リンゴ爆弾でさようなら このページをアンテナに追加 Twitter

2017-09-06

『ジェーン・ドウの解剖』を見た。

わたしは死にました

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トロール・ハンター』で知られるアンドレ・ウーヴレダル監督最新作。2016年度ファンタステック・フェストのホラー部門において最優秀作品賞を受賞した。日本では松竹エクストリームセレクションの第1弾として公開。主演はブライアン・コックスエミール・ハーシュ



田舎町で遺体安置所と火葬場を経営し、検死も行う親子の元にとある遺体が運ばれてきた。一家惨殺事件が起こった家屋の地下に埋められていたその死体は、ジェーン・ドウ=身元不明と呼ばれており、全く情報がないという。二人は早速死因を調べにかかるのだが・・・



つまり、最初からすべては終わっていたのだ。

本作は、検死官の親子が運ばれてきた身元不明の女性の遺体=ジェーン・ドウを解剖し、徐々にその肉体の内側に秘められていた恐るべき真実を知るという物語ではあるものの、実際のところそんな論理的な筋立てとは無関係に、冒頭からすでに検死官たちの運命は決まっていたのである。何故ならジェーン・ドウは自らの死に対し理由や理解はひとつも求めてはおらず、はじめからただひたすら純粋に呪いとしてそこに存在していたからであって、検死官たちは否応なしにその呪いを受ける他に道はなかったのだ。

本作がホラーとして素晴らしいのはまさにこの部分である。中盤までは、ある死体の謎を巡るサスペンスとしてある種探偵的に謎に対しての解明を求めスリリングに進行するものの、ジェーン・ドウが呪いそのものであったと判明するその時、死体であったはずの「それ」は「死体」という我々が理解できる範疇を超えた呪いという別の次元、つまり完全なるホラーへと変貌し、この世界に屹立する。だから検死官が理にたどり着こうともそれは救いにも皮肉にもならず、ただひたすら、一方的で理不尽な悪意にひれ伏すしかない。そのことを理解したならば、我々は秘かに機械的に動き出していた不条理によって条理が蹂躙され、抵抗のしようもなく世界がぬりつぶされる様を待ち構えていれば、自然に黒い快楽を得て劇場を後にすることが出来る。なんと素晴らしいホラーであろうか。



もちろん、ホラーとしての素晴らしさはそんな感性にのみ託されているのではない。例えば恐怖の舞台は、解剖室とそこへと通じるわずかな長さの廊下といくつかの部屋しかないものの、それらが状況や鏡、煙という事象によって多様な顔を見せる豊かさも素晴らしい。わずかな空間の中で検死官たちと「何か」の距離感を生じさせ、その「何か」が画面の奥からじわりとやってくる恐怖をうまく見せているし、時にはその距離感を真っ白な煙で混乱させもしている。このような演出、ショットの組み立てというのは冒頭の惨殺事件が起こった家を捜査しているシークエンスから期待させてくれるものであって、凄惨な現場をたどりつつ最後に土に埋まる美女の死体へと行き着くその手腕でいきなり画面へと引き込ませてくれる。



登場人物が極めて少なく、また彼らが無駄な行動はせずひたすらプロとして解剖を行うというのも嬉しい。無駄にドラマなるものを入れ込むことで時間を引き延ばしたりはせず、親子という関係に従ってあくまで仕事を進める中において交わされる会話をさせておけば、自然とキャラクターと感情は作り出される。それさえやっておけば、あとは検死官という役割に沿って行動させればよいのである。もちろん、既に書いたように解剖が進めば進むほど後戻りのできない世界へと足を踏み入れていたことが明らかになるのだが、それでも彼らが解剖を辞めたりはしないのは単に検死官だからであって、彼らの仕事である、死因を明らかにするという行為が滑らかな手さばきによって行われるに従い怪奇が積み重なってゆくサスペンスには、おぞましさと同時に経済的な画面の流れによる心地よさがある。



そしてなにより、ジェーン・ドウである。微動だにせず中心に置かれ続けるこの死体の素晴らしさがやはり本作の肝であって、本当にただそこに置かれているだけにも関わらず、物語も画面も支配している。この死体の、まぎれもなく死体であるという存在感とそれに似つかぬ美しさが中心にしっかりと据えられているがために細部は怪奇の力によって有機的に動きだし、システム的に機能するのだ。だからこの作品の主役はやはりジェーン・ドウであり、目を見開いたままそのすべてをさらけ出すオルウェン・ケリーの肉体あってこその作品なのである。というわけで傑作。

ジェーン・ドウの解剖 [Blu-ray]

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