リンゴ爆弾でさようなら

91年生まれ。新作を中心に映画の感想を書きます。旧作の感想はよほど面白かったか、気分が向いたら書きます。

いまさら!2023新作映画ベスト

新年のご挨拶を申し上げます。今年も当ブログをよろしくお願いします。

 

さて、いつもであれば「今年の映画、今年のうちに」と題して大晦日にその年の新作映画ベストについてブログを更新していましたが、今年は大晦日・元日にかけてPerfumeカウントダウンライブのため旅行しており間に合いませんでしたね。しかも帰ってからはまったり気ままに過ごし、気づけば1月も終わろうかという時期の更新となってしまったけれどちゃんとやります。2023年新作映画ベストです。新作の基準は僕の住んでいる地域で今年劇場公開された新作、ということで初見でもリバイバルは除外ですし、都心部では2022年公開の作品でもこちらで年内公開ならば対象です。なお今年も今一つ心に刺さった作品が少なかったので、ベスト5+次点です。 

 

 

 

次点 ヒンターラント

第1次世界大戦後、ロシアの収容所から解放された元刑事が変わり果てた祖国で連続殺人事件に巻き込まれるお話。ブルーバックで作り出されたドイツ表現主義的歪んだ世界はほとんどやり過ぎの奇天烈ではあるけれどもとにかく拘りがあることには違いないし、背景にかまけるだけではなく90分ほどで人間の歪みと痛みを語り終えているのだからただの珍奇とはいえまい。これよりもほかに楽しんだ作品はたくさんあったけど、2023年にはこんな映画があったなぁと思い出したくなる感じから次点に選ぶ。6位でも10位でもない次点です。

 

5位 なのに、千輝くんが甘すぎる。

雨降りの道、畑芽育の髪の毛についたテントウムシを、学校一のイケメン高橋恭平がそっと手にとってやる場面。ここでは髪に触れる手のアップから掌中に収まった虫と、それに驚いた顔を見せた直後一歩退くヒロインの姿を非常にリズムよく繋いでおり、うっかり近づいてしまった距離がもたらす緊張と解放をスムーズに見せている。このように気持ちのよいアクション繋ぎ、あるいは適切なタイミングで引くカメラが映し出す距離の描写が光る作品で、終盤には見る・見られる関係の逆転もあって終始楽しく見られました。物語は気持ち悪いけれど。

 

 

4位 トリとロキタ

難民としてベルギーに渡ってきた偽姉弟が次第に追い込まれてゆく大変息苦しい作品ではあるものの、思いのほかとても娯楽映画らしいサスペンスに満ちていて驚かされた。飯屋の厨房を拠点に夜の街を彷徨いながら大麻を売りさばき、時に売春までさせられるが常に金は足りず、うらぶれた姿でまた夜の街に繰り出す様子にはプログラムピクチャーを重ねもする。さらに、遠い遠い倉庫に軟禁され大麻の栽培を任された姉を恋しく思ったトリが、その幼い体ゆえに閉ざされた倉庫の内部へと侵入する様子などさながら冒険・探検であって、室内の構造までいちいち丁寧であるためにサスペンスも持続している。ダイナミックな地形を生かした逃走と冷酷な暴力まで用意されていて大満足。森はいつだって暴力の味方です。

 

 

3位 ファースト・カウ

視界を覆い隠すほどの草木生い茂る手つかずの森は人が生活することなど微塵も考えてはいないし、ぬかるみの上を歩かなければならない小さな集落も決して心地よくはないだろう。ぽつねんと置かれた小屋は仮住まいでしかなく、狩猟団も英国の仲介人も先住民も、誰もが満足していないであろうこの土地、鳥だけが自らの存在を誇示して囀る環境の描写がとりわけ素晴らしい。その中で運ばれるミルクの滑らかな白やドーナツの甘美な音に心奪われるのはそれらが環境に不釣り合いなぬくもりを持っているからではないか。あるいは薪き割りと掃除の動作が同時に画面内フレームへと収まるショットが美しいのは、そこに人間らしい共同の空間が立ち上がっているからではないか。

ところで冒頭から繰り返される、隠れ、隠し、そして覗き見るといった行為はクッキーとキング・ルーという弱い男たちがこの環境で生きるための適切な方法であって、牛乳泥棒もその自然な延長として受け止められる。また彼らの共犯関係は「匿うこと」から始まっており、その倫理は最後まで貫かれる。つまり非常にシンプルな動機に貫かれた作品だけれどもそれは画面から不要な複雑さを排したがゆえの結果であり、映画の美徳だと思う。傑作。

 

 

2位 猫たちのアパートメント

再開発のため取り壊されることが決まったアジア最大級の団地と、そこに住み着いている猫たちを追ったドキュメンタリー。はじめ画面に映し出されるのは木々の緑が程よく配置された居心地のよさそうな、しかし徐々に移住が始まっていることを重機の存在が訴えかけている団地の姿で、猫たちはその光景をじっと見つめている…ように思わされる編集がなされており、つまりはまず編集が素晴らしい作品といえよう。さて猫たちは風に揺れる緑の間を、あるいは街灯に照らされて煌めく新雪に足跡をつけ闊歩する。しかしそんな風景も季節が過ぎるうち次第に瓦礫と雑草生い茂る廃墟の様相を呈しはじめ、植林が進むと土砂は崖のように盛り上がり荒野を想起させるまでに変貌してゆく。

このようにして小さな世界が崩壊していく過程がここには記録されている。猫たちは狭い地下を駆けまわり、人のいなくなったアパートを探索し、土砂の崖を登り寂莫とした世界を生きる。人類の手助けも決して感傷を呼ぶことはなく、ひたすら居住空間の崩壊と猫を主眼にした厳格さに心打たれる素晴らしい作品。

 

 

1位 レッド・ロケット

grate ageinの有害さをまき散らし一切反省をしない元ポルノ俳優が故郷で存分にその迷惑な人間性を発揮させる喜劇。彼の田舎は広い土地に横長の疲れた平屋と廃墟が並び、ゆったりと貨物列車の走るその反対側ではトラックが朽ち果てているような貧困地域で、製油工場のでっぷり丸いタンクや高く聳える煙突以外に発展の兆しも見えず、青く広い空にも解放感を見つけられない環境である。環境とは登場人物の生活と人生の背後を包み込む装置であり、ポルノ俳優のみならずここに生きる人間たちの一様に褒められたものではない在り方は、この環境にひとまず要約される。

しかし朝夕の陽、あるいは工場が放つオレンジと青の光に照らされながらふらふら移動するショットの心地よさ。または16ミリのざらつきと色彩、豊かな黒。そしてやや光の強めな画面は鮮やかで風景の切り取り方も美しく、環境は単純な要約からはみ出して滲み、さらに非現実への遭遇を促し始める。

男はポルノ業界への再起をかけ未成年の少女に近づく。予行練習として彼女の家で「撮影」に及ぶとき窓にかかるカーテンは非現実的な緑の光を蓄えており、まるで『めまい』だ。あるいは、ショーン・ベイカーらしいほとんどアクションとしての生々しい口論の末、裸で放り出された男を待つのは自分よりもさらに強烈なハリボテの光景である。ここでスーツケース・ピンプの間抜けな顔に滲む汗は、うっかり扉を開いてしまった異常な世界への緊張のようにも思え、そんな現実と非現実が対峙する特異点まで連れて行ってくれる、笑えて怖いこの作品を2023年の1位にします。




以上がベスト5+次点でした。他には

スピルバーグの恐怖映画『フェイブルマンズ』

壊れたテープのような異界玄関とタイトル回収が素晴らしい清水崇のヒップホップ『ミンナのウタ』

墓石パンチと回転ベッドに爆笑の塩田明彦春画先生』

背景にいる何の関係もない人物が妙に良いポール・シュレイダー『カード・カウンター』

存在しない妻との会話に泣くウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』

ジャンルを横断しながら細かくタイムミットを設定して緊張感を保つジャン・フランソワ=リジェ『ロスト・フライト』

役者が光るアメリカお仕事映画ベン・アフレックAIR/エア』

フルショットからアップまで役者の収め方がうまく移動も達者なマリア・シュラーダー『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』

ほとんど理不尽スラッシャーと化したアントワン・フークアイコライザー3』

あたりが良かったですかね。配信スルーになったパーカー・フィンの『Smile スマイル』が期待よりずっと面白かったのも印象的で、これらを入れてベストテンにできるじゃないかとも思いましたが、なんとなくの並びの気持ちよさですかね。上位3本以外は気分次第で入れ替えてもいいかなというくらいの差です。

 

さて2023年も見られなかった映画、公開されなかった映画はたくさんあったわけですが、そのうちすでに『こいびとのみつけかた』と『ショーイング・アップ』は配信が開始されているのでこれから拾っていこうと思います。ちなみにワーストは『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』やマーベル実写映画に『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』あたりですがこんな作品どもはどうでもいいんですよ。ワーストと言いたくなるほど嫌いではなく、単純にただただつまらないだけですからね。とにかく今年はもう少し見る作品の幅を広げたいです。ちょっとでも気になった新作は目もしておいて劇場・配信できちんと見るようにします。あと次回は山形の映画祭にも行ってみたい。ちょうど繁忙期なのがネックですが。

 

というわけで2023年新作映画の話はこれでおしまい。こちらの地域ではつい先日カウリスマキの『枯れ葉』が公開され、来月頭には三宅唱『夜明けのすべて』もはじまるわけですが、それまでに下半期旧作映画ベストの更新でお会いしましょう。それではまた。

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チバユウスケが亡くなった

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを初めて聞いたのは大学一年生だった2009年のことで、つまりそれは、アベフトシが亡くなった年のことである。

ミッシェルの解散から6年が過ぎ、ROOSOを経てThe Birthdayのボーカルとして活動していた頃に初めて聞いたのだから、自分の世代ではないとはいえまったく周回遅れの出会いであり、ファンになった頃にはすでに再結成の可能性など完全に潰えている状態であった。伝説と謳われるあれもこれも、すべては後追いだった。

しかし今思えば、後追いの世代だからこそ響いた部分もあるのかもしれない。ミッシェルの歌詞はそのデビューから終末的で、厭世観の漂う、シニカルなものが多いけれど、そういった終わりの雰囲気は、今はもうないという寂寥感によって際立って聞こえたのかもしれない。あるいは暴力的で鋭いリズムとスピード感に溢れた、しかし同時に単純な中に切なさすら感じさせるメロディ、そんなかつて鳴っていた音の熱狂に憧憬の念を抱いたのかもしれない。

そしてチバの声。唯一無二の、あの声が一番重要だった。チバの書く歌詞は抽象的なものが多い。だけどそれが単に非現実的イメージとして浮いたものにならないのは、チバの突破力の高い、ときに暴力的にも悲痛にも響く声があまりにも生身だからではないか。『ダニー・ゴー』『マリオン』や『シャロン』『さよなら最終兵器』……そのほか、数々の名曲たちに心を動かされるのは、チバのかすれた声が断片的なイメージと風景の間を切実さで埋めるかのように響くからではないか。特に後期ミッシェルはその色が強く、だからこそ私はそちらの方がより好きだ。

しかしその声も、もう新たに聞くことはできない。今となってはThe Birthdayのライブに行こうとしなかったことを後悔するだけだ。結局私の中でチバユウスケという、はじめてのロックスター、恥ずかしいくらいに影響を受けた男の身体を目にすることはなかったわけだが、もしかしたら、後追いの世代としてしか受容できなかった身として、それはそれでよかったのかもしれない。

というか、そうやって言い聞かせることしか今はできない。

 


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『ゴジラ-1.0』で最も印象的なアクションについて


大げさで説明的かつ効率の悪い話運びには閉口させられるし、キャラクターの一貫性にも疑問を持たざるを得ず、ゴジラ撃退へ至る流れには居心地の悪さを感じるわけで、どうしても首を捻る部分の多い作品ではあるがしかしある場面、ある一連のアクションにふと惹きつけられ身を乗り出したシーンがあったのもまた事実である。それはゴジラが登場する場面……ではない。確かに、水平と垂直に円の動きを加えた場の創出や黒い雨のアイデアには喜び、特に小舟を追いかける様はどこか不気味で気に入っているものの、一方省略と呼ぶには実に都合のいい瞬間移動などややサスペンス不足でもあって、ニコニコ眺めていられる程度に収まるものだった。

では一体どの場面か。それは東京近海にゴジラが現れ、戦艦高雄が藻屑と化した後、神木隆之介演じる敷島が自宅へ戻り同居人の典子と会話をする、狭い室内でのやりとりについてである。

 

 

敷島を脅かし支配する恐怖の正体について告白するこの場面において、はじめ座っていた典子は煮え切らない彼の態度に思わず立ちあがり向き合おうとするも、男はその視線を避け女の背後に回り込むようにして逃げ、ついには座り込み、位牌や写真に目をやり怯えうなだれてしまう。この一連の人物の動き、そしてその流れを丁寧に、古典的な、アクション繋ぎで見せていることが重要なのだ。

立ち上がる、振り向く、歩く、また座り、見る。繋ぎの効果によってこれらの動作には滑らかなリズムが生まれている。セリフはともかく、説明的な切り返しによる硬直した空間、あるいは惰性で流そうというのではなく、映画の画面にしようという意識が窺える。そうやってきちんと画面を作ろうとしているおかげで、この場面は日本語がわからなくても何の問題もなく理解できるものになっていると思う。

敷島が何度も典子に背を向けるのは、これまでの視線の在り方からも自然に思われる。彼の目が捉えるものといえば両親の位牌であり戦死した仲間の写真であり機雷であり果てはゴジラと戦争の面影ばかりであって、戦後に出会った、生きることを肯定する典子とはそう簡単に対面できるはずもない。典子たちとの暮らしにおいて家族を意識させられる瞬間に映るのも、団欒ではなく彼女の背中だ。

さてこの場面は典子が敷島の背中を覆う形で抱擁することにより終わる。抱擁といえばこの前にも一度突発的な暴力のような形で登場していたが、その時と比べると典子は敷島の恐怖と向き合う気持ちが芽生えていることがわかる一方で、敷島は依然として現在と向き合えていない姿勢を保つ。そんな姿勢について、思い返せば大戸島の場面から敷島はよく座っており、立ち姿の人物から話しかけられる画面が続いていた。そんな彼が立ち上がる時はだいたいが何かに背を向けるためで(例えば逃げること、ゴジラ殲滅作戦に反抗すること)、ついには地面を這うところまで落ちるが、最後には戦闘機の座席から落下傘で飛び出すという、座る→立つの変奏に他ならない身振りをもって、背を向けるためではない直立の姿勢をとる。それが三度目の抱擁へと結実するのだから、人物の姿勢に関しては一貫した振付がなされていたように思う。

 

 

不満というほどではないが、少し気になるのは照明だろうか。先に上げた室内シーンもカメラの位置が下がると黒というほどではない薄暗さが顔にかかる。確かに床に照明などあるわけないからその方が自然だし、翌朝台所にて娘と戯れる場面にクローズアップがあるからそれでよいということかもしれないが、浜辺美波に関しては少し勿体ないように思えた。なお彼女の顔に当たる光で最もよいのは、はじめてゴジラを目撃するため振り返った瞬間だろう。一方神木隆之介は「震電」についての説明を受ける場面の光が最も良い。ここの切り返しはやや誇張された陰影がかかるようセットアップされていて、その光には贅沢を感じた。

 

 

ここまで書いてきたこと、繋ぎや照明を丁寧にやるなどということは本来は当たり前で、そのうえでここぞという場面を作り上げるものだとは思う。しかし莫大な予算をかけた大作映画、例えば最近のマーベル・シネマティック・ユニバースなど見ているとあまりの画面への興味のなさに頭を抱えることもしばしばで、その中にあって『ゴジラ-1.0』は貴重かもしれないと錯覚するほどなのだ。称賛できるような作品ではないとは冒頭にも書いたけれど、しかし映像に対する丁寧さがないわけではなく、割と楽しく見られましたよという話。

最近見た旧作の感想その52~2023上半期旧作ベスト~

上半期どころかもう下半期も終わろうとしているのに、いまさら上半期旧作ベストです。いやぁしかし今年はもう暑くて暑くて憔悴していたわけですが気づいたらもう雪が降るほど寒いってんだから時の流れは速いもんで、而立から不惑までもきっとあっという間なんでしょうなぁ。と、余談はさておき本題。今年の1月から6月の間に見た作品の中からとくに面白かったものについて、簡単に書いていきます。順位はありません。

 

 

 

『喜劇"夫"売ります』(1968)

こちら→https://hige33.hatenablog.com/entry/2023/06/30/230948に個別で記事を書きましたが、これは言葉も大変面白く、役者の表情や動きも楽しめる素晴らしい喜劇で、喜劇・コメディに対する苦手意識がこれで少しは薄くなったような気がする。瀬川昌治監督の作品は今まで見たことがなかったけれど配信サイトにもそこそこ作品があるようですから今後見ていきたいところ。ちなみに安藤昇主演の犯罪映画『密告』(1968)もとても面白い作品でした。喜劇だけじゃないのか。

 

 

 

『怪猫お玉が池』(1960)

石川義寛監督による怪猫もの。どぎつい色と残酷さによる見事おどろおどろしさ。冒頭、森を彷徨う男女が堂々巡りの果て度々たどりつく、おおよそまともな色彩をしているとは言えない奇怪な池のほとりで彼らは猫に導かれて廃墟の門を開くわけですが、この堂々たる怪奇のハッタリを楽しませてくれる冒頭部分からすでに素晴らしく、もはや嬉しくなってしまう。続く屋敷の中では北沢典子が化け猫の手招きにあわせてふらふらと体が引き寄せられるのだけれど、その動きは本作においても一番目を引くシーンだろう。似ているわけではないが『回路』のアレのよう。そう考えると黒沢清、特に『回路』はシミとかも怪談的風味ではありますね。また屋敷での斬りを筆頭に室内カメラワークも見事で、こういった諸々の動きが心地よい箇所も多い。もちろん、簪から流れる血であるとか狂気に囚われて真っ赤な池に沈んでゆく悪役など怪奇の欲望も存分に満たしてくれるし、水の撮り方扱い方も素晴らしいと思います。とても面白かった。

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『香も高きケンタッキー』(1925)

母娘の二代にわたる馬が主役になる視線のメロドラマ。雨上がり、都会の交差点で元主人と運命的な再会を果たすも視線が合わずにすれ違ってしまうシーンはあまりにも美しく、この場面を筆頭に全編馬という生物の崇高な美しさが画面に満ちている。森に佇み木漏れ日を浴びる悠然たる姿や光を受けて輝く毛並みには感嘆の声が漏れるでしょう。さらに、殺処分されそうになる場面での調教師との切り返しではまるで馬に表情があるかのように見える。ちなみに殺処分のため銃に弾を詰める手元のアップとか馬以外の描写も当然優れていて、かつての愛馬を連れ戻すシーンでは二人の男がボロ小屋の扉越し、画面上隠れている場所で拳闘を始めるのだけれど、その結果がわかるほんの1秒前に、まず窓ガラスが割れる。このわずかなズレを生むアクションがやはりうまい。ちなみに余談として、頭を擦りつけあい戯れる馬たちを見ていて連想したのはジュラシック・パークヴェロキラプトル、特に調理室へ侵入する場面ですね。あれは蹄の代わりに鉤爪で暴力を際立たせているけれども、頭の動きなど実は馬が参照されているのではないかと、ふと思ったのです。

 

 

 

『湖の見知らぬ男』(2013)

よくタイトルは聞くけれど日本で見られる機会がほとんどないという、よくあるやつ。視界のひらけた広い場所から、あるいは茂みにさえぎられながら「見る」ということ。ミニマムな世界の中で行き交い、見て見ぬふりをすることがサスペンスや妙な間の抜け方を醸し出していて不思議だし、家も道もなく、あくまで湖という世界だけで宙づりのまま終わってしまうのも好き。また「スープのよう」な湖のゆったりとした官能。ぬめりがあってまとわりつきそうに見える湖面はとても素晴らしいと思うし、また木々をざわめかせる風をはじめ、音も印象に残る。とはいえ、何よりインパクトが強いのは正面から堂々と映し出され続ける男性器なのです。

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溶解人間(1977)

これは詩がありますね。溶けゆく孤独な人間の放つ詩が。とある宇宙飛行士がなんの因果か地球へ帰還すると体が溶け始め、わけもわからぬまま暴れ脱走し、夕陽を背にあてもなくふらふら彷徨い、最後には完全にドロドロになって汚物として場末のゴミ箱に捨てられるだなんてあまりに物悲しい。しかもラジオからは新しい宇宙への挑戦が流れており、なんだか泣けてしまいますね。もちろんそんな感情もリック・ベイカーによる素晴らしい特殊メイクの力あってこそで、「ああっ、人が溶けてる」に素直に驚かされるからこそ無常感も際立つ。ほかにも、起き上がった溶解人間をみて驚いた看護士がガラスを突き破って走り去るその勢いとか、あるいはどんぶらこと川を流れる生首とか、電流黒焦げ落下死体とか、要所要所でインパクトの強い映画でしたね。

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『こどもの世界(トワイライトゾーン/超次元の体験)』(1983)

何もかも思い通りにできる超能力少年が現実とカートゥーンの境目のない家で疑似家族を形成しようとする、コミカルだけどぎょっとする凶悪さも備えたジョー・ダンテの傑作。特に好きなのは「口を無くした」本当の姉が軟禁されている部屋へ続く廊下ですね。光源のわからない謎の影が四方の壁で交錯しているこの表現主義的空間は、一度見たら忘れられないインパクトがある。これは何故か廊下に置かれているテレビで流れているフライシャー兄弟のアニメ『Bimbo's Initiation』(1931)のオマージュでしょう。というか『こどもの世界』という作品全体がこの悪夢的傑作アニメのオマージュといっていいかもしれない。さて一方少年が暴走し始めると今度は毒々しい色彩が室内を支配し、テレビ=カートゥーンの世界に閉じ込められたり、あるいはテレビからはヘンテコモンスターが飛び出てくる始末。その造形というか変形はあまりにも悪趣味だけれど自分が小学生のころに見た『マスク』(こっちはテックス・アヴェリーでしょうが)とか学校の怪談のテケテケやシャカシャカを思い出し懐かしくもある。現実もカートゥーンもモノクロもカラーもキュートもグロテスクもごちゃまぜになった、とても力強い一作。

 

 

 

『秋立ちぬ』(1960)

白状しますと成瀬巳喜男監督はどうもわからない。好きな作品もあるしどれを見ても面白いなとは思うけれども、しかしよくわからないという印象でそれがなんだか恥ずかしくもあるわけですが、何はともあれこれはとても好き。少年の前からどんどん人が消えてゆく大変厳しい物語。父親は結核で亡くなり、母親は駆け落ちし、友情をはぐくんだ少女も最後どこかへ引っ越してしまう。ガランとした空き家の風景からデパートの屋上へ至る流れなどあまりの寂寥感に胸が締め付けられる。大人たちの現実に振り回される少年は口数こそ少ないものの僅かな表情や動作によって十分に感情が表現されており、まさに演出の賜物といえるでしょう。また辛いばかりではなく美しさやアクションもふんだんで、例えば親戚の兄に連れられバイクで夜の道路を走るシーンは美しい光に満ちているし、少女と二人、海岸まで小さな家出を試みる場面などはただひたすら歩くことによって魅力的な風景の連鎖=映画を作り出している。喧嘩の最中に突き飛ばされた衝撃で紙袋から飛び出るトマトの転がり具合まで絶妙。

秋立ちぬ

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『午後の網目』(1943)

マヤ・デレンとアレクサンダー・ハミット監督によるアヴァンギャルド短編。物語らしい流れも一応あるけれど、その考察がどうとかよりもまずイメージそのものが魅力的であって、例えば手のひらや首筋といった肉体の細部は光の扱いもあって際立っているし、マヤ・デレンが舞踏家でもあるためか全身の動きによる表現も見どころ。また鍵をカバンから取り出すショットがどこかサイレント映画を感じさせる手つきであったり、黒いレースのカーテンや髪の毛を揺らす風の雰囲気も美しい。あとは黒装束で顔に鏡をはめ込んだような謎造形マンは割とストレートに悪夢っぽいキャラクターで好きですね。

 

 

 

さて以上が上半期に見た中で特に好きだった作品です。他には、色々と誘い水が多く洒落臭いけれどもしかし血の雨とかバカバカしい絵面もきちんと撮っているところに好感が持てた『NOPE』(2022)、「泊ってしまった」芦川いづみ沢村貞子の視線がズレていくあたりの緊張感をはじめどんどんホラーへ転嫁していくのが面白い『結婚相談』(1965)、三隅研次とは一味違い編集の畳みかけやあるいは役者の重たさが魅力の岡本喜八監督版大菩薩峠(1966)、パリの街並みとか風に雪とそれにリリアン・ギッシュの美しい横顔が記憶に残る『嵐の孤児』(1921)も面白かったですね。

さて、冒頭にも書いた通りもい下半期も終わりに近づいているわけですが、年末ベスト前に一回くらいは新作・旧作どちらもいいので更新したいところです。なんとかなればいいな。というわけでまたお会いしましょう。

最近見た旧作の感想その51

『喜劇 “夫”売ります!!』(1968)

喜劇の名手として有名な瀬川昌治監督作品。といっても喜劇、コメディというのはどうも苦手であまり手が出ないジャンルであったため、最近まで恥ずかしながら作品どころか監督の名前すらも知らなかった。しかしふとU-NEXTで目に入った『喜劇 急行列車』を見て、これはなかなか面白いではないかと関連作品を探っていたところ、タイトルに惹かれ本作を鑑賞。これがとても素晴らしい、傑作であった。

 

京都の西陣織や灘の生一本を隠れ蓑に目立たず組紐や酒造りで栄えるこの忍者の地・上野伊賀、他人の監視と噂話が絶えない。そんな上野一の富豪、神代家の女当主・里子(佐久間良子)は2度結婚し2度夫に先立たれ、心なしか寂しい日々を送っていた。神代産業の副支配人・石上(川崎敬三)はそんな彼女の欲求不満を解消するため、里子の幼馴染でもある運転手の山内(フランキー堺)に目をつける。気弱で甲斐性なしの山内はそそのかされるまま里子と夜を過ごすようになるが、しばらくして事の次第を妻のなつ枝(森光子)に気付かれてしまう。しかし、なつ枝はどうせ稼ぎの悪い夫だから、そんなに欲しいなら売りますと言い出し・・・

 

 

言葉に耳を傾けるべき映画というものがある。それは断じて小難しい説明が続くとか気取ったセリフに溢れているからではない。この場合重要なのは内容ではなく、言葉がいかにして使用されているか、ということにある。脚本上にセリフとして書かれた言葉は、適切なやり方で実際に声になって発せられるときに、元々紙に書かれていた内容を以上にその人物や土地、あるいは集団、はては歴史という厚みを増すときがある。

この映画の場合、まずはまくしたてるようなペースで伊賀上野について語られ、続いてあちらこちらからあれやこれやのうわさ話が風のように駆けてゆくシーンから始まる。なるほど忍びの里である伊賀ではどうやら言葉の足も速いらしいく、ここで言葉の速さは舞台となる土地の風土か、気風を表している。実際に声になって発せられたことにより、言葉がその内容以上の厚みを持っているのだ。

さてではそこで暮らす人間はいかなることを、どのように喋るのか。例えば野望を抱えた川崎敬三フランキー堺をそそのかし、橘ますみと密約し、支配人である父を誘導する。彼の言葉はすべて暗躍、つまり忍びの言葉であるためトーンも話す場所も秘めたものになるだろう。あるいは世間体を案ずる安芸秀子が浴びせる雪崩のような小言は噂の広まりやすい伊賀を長年生き抜いてきた知恵の一つによるものかもしれないし、佐久間良子の初心と厳粛を行き来する口調には夫に先立たれた女当主という在り方が表れているのだろう。役の個性が喋り方に内包されているから物語の要請によって無理に喋らされているとは思わないしいわゆる自然体というものとも違う、いうなれば映画の喋り、役の活気を増し推進力となる言葉がここでは話されている。

 

 

そんな喋りの魅力が最大限に引き出されているのはタイトルでもある夫を売る場面だろう。細々と組紐を生産するもリンゴを買うことすらままならない貧乏暮らしに疲弊した森光子は淡々とした口調で話をするが、夫が売れると気づいたとき里子に彼の値段を試算し交渉する場面の生き生きとした話しぶり。小うるさい姑に別れを告げ、夫を売って得た金で大きく組紐生産に乗り出し、使われる側から使う側へと変わってゆく際の話し方の変貌ぶりは本作最大の見せ場で、もともと借金に追われているがゆえに金の計算に関してはめっぽう早く、その言葉の速さによって周囲を呆然とさせながら過去を清算しく様子は痛快である。

 

 

しかし森光子にもまして言葉をうまく利用する人物が最後に登場する。それは忍びの里伊賀上野らしい、自らはひたすら陰に隠れながら糸を操り自分の望む方向へと物事を運ぶという、なるほど土地と系譜の説明から始まったこの物語にケリをつけるには非常にふさわしいやり方を使う、老獪な人物である。そこで行われていること自体は喜劇らしいというのか、くだらないやり取りで軽妙さを失わない。言葉に耳を傾けるべき映画としてよくできた構成だと思う。

 

 

言葉の話を中心に書いてきたがもう一つ、視線の演出にも注目しておきたい。これは常に運転手として平身低頭、おどおどとして気弱な、売られる夫であるフランキー堺を中心に展開する要素で、特筆すべきは佐久間良子に連れられ二人で渓流へと出かける場面のこと。運転手は階段を下りる女主人の手を引く。しかし主人が段差を踏み外したことで偶然、彼らは同じ高さで見つめあってしまう。普段はまともに目を合わせることもできない間柄で唐突に起こる視線のぶつかりあい。一瞬の停止ののち、きまり悪そうに視線をずらすと二人はすぐさま体を離し、背中合わせになるようにして橋の両側へ避けていく。ふと川へ目を向けると遊ぶ子供たちが見える。やがて佐久間良子が場所を移し、横並びになってからもう一度向かい合い、二人は過去を再現する。この数分の中にある体運びと二人の視線の動きに、物語の発端となってゆく感情が詰まっている。見事じゃあないか。二人の演技と、おそらくは監督の振付のたまものであろうこのシーンからしても、瀬川昌治、只者ではないなと思わされるのであった。

最近見た旧作の感想その50〜2022年下半期旧作ベスト~

あけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いします。あれやこれやと騒がしいテレビと、鐘の音響く静かな夜の空気には、いくつになっても年が明けたなと思わされるな、などとゆったりしていたら鏡開きも過ぎ新年気分などすっかり抜けてきた頃となってしまいました。

さて、昨年末の新作ベストテン記事にて予告したように2022年下半期旧作ベストです。7月から12月に見たもので、特別面白いと思えた作品についてコメントを添えつつ紹介したいと思います。なお、上半期ベストについてはこちら→

https://hige33.hatenablog.com/entry/2022/09/27/232828

 

 

『狙撃者』(1971)

マイク・ホッジス監督。列車がトンネルを抜けるとこから始まる映画はだいたいいいの法則。さてこの作品は田舎の荒涼とした風景、曇り空が最高。石造りで圧迫感ある裏通りと、そこかかる白い布の揺れが印象的。また、終盤に出てくる木造の橋から海辺の炭鉱に至る追跡シーンにおける景色の寒々しさは絶品で、斜面での決着、そしてリフトで運ばれる死体と最後まで完璧な流れ。死と機械仕掛けという点も含めすこしだけ黒沢清、特に『蜘蛛の瞳』を思い出す感覚がある。残念ながら配信なし。

 

 

ロボコン(2003)

古厩智之監督。高校のロボットコンテストを題材にした作品で、初心者である長澤まさみが率先して動き回ってバラバラの部員を繋ぎ、「青春」を遠くから眺める側だったのが、いつしか見つめられる人となることでチームが出来上がっていく。これは彼女が競技において、ロボットを操作し、バランスを取りながら箱を積み重ねる様とも呼応している。試合前夜に、部員皆で出前のラーメンを啜るシーンがベスト。ここでは誰も視線を合わせていないけれど、横向きの軽トラックがきれいに収まるフレームの中、感傷に流れ過ぎないセリフとちょっとした動きもあって、ちょうどよいチームのまとまりができている。

 

 

『七人の刑事 終着駅の女』(1965)

1961年よりTBSで放送されていたドラマの映画版。そのドラマは寡聞にして知らず、監督である若杉光夫の名も初めて目にするという体たらくだったけれど、これは傑作。上野駅のホームで刺殺された女の身元と犯人を追う刑事たちの話で、ドキュメンタリー的な映像と音によって当時の風俗、そしてたくさんの人が行きかう駅という「場」を描いている。殺された女は婚約者ではないか、あるいは娘ではないかと刑事部屋へ色々な人がやってきてはそれぞれ身の上話などをして、結局事件とは無関係だと判明するシーンなど本筋とは関係ないけれど駅を起点に人間模様が広がっていて、それが妙に心に残る。ぶっきらぼうに記録しているようなカメラの在り方、例えば物の出入りや、主張しすぎない長回しも非常に効果的で、さらに急なズーム、あるいは終盤の叫び声から顔のアップという鋭いカットまで充実の90分。

 

 

『聖の青春』(2016)

どの画面も良いレイアウトで、柳島克己による撮影が素晴らしい。特に村山聖羽生善治が東北での大会ののち、小料理屋へ出向き酒を酌み交わすシーン。窓の外に雪がちらつきはじめ、そのタイミングの素晴らしさに思わずダグラス・サーク、とつぶやいてしまう。さてこのシーンで2人は将棋に出会った運命の不思議さと、お互いこの相手ならば前人未到の、将棋の深い世界まで一緒に行けるかもしれないという話をする。それはほとんどメロドラマではないか。村山は難病という不幸から出会った将棋の先に、短い生涯の全てをかけるに値する運命の相手を見つけた。後の名人戦、比喩ではなく彼らは同じ姿勢で将棋盤に向き合い、対局を進める。ここで重要なのが録音の凄さで、対局がまるで親密な会話であるかのように、駒を指す音から衣のすれ、扇の軋みまでつぶさに拾い上げている。森義隆監督、録音の白鳥貢ともに注目したことがなかったことを恥じるほど驚かされた。

 

 

ブラック・サバス/恐怖!3つの顔』(1963)

マリオ・バーヴァ監督によるオムニバスホラー。一話目はあまり面白くないけれど、白い壁に囲まれた室内には金の壺やピンクの蝋燭といった飾り物が多く置かれ、また電話など差し色的に赤が。『知り過ぎた少女』の雰囲気に近い部屋だが、影の印象は少し弱い。二話目は木の橋を渡るショットがモノクロサイレントのホラーに近い雰囲気で強い。お馴染みアーチや螺旋階段のある廃修道院もいい怪奇。そして三話目が傑作。サスペンスとホラーを盛り上げる異常色彩は全カットぬかりなく、影の雰囲気も三作で一番良いのではないか。いかにも生き返りそうな、黒い服を着た死体の横たわるベッドから白のドレスに繋ぐカットもいい。

 

 

『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』(1977)

小平裕監督。そりゃあ、深作欣二中島貞夫と比べてあまり上手い映画だとは思わないけれど、この菅原文太はとにかく狂犬度が高い。ひたすら暴れている。開始早々、出所祝いの席で組長や幹部に悪態をつき叫び机を蹴り飛び出していく始末で「相変わらずのキチガイ」と評されるほど。そのテンションがずーっと続く。それがどうも面白かった。銃撃シーンも、人の動きはあまり派手ではないがいろんなものが散乱、破裂するのでなかなか楽しいし、佐藤允との対決でもそれは活きている。またピンクレディーの曲など随所でラジオから流れる音声をうまく利用しているのも特徴といえる。

 

 

三里塚 第二砦の人々』(1971)

小川紳介監督による、成田国際空港の建設に反対する地元民たちと空港公団・機動隊の衝突を描く、ほとんど戦争映画なドキュメンタリー。塹壕の中では男も女も関係なく砦を守るための作戦を練り、バリケードを補強し、あるいは冗談を言ったりタバコを吸ったりして抗戦に備えている。そうして実際に衝突が始まるとカメラはぶつかり合いの中心に入り荒々しく揺れる。激しい攻防の一方では婦人行動隊が行進し、あるいはあちこちで火の手が上がり、ふと上空ではヘリコプターが飛んでいる。その混沌が、ワンカットの映像と怒号と野次の音とで臨場感をもって伝えられる。自らを鎖で杭に括り付けて、泥にまみれながら「親子もろとも殺せ!」と叫ぶ姿など一体他にどこで見られよう。重機に火炎瓶、放水隊に石。平地、塹壕、丘と戦い方も場面も豊富。砦で抵抗、生活する人々の「場」が記録された傑作。

 

 

他には、手すり映画といえよう中川奈月監督『彼女はひとり』ジーン・ティアニーの水をはじいて走り出す姿が美しいジョン・フォード監督タバコ・ロード、病的な日常と一瞬の鋭さに刺されるシャンタル・アケルマン監督『ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』も印象に残っている。まさかアケルマンが気軽に見られるようになるとは思いもしなかったですね。生きていればそういうこともある。

さて以上で2022年の下半期旧作ベストは終わり。2023年はもっと数を増やしたいですね。あと今読んでいる「映像が動き出すとき」がそろそろ終盤なので新しい本も色々読んでいきたいところです。そしてブログも継続して書いていきたいところ。最低月1回がやはり目標ですね。というわけで、また次回お会いしましょう。

今年の映画、今年のうちに。2022年新作映画ランキング

年の瀬でございます。というわけで今年もやります、2022年新作映画ベストです。新作の基準は今年新作として公開された作品、つまり特集上映やリマスターなどリバイバル、そしてMVや短編も除外します。というわけで、敬愛する黒沢清監督の『Actually...』は対象外。『Sevneth Code』みたいに劇場公開されなかったしね。尚、場環境等や心身の不調により今年は就職以降最も映画を見られなかった年となってしまったので、ベスト5+次点です。

 

 

 

次点 バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ

確かに新鮮味はないし、ゲームのキャラクターを多数登場させた結果全員輪郭がぼやけ薄味で華もなくなっているなど、いろいろと至らない点がある作品だとは思う。しかしはっきりと美点もある作品で、例えば奥行きと闇を意識させる空間設計が随所で効果を発揮している。顕著なのはリッカー登場シーン。怪物の姿こそ見えないものの、画面奥の電灯が一つづつ揺れこちらに近づいてくる様子など、視覚的楽しさのある場面じゃないか。あるいは、発火炎やライターの点滅、その音と光でゾンビとの攻防を見せたりと、所々工夫もある。全体に安定したショットのある落ち着いた、古めかしい作品だ。最後に屋敷がきちんと崩れるのも好み。6位でも7位でもなく、次点としてここに置いておきたい。

 

 

5位 恋は光

西野七瀬のぎこちない表情で終わる。その表情に賭けたというのが成功している。恋に戸惑う登場人物たちが、流暢だけど不自然なセリフによって問答し、最終的にぎこちないけれど自然な戸惑いの表情に収まるのが好きだ。小林啓一監督は前作に続き、不自然なセリフをきちんと昇華させるのがうまいと思う(「未来の話をしましょう」)。そのほか、馬場ふみかが玄関に足を踏み入れる急なカットと、そこから2か所に別れそれぞれで恋についての議論が進むあたりの編集も素晴らしい。ところで、結末に用意された神尾楓珠西野七瀬の触れ合いは、序盤に川辺で彼らの釣竿が交差しているショットの変奏として捉えられないだろうか。実際その釣竿の交差を見たとき、これはこの2人の映画になるに違いないと予想されるのだ。

 

 

4位 左様なら 今晩は

映像の変奏という点では本作が最も記憶に残っている。ベランダで吸うタバコの煙は線香に。一人で飲んで雑に置かれたビール缶は分け合うためコップに、そして花瓶に。またベランダの裸足のアップは外を出歩くための靴に。という具合で物語=関係性の変化と合わせた小道具の扱いがうまい。だから海沿いで揺れる久保史緒里の白い服は、窓際で揺れるカーテンと別れを想起させ彼女の結末を暗示するだろう。全身を収めるショット、それぞれの視線の高さ、そのズレがなくなる辺りにも緊張感がある。基本的に狭い室内で展開する物語だからこそ、どこにカメラを置いてカットを割る、割らないの選択がとても効いていたように思う。ベランダ映画。

 

 

3位 ウエスト・サイド・ストーリー

詳しくはこちら→https://hige33.hatenablog.com/entry/2022/02/19/150715に書いた通り。個人的には61年版よりも好きなくらいで、特に「cool」の拳銃を奪い合うどこかエロチックでもあるダンスは素晴らしい。ただ、どうしてもその拳銃を酒場で手に入れる場面や、またはベルナルドの死後シャーク団がたむろするボクシングジムのかくれんぼなど、暴力の匂いが強く立ち込める黒い画面の方にこそ惹かれる。

 

 

2位 ケイコ 目を澄ませて

ケイコの心情ではなく日常にある音や動作を淡々と積み重ねること、またコート姿で街や夜を歩く姿から妄想したのはハードボイルド。破られたページは彼女のみ知る。そんなケイコの、画面中央に置かれた孤高の横顔が素晴らしく、特に感動したのは2戦目の観戦に来ていた母を駅まで送る場面で、風がケイコの髪を揺らす瞬間。ほんの一瞬のことではあるけれども、その美しさが忘れられない。この他にもたくさんの忘れ難い瞬間に満ちており、例えば土手も、電車の交差も、階段のある路地も、ジムの前で手紙を出せなかったケイコに横顔に当たる光も、またストーブの上にある赤いやかんも、鮮明に記憶に残っている。さてこの作品には双方向であれ一方的であれ、共感であれ衝突であれ反復であれ模倣であれ、様々な形のコミュニケーションがある。風景と人。この土地で生きること、生活のすべてが豊かに息づいているような感覚がこの作品にはある。傑作。2位だけど1位みたいなもん。

 

 

1位 フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

詳しくはこちら→https://hige33.hatenablog.com/entry/2022/06/21/014433に書いた通り。レア・セドゥ演じる看守シモーヌが、自らをモデルとしたフレスコ画の前を闊歩するシーンの、あまりにも不意に襲ってきた感動。理解というよりはほとんど反射的で、自分でもそのとき一体何に心を動かされているのかわからないままただただ目を奪われてしまったという体験ができた。結局、これ以降そんな瞬間を超える作品には出会えなかった(ケイコはほぼ同率だけど)ので、ウェス・アンダーソンのこの作品を、2022年の1位に選ぶ。

 

 

 

というわけで、以上が2022年のベスト5+次点です。そのほかだと『スティルウォーター』ブラックボックス:音声分析捜査』の妄執。『炎のデス・ポリス』『ブラック・フォン』のキャラクターと籠城(監禁)の丁度良さ。『グリーン・ナイト』グランギニョル、あるいは階段の怪奇が印象に残っている。スポーツの閉塞感、息苦しさをこそすさまじいアニメーションと時間感覚によって描きだした『THE FIRST SLUM DUNK』にも興奮したし、アニメではアンネ・フランクと旅する日記』も良かった。登場人物と同様に夢なんだか起きているんだかの不思議な体験をしたMEMORIA メモリア』だって忘れ難い。

けれども今回ベストの基準はもう一回見たくなったかどうか、あるいは、ハッとする瞬間があったかどうかという点に重きを置いて考えたので、これらの作品を入れてベストテン、とはしませんでした。見逃した作品が多すぎて「テン」にはできなかったという思いもあります。ちなみにワーストは『シン・ウルトラマン』と『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』です。

 

冒頭に書いたように今年は心身の不調、特に心の方がだいぶおかしな状況に陥ってしまったこともあって多くの注目作を見逃しています。そこで今年もまた、見逃し映画テン・リストなんてものを選出してみようかと思います。去年選んだ作品の中には未だ配信もレンタルもない作品があり、やはり、劇場でかかっているチャンスを逃すべきではないと痛感させられますね。心の余裕の問題もありますが、そもそも田舎暮らしと映画の相性は悪い。

・ ザ・ミソジニー高橋洋

・ 麻希のいる世界(塩田明彦

・ 春原さんのうた(杉田協士)

・ スペンサー ダイアナの決意(パブロ・ラライン

・ NOPE(ジョーダン・ピール

・ さかなのこ(沖田修一

・ みんなのヴァカンス(ギヨーム・ブラック)

・ 猫たちのアパートメント(チョン・ジェウン

・ 彼女のいない部屋(マチュー・アマルリック

・ VORTEX(ギャスパー・ノエ

 

さて、以上で2022年新作映画については終了。今年は本当に最低を更新し続ける一年で、何もかも一刻も早く忘れてしまいたい年でした。ブログもほとんど放置してしまったようなものだし、来年だって何も良い見通しはないのだけれど、バーホーベンもクローネンバーグもシャマランもスピルバーグもあるし、またブログだってこうやって久々に書いてみるとやはり楽しいので、懲りずに下手の横好き人生を続けていきたいと思います。とりあえずは、年明けに下半期旧作映画ベストでお会いしましょう。それでは、良いお年を。