続 ジェラルド・ウェイという男

関連:ジェラルド・ウェイという男 - 新・灰日記
わあい、いっぱいコメントが着いたぞ〜。このブログ始まって以来の満員御礼でありがたいことです。やっぱりmixiの力はすごいですね。

先のエントリで僕が書きたかったこと

改めて書くまでも無いですが、先のエントリで僕が書きたかったことは2つ。

1つめ。ジェラルド・ウェイという男を通して、自己批判と自己言及を行いたかったということ。インタビューを読む限り、ジェラルド・ウェイという男は僕と非常に良く似た性質を持っていた。しかし、僕はその性質を捨て(ざるをえなくなり)、彼は捨てずに成功した。そんなアイロニーを感じ取って涙していただければよかったのですが、うまく読み取っていただけなかったようです。書き手として未熟であるということを認めざるをえません。

その辺についての僕の心情は、こちらのブログを参考にしていただければと思います。
http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/365823/
最近書かれたエントリですが、僕の心情に非常にマッチしていると思いましたので。ただし、長いですけどね。

ショービジネス

2つめ。ショービジネスというものについて考えてみたかった、というのもあります。やや後付ではありますが。
例えば演劇。ある役者がものすごく嫌な奴の役を演じたとしましょう。それを観た私たちは、その役者の持つ人格まで嫌な奴だと思うでしょうか?そんな人はいないでしょうね。いたとしても思慮の浅い奴だと嘲笑されるだけでしょう。だって彼は役者なんですから。演じているだけで、言わば虚構の存在と言えるでしょう。

いわゆるアーティストと呼ばれる人々は、「見せる」ことが仕事なわけです。役者はその際たるものでしょう。言い換えるならば、見せるためには演じなければならない部分が多かれ少なかれある、ということです。役者は演じる部分が100%のアーティストですが、その他のアーティストと呼ばれる人々もある程度演じなければならない部分はある、ということです。それはミュージシャンも同じでしょう。

ましてやPOPミュージックと言われるものが、巨大なビジネスとして成り立っているのならばなおさらでしょう。ショービジネスとは、巨大な演劇装置であると僕は思っています。なぜそう思うのかというのは書けば長くなるのでここでは省きます。そして、その装置が巨大すぎる故に、恐ろしく、危険であると思っています。*1よく考えてみてください。ロックに限らず、大衆音楽と呼ばれるものよりも観衆に熱狂を与えるアートフォームがありますか?演劇然り、映画然り、美術然り。他の何だっていい。それらは観る者に感動を与えはするものの、熱狂は与えない。ダリの絵を見ながら踊り狂っている人がいれば、ぜひ会ってみたいものです。

音楽とは、そうした性質を持ったアートだということを知らなければならないでしょう。そして、それは一つの巨大なビジネスの内部にある、ということも知らねばならないでしょう。莫大な量の音楽を売り続けるためには、人々に熱狂し続けてもらわなければ困るわけです。ショービジネス世界の人々は、我々を熱狂させる手練手管を知っています。時には分かりやすい演技で、時にはささやくような演技で、私たちの精神を常に躁状態にし続けようとしています。そして、思考を停止させるのです。アーティストは、演者だということを忘れさせてくれるのです。あたかも観ている自分達も舞台の一部であるかのように錯覚させてくれるのです。演者を同一視してしまうのです。

言っている意味がわからない?そうでしょう。ならば、問いかけてみましょう。
「あなたはなぜ、そのアーティストが好きになったのですか?」
この問いの答えをじっくりと考えてみてください。ビジネスに関わる要因を一つ一つ剥ぎ取っていったとき、あなたには何が残りますか?

音楽を愛するということ

僕は音楽を愛しています。楽器が演奏できるわけではなく、歌をうまく歌うことができるわけでもないですが、だからこそ、それができる人をすごいと思います。僕はそんなすごい人をたくさん知りたいが故に、何百というアーティストの音楽を聴いてきました。僕の音楽に対する愛を言葉で語るならば、そんな感じ。

音楽は人生の一部ではありますが、全てではありません。音楽は人生に潤いを与えてくれますが、人生を変えることはありません。もし変わったと思うならば、それはたぶん錯覚です。おそらく、アーティストに影響されて人生が変わった自分を演じているだけで、その人自身の本質が変わったわけではないでしょう。*2そもそも人生とは、それほど軽いものではないはずです。

あなた方がジェラルド・ウェイという男を愛している、ということは十分分かりました。それと同時に、自分自身も愛している、ということもよくわかりました。確かに僕は、彼に対して辛らつな言葉を投げかけました。しかし、何度も言いますが、それは自分自身に対して投げかけた言葉でもあります。同時に、自分の痛みを引き受ける、という行為でもあります。それだけが、自分を高める最たる手段であると考えています。それは、自分自身の傷に過敏に反応したり、嫌いな過去の自分を変えたりするということではありません。同一視しているアーティストがけなされ、汚されたからといって感情的に反応するような行為とは、一切無縁の行為であるということをお知りおきください。

mixiのトピにコメントしていただいた皆様へ

このたびは、お騒がせして申し訳ございません。みなさまの大人な対応(これは皮肉ではありません。)にひどく感銘を受けました。また、拙文ながらもこちらの意図を読み解いていただけた高いリテラシーに感服する次第です。自己に言及するために赤の他人まで巻き込み、それがこのような形で不快な思いをさせてしまったことに対して、お詫び申し上げます。上にも書きましたように、みなさんがMy Chemical Romanceを愛するように、僕は音楽を愛しています。もしよろしければ今後とも、同じ音楽を愛するもの同士、このブログにおつきあいいただけますようよろしくお願いします。
また、改めて彼らのアルバムも聴いてみようという興味も沸いてきました。これもまた、新たな繋がりによる産物であると思います。ありがとうございました。

先のエントリにコメントを書き込んだ方へ

ブログは暇だから書くものでしょう。コメントもまた然り。
もう少し自分を高めた方がいいですよ。さようなら。

追記

mixiのトピ、消えてる・・・。
誰が読むんだこのエントリ・・・OTL

*1:だからジェラルドFanは怖いですね☆

*2:それは変化というよりも、もともとそれを受け入れる下地があり、それが発露したと考えるべきでしょう。