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最果ての夜 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013年10月27日

彼女と、【彼女】のすれ違い ―劇場版まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語感想 ※ネタバレ有―

 つらつらと思ったことを書いていくので見難いです。

 読者に向けて言葉を発している文体ですが読者=私自身を想定しています。

 

 新編は、私の解釈として

暁美ほむら鹿目まどかのすれ違いが浮き彫りになり、新たな神話的関係性を築くにまで至る物語」

 という形で一先ず決着をつけました。

 

 

 『すれ違い』とは何か?

 第一のすれ違いは、まどかほむらに抱いていた印象です。

 『私の最高の友達』とは、自分のために何度も何度も傷だらけになりながら泣いて苦しんで頑張ってくれたほむらに対するまどかの印象です。

 確かに、素晴らしい友情と献身だと思います。

 「誰かのために在る」ことを美しく思うまどかにとって、ほむらの存在はまさに理想(≒『最高』)でした。まどかだけではなく、多くの視聴者が「暁美ほむらはなんて気高い友情を持つものなのだろうか」と印象付けられたのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。

 

 ですがそれが間違いでした。

 すれ違いだったのです。

 まどかや、私のような視聴者は、この時点で大きな勘違いをさせられていました。

 暁美ほむらという少女は、まどかや私達視聴者が思うような献身的存在ではなかったのです。

 正確には、まどかに対して『のみ』献身的である存在であったということ。

 視聴者はあれだけテレビシリーズで「まどかさえ救えれば他はどうとでもなれ」というほむらを見てきたというのに、最終話の一幕で無意識に「暁美ほむらは気高い友情を持つ存在」という印象を肥大化させられていたのです。

 まどかもそれは同様であり「暁美ほむらは優しい人」「暁美ほむらは強い人」という印象を抱いた故に、彼女を残し、彼女の未来から呪いを消失させるために、『円環の理』を選択しました。その印象の全てに「※ただしまどか関連のみ」という要素が付きまとうことに気付かずに。

 まどかほむらに自己の理想である「献身的な存在」を投影してしまったことが、第一のすれ違いです。

 

 第二のすれ違いは、ほむらの望みとまどかの望みです。

 ほむらは最初からずっと「私の、たった一人の友達」のために行動していました。

 言い換えればまどか以外はどうでもいいのです。

 ですが、まどかはそうではありません。

 まどかの望みは「魔法少女(含むほむら)の祈りを無駄にしないこと」でした。

 まどか魔法少女の祈りを無駄にしないことがイコールほむらを救うことだと思っていたのです。

 そのために自分を犠牲にすることは正しいことだと思っていました。

 ですがほむらはそれを望んでいない。

 まどかが「自分を犠牲にして」「誰かを幸せにすること」を望んでいなかった。

 まどかが幸せでなければ他が幸せになることなんて意味がないのです。

 それが、二人の望みの致命的なすれ違いでした。


 テレビシリーズの終わりでほむらは、「たった一人の友達」が示した答えを尊重しようとします。

 彼女の「最高の友達」として、彼女の願った「祈りが無駄にならない世界」を守ろうとします。

 それが明確に言葉として発せられていることは、今更言うまでもないと思います。

 だから我々視聴者はそれを信じてしまった。

 ほむらは、「最高の友達」として、自分の祈りではなくまどかの祈りを尊重しようとしたのだ、と。

 

 しかし新編で、呪いを溜め込んだほむらが選んだのは「まどかが自分を犠牲にしない世界」を作ることでした。

 そのために今度は彼女が自身を悪魔へと堕とすことを選びました。

 ここまでの流れは、必然だったといえます。

 ほむら魔法少女であり、祈りを起点とし、その祈りを達成することを前提とする存在であるならば「まどかのために在る」という命題を果たさなければ矛盾してしまう。

 彼女はいつしか気付いてしまったのではないでしょうか。

 「まどかのために在る(=まどかの祈りを守る)ことは、まどかのためになるのか?」

 

 新編の劇中でほむらは、その気付きを肯定するまどかの本心を引きずり出すことに成功しました。

 積み重ねられたすれ違いは、あの瞬間に閾値に達したと言えます。


 何が言いたいのかといいますと、ほむらが悪魔となることは必然だったんだなということです。

 我々はテレビシリーズの頃からまどかほむらの間に存在する致命的なすれ違いを確かに提示されていました。

 ですが、それを、いつの間にか誤解させられていた、あるいは見失わされていた。

 新編で示されて初めて気付かされるという、この作品全体の構成の、何たる素晴らしさ。

 テレビシリーズ終了後からずっと「まどマギは完結している」と思い込んでいた私でしたが、まだ物語を動かしうる要素が隠れ潜んでいたんですね。

 新編はそれを私の前に劇的に現してくれました。

 今はただひたすらそれが凄いと、素晴らしいと、感動しています。


 新編の後は果たして存在するのか。

 今の私が言えるのは、在っても無くても、どちらでも許せるというところでしょうか。

 それを語るよりは早く2回目を見に行ったほうが良いのだろうなぁとは思っています。

 以上自分用の自分に訴えかけるメモでした。

パウロパウロ 2013/11/01 12:42 ほむらはまどか>>>その他なだけで、他の魔法少女達とも出来るなら仲良くしたいと思ってるのではないでしょうか?
なぜなら魔女化した世界では5人でヒーローしていて、更には杏子とさやか、マミとべべと孤独ではなくなっています。皆幸せな世界を望んでいたのも一つの真実です。
まどかだけ独占したい、他はいらないなら魔法少女コンビになっていたはずです。

higandou13higandou13 2013/11/01 20:54 言葉足りなかったのですが、「まどか以外どうでもいい」という文言は、非常時になるとまどかのために容赦なくまどか以外の仲間を切り捨てることが可能になるほむらのメンタリティを指しての意味でした。
仰るとおり、ほむらもまどかが無事である限りは仲間の生存を優先すると思います。
ただほむらの場合は、複数の要素を抱え込む複雑なメンタリティ(まどかの望みを叶えたいorまどかを独占したい)であるため、そこから行為に矛盾が発生することが多いと考えています。

popoipopoi 2013/12/26 22:24 はじめまして。

>非常時になるとまどかのために容赦なくまどか以外の仲間を切り捨てることが可能になるほむらのメンタリティ

ほむらは、そういう自分も自覚していて(そうせざるを得ない、力の足りなさも含めて)。
それら全部ひっくるめて、自分自身が、厭で。
結果として、「過去の自分を否定し、今度こそ、全員、助ける」というエゴ(「愛」)を貫き通して。
あの様な「改竄」(さやかも復活している)と、悪魔化に到ったと考えます。

ほむらのやらかしの、最大の問題は。
最大の動機は「まどかの為」でありながら、まどかの意思(選択・尊厳)を尊重しないばかりでなく(ですが、裏返せば、まどかもまた、まどかを助けたかったほむらの心情を、汲んであげていない)。
まどかの自己犠牲を否定したほむらが、今度は自分で自己犠牲をやらかした事、また、それは確実に、まどかの本意ではないであろうということです
更に考えますと、あの世界では、何らかの形で、ほむらの改竄の結果としての歪みが出るのでは。ナイトメアが出るとか。和子先生が(ry

2人の「すれ違い」は、2人とも同じ間違いをしでかした、という事でもあります。「賢者の贈り物」(by O・ヘンリー)ですね。

続編が有るならば、何らかの形で、まどかとほむらは、対立を経て、止揚に到らねばなりますまい。
TVシリーズのOPの描写(2人のまどか、「対峙」(?)するまどかとほむら)に繋がれば、美しいですね。

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