昔の日記を読んだ

2020年7月10日(金)に、歌人岡井隆さんが亡くなった。

それを知ったのは、7月11日(土)の午前中。友人がLINEで教えてくれたのが最初だった。ネットニュースで確認してしばらく呆然としていた。

「未来」の岡井先生の選歌欄に一〇年在籍していた。私の師匠です。でも、「未来」は二〇〇〇年末に退会してしまったので、ずっと申し訳ない気持ちがある。

結社に所属すること、そこをやめることの重さがよく分かっていなかったし、今も分かっていないのだけど、その後イベントや歌会などでご一緒しても岡井先生はおおらかに迎えて下さり、私が企画したイベントにもご参加下さり、ほんとうにありがたかったです。

Twitterにご冥福を伝える書き込みをしました。字が間違っていることにあとで気づいて、こんなときにも打ち間違える自分の愚かさに、しんそこ嫌になりつつ。

「短歌研究」から次の日までの追悼文を頼まれ、「東京新聞」と「共同通信」は電話でコメントを訊かれ、「文學界」から追悼文を依頼される。前述の通り、「未来」をやめているので申し訳なさがあるけれど、前述の通りその後も変わりなく接して下さった岡井先生との貴重な時間もありましたので、書きたいと思っている。

「短歌研究」の方は、次の日の午前中に仕上げて送信。

 

12日の午後は、穂村さん夫妻と田端の友人と、揮毫を展示してもらっている田端文士村記念館に行く約束をしていたので、予定通り午後2時に田端へ。

穂村さん夫妻とお会いするのは5ヶ月ぶり。みんなマスク。

ばったりと歌人の大西久美子さんにもお会いする。

文士村の学芸員の木口直子さんに丁寧に展示を説明してもらって、色々胸がいっぱいになる。

現在スポーツに関する展示をしていて、『いだてん』にも出てきた天狗倶楽部のユニフォームの実物がありました。

 

そして、昨日の7月13日は、何をしていたのかもうほとんど忘れている。

今日は、エリさんの歌集『スタンダード』書評を仕上げた。

 

追悼記事を書くこともあり、昔の日記を探したのだが、なんども引っ越しをしている私のパソコンからは見つけることができなかった。ネットを探したら、久美子姉さんが整理してくれていたページが見つかる。

http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/n_nikki_ichiran.htm

 

いろいろ忘れていたことがたくさん。95%は忘れている。

書き残しておくのって大事かも。

と思った私は、ひっそり書き続けようと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

久しぶりの日記(テスト)

はてなダイアリーを引き継いだはてなブログ

七年ぶり。

 

緊急事態宣言下の東京。

覚え書きを記していきたい。

なにしろ、いろいろなことを忘れていく。失っていく。

正しい判断が、自分はできているのか、し続けることができるのか、不安がある。

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

年があけて一週間以上も過ぎてしまいました。
へびが日向でひねもす昼寝をしていたように時が過ぎてゆきますが、今年もよい年になるようがんばりたいと思います。

年賀状用に描いて、しかし採用しなかった方のしまへびで、日記ではご挨拶をいたします。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。

夜、青山教室「短歌はじめました。」

今月の課題は、オノマトペを入れた歌。
生き生きとして楽しげな歌がそろいました。
意味のない言葉を盛り込むと、ともすれば幼くなってしまうけれど、意味のあったものの意味を解体して響きのみ残すと、言葉の響きが意味の記憶によってひっかけられる気がします。


穴埋め問題は、永井祐さんの『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark)より。
この歌集は12月16日に中野で批評会があるので、聞きに行く予定。



午後、六本木の俳優座へ。

来年4月に『とりつくしま』が俳優座によって舞台化される。そのプロモーションのために、演出家の眞鍋卓司さんと俳優座の応接室にて対談をした。
私が『とりつくしま』を書くきっかけ、そして眞鍋さんが『とりつくしま』を見つけ出してくれた経緯、舞台化することの意味、など。
一度舞台の上に生まれて消えた言葉は、時間が取り戻せないように、二度と現れない。誰かの記憶の底にその欠片がときどき残って、ときどき光ることは、あるかもしれないけれど。


とりつくしま係ととりつくしま(モノ)たちはどんなふうに表現されるのか、今から楽しみ。


higashinaoko2012-11-25

午後、アゴラ劇場へ。
赤刎千久子さんにお誘いいただき、劇団野の上の「東京アレルギー」観劇。
青森から出てきた三十代の女性の物語なのだけど、東京在住の人々がみな青森弁で話す。なので、意味が分からないところもあるけれども、青森弁の迫力に圧倒されてぐんぐんのめり込む。
おかしくて、どこか悲しい響きの青森弁で綴られる、孤独な生活が痛切。痛切で、悲惨なこともあるけれど、不思議に日々がおもしろい。


終演後、同じ芝居を観にきていた写真家の田中流さんと赤刎さんで、風がつめたくなってきた、アゴラ劇場前のしずかな道でしばし話す。
今日、野の上の劇団員は、青森に帰ってしまうんです、明日からみんな普通に仕事なんです、と淋しそうな赤刎さん。
芝居がかかっている間、劇団員は疑似家族になるけれど、幕が終われば、現実の家族と資本主義社会が待っている。


夜「平清盛」鑑賞。
清盛のダークヒーローへの転落ぶりがすばらしい。
人間の性(さが)を痛感するドラマとして、とてもよく出来ていると思う。
衣装も音楽も光の具合もみんな好き。
今までの大河ドラマの中で一番好きかも。
なぜ低いのか、視聴率。


ちなみに上の写真は、蝋人形館のガンジーマザーテレサで、劇団野の上とは何の関係もありません。