MRJ、組み立て開始。

たとえば,中島飛行機が現役だったら。


 あるいは,川西航空機がヒコーキづくりの命脈を保っていたら。


 もちろん,仮定論ですし,実際にはGHQの方針によって,この仮定論は終戦直後の段階で否定されることになるわけです。しかし。国産のヒコーキを飛ばしたい,と思うひとたちは実際にいるわけです。そして,(ライセンス生産,という形では実際にヒコーキ製造を手掛けてはいるけれど)自分たちで設計したヒコーキをラインに乗せる,というところにまで漕ぎ着けたのが,三菱重工さんであり,三菱航空機さんであります。


 さて。今回もフットボールを離れまして,さらにはあまり扱っていない(という記憶のある)ヒコーキの話をレスポンスさんのニュース記事をもとに,ちょっと書いてみようと思います。


 三菱重工さん,そして飛行機さんが手掛けているのは,リージョナル・ジェットであります。ボーイングであったりエアバス・インダストリーが扱う機種,よりも小さな機種を作り始めているわけです。たとえば,ボンバルディアであったり,エンブラエルが得意とするマーケットであります。このマーケットで勝負しよう,というわけですね。なかなかに熾烈な競争が待っているだろうな,とは思います。ボンバルディアボーイング,そしてエアバスに次ぐポジションを得ていますし,エンブラエルも黙ってはいない。そんなマーケットに割って入るわけですから。


 とは言え,「ゼロから」航空機に参入するわけでもない,というのは忘れてもいけないのかな,と思います。そもそも,GHQによって航空機産業から閉め出された形ではありますが,中島の血統にある富士重工にしても,そして三菱にしてもボーイングボンバルディアなどの「主要なパートナー」としてのポジションを確立しています。「部分的な」技術については,決してゼロではないわけです。その「部分」をどのようにしてコーディネイトして,全体の完成度へと結び付けていくか,ということなのだろうな,と思います。


 ちょっとばかり脱線しますが。


 かつて三菱が手掛けた「零式」は,アメリカが対抗策として打ち出してきた「ヘルキャット」とは好対照な設計思想を持っていました。ひとつの側面では,パイロットの安全性を軽視している,という評価が成立しかねない設計思想ではありますが,反面で物理に正直な設計だとも言えます。その後,アメリカは「パワー」を追い求めてジェット戦闘機を手掛けていくものの,F−16ではどこか,「零式」を感じさせるような設計思想を持ち込んできている。歴史,という流れの中で不思議と見えてくるのが零式であって,そんな機体を手掛けたのが三菱なわけです。で,その三菱が再び自分たちで設計したヒコーキを飛ばそうとしている。ゼロを知らない私としても,すごく楽しみな話なのです。