鳥手羽先の塩焼き、千切りキャベツ、レタスとトマトのサラダ
晴。
一日中家にいて原稿を書く。
夜、手紙を投函するために、つっかけででかけたら、思いの他寒くなかったので、そのままふらふらと散歩に出かける。
子供の手をひいて毎日毎日毎日通った幼稚園への道。大人の足で10分のところを2時間もかけて帰ったことのある道。うすぐらい道に、寄り道の時に必ず遊んだ飛び石が生えていて、泣きそうな気持ちになる。もうこの飛び石をあそぶ子を、ぼんやりと待っていることは、二度とない。あのときは毎日、めんどくさいなあ、早く大人になってくれないかなあ、と思ってたのに。
幼稚園を抜けて、夜の森へ続く道へ入っていく。マンションの灯が遠くに見える。どうして光を見ると、そこに吸い寄せられるような、ぼんやりしたあこがれが生まれてしまうんだろう。あの光のところまで飛んでいって、なにもかも終わりしてもいいような気がしてしまう。
ううん、まだ、終わりには、したくないけれど。
夜の、誰もいない道を歩きながら、つくづくわたしには、もう欲しいものなんかないなあ、と思う。
例えば、所有物としての家も車もいらない。なにもなにもいらない。
ほんの少し共感しあえるこころがひとつあれば、なにもいらない。
いつかほろんでしまう肉体だもの。
・だったならいいのになって言ったって時間はとうに鳥のようです 東 直子