で住民から聞いた話。屋外スピーカーから流れた災害放送は、津波の高さを6メートルと告げた。それが頭に残って非難が遅れ、実際に襲来した10メートル以上の津波に飲まれた。

 深夜のテレビで、スリーマイルとチェルノブイリの原発事故を振り返るドキュメントを放送していました。イギリスBBCのフィルムだったと思います。f:id:hideoyok:20120206124930j:image:w360:leftf:id:hideoyok:20120206124520j:image:w360:leftf:id:hideoyok:20120206124200j:image:w360:left

 滅多に見られない貴重な放送でした。原発が生み出す電力が生活の豊かさを生み出すイメージとして、見えない巨人を描いたテレビ宣伝が流されました。この巨人が3つの事故を経て地球を破壊するモンスターに変わったたのです。この破壊が人為の結果であることが、二つの原発の責任者への長いインタビューで明らかにされていきます。

 スリーマイルの責任者は、外部の評価にさらされない専門家集団にまかせて、市民(テロップには「市民」という言葉が出て、ナレーションもそう言いました)の監視を受けないことが原因であった、と話していました。チェルノブイリでも、専門家への警鐘が語られました。

 インタビューの内容は、福島原発事故の反省としてもそのまま通用することです。もちろん安全への手順と暴走防止への手段は、当時とは比較にならないくらい進歩しているでしょうが、本質は変わっていません。

 余りにも大きい問題で、どうこうすべきということは簡単に言えませんが、専門家という集団、独占的組織等に対する目を養うことは、案外、自分の周りの日常での出来事かな、と思います。