『漂ふ椅子』批評会

「中部短歌」の大沢優子さんの第一歌集『漂ふ椅子』の批評会にパネリストとして参加しました。
佐伯裕子さん、堀田季何さん、黒瀬珂瀾さん(司会)とご一緒に。
抑制の効いた美しい歌の並ぶ歌集で、気持ちよく読めるが、一首の中で結論が出過ぎているのではないか、一作者としての独自性はどこにあるのか、などの意見が交わされました。


病院の樹幹のごとき暗がりを長く落ちゆくエレベーターは
腰掛ける人と椅子とに空隙のありて油彩の椅子は漂ふ
父となりし心あやふく抱へつつ青年川に魚を追ひたり          
九十年をへだて繋がる老人とみどりご見あふただ淡あはと
新しき雪のつもれば忘我の地また初めから生き直せと朝
深更の駅のベンチに男ゐて腕立て伏せなすするめのやうな


先週の澤村斉美さんの『夏鴉』のときにも、同じような問題提起がなされたのでした。どちらも私が誘導してしまったのかもしれませんが。
先日、投稿歌の選をしながら、事実の重みや素朴な人間のおもしろさの前に、頭で考えたことは迫力負けしてしまうことがあるなあ、と感じたこととも通じる問題ではないかと思う。
知的に構築された世界といえば、塚本邦雄作品。しかし彼の作品には、素朴さなど相手にしないような凄みがある。頭だけでつくっているようにみえて、掘り下げると、結局のところ事実の重みや人間性に触れているのかもしれない。


というわけで、2週連続で会合続きのハードな週末を越えることができました。
いよいよ3月も終わり。(えっ)
夜桜の下を歩きたくてしかたがない。