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野良のかぜ 街のかぜ

2012-07-28

50パーセント節電企業

 国会前の“デモ”からの帰途、地下鉄の国会議事堂前駅が閉鎖されていたので、溜池交差点を通って赤坂見附へ向かいました。溜池の交差点で、このビルだけがこの界隈で40年前と変わっていないなぁ、と角のコマツビルを見て思いました。大学生の時には確かあったはず。この近くに勤務していたときには、隣のビルの喫茶店でよく昼休みを過ごしていた。昔は屋上に黄色いブルドーザーが鎮座してたが、今はなくオブジェ風のものがあります。

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 さて今ここで書こうとするのは昔話ではない。先月のことです。

 コマツビルの前を通った時に、先月のいつだったか、NHKのクローズアップ現代で見た節電特集を思い出しました。あの特集では、「節電」と「コマツ」と「技術」、この3つの言葉が強力な接着剤でくっついたような感じで鮮明に記憶に残りました。

 あまりに印象が深かったものだから後でしっかりフォローしようと思ったくらいです。

 番組の中で、社長だったか担当の技術者だったかはっきりは覚えていないのだが、「我が社は○年度に節電50パーセントを実現させる」と明言していたのである。

 これには驚きました。節電に対しても電力の必要性に関しても、いつもゴチャゴチャと何でも反対の煮え切らない言葉を発している経団連の会長とは大違いだと。

また電力の不足で操業率が落ち短期的利益に影響し社長の椅子が危うくなることばかりを心配している一部上場企業の有名企業の有名社長の発言を聞いて、この程度の見通ししか持てないのかと。節電や原発への方針や態度は、困難に立ち向かうリーダーの試金石でもあることを強く感じました。

 コマツは、生産プロセスのあらゆる段階で、部品の一つ一つ、工程の一つ一つでエネルギー効率を見直し、また太陽光や地熱の自然エネルギーの使用や工場の各所で発生する排熱を利用したりと、全体の総計で50パーセント節電の実現を目指すという。

テレビで明言できるのは、達成できる自信があるからであろう。

 今までの生産条件を否定される環境を逆に革新のバネに利用し、時代と企業のミッションを同化させるのは簡単にはできないことであろう。古くはホンダが絶対に困難と言われたアメリカの大気汚染防止法をクリアするエンジンを開発して飛躍したことは、もう私は何度書いたか分からない。

 技術が革新を起こし利益を創造することは企業の理想の姿であり、結果として、その技術が社会の持続的発展を支えることになればいい。そういう推進力を作り出す技術者の努力に私はいつも敬意を払っています。

 コマツと言えば建設機械の世界的メーカーである。何かで読んだ記憶がある。この会社が作った建設機械は世界各国、ジャングルであろうとどこであろうとあらゆる所で使われています。うろ覚えですが、その全部の機械の稼働状況がGPSで把握されており、機械の調子や時間や燃費まで把握されているという。今の技術はそこまでできるんだと感心したことがあります。

 ところで、私自身もコマツに関しては思い出があります。

 一つは、三十数年前、まだ20代の時、公害関係のことで何度か取材に行ったことがありました。当時は、公害関係の法律が整い始めた時代で、産業関係も資材の無公害化が求められていました。

 特に大気汚染防止と重金属公害の防止は先進国の世界的課題で待ったなしの状況でした。鉛や水銀などの重金属はいろいろな産業資材に使われており、ブルトーザーなどの黄色塗料は黄鉛と言って鉛を主成分としており代替が求められていました。

 黄鉛は耐候性が強く建設機械の塗料としてはこれ以外に無いというくらいの性能がいい塗料でした。しかし当時は、黄色と赤色の重金属塗料を他の有機化合物等で代替することは難しい課題でした。この関係のことで話を聞きに行ったことがありました。しかし、程なくして化学業界で代替品が開発され現在の全ての無公害化につながりました。

 専門を公害、環境という社会的ミッションに重ね合わせての、技術者のたくさんの仕事の成果が私たちの生活を作っています。そういうことを思うと、技術者に敬意を払いたい。

 もう一つは、サクラです。サクラとコマツは関係なさそうですが、コマツのCSR(環境・社会活動)ホームページのトップに紹介されています。「日本花の会」として活動している公益財団法人で、1962年、当時のコマツ社長の河合良成氏によって創設されました。

 自社農場でサクラの苗木を生産し、全国の希望者に配布してサクラの名所づくりや公共の景観づくりに貢献してきました。私も娘が5歳の時、できたばかりの武蔵台小学校の殺風景を何とかしようと、桜の会に応募し30本くらいの苗木の提供を受けました。いま8本がグラウンドに残っています。

 また最近では、環境ボランティアの集まりであるソクラテスの会の記念行事として応募し、70本くらいの苗木の提供を受け、巾着田のログハウストイレ隣の駐車場周辺に植えました。

 コマツとのこういう過去の“接触”があるため、今回の節電への取り組みも私としては応援したい。何よりも原発事故が起こって露呈した社会的・経済的欠陥を維持・擁護することではなく、企業としてのフィールドから革新に立ち向かう姿が頼もしいと感じられる。

 原発再稼働抗議で国会前に出向いた帰りに通りかかった溜池のコマツビル。見上げながら昔のこと、今のことを思い出しました。

 

2012-07-27

脱・反・原発集会

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 金曜日の夜、首相官邸周辺で行われている反原発デモに行きました。もっと早く行きたくてジリジリしていたのだが、仕掛かりの仕事の最終決着のメドがつき、心置きなくの参加。お昼頃、別用で電話があった同僚の永沼大芳さんに話したら、連れて行ってくれとのこと。2人で出かけました。

 行くことについては2つの理由があります。

 私は40年前からの反原発である。かつて昭和30〜40年代、人類の生存と人間の尊厳と原子力の関係について沸騰する議論があり政治もそれをめぐって議論する時がありました。私はその時から原発論争に関心があっていろいろと読んできましたが、私の理解と感性と大げさに言えば生き方からすれば、どこからも原発に与するところは見えてこなかった。

 議論は結局、抹殺されてしまいした。産業的発展と経済利益だけを目指した産業界、その先兵となって新しく生み出された壮大な利権に食いついた政界、学問と技術の自己展開を目論んだ学会。

 産官学の共同戦線が成立するこの過程で、反原発を鎮め原発を推進させる膨大な予算が投下されました。マスコミは原発推進一色となって、原子力産業とそれを支える官民組織に鉄のカーテンが降り、学会も恩恵と利益に与ったのです。国民も便利さと快適さに酔いしれ、鉄のカーテンの向こう側の仕組みは、3.11という痛みを被るまで露呈しなかった。それどころか、同じような構造のタコツボは、知らないうちに身近な生活圏も含めて社会のあちこちに出来ていったように思います。

 それはなぜなのか。被爆という経験を持ちながらそれが国民の財産にならず、人類存続のための価値観を創れなかったのはなぜか。この理由は単純なものではないことは分かりますが、それを考える小さな火種を持ち続けることは必要だとずっと思ってきました。そういう火種を持っていた人々が大勢いたし、新たに宿した人々もいる、そのことを示しているデモの中に身を置くことは意義あることだと思いました。それが一つ。

 もう一つはデモのこと。かつてメーデーの動員デモに行ったことは何回かありましたが、特定のスローガンを掲げたデモには行ったことはなかった。一般人が特定のデモに行くことはむずかしい。そのテーマへの賛否もさることながら、結局、主催者団体への支持の問題があるからです。

 今回のデモは、今までのデモの概念にない特徴があるようです。自発的参加、特定の主催者団体がなく自然発生的運営組織、国民が目覚めた反・脱原発と再稼働反対の自然発生行動の自然拡大。特定の政治勢力では無く自発力の自己回転が大きくなった、等です。参加者もその辺のことはよく分かっていて気楽なイベント参加気分です。

 これは、明らかに今までとは異なる雰囲気です。テレビの国際ニュースを見て漠然と不思議に思っていました。特に環境など地球全体に関わるテーマの場合、欧米では多数の市民が参加するデモが行われます。背景に先鋭的環境団体があるということを考慮しても、環境や核に対する問題について日常の意識として持っているのではないか、ということです。

 だからドイツが突然、脱原発に回帰したのも、一朝一夕のことではなく、それが政治、市民社会のテーマとして国民に行き渡っていたからではないか。そうでなければ、あの原子炉、重電、電気製品等の世界的超巨大製造メーカーであるシーメンスまで原子力を企業方針から外すことなど出来ないはずです。

 3.11を機会に、我々も個々の小さな火種を育てることができるのか。そうしなければならない、と私は確信しています。それを実感することが二つ目の理由です。

 地下鉄の国会議事堂前駅から地上に出た途端に警察官の壁です。壁の一角に黄色いリボンや腕章を身につけたボランティアのメンバーが進行方向を指示しています。警察官の態度と口調も柔らかい、規制と進行方向の説明は丁寧です。

 歩き始めるとそれほどの群衆では無い。しかしあちこちの交差点で人の塊があります。警備によって人の流れがコントロールされ、列ではなく塊になっているらしい。

 国会正門前に近づくと、塊が集まって長大な列を形成しています。しかし、動かない。僅かな進行はあるが行進では無い。だれかが腕章ボランティアに聞いていました。なぜ動かないんだ、と。答えは、これはデモではない、あくまで皆さん個々人が意思表示のために集まったことによる列である、と。

 明らかに一人で来ている人が多い。子供連れの若い女性も多い。臆せず甲高い声で「再稼働ハンターイ」と声をあげている。3、4人のおばさん集団がたたく太鼓のリズムが何ともいい感じ! あれは何という太鼓か、和太鼓ではない。テレビカメラが簡易照明を従えながら、道路側の僅かな隙間を駆け抜けていく。

 歩道よりの道路を、反・脱原発、再稼働反対のステッカーを貼った乗用車や、荷台に横断幕を掲げたトラックなどがゆっくりと走っていき、車内から歩道の人々に声をかけていきます。自転車も何台か一人であるいは集団で通り過ぎ、国会を周回しているようです。

 8時近くなって、警察官が「ヨーセイコードーは間もなく終了します」と流し始めた。

 ヨーセイコードー? 何だ、それは? 「要請行動」ということらしい。これは、警備側も個々人の意思表示であってデモではないことを認識している、ということです。

 私たちは列から抜け出て正門前を通り帰途につきました。別の所にはまた大きな塊があり、人の流れが切れること無くあり、国会が意思表示の人々で“包囲”されていたことは確かです。

 

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2012-06-18

飯田氏山口知事選へ

  私も会員であるNPO法人「環境エネルギー政策研究所」の飯田哲也所長が山口県知事選挙に立候補を正式表明しました。橋下徹大阪市長の大阪維新の会の顧問は辞め、また支援も受けず無所属での出馬です。

 飯田氏は、エネルギー問題の専門家として、いまや日本いや世界的範囲で活動し、その発言が注目を浴びています。京都大学、東京大学の原子力専攻の大学院を卒業しており、技術的評価を踏まえた原発批判ができる数少ない専門家です。

 技術面からだけではありません。かつて研究者として過ごした「原子力ムラ」(飯田氏の言葉)の、日本の将来を危うくする危険な行動と思想に警鐘をならし、独自の民間活動を起こしました。

 民間活動家として脱原発への強い意思を表明しながらも、技術と組織の仕組みに合理的判断が下せる人間として、原発反対・推進両派の話し合いの必要性を強調してきました。このような立場からして、地方政治家に転身しなくても、自然エネルギーと原発の専門家として世界的スケールでの活躍が期待されていました。

 しかし、地域から社会を変えていこう、ドイツのような原発無依存社会をつくろうという行動への情熱が、氏を動かしたのだと思います。氏の本を読んでいても、発する言葉からそれは伝わってきます。自然エネルギーへのシフトを通じて日本社会を変えていこうというパラダイム変換を主張する新しい政治家の誕生です。

 社会構造を変えることに対して、どういう手段をとるのか。氏は従来から、原発の情報開示に関して、徹底的な公開と説明責任を主張してきました。この不足が原子力ムラの暴走を許し現在の状況を招いたことを、ムラの住人であったことの経験から強調しています。

 脱原発論争でもそうですが、情報公開と説明を尽くした上で、政策の可否を当事者で話し合おうという姿勢は明確だと思います。私も出席した、環境エネルギー政策研究所主催の長野県で開催されたシンポジウムでも、原発賛成派の学者が数人招かれていました。反対者と話し合うという考え方は、原発の最高レベルの専門家であり社会活動家としても行動してきた経験からのものだと思います。

 山口県でも、中国電力が瀬戸内海に面する上関町に建設予定の上関(かみのせき)原発をめぐって、立地の可否を問う事態が進行中です。これが最大の争点、パラダイム変換の第一歩として飯田氏の姿勢は明確です。

 しかし地方政治家としては原発だけではありません。地域の市民生活全体を与るわけです。脱原発から発せられる社会の仕組み転換の考え方は、立候補で打ち出された市民本位の一連の政策によく出ていると思います。情報公開と説明責任及び話合いという原発論争で示された飯田氏の姿勢は、地方政治全般で発揮されるはずです。

 私はこういう新しい政治家がどんどん出てくるべきだと思います。西も東も、いさましい強権を振りかざし打ち出の小づちで解決させようという地方政治家が大もてですが、こういうところに寄りかかるのではない政治です。日高市でも、こういう人材はいないか。

 以下、出馬の宣言を掲載します。

  ………………………………………………………………

 ――私、飯田哲也は、7月29日投開票の山口県知事選挙へ立候補することを決断いたしました。 山口県知事選挙への出馬について、この間、熟慮に熟慮を重ねてきましたが、やはり故郷 山口への想いは強く、今の立場を捨ててでも挑戦したいと思い至りました。

 皆様には、これまで明確なお答えができず、お騒がせしてしまったことをお詫び致します。 なぜ今、山口県知事選挙に出馬するのか、国の原子力・エネルギー政策の転換期ということ から、多くの方から疑問を投げかけられました。

 県知事という政治家よりも、これまでどおり、国も地方自治体も国際機関に対しても、 また政党や考え方を問わず、自由かつ独立の立場から政策提言し、その実践を助言した方が、 リスクが少ない上に効果的だという助言もいただきました。

 しかし私は、以下の理由から、この山口県知事選挙とその職に賭けることを決意しました。

 ? 311後にエネルギー政策を変える使命があり、中央政府が逆回転し始めた今だからこそ、 地域からの歴史的なダイナミズムを生みだしたいこと

 ? 故郷・山口は明治維新を生み出した地であり、立場・考えの違いを超えて、必ずや 県民のみなさんが私の信念に呼応して決起して下さると信じていること

 ? 日本中が閉塞感に覆われるなかで、故郷・山口から「脱官僚・脱中央・脱閉塞」による 開かれたデモクラシー改革を通じて、「ほんとうに豊かな21世紀の地域社会」を目指したいこと

 山口には、世界に誇るべき自然や歴史、文化があり、また山口県民に脈々と受け継がれた 「維新のDNA」は、この困難な時代を切り開いていく可能性を秘めています。

 私は、女性や若者が将来に希望を持てる、子を産み育てられる、ご年配の方々が安心して 住み続けることができる、すべての人に開かれた民主主義と世界水準の生涯教育を通じた 知識革命によって、21世紀型のほんとうに豊かな「持続可能な地域社会」を実現していきたい。

 明治維新を成し遂げた山口県民の「維新のDNA」と、世界中に広がるわたしの知識・経験 ・ネットワークを組み合わせて、山口から再び日本を変えていきたい。しかも今度は、 山口が福島を助けるための維新を興していきたいとの想いから、この度の出馬を決断いたしました。

  ………………………………………………………………

 私は、山口県民ではないが、氏を応援したい。

2012-06-10

自然エネルギー白書

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 ISEP(環境エネルギー政策研究所)から送られてきた『自然エネルギー白書2012』。いくら会員とは言え、約270ページの本が無料で送られてくるのは、環境再生保全機構という独立行政法人や大和証券の援助があったからだと思います。証券会社がこういう活動の支援者として堂々と名乗る時代になりました。

 環境エネルギー政策研究所によって編集された、日本で最も先進的内容を持った本です。

・第1章 国内外の自然エネルギーの概況

・第2章 国内の自然エネルギー政策

・第3章 これまでのトレンドと現況

・第4章 長期シナリオ

・第5章 地域別導入状況とポテンシャル

・第6章 提言とまとめ

 全体の方向付けを研究所が行い、各分野についての裏付けの解説を15人の筆者が行っています。

 全体の方向性とは「過去の2度の地球規模の原発事故が世界史を変えたという史実、日本にとって3度目の大規模な放射能汚染という大きな歴史の節目であることを踏まえれば、原子力・エネルギー政策は歴史的な転換期にあり、同時に原子力・エネルギー政策の転換から歴史が変わることも考えられます。この転換期にあって、これまでも、今後とも、原発にも化石燃料にも依存しない民主的で地域自立型の持続可能なエネルギー社会を実現していくことはますます重要になっています」(所長:飯田哲也氏)

 国の大方針の決定と同時に、これからは地方自治体による「民主的で地域自立型の持続可能なエネルギー社会」を目指す努力が必要な時代になってきました。

 大飯原発は再稼働になりました。

 「電力供給の約3割を担ってきた原発を止めてしまっては、日本の社会は立ち行かない。エネルギー安全保障の視点からも原発は重要な電源だ」「計画停電や突発的な停電が起きれば、日常生活や経済活動は大きく混乱する」(野田首相:朝日新聞)

 結局、福島原発事故による全国民の痛みを活かすことなく常識判断に落ち着き、いさましいことを言っていた地方政治家も折れて歴史的転換へのチャンスを失いました。あれこれ秤量することなく肝を据えてやったらいい時であったのに、です。

2012-04-28

木くず受入れ実証化試験の説明会

「岩手県からの木くず受入れに伴う実証試験の結果報告及び説明会」に出席しました。午前の部と午後の部の2回開催されましたが、午後の部に出席。午後2時、市役所301会議室。会場はほぼ満席だったような気がします。

 開会

 あいさつ

 議題 (1) 報告事項

 ・岩手県からの木くず受入れに伴う実証試験の結果について

 ・今後のスケジュール

 ・セメント製造工程について

 (2) 質疑応答

 行政側の出席者は、埼玉県が環境部副部長、資源循環課課長、副課長。日高市は、谷ケ崎副市長、岡村市民生活部長、関口環境課長。太平洋セメント製造部長。

 資料として、実証試験の結果以外に、大沢市長名で市民に出された、受入れに当たっては実証試験を行い安全性を確認したうえ市民に報告する、とした3月1日付文書と、災害廃棄物受け入れに関するQ&Aです。

 市役所玄関近くで反対者が配っていたビラを読むと、岩手県出所の木くずについても放射能汚染が危ないことが強調されている。いま汚染の専門家として最も著名な京都大学小出裕章氏は、最近出た本や講演でも汚染を強調している。

 日高市の受入れについては、木くず出所の明確性と汚染チェックによる安全性から、私は、今回の処理を可としました。現地処理が一番いいのが明らかだが、安全ながれき処理を共同して行うことで震災の重みを国民全体で担おうという思いと理解が必要です。

 説明会で私が注目したのは質疑です。環境的、技術的、行政対応等広範な質問が出ました。どの質問も突き詰めて議論していくと解明・解決点が見出せない難しいものだったと思います。県の答弁は繰り返しの域を出ず不十分さは否めなかったが、質問者の抑制で紛糾にまでは行かなかった。

 私が特に注目した質問がありました。それは、木くず処理を受け入れるという前提で、今まで被ってきたことへの我慢にさらに木くず処理のリスクを周辺住民が負うことについての行政の見解を問うものでした。

 私は“我慢”という言葉が出てきたのにはビックリしました。これほど太平洋セメントの粉じんに関しての直截な言葉を、それも周辺住民から聞いたことは初めてです。質問者は特に激しい表現で言ったわけではなく、むしろ抑えた言い方であったが、その内容は本質を衝いていると思えました。

 木くず処理そのものに関する質問ではなく、一つの事実を対比的に置くことで、隠されていた住民要望と太平洋セメントと行政の対応をあぶり出す表現の仕方に、私は只者ではない雰囲気を感じました。

 そういう問題がもしかしたらあるのではないかと確証もないまま思ってきたので、直截な表現での事実の出現に驚きました。質問をした人物と話してみたかったので、説明会が終わった後、玄関でその人を待ちました。私の狭い交友範囲のためかもしれないが、日高市で今まで出会ったことのないような面白みを感じさせる人だった。