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2017-01-03

最近見た旧作の感想その29〜下半期旧作ベスト〜

皆さんあけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、早速ですが、昨日書きましたように2016年下半期に見た旧作の中で特別面白いと思えた作品について、一言程度コメントを添えつつ、紹介したいと思います。並び順は単に見た順というだけです。ちなみに、昨年の旧作鑑賞数は218本でした。上半期ベストについては<こちら> をどうぞ。



王と鳥(1980 『やぶにらみの暴君 1952』)

これは傑作だった。デザインや動きの、ただひたすらな面白さ。ファンタジー且つSFのアイデアに満ちつつシニカルで現実を反映させたような世界観。そしていくつかの場面はキリコ絵画みたいでもある。階段が多く登場するが、王は殆ど自分の足では歩いておらず、主人公の少年少女はその多くの階段を下るという、縦の画面もまた非常に印象に残る作品。個人的には今まで見たアニメーション作品の中でもかなり好き。



『静かなる男』(1952)

陽光差し込む風景の美しさであるとか、窓枠から覗く顔、それに2度ある雨と風の中での抱擁とキスなどなど、画面から多幸感があふれ出ている。特に素晴らしいのは、モーリン・オハラがストッキングを外して水浴びした後の脚の輝きなのだが、他にも投げられる帽子とか宮崎アニメみたいな最後の喧嘩など、とにかく諸々全部最高。フォードの中で、といってもまだ一五本程度しか見ていないのだが、ベスト3に入るくらい好き。

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眠狂四郎 悪女狩り』(1969)

真っ黒な背景、逆さづりの女、ぶら下がる箱からの死体飛出し、蝋燭、謎の舞踏集団、偽狂四郎と対決する森の美術、そして池広一夫監督お馴染み真上俯瞰などなど、外連味が凄い作品。物語上、市川雷蔵の登場は少ないが台詞は相変わらずの感じだし、女優陣も目立ってる。今年は眠狂四郎の未見作品を制覇しようと思う。

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トリュフォー思春期(1976)

なによりも坂道を歩いたり走ったりする子供たちの姿が魅力的で、大人から見た子供、というよりはちゃんと「子供たち」を捉えようとしている。密集した住宅でのやりとりや、時間になり教室から走りだすのがその教室内だけでなく、窓越しにも見える学校の風景がいい。タイトルにもある「思春期」なラストも好きで、どことなく塩田明彦監督の『どこまでもいこう』に近いものを感じる作品であった。



マジェスティック(1974)

怒りのスイカ農園主。急に始まる銃撃戦、大地を突っ切る車、狩場に誘い込まれる敵一味、水平に飛ぶブロンソン、家を舞台にした銃撃戦などの、位置を把握しながらの戦いは燃える。廃工場みたいな場所(ちょっと黒沢清みたいだ)や最後の車に乗るまでの長回しも最高。下半期見たフライシャー作品では『見えない恐怖』も良かった。



東への道(1920)

壮大なメロドラマ。ロングの画面からシーンが始まることが多いのだけれど、その中でも特に風景を切り取った画面の美しさがすごくいい。最後の流氷は確かに凄まじいとはいえ、個人的にはリリアン・ギッシュが過去ゆえに告白を受けようとしない場面の水面、光が反射する湖の美しさのほうが好き。水が激しさと緩やかさによって、恋愛の場面を彩っている。あと縦に伸びる一本道。ちなみにその、縦に伸びる一本道のうち、その奥で雪合戦をしている子供たちがいるシーンはリュミエールが頭をよぎったりもした。



パリ、テキサス(1984)

ヴィム・ヴェンダースは今までなんとなく見る気が起きないでいたのだけれど、これは面白かった。緑や赤の場面が多く、そして青もときたま印象的に出てくる。そして何より、歩いているシーンがいい。特に道路を挟んで子供と歩き続けるところは最高だろう。そして最後、ガラス越しに妻と会話するシーンは、お互い自分が話すときには相手に背を向けており、そのガラス窓の使い方も良かった。

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『浪華悲歌』(1936)

流麗に動き、歩きを捉えるカメラや冒頭と反転して水面に映る街や室内の画面構成、例えば電話交換手という立場を利用しての視線のつけ方など、当然のごとく素晴らしい。また面白いのは、金を横領した父親を、同僚が家まで訪ねに来る場面、父は傘の柄を見て家に入らず逃げる。また山田五十鈴の恋人は、彼女が自分の行いを告白した辺りから、画面上で顔を見せなくなっているという部分である。



『抜き射ち二挺拳銃』(1952)

斜面に聳える岩山の陰に隠れつつの銃撃戦とその位置関係。ここぞというところで派手な動きや馬の疾走を入れるアクション。窓を通り抜け家の内側に移動するカメラ。そして、ファムファタールに翻弄される男の一人称語りが頻出する、ノワール的話でもある。タイトで間違いなく楽しめるドン・シーゲルの一本。

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『西部魂』(1941)

だだっ広い荒野に電線を張り巡らせていく。その下では馬車の移動があったりで、奥行きの存在感が印象的。また男たちの友情が育まれる中で、ある過去ゆえ1人が途中、真っ黒いシルエットに身を染める影の使いかたも流石フリッツ・ラング。最後の銃撃戦は布やカーテンの使い方、そして弾痕の跡をしっかりつけてゆくのが良く、また山火事スペクタクルまであるという楽しませっぷりが最高。

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『雷鳴の湾』(1953)

海底油田掘削譚。『裸の拍車』も『ウィンチェスター銃73』でも特徴的であった、アンソニー・マンらしい高低差も今作では例えば階段を使ったりして地味ながらも随所で発揮されており、またその立ち位置の差はキャラクターの関係性に繋がる。若干狂気を感じさせる夢追い人のジェームズ・スチュアートは基本上なのだが、最後の最後に彼がどういう位置で対立するかというのが面白い。そして冒頭と対になる車もいい。

雷鳴の湾 [DVD]

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『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』(1975)

山下耕作監督の実録路線美学はあるけど猥雑さは弱くどこか物足りないと思っていて、実際本作もそんな感じではあるのだけど、例えば2度ある橋の下にカメラを置いたところからのアクション(2度目は山下監督らしく花まで登場する)はカッコいいし、特に素晴らしいのは、風が吹き白い布の揺れる川岸での殺害シーンであって、これはロングショットの気持ち良さが抜群に素晴らしかった。



新宿の与太者』(1970)

一杯のラーメンをすすりあった菅原文太佐藤允の友情に泣く。ちょっと長めのショットで見せるパチンコ屋襲撃や即報復する文太の暴れっぷり。しかし同時に友情に熱い、というよりちょっと可愛らしさのあるキャラも良く、また照明、それにカメラが引いてからの車からの銃撃、歩行者天国の撮影も最高で、一体この、高桑信という監督は何者なのか非常に興味がわき、2017年はこの人の作品を見ていきたいと思わされた。

新宿の与太者 [VHS]

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摩天楼(1949)

圧倒的仰角と俯瞰は同じくキング・ヴィダー監督の『群衆』よりも強烈で、その角度がまず一つのスペクタクルだし、冒頭の廊下の伸びや並べられた机、それに話自体も『群衆』と似つつも対になっていて面白い。風でめくれる紙の演出、そして馬鹿でかいあの窓たちが非常にいいし、破壊と爆破の恋愛物語としてもまた、面白いのである。

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拳銃魔(1949)

ちょっとやそっとではないというくらい面白い。冒頭の雨からしてやられてしまう。そして強盗の長回しのみならず、車関連のシーンはカメラの動きからすべて素晴らしく、特にあの視線の交わりからのUターンは最高だ。もちろん、視線のやり取りはその男女が出会う射的場からすでに結びついているものでもある。ところで長回しの場面でもそうなのだが、クローズアップにするタイミングがうまい。ノワールらしい黒い影の映え方も女の存在感も素晴らしい。

拳銃魔 [DVD]

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以上が2016年半期に見た作品の中で特にお気に入りの作品でした。他にも、『年をとった鰐』の、何と表現していいのかコバが思いつかないシンプルな良さであるとか、中島貞夫初期のヌーヴェルバーグ感を漂わせつつ天知茂の役に泣く『893愚連隊』や、既に少し触れた『裸の拍車』『ウィンチェスター銃73』などアンソニー・マン作品。ニコラス・レイの『暗黒への転落』は冒頭の逮捕劇が無茶苦茶よく、その後も退屈にならない法廷劇の見せ方や判決が下るシーンのカメラ、そして多用される格子状の影に汗等々、画面で楽しめる作品だった。ウィリアム・A・ウェルマン『廃墟の群盗』はその廃墟描写もあることながらシュトロハイムの『グリード』を思わせる展開に、「見せない」最後の屋内アクションや、伏せる男達が印象的な作品だった。定期的に一気見したくなることが多い東映実録路線の作品については、以前ブログにも纏めて書いたことがあったのだけれど、今年も何度かブログを書きたいと思っています、特にDMM動画は作品が揃っているのでありがたい。

さて、去年の下半期旧作ベストでは本を読みたいなどと書いておりましたが、結局去年はあまり読めませんでしたので、今年もその目標は継続していきたいと思います。また、ブログの更新頻度も年々減っているので、なるべく改善したいところです。というわけで皆様、今年もよろしくお願いいたします。

2016-12-31

今年の映画、今年のうちに。2016年新作映画ランキング。

年の瀬でございます。というわけで今年もやります。2016年に見た新作映画ランキングです。今年は68本の新作を鑑賞しましたので、その全てに順位をつけていきたいと思います。尚、年内のうちに前後篇と分けて公開された作品については別々に順位をつけたいと思います。また公開日が昨年になってる作品でも、地方では今年初公開となった作品はランキングに入れております。つまり、今年劇場で公開された作品のうち、リバイバル上映を除いたものが選定基準です。それではまず、次点とベストテンから発表していきます。一応、ベストテン内の作品で、且つ個別に記事を書いた作品についてはリンクを載せておきます。



次点 傷物語 鉄血編

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とんでもない表現の数々。階段と建築、それに風や水面など非常に面白い描写、表現の連続で、しかも一つ一つのカットが早いうえに、カットが変われば世界がどう変わってもおかしくないというかのごとく自由。テレビアニメ版においても特徴的だった手法が、より尖った形で出ていると思いました。そしてテレビアニメ版では主に言葉が画面を先行しているのに対し、劇場版は画面が言葉を先行し世界を作り出しているように感じられました。あとは『ウイークエンド』を連想させる事故のシーン、僕はあれが一番好きですね。しかし3部作がまだ完結していないので、今回は次点とさせていただきます。



10位 ディストラクション・ベイビーズ

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暴力そのもののような男が暴力のみで行動することによって、暴力が様々な形で伝播し、さらにはその暴力の根源が見えてくるというまさしく暴力の映画なのですが、その過程を心理によってではなく、行為によって描いたことが素晴らしいと思います。途中不快になる、というか本作で菅田将暉が演じた役の有り方というのは心底最低だと思うのですが、そういう点も含めて暴力的でしたね。勿体ない部分、特に車が出てくるというのにその表現がイマイチというか、雨に濡れた車の色気がもっとほしいとは思いましたが、楽しませていただきました。



9位 サウルの息子

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言葉では到底言い表せないほどの暴力が目の前を通り過ぎ耳に入る、アウシュビッツという圧倒的な地獄の中を引きずり回される作品でした。説明はなくとも、サウルの背中を追ってゆくだけでその地獄の一端を見事な画面設計や音の効果によって感じ取ることが出来るのですが、しかしそれはアウシュビッツを理解させるというより、狂気と混沌の中では理性を殺さざるを得なくなるのだと実感させてくれるような作りで、そしてサウルはそんな中、一人正気と狂気の境界線上に残された微かな理性を保とうとしており、そのドラマも素晴らしかったですね。ただやはりこれは、整理されたものではない、かつてそこにあった地獄の真っただ中へ投げ込まれるという点が好きです。



8位 アイ・アム・ア・ヒーロー

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日常〜ゾンビパニックという最初の流れが素晴らしい。特に土足で家に入る、というところが素晴らしかったですね。大泉洋が走りだしてからは、あと一手、奥行きや背景を生かした惨劇が見られたらもっと良かったとか、森に入ってからのシークエンスがちょっともったいないとか、目に光を持たず微笑み続ける有村架純が、可愛いという事以外に役に立っていないじゃないかとか、完璧とは言い難い部分もありますが、終盤のロッカーシーンで泣いたことに嘘はつけないので、8位とします。「名前」についての物語も良かったと思います。

<感想>



7位 クリーピー 偽りの隣人

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廃墟のみならず、廃墟的人物による恐怖譚でありながら奇妙なテンションで展開する暴力喜劇でもあるというこの作品はとにかく楽しいの一語に尽きます。あちこちに散りばめられた黒沢清的モチーフが呼応しあい、異界を創造する手腕は流石としか言いようがありません。しかし、勿体ない、もっとこうだったら、などとないものねだりをしてしまいたくなる作品でもありました。ちなみに、今年最も反響のあった記事がこの『クリーピー 偽りの隣人』についてのものでしたね。

<感想>



6位 BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

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ブリッジ・オブ・スパイ』の方が、確かに上質な映画なのかもしれません。しかしながら、スピルバーグが久々に本格ファンジーへ復帰したこの作品には「隠れる」こと「模倣」することといういかにもスピルバーグ的要素に満ちておりとにかく楽しい見せ場の連続で、しかもまたそれらの要素が、これまたいかにもな、孤独な者の救済へと繋がっていることに感動しました。そんなスピルバーグ印満載のこの楽しくて優しい作品を見過ごすことは、どうしてもできないのです。

<感想>



5位 ちはやふる 上の句

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今年最も驚きがあったのがこの作品です。これはやられた。これほどまでに動きの興奮が、音の張りが、横長の画面が、編集が、役者が、そして物語が良いとは思いもしなかった。特に感動したのはやはり机君であり、そして太一ですね。この作品では千早という人間をとにかく動かせており、そのことが広瀬すずの魅力を引きだしていることは言うまでもありませんが、彼女の動きのおかげで、机君と太一のドラマがより素晴らしいものになっていると思います。文句なしに、とまではいえないけれども、素晴らしい作品でした。

<感想>



4位 ダゲレオタイプの女

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今年は黒沢清の新作が2本も公開されたこともあり非常に興奮した1年だったのですが、『クリーピー』もこの作品もすごく面白かったとはいえ、間違いなく黒沢清のベストではないでしょう。しかし『ダゲレオタイプの女』は、『クリーピー』に比べ「もっとこうだったら」と思う部分が少なかった。そして個別記事でも書いたように、「直立」と「寝そべり」の縦横や、リュミエール兄弟を出発点とし『回転』に『顔のない眼』、小津、そして溝口を通過し、監督の過去作、特に『叫』共通する要素から、さらにボニーとクライド的な犯罪と恋愛に到達するその感動は、確かなものなのでした。来年も新作の公開が控えているということで、そちらも非常に楽しみです。

<感想>



3位 溺れるナイフ

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この映画は既に選んできた作品と比べて明らかに良くないなと思うところが多い映画です。ではなぜ、この順位なのかと言えばそれはもう山戸結希作品という個性を浴びてしまった、ということがまずあります。もちろん、そういった作品は他にもありますが、加えてこの『溺れるナイフ』は、ダンス的空間を生み出す人物の動きに山戸監督的少女像、そしてカット割りによる役割の差異の表出、ロングショットの画としての魅力、役者陣、そして僕の好きな「青春の終わり」もしくは「決別」を描いた作品だからという理由があります。最後のストップモーションのその瞬間、一瞬のきらめきを放つ、ナイフのように鋭い自意識と青春の終わりが集約されたその最期の瞬間に感動し、その気持ちに嘘はつけないので、3位に選ぶことにしました。

<感想>



2位 ハッピー・アワー

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5時間という恐るべき長さが、まるでそうとは感じさせないほどの速さで過ぎてゆく驚くべき作品で、しかしそれは決して速いテンポの作品だからということではなく、いくつもの豊かな場面/ショットによって、そう感じさせられているのだという充実感に満たされる作品でした。乗り物、重心、階段、旅行。4人の女性を中心に据えた物語の、不自由な人生は常に幸福とは言い難いかもしれないけれど、そのすべてを包む街の中で、幸福な時間が紡がれてゆくのだと僕は感じました。個人的に最も好きなのは4人で旅行に行く下りで、じゃれ合い、楽しげに過ごす時間の中、微かに感じ取れる別れの気配と、無意識にそれに抵抗するかのような姿に、不意に涙が流れた。そこには確かに、映画的な時間と空間によって生み出される感動が存在していたように思います。

<感想>



1位 キャロル

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なんと芳醇な香りの漂う贅沢で優雅な作品でしょうか。全編見事な画面、見事な演出、見事な物語、見事な演技に彩られたこの作品は、今年最も「映画を見ているんだ」という満足感を与えてくれました。特に見つめること、見つけること、盗み見ること、見つめ合うことという視線のドラマ。そして触れること、触れられることという感触のドラマがとにかく素晴らしい。年代感も良かったですね。また犯罪映画的ロマンスまで見せてくれるとは驚きでした。思い出すだけでも幸福を感じさせてくれる、ほとんど惚れたと言ってもいいような作品です。というわけで僕は2016年のベストに、紛れもない傑作であるこの『キャロル』を選ぶことにします。本当に素晴らしかった。

<感想>



<まとめ>

というわけで以上が僕の2016年新作映画ベストテン&次点でした。見られなかった作品で気になっているのは『光りの墓』『淵に立つ』『無垢の祈り』『ドロメ男子編女子編』『SHARING』『ソング・オブ・ザ・シー』『父を捜して』と、結局今年は公開されず来年公開の予定もなさそうな『ホース・マネー』ですね。元々首都圏ではない上に、かなりの田舎住まいなのでやはり取りこぼしは多くなってしまいます。

年々心に刺さる映画が少なってきてはいますが、今年はこれまでベストに選んできたような作品と系統の異なるリストになりました。それは勿論狙っている訳ではなく、ただ今年見た作品を思い返すとそうなったということなので、自分でも不思議です。しかしこのようにランキング付して気付いたのですが、上位4本には共通する要素があると思います。それは「現状からの逃走」です。4本ともそれぞれ当然事情は違い、1,4は銃と車と犯罪映画的な形として、2は関係性の変化として、3は青春の期待として、主人公たちは現状を変えるため逃走を図り、そしてそれは、ほぼ果たされていません。もちろんそうなるように順位付けしたのではなく、こうやって書いていて気付いたことなのですが、しかし無意識にそういう作品が好きなんだと選んでしまったということが恐ろしくて、というのもそれは今の僕の状況、つまりは、未だに自分自身に納得できず、どこかに真に目指すべき道があるなんて恥ずかしい勘違いを起こすも、しかし同時に目指すべき道を見つけることも歩き出すこともできぬまま可能性が閉じている。そんな自分の姿がこれらの作品を通して、うっかり見えてしまったようで恐ろしかったのです。

さて、今年も見る作品は厳選したため、これは酷いと思うような作品はありませんでした。なので特別ワースト、というものはありません。ただ、期待していたけれど思っていたほどではなかったという作品はありましたね。というわけで以下、今年見た新作の全ランキングと簡単なコメントを載せておきます。ワースト3となる64位までは好意的な気持の方が上です。



2016年新作映画ランキング>

1 キャロル

2 ハッピー・アワー

3 溺れるナイフ

4 ダゲレオタイプの女

5 ちはやふる 上の句

6 BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

7 クリーピー 偽りの隣人

8 アイ・アム・ア・ヒーロー

9 サウルの息子

10 ディストラクション・ベイビーズ

11 傷物語 鉄血篇

12 ブリッジ・オブ・スパイ

13 聲の形

14 この世界の片隅に

15 死霊館 エンフィールド事件

16 ハドソン川の奇跡

17 海よりもまだ深く

18 イット・フォローズ

19 クリムゾン・ピーク

20 スティーブ・ジョブズ

ブリッジ・オブ・スパイ』は、スピルバーグとしては『ミュンヘン』以来の面白さで、『BFG』よりも出来はいいと思いますが、好きの度合いでは劣るかなと。『宇宙戦争』にも垣間見れたアンゲロプロス作品との接近も気になるところでした。『聲の形』は前作に引き続き山田尚子監督らしい落ちる・投げるというモチーフが多用された作品で、他にも傘など些細な描写が本当に優れていて、内容としても見終わった後に色々と反芻したくなることが多い作品でしたが、走るべきところを走らせられなかったのが残念。『この世界の片隅に』は飛びぬけたクオリティによって「場」をつくりだし、そしてその「場」が奪われてゆくところ描いておりつまり「営み」と「歴史」が豊かなまじりあいを見せており、ある一定の時期のお話に留まらない素晴らしい作品になっていると思います。10位以内ではない理由は、もう好きの度合いの問題です。『死霊館 エンフィールド事件』の、おもちゃの車のシーンは素晴らしかったし、家と家の間の道路を突っ走るシーンも最高だったけれど、前作の方がさらに好き。『ハドソン川の奇跡』でイーストウッドが見せた技は凄すぎて怖いし、しかも相変わらず変わってるなぁとも思わせてくれました。『海よりもまだ深く』は是枝監督にしては説明的じゃないかとも思うんですけれども、阿部寛という巨体の使い方が非常にうまいですし、監督の過去作にも出てきたモチーフ・アイテムをふんだんに利用した作品でしたね。『イット・フォローズ』のカメラを360度パンしつつ、“それ”が迫ってくるところは大好きです。『クリムゾン・ピーク』はなにより屋敷の描写が素晴らしい。屋敷が主役ですからそれが良ければとにかくいいんですけど、最後がもったいないんですよね。あとミア・ワシコウスカ最高。『スティーブ・ジョブズ』を見たときは正直無駄な演出が多くてあまり好きではなかったんですけど脚本にはやられてしまい、アーロン・ソーキンはまた同じことやってるよ、と思いながら泣いてました。


21 ヤクザと憲法

22 ロブスター

23 ヘイトフル・エイト

24 スポットライト 世紀のスクープ

25 何者

26 ヒメアノ〜ル

27 ローリング

28 シン・ゴジラ

29 葛城事件

30 ボーダー・ライン

 

ヤクザと憲法』はやくざの面々が怖かったり可愛かったり笑えたりするシーンもさることながら、事務所を捉えたなんてことないショットもまたよかった。そしてひきこもりだった彼の顛末も含めて、ちょっと味わい深いドキュメンタリーでしたね。『ロブスター』は監督の前作に引き続き肉体のもどかしさが際立つ変な映画で、どうやって映画に肉体性を刻むかということを試しているのかな、とも思いましたが、基本凄くシュールなコントみたいな話ですよね。『ヘイトフル・エイト』は流石に長すぎ。サミュエル・L・ジャクソン芸もジェニファー・ジェイソン・リーもいいし、歴史を叩き込むとか美術とか音楽とか面白い要素はたくさんありますが、タランティーノ作品としては下です。『スポットライト』はストイックなプロとしての行動によって出来ており、きっちりした撮影と、そして編集がテンポの良さを作り出しているので退屈しなかったのだと思いますが、例えば『大統領の陰謀』みたいな撮影と編集の切れ味の方が好みなんですよね。『何者』は決して出来がいい作品ではありません。しかし終盤の感動は確かなもので、その後色々と考えたくなる要素が詰まっていたので、このくらいの順位です。『ヒメアノ〜ル』も後半の感動が大きく、また前半は前半で面白いのですけれど、説明しなくていいことを色々付け足してしまったのが惜しまれます。『ローリング』は落とし方も含めた物語とその余韻、撮影、そして柳英里紗は素晴らしくて、エロさはもちろん、その存在すべてが忘れがたい魅力を放っていると思います。延長コードとか納豆の件も良いですよね。『シン・ゴジラ』のゴジラ登場シーンは全部好きですが、人物描写、動きなどの映画的気持ち良さに乏しく、カットでテンポを速めているだけという風にも思えます。『葛城事件』でいいのは、父親が職場からいつも見ている風景の、あの狭さですね。そこにあの父親に対してのいくつかの気づきがあると思いますが、後半の田中麗奈の使い方で損をしている。『ボーダー・ライン』では多用される空撮によって、湿り気といえば死体から流れる血ぐらいなものという土地を見せられ、また家や人に車に麻薬と死体などの「密集」が次に印象付けられますが、そんな土地へ暗黒のおとぎ話風に落ちてゆく、という部分が好きじゃなかったですね。もっと犯罪アクションでいてほしかった。



31 永い言い訳

32 君の名は。

33 エクス・マキナ

34 オーバーフェンス

35 オデッセイ

36 コップ・カー

37 最後の追跡

38 レッド・タートル

39 貞子vs伽椰子

40 ドント・ブリーズ

このあたりは世評は高いけれども個人的にはそれほど刺さらなかったという作品が並んでいます。どれも面白い作品ではありました。『永い言い訳』の本木雅弘や乗り物に乗るショットの気持ち良さ、美しさは素晴らしい。『君の名は。』はどうしても納得がいかないことがあるので、アニメーションとしていくら素晴らしくてもこの順位です。でもトータルでは好きですよ。掌の文字とか。『エクス・マキナ』はガラス窓の使い方がすごくうまくて、ウィトゲンシュタインやらといった話より、そういう画面やショットの切り返しによって最初から仕掛けがちゃんと施されているのがうまいと思います。『オーバーフェンス』は心情ではなく描写によって人物を生かしているのが素晴らしいし、移動の扱いも良いんですけど、何より蒼井優主演のスクリューボールコメディを見たいと思いましたね。『オデッセイ』の陽気に行動を貫く姿勢は見ていて気持ちがいい。『コップ・カー』は少年たちの成長譚としてすごく良く出来ていると思うんですよね。銃の取り扱いの危なっかしさにひやひやします。『最後の追跡』も突発的に始まる銃撃戦や、乾いた感じ、そしてウッドデッキによって西部劇の空間が良く出てくるのも良いんですが、中盤で少しゆっくりしすぎにも思います。『レッド・タートル』は難しい話はやめてとかく蟹です。蟹萌え。『貞子vs伽椰子』はよくこんな企画を成立させたなということで、白石晃士の腕は素晴らしいと思いますし面白かったんですけど、好き度でいうとそこまでかなと。『ドント・ブリーズ』突如現れる老人の、その突如の感じ、距離感が面白かったですね。あともう少し、部屋の立体感を生かした攻防があるともっと良かったと思います。


41 アンジェリカの微笑み

42 FAKE

43 ズートピア

44 日本で一番悪い奴ら

45 山河ノスタルジア

46 インサイダーズ 内部者たち

47 傷物語 熱血篇

48 ジャックリーチャー NEVER GO BACK

49 キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー

50 レヴェナント 蘇りし者

アンジェリカの微笑み』は素晴らしい作品な上に、史上最高の「メガネ・・・メガネ・・・」まで見れて爆笑しますが、好きかというと好きではないんですよね。『FAKE』は佐村河内守の魅力ですね。魅力と言っても、天然っぽさとか、グレーゾーンに居る人の面白さ、ということですけれども。『ズートピア』はバディ警官ものとして、特に交通網を利用した画面が面白いんですけれどもテーマが足を引っていて、やるんだったらもっと暗部まで踏み込まないと結局綺麗ごとの説教で終わってしまっていないかな、と思いました。『日本で一番悪い奴ら』は題材的にすごく好みではあるんですけど、照明のダメさ、とくに麻薬を失った後ヤクザに問い詰められるシーンは冗談かと思いました。あと色気不足。『山河ノスタルジア』の、男2人女1人の最初のパートではジャ・ジャンクーの好きなところが出ていました。『インサイダーズ』のちんこゴルフは笑えますけれども、クールに決めている割にダサいドヤ顔を決めたり友情のドラマが語りすぎだったりで勿体ない。『傷物語 熱血篇』も画面上のモチーフから色々考えるのは楽しいですし、羽川翼というキャラクターが最高なんですけど、ちょっと見ているのがキツイ場面もありました。『ジャック・リーチャー』で、トム・クルーズは女優のアクションを映えさせるのがうまいなぁとは思いましたし、走るというアクションで貫いた面白い作品ではありますが、前作のタイトで色気のある完成度には勝りません。『シビル・ウォー』は落ちる、下降するというアクションが前作同様多々あり、またアクションの構築力もうまいとは思いますけれども、この位置です。『レヴェナント』はタルコフスキーじゃん、とか、イメージに頼りすぎじゃん、と思いながらも、主にエマニュエル・ルベツキのカメラによって楽しむことはできました。



51 ロスト・バケーション

52 13時間 ベンガジの秘密の兵士

53 マネーショート 華麗なる大逆転

54 ボクソール・ライドショー

55 フランコフォニア ルーブルの記憶

56 ファインディング・ドリー

57 アーロと少年

58 10クローバーフィールド・レーン

59 バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生

60 デッドプール

『ロスト・バケーション』は水面上・水面下に境界線が引かれ、その境界線がどんどん変化してゆくのは面白いと思いました。『13時間』はいつものマイケル・ベイと同じレンズの光で、肝となる不明瞭な戦場描写は微妙だし布の使い方も勿体なく、話が動き出すまでがかったるいうえに銃撃戦もうまくないんですけど、迫撃やミサイルとなると面白く撮れているように思いました。『マネーショート』は全編正しい怒りと道徳心に満ちていて、政治倫理的正しさが強く押し出されすぎなので、意義はあるんだろうけど堅苦しい。『ボクソール・ライドショー』は4DX専用の映画として楽しい出来でした。『フランコフォニア』の幽霊的に過去を出しつつ歴史を交錯させる手法は面白いんですけれど、ちょっと眠かった。『ファインディング・ドリー』で扱われたテーマは面白いし、お手の物である視点を逆転させた脱出劇や狂気のアクションが炸裂するラストも爆笑なんですけれど、続く『アーロと少年』と併せて、いまいち最近のピクサー作品はイマイチ乗り切れない。ただし『アートと少年』は最狂のドラッグ描写がありましたね。『10クローバーフィールド・レーン』はメアリー・エリザベス・ウィンステッドのタンクトップ姿が良かったです。『バットマンvsスーパーマン』もワンダーウーマンは最高でした。『デッドプール』、真面目すぎるんですよね。ヒーロー映画としては新しくても映画全体で見れば何も新しくはないので、真面目だなという印象だけ残りました。

 


61 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

62 残穢-住んではいけない部屋-

63 白鯨との闘い

64 スーサイド・スクワッド

65 アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅

ローグ・ワン』はダース・ベイダー登場シーンとか、でかい物体の描写はシリーズ随一。『残穢』で、怪談収集家達が怖がってるのか面白がってるのかの中間で探っていく内に、うっかり穢れを広めてしまうという話は面白い。ホラーというより謎解き的で、地図の使い方もいいとは思いますが画面自体は怖くはない。『白鯨との闘い』は回想形式が全くうまくいってなくて、ドラマの高揚も、海洋冒険ものとしても微妙。スペクタクルシーンも恐怖がなかった。語り部の奥さんのシーンとか冗談かと思いました。ハーレイクインがいなかったら絶望的だったのが『スーサイド・スクワッド』で、デヴィット・エアーらしさはありますけれど、ぎりぎりで救われたって感じです。『アリス・イン・ワンダーランド』に「時間」はなかった。



66 ミュージアム

ミュージアム』はいまさら『セブン』かよ、ということを抜きにしても、とにかくサスペンスやホラー描写がド下手なので見ていて苦痛でした。悪趣味殺人が展開されるので最低とはいいませんけれども、しかし全く面白くはなかったです。



67 ターザン REBORN

本当にごめんなさい。見たんですけど何ひとつ覚えていません。サミュエル・L・ジャクソンの役がなんか面白かったとか、そのくらいでしょうか。まさに大味大作という枠でした。



68 ちはやふる 下の句

そして今年度最下位に選ぶのは『ちはやふる 下の句』です。この作品の出来自体は、最下位というほど酷くはないでしょう。しかし上の句からの期待を大きく下回ったのも事実で、仲間だの、絆だの、繋がりだのといった鼻持ちならないテーマが大仰に叫ばれるのは耐えがたいものがありました。後半はそれでも持ち直しますが、しかしやはり、言葉で語る比率や感動的な音使いなど、上の句でも危うかった部分が拡大されていました。あと千早が停滞する下の句の前半は本当に退屈でした。役者の魅力や、画面に見所がないわけではないのですが、やはり嫌いという点でこの作品はでかいものがありましたので、ワーストとさせていただきます。



はい、というわけで以上で2016年新作映画ランキングは終了です。ちなみに旧作に関しては、いつも通り、年明けに「下半期に見た旧作映画ベスト」という形でブログに書こうと思っておりますので、そちらもぜひ見てやってください。それではみなさん、良いお年を。

2016-12-26

『溺れるナイフ』を見た。

止まってないで転がって踊れ

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2004年より別冊フレンドにて連載中の、ジョージ朝倉による漫画を原作とした作品。主演は小松菜奈菅田将暉重岡大毅上白石萌音ら。監督は山戸結希



東京で雑誌のモデルをしていた夏芽(小松菜奈)は、父親の実家がある田舎町へと引っ越すこととなり意気消沈し、新しい土地に馴染めずにいた。しかし、夏芽は海岸でコウ(菅田将暉)という少年とであう。地元を仕切る神主の跡取り息子であるコウは、不思議な魅力を持ち、夏芽は心を奪われるのだが・・・





驚いた。初めて画面に映る海の、その黒さに驚いた。直後の、現実の動きに先立つカット割りに驚いた。この作品のカットのタイミングは、ある人物が夏芽にとってどういう立ち位置であるのか、ということと重なるわけだが、わけてもコウといるときの、まるで感情が現実を追い越しているかのようなカット割りに驚いた。音楽使いに驚いた。ロングショットのキマり具合に驚いた。階段を降りること、画面の奥行きによる空間の豊かさ、そしてそれを利用した、例えば柵などの障害物によって人物の関係性を分断する手法に驚いた。人物の動かし方、動線の設計に驚いた。役者の魅力を引き出す力に驚いた。つまり、全編とにかく驚かされたのである。その驚きは、良いものもあれば悪い物もあるのだが、とにかくこの作品には、随所で驚かされた。



この映画では夏芽を中心として、登場人物が一定の距離を保ちつつまるで円を描くかのように動く場面が幾度か登場する。この円を描く動きというのは山戸監督の作品、と言っても『5つ数えれば君の夢』『おとぎ話みたい』しか僕は見れていないが、それらの作品に共通するまるでダンスのごとき動きであり、特有の場を作り出している。そしてこのダンスとは、パートナーを必要とする類のものではなく、また規則性を持った競技でもミュージカルでもない。彼女たちにとってダンスとは、あくまで自らの内なる精神を引き出すためのダンスなのである。そして山戸作品の少女たちにはダンス的動きの他にもう一つの特徴として、おおよそ現実的とは思えない言葉を相手に投げかける、ということがある。動きと言葉とが密接にかかわり合いながら、少女は自らを表出させるのである。



つまるところ、ダンスとは少女たちにとって自らを表出させるための儀式的行為なのである。ダンス的動きによって彼女たちは自らの肉体をつかみとり、また自らが受けた衝撃を言語によって伝えることが出来るのだ。不可解な動作も異様に装飾された言葉も、そのすべては儀式、もっといえば、神性を降ろすための行為だからではないのか。ダンスとは神を降ろす舞で、台詞は祝詞であり、そしておそらく本作最大の問題点である音楽もそう考えれば、儀式の重要な要素といえよう。そして神性とは外部からやってくるものではなく、あくまで自分自身の中にあるものである。

故に写真家の男や、その写真を見たのであろう男は、夏芽中にある感情を引き出すことはできず、表面を掬い取るのみである。彼女と共にダンス的空間を作り出したコウと大友だけが、夏芽という少女を引き出すのだ。その引き出し方、引き出され方というのは、すでに述べたようにカット割りによって両者差異を持っているが、夏芽はそのカットによって生まれる物語的な立場とは関係なしに、円を自由に動き、それこそ突如斜めに横断し、また相手を動かすことが出来るという点において空間的上位を保つことが出来る。それはすなわち、小松菜奈という女優の魅力を映画に叩きつけることが出来ているということだ。



最後に夏芽は自らをカメラマンの男に売り渡す。それは彼女が内面に持っていた神性の終わりであり、青春の終わりである。夏芽とコウは同じように神性を失うわけだが、コウは自らを肯定しているとして疑わなかった土地によって神性をむしろ失っている。コウは土地に従うことで過去を乗り越えるが自らを封じ、夏芽は写真家に従うことによって過去を乗り越えるが自らを封じることとなる。だからこの映画は、自らを引きずりだし新しい世界へと連れて行ってくれるであろう存在が、結局のところ土地に縛られたままでしかないことに気付く少女と、少女によって土地に縛られているということを否応なしに引き受けざる得なくなる少年の話なので、初めから終わりが決定づけられている者たちの恋愛物語といえるだろう。ラスト、夏芽とコウのシーンではカットを細かくせず長く撮られているのは、この場面がお互いの幻想を消し去った後に見ている幻想だからだ。そこには憧れも期待もない。ストップモーションの先に出口はなく、ナイフのようにきらめいて尖っていた青春が、その瞬間の輝きのまま海の底に沈んだことを確認しているのである。そして何度も書いてきた神性とは、ある時期の人生に訪れる一瞬のきらめきであり、山戸結希監督は常に、その儚いきらめきを力づくで引き出そうとしているのではないか。

全編を通して流れる音楽の過剰さや、MVみたいな画面など否定したい部分も大きい作品ではあるのだが、ダンス的空間と動線等多くの驚きを受け取ったこと、そして何より、何処へも行けず終りを運命づけられている男女の恋愛ものとして、もしくは青春の終わりを描いた作品として、僕はこの作品を強く支持したいと思ったのである。

2016-12-01

『ダゲレオタイプの女』を見た。

幽霊と異邦人

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黒沢清監督による、フランスロケ、外国人キャストによるオリジナルストーリーの作品。主演はタハール・ラヒム、コンスタンス・ルソーオリヴィエ・グルメら。



パリの郊外に佇む古い屋敷。そこには写真家のステファン(オリヴェイエ・グルメ)と娘のマリー(コンスタンス・ルソー)が住んでおり、170年も前に滅びた「ダゲレオタイプ」という写真撮影技術を再現していた。そこへ、ジャン(タハール・ラヒム)という若い青年が新しい助手として採用された。屋敷内のスタジオで、ジャンは巨大なカメラやモデルを長時間拘束するための固定器具、そして青いドレスを身に纏ったマリーに圧倒される・・・



「列車が到着」するファーストカットに続き、これから仕事場となるであろう家の門の正面へとカメラが回り込むというショットを見て、フランスで映画を撮るということに対しての、あまりに正直且つ律義な段取りに思わず笑ってしまったのだけれど、その門からは人が出てゆくのではなくこれから入っていくことになるので、とりあえずはフランスという郷に従うのだという姿勢が、これらのショットからは感じられる。事実、本作は実にフランスという郷土を見せてくれる映画であって、工事現場から続く道の脇には見慣れぬフェンスが立てかけられており、また坂道を湛える交差点の脇にあるような酒場で若者は集ってビールを飲み、またランチとして牡蠣を食べたりワインを飲んだりしている。車窓から見える風景を横目にしたどり着く、縦に長いアパートのその階段と部屋の狭さは、いかにも日常的な風景である。

しかし門を入った先に佇む写真家の家の中となると些か事情は異なる。古臭く大袈裟なその家にはダゲレオタイプと呼ばれる巨大な写真機とモデルを固定するための拘束具が置かれており、写真家父親は亡き妻の代わりとして、半ば強制的に娘をモデルにし撮影をしている。これは『顔のない眼』であり、そして屋敷に染みついた亡き妻の影は『回転』であり、つまるところ、ホラーである。だからこの家に一歩足を踏み入れた瞬間からホラーの呼び声は扉の奥から囁くことになるのだけれども、しかしこれら過去のホラー映画を引用せずとも、生と死の狭間におかれた植物たちや、温室へと続く、階段を伴い緩やかにカーブする坂道での人物の動き、揺れ動くカーテン、殆ど廃墟と化しつつある屋敷という空間、工事現場と再開発が予定された土地など、これらの画面上のモチーフは疑いようもなく、黒沢清的な風景である。



そして中盤のある出来事以降黒沢清色はますます強まることになる。そのある出来事とは、青い服の幽霊に誘われたステファンが撮影スタジオにある階段を昇り、次いでマリーも何かに呼ばれたかのように同じく階段を昇ったかと思うと勢いよく落ちてくるシーンである。『トウキョウソナタ』と同じく『風の中の牝雞』からの引用であろうが、事態はそれだけにとどまらず、ジャンがマリーを連れて病院へと車を走らせることによって不穏さはより加速する。マリーを包む布が、後部座席のドアに挟まったことも気付かないジャンは走行の途中でハンドルを取られ停止を余儀なくされてしまい、気付くと後部座席のドアは開き、マリーの姿は消えてしまっている。ふらふらとマリーを探し回り、暗闇の中に何かを見つけるジャンの、その見つける顔を収めたショットの中心に、柱がそびえている。車内を外界と区切るかのような煙にもまして、この画面に不思議にそびえ立つ柱はまさに、黒沢清的画面である。

思えば、冒頭の「列車の到着」の直後には階段を降りるショットがあり、また階段は多くの場面においてその存在感を示しつつ、これまた何度も現れる扉と同じように奥の世界を予感させてはいたが、しかしそういった「縦構図」とは無縁な、ただただ縦に伸びている柱の登場をもって、彼らは取り返しのつかない境地へと足を踏み入れることになる。



その取り返しのつかない領域においては自己模倣ともいえる黒沢清的世界が展開するのだが、しかし中でも気になったのはやはり不気味にそびえる縦であり、そして対応する横である。一体何が縦であり横であるのかというと、それは人物の佇まいである。

ステファンは、娘を失って以降は足取りもおぼつかずソファに寝そべる場面が多くなり、最後には足を取られ土が入っているのであろうポリ袋の上へ倒れ込む。マリーについては、彼女は写真のモデルをしているときから立つことを強制されており、車から投げ出された直後も不気味に、棒のように立っている。そしてそれ以降、彼女は立つと寝そべるを繰り返すこととなるが、ところで劇中において彼女は3度、崩れ落ちるかのようにその場に倒れ込む。一度目は写真撮影の後、二度目は車の事後直後木々の隙間で、三度目は久々に家へと戻ってきた際に、となるのだが、そのいずれの場面にも、ジャンは立ち会っている。そのジャンはというと、彼はステファンともマリーとも違い、横になる彼らに対し縦の軸を作り出している。事実、足がおぼつかなくなりソファに寝そべる男を、崩れ落ちベットに横たわる女を支え、傍に立つのが彼の姿勢である。またマリーが階段から転落した際も、その場に座り込んでしまったステファンに対し、マリーを横抱きし連れ去ってゆく。

とはいえ、ジャンは例えばドライヤーの『奇跡』のように、死に瀕した女性を立ち姿のまま救うこと等できやしない。それどころか、彼も徐々に寝そべりの体勢へと惹かれてゆくこととなり、マリーが三度目に崩れ落ちるその時にはジャンもまた、彼女に抱きかかえられたまま崩れ落ちてゆく。言うまでもなく、マリーが横たわるというのは彼女の死を意味しているのであって、だから事故の後、幽霊となった彼女はジャンの呼びかけがなければ画面に登場できないし、それは寝そべる死者ではなく立ち姿の幽霊としてなのである。ジャンはそのことに気付いていないか、気づかないふりをしているわけだが、この「気付かれない」幽霊と人間の間で成立する愛情といって思い出すのは『叫』であり、『雨月物語』だろう。



しかしながらその愛情の中にはまた別のジャンル映画的要素が含まれており、それは犯罪映画である。ジャンはマリーとの生活を得るため犯罪行為を行おうとし、しかもその行為が無駄とわかったときには銃というアイテムを行使し、無理矢理にでも新しい生活へと向かう。そしてなけなしの希望を胸に車で旅へ出るのだが、これはいかにも犯罪映画らしい展開ではないか。もちろんこれは恋愛する男女の逃避行と非常に相性がいいわけだし、しかしながらジャンについては、おおよそ犯罪的な行為などしそうにない見た目であり、その不慣れさと行為の浅はかさはコメディ的であって、そして女の方は幽霊となれば当然ホラーでもある。このようにジャンルを横断しながら一つの映画空間を作り上げていくその手腕は、やはり間違いなく黒沢清である。

ところで、マリーは何故植物にこだわり続けたのであろうか。一見、植物とそれを取り巻く環境は『カリスマ』的な、一方が一方を食い殺してしまうというよな対立にも見えるが、実のところここでは対立など存在しないのではないか。というのもマリーは、植物を殺してしまうであろう、写真に利用される液状の廃棄物を否定せず、むしろ並存を望んでいたはずなのである。しかし植物が置かれている温室ではかつて母が首を吊っており、時折カーテンの端から窓越しに何かを見つめるマリーの、常に振動しているかのように動き続けるその瞳に何が映っていたのか知る由はないけれど、おそらく彼女はその並存が果たされないことを知っていたのではないか。というのも、ステファンは彼女に「土いじりなどするな」と指摘しており、つまり彼は植物が生きようとしていることには目もくれず、マリーの言うように「生者と死者を混同」した写真にのみこだわり続けていたからだ。そしてジャンもまた実は、植物を軽視してしまっている。彼は結局マリーからの頼みを果たさず植物を枯らし、根の張らない花瓶に入った花を彼女に授ける。結局のところ男たちは女の言うこと何も理解していないがために他者の生を根こそぎ奪ってしまうのだが、マリーの瞳は、そうなることをとうの昔から理解していたのではないか。

2016-11-23

『この世界の片隅に』を見た。

わたしが一番きれいだったとき

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2007年から2009年にかけて連載されていた、こうの史代による同名漫画を原作とした作品。声の出演にはのん、細谷佳正、尾野美詞、藩めぐみ、新谷真弓小野大輔ら。監督は片渕須直



昭和19年、広島の江波に住む18歳のすず(のん)に、突如縁談が持ち上がる。相手は呉に住む海軍勤務の北條周作(細谷佳正)という人で、すずは周囲の言うまま、呉へと嫁ぐこととなった。戦争により物資の不足していく中、北條家で明るく暮らすすず。しかし、戦況は次第に悪化してゆき・・・


ネタバレ


他愛もない日常が、ゆったりと描写されてゆく。冒頭、海苔を届けに行くというすずが、潮の引いてカブトガニの打ち上げられた海を渡る兄妹が、広くとらえられた広島の風景の中で生きている。この広島の風景が、現実にそうだったのかはわからない。そうだと言われても、ただ現実通りに再現したという、それだけですなわち素晴らしいとは思わない。しかしそんな風景の中、例えばすずが、荷物の入った籠を壁に押しつけつつ背負い直すという、ほんの些細な動きの描写があるおかげで画面は生き生きとし、緻密に描かれた風景は本当にそこにあって、そしてそこでは人々が生きているのだと信じさせられる。だから本作の風景描写は素晴らしく、街並みの些細な描写から、軍港としての呉をロングショットでとらえる画面から、確かな風土が浮かび上がっている。



すずの生活は、いかにも普通だ。絵を描き、裁縫や料理などの家事を日常生活の中でゆったり淡々とこなしてゆく。笑って、困って、ちょっと怒って。そんな家族の風景と些細な行動の中に生が宿っている。雑草を使った料理のみならず頻出する食や、衣服に生活体系などは、風景と同じくただ当時どうしていたかというような知識としてではなく、彼らの生を私たちに対しても確かな感触として得られるように描き出されている。そこに物語という物語は存在しない。劇的ではなく、あわてることはなく、懸命にというほどでもなく、時に面倒と思い、時に面倒と思えたことが懐かしいというくらいの日常の中で生きる人々の豊かさがここにはあるのだ。

しかしゆったりとした生活が描かれているとはいえ一つ一つの出来事はテンポよく流れてゆく。また物語らしい物語はないと書いたものの、実のところ物語はしっかり進行している。昭和20年の8月。逃れることのできないその日へと、日常は静かに確実に向かってゆくのだ。だからこの作品は、結果として望まざる圧倒的な暴力へと確実に到達しなければならないという点で、劇的な面を持ってもいる。既に書いたような日常にしてもそれはいつから「奪われて」いる状態であって、ゆったりとした日常のそこかしこには奪われたものの影が見え、豊かな生のすぐ隣に、理不尽な暴力が居座っている。ただしそれは対立ではなく、共存とも違う並列の状況として扱われており、そんな特殊な状況において彼らはどう生きていたかかが豊かなアニメーションによって表現され、「場」として画面上に出現している。



ところで、すずをはじめ多くの登場人物はよく何かを「与えて」いる。それは食糧であったり衣服であったり、もしくは絵であったり羽であったり巾着であったりして、また家屋は、その行為が最も親密に行われる場所として存在しているのであるが、それらの行為は何も特別な贈り物というわけではなく、ただ彼らが生きているうえで何気なく行っていたことである。つまりその何気ない行為が、彼らにとっての営み、生活だったのであり、それは特殊な状況下でなくとも普遍的に行われている営みである。だからこの作品は戦時下という、私たちには推し量ることしかできない時代の話ではあるけれど、彼らの生活は決して現在と切り離されたものではない。

そしてすずが身体的に「奪われて」しまうというのは、身体の欠損による不自由よりも営みの損失であり生活の剥奪なのだ。8月のその日が近づくにつれて、共存を許さない暴力は何より、人々が「与え合う」営みを奪っていったのであるが、それは決して突如としてやってきたのではく、並存していたものの真実が明るみに出たということなのである。



直接的な暴力や悲惨な描写が決して多いわけではない作品だが、それでも砲弾の破片が弾け落ちる場面などには恐怖を煽られる。それには、音響の良さがある。片渕監督自身が音響も監督しているということにそのこだわりが現れているのだと思うが、しかし音とということに注目するならば、やはり声という要素、とりわけ、すずの声をあてたのんが素晴らしい。まるで声がキャラクターと溶け合っているかのようだ。既に述べたように、この作品は戦時中の広島という風土と、そんな特殊な状況における生活をアニメーションによって作り出していた。そしてのんの声というのは、それらの要素を最後にまとめ上げる重要な機能を果たしているのではないか。何故ならこの作品が最も優れているのは歴史を正確に描写したからだけではなく、戦争という暴力を刻み込んだからだけでもなくて、そのどちらもを含みつつそんな風土と生活を渾然一体の「場」として生み出しているからである。そしてすずは、キャラクターとしての牽引力が強い人物ではないけれども、その「場」と溶け合うということによって、物語の中心たる存在になっている。だからこそ、のんの声は素晴らしいのだ。「この世界の片隅に」という言葉が嘘くさくなく聞こえるのは、それは能年玲奈という役者の経歴が透けて見えるからではなく、風土と生活の描写と、そして彼女の声によってではないかと僕は思うし、そしてその世界とはある時代に特有の「場」ではなく、普遍的な生の感触として実感させてくれるのである。