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最果ての夜 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011年04月14日

蛹と繭のコンプレックス暴露大会



 劣等感という言葉は非常に立ち位置が曖昧に感じる。

 まー、よく言われていることではあるが、その人にとっての劣等感が人からみて劣等感じゃないなんてことはよくある。というかむしろありすぎるぐらいに。

 

 逆に自分が個性と感じている自分の特徴を、他人が『劣等感』として見なす場合もある。在りもしない劣等感がサンボやらマンボやらでダンスっちまってる光景を想像しては「なんという異国情緒」なんて思っている。

 

 ひとまず、現代人の心霊現象に対する認識と似たレベルで劣等感と向き合うことにしよう。




 目に見えないものと戦い続ける限り俗人だと言うのであれば、よろこんで俗人になるかも、しれない。

 戦え少年。圧迫感圧迫感。

 しかし、驚くことなかれ。

 自分が思う以上に、君は努力などしていないのだ。

2011年04月02日

飢えるということ。


 料理であれ作品であれ、その概念の内側には、単体で惹きつける「素材」があると思う。

 料理ではそれは字面通りの意味となるわけだが、作品では構成要素がそれにあたるのではないか。

 例えば『時間軸ループ』『一人称』『主人公の死』『性格に難のある女性の登場人物』。

 いずれも「素材」であり、構成要素と言い換えることができる。そしてこれらが組み合わさり作品となる。

 ここまでは確認。

 ここから先も確認。

 結局、こういった『素材』を作品内でどう扱われているのかと、『素材』に対する熟慮はイコールで結ばれないんだなという。

 ある人物が作品内でひどい扱いを受け凄惨な末路を辿ったとしても、製作者にその『人物』という『素材』への熟慮があるならば、物語は自然とその『素材』の扱いに何らかの意味を持たせているはずだ。

 断定思考が津波となって押し寄せてくる。そのテンプレート感。

 何はともあれ、突拍子もなく「世界の混迷の原因は、辿っていけばただの無垢な少女の可哀想な偶然でした」という「素材」を示したことは良かった。

 だが素材は生かされなかった。

 生かされなかったのだ。


 呪いが自分の視野を狭めているのは百も承知。

 だが、生かされなかった。

 それだけが悔やまれる。

2011年03月29日

音楽を見る


 音楽と文章の創作のプロセスが逆とかいう話をしてきた。そのときはアルコールも入ってるせいか「なるほどー」とか思ってたけど、よくよく考えると結局それも主観と主観の入り混じってジョグレス進化した超主観的な主観なんじゃないかとか思った。たった。

 

 歌を聴きながら文章を書くという行為は絶対にできない。歌詞が入ってくるせいでどうのこうのというのもあるけど、それ以前にもっと根本的な部分で飲まれてしまう感覚がある。

 だからって音楽が文章に対して上位存在であるとかんなことが言いたいわけではない。これ系の話題で何かよく上下関係を決めたがるベクトルがあるけど自戒の意味を込めて遠慮したい。

 

 作業用BGMという単語の凄まじい違和感。

 でも不思議と合う。意味に、というかその時の状況に。じゃあこの違和感はどっから発生してんだ。単純に視覚的な部分なのか。何にせよジャンル『作業用BGM』が自分の中で確立してしまっているのは割とちゃんと考えなきゃいけないことなのかも、とは。


 推敲怖い。

 推敲しないのも怖い。

 靄っぽい恐怖がある。

 敵対すべき自己が増えるからなのか。

 こうして記録することが、まずは一つ戦場に臨む前の身辺整理となるはず。

 遺書にならないように、慎重に進む。

2011年03月25日

難産


 産まれて形になった文章を眺める。

 どこか、違う気がする。

 奇形児

 こねている間、時間が止まる。

 自分と言う山の一角から切り出された、とでも言うべきか。

 これはもう、独立したものなのだ。

 産まれた瞬間。世に認識された瞬間。これは私だけのものじゃなくなる。

 人に読んでもらう文章とは、そういう切り離されたものなのか? じゃあ産まれた文章から私そのものを読み取るなんて難しくないか?

 論破。ロン。チートイ。

 

 何にせよ、道は長い。

 終わりもない。

 靄がかかっている。

 産まれてからが地獄とはよく言ったものだ。



  

2011年03月23日

脳内言語への意図的な離反


 すーぱー日本語うまくなりたい病。

 ここの新たな使い方に馴染むため、また少し物を置いてみる。



 私は脳内の言葉を『生き物』としても扱うし、『道具』としても扱っている。

 生き物故に言葉は生まれて死ぬ。勝手に這い回るし、他の言葉を食う。言うことも聞かなかったりする。生存本能がある。結びついて新たな言葉を産む。

 道具故に、使えば使うほど変わっていく。使いやすいものになっていく。

 早くも矛盾がある。

 でも道具だって生きているという言葉があったりするぐらいなんだから、逆転の発想で生きていると道具っていうのもできるんじゃないかなーとは思ってた。

 思うという言葉は汎用性が高い。「小学生が頻繁に作文で使う」とかいうテンプレートがあるぐらいにはその汎用性が保障されている。

 雑多である。

 

 その人の中で生きている言葉のステータスが見れたらいいのに。合わせて言葉を使うその人のステータスも見れたらすごい。

 

 イメージとして、石器がある。

 言葉Aをより固い言葉Bでガンガン殴って研ぎ澄ますという。

 言葉への態度を一つ抽象するとこうなる。

 

 連続性は断ち切りたくなる。前日参考。

 神の見えざる手みたいに、何時の間にか連続されている言葉は素敵。でも神じゃないので無理。

 

 言葉を配置するというイメージ。

 散々言葉を『使う』と表現しておいて、ここにきてやっぱり『使う』は違うんじゃないかとか思ってきた。いやこれでも努力しているんです、一貫性は重要ですものね。連続性と一貫性で勝手に住み分けしてるんです。


 何分練習が足りないものでした。

 でして。

 

 休憩終わり。