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2012-07-30 タカヒロ論「憧れのあとさき」Web版(上)

「憧れのあとさき」Web版(上)(「恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説」所収)

1.序

これから展開する文章は、ゲームクリエイタータカヒロについての論考である。タカヒロが手がけた美少女ゲーム*1のシナリオを題材にして、シナリオライターとしての彼の達成を明らかにするものである。

最初に、注意事項を記しておく。現在*2、タカヒロは美少女ゲームのシナリオライターであると同時にみなとそふとの代表であり、企画、ディレクター、その他の職も兼任している。対して、筆者は美少女ゲームの一プレイヤーである。そのため、あるゲームの制作過程において、タカヒロがシナリオライターとして行った作業範囲を弁別することは難しい。

そもそも、ゲーム制作に関わる多数のスタッフの中からシナリオライターだけを取り上げて論じることはナンセンスであるという意見もあろう。*3

しかしながら、本論ではシナリオライターとしてのタカヒロの職能について、他の職能から厳密な選り分けを行うことはしない。筆者はタカヒロが企画・シナリオライターとして参加した作品を「タカヒロ作品」と呼ぶことにし、シナリオライターであるところのタカヒロの姿は各タカヒロ作品のテキストを通して認識することを基本姿勢とする。*4同時に、企画やディレクターとしての作業、原画家や他スタッフとの連携作業なども便宜的にシナリオライターの仕事、つまり広義のシナリオライティングとして語る。企画段階から作品全体に多大な影響を与えるクリエイターとしてのシナリオライターを想定し論じることには意義があると筆者は信じる。*5

以上のことから、本論はシナリオライター論というよりはクリエイター論に近い。同時に作品論の集成でもあり、ブランドとしてのみなとそふと論にも隣接するものである。本論のこのような性格については了承してもらいたい。

なお、本論ではネタバレへの配慮は行っていない。しかし筆者は、タカヒロ作品をまだプレイしていない読者も歓迎する。本論をきっかけとしてそのような読者がタカヒロ作品の新たなプレイヤーとなってくれることを祈る。

1.1.本論の目的

タカヒロは、きゃんでぃそふと在籍時代からみなとそふとを立ち上げて現在に至るまで、美少女ゲーム制作について一貫した姿勢を取り続けている。それは、みなとそふとのWebサイトにおいてブランドのスタンスを表明した一文から読み取ることができる。

みなとそふとについて

「みなとそふと」のゲームは明るく楽しいものを目指し作成しています。

分かりやすい企画を重視し、フルボイスによるキャラクター同士の賑やかな掛け合いやストーリーを楽しんで頂ければと思います。宜しくお願いします。

みなとそふと代表 タカヒロ*6

タカヒロ作品は「明るく楽しい」をその基本理念とする。本論では、タカヒロが如何にして「明るく楽しい」性質を表現したのか検討することを第一の目的とする。

また、タカヒロ作品はキャラクターを積極的にコミュニケーションさせることで魅力的に描く、「キャラゲー(キャラクターゲーム)」を志向している。タカヒロ作品がキャラゲーとして何を達成したのか検討することを本論における第二の目的とする。

本論がタカヒロ作品、延いては美少女ゲームに対する新たな認識を読者に提供し、それが各人のゲーム体験をより豊かにすることがあれば、筆者としてこれ以上の喜びはない。

1.2.本論の構成

本論では、まず、タカヒロのプロフィールについて述べることで彼の人物像を結ぶ。次に、理論としてタカヒロのシナリオライティングをワールド、ストーリー、キャラクターの三つに分けて考察する。それぞれがどのように「明るく楽しい」「キャラゲー」制作に貢献するのか、いくつかのキーワードに基づいて論じていく。続いて、作品論を置く。タカヒロ作品を発売順に概説し、先に説明した理論が各作品において具体的に現れていることを確認する。最後に、タカヒロがその作品を通してプレイヤーに何を提示したのかについて論考する。

2.プロフィール

本章では、タカヒロ作品の理解を助けるものとして、タカヒロという人物そのものの像を結ぶことを目的とする。最初に略歴を記述し、タカヒロが関わったゲーム・非ゲーム作品について主なタイトルを挙げる。次に、タカヒロの嗜好をまとめる。これはタカヒロの系譜を探ることにもつながる。*7

しかし、筆者の興味は系譜論にはなく、機能論にこそある。

[…]建築にたとえていえば、個々の材木が吉野杉であるか米松であるかをいうのは、系譜論の立場だ。できあがった建築が、住宅であるか学校であるかをいうのは、機能論の立場である。*8

つまり、シナリオライタータカヒロを形成したものや彼に影響を与えたものは何かという、その由来からタカヒロを考えるのではなく、彼の作品が私たちプレイヤーにどのように働きかけるか、どういった意味を持つかという観点からタカヒロを考えたいということだ。本論は、そのような筆者の関心に基づいて書かれていることを告白する。

2.1.略歴

タカヒロは、主に美少女ゲームの企画・シナリオを手がけるクリエイターである。現在、美少女ゲームブランドみなとそふとの代表を務める。彼の経歴を簡単に紹介しよう。

1981年に生まれ、学生時代にプログラムを学んだ後、株式会社インターハートにシナリオライターとして入社した。『少女人形〜愛と飼育の日々〜』(ぷちDEVIL、2002年)*9でシナリオを担当し、次いで『悪戯4〜俺たちの戦闘車輌〜』(INTER HEART、2002年)*10にもシナリオライターとして参加した。

初めて企画・シナリオ・ディレクションとして制作したのが『姉、ちゃんとしようよっ!』(きゃんでぃそふと、2003年)*11である。以後、『姉、ちゃんとしようよっ!2』(きゃんでぃそふと、2004年)*12、『つよきす』(きゃんでぃそふと、2005年)においても企画とシナリオを担当した。『つよきす』のコンシューマー移植作『つよきす〜Mighty Heart〜』(プリンセスソフト、2006年)*13ではシナリオ、『つよきす』のファンディスク『みにきす』(きゃんでぃそふと、2006年)ではシナリオディレクションのみを行った。

2006年にインターハートから退社し、株式会社ホークアイを起業して、ブランドみなとそふとの代表としてゲーム制作を続ける。『君が主で執事が俺で』(みなとそふと、2007年)*14、『きみある』のコンシューマー移植作『君が主で執事が俺で 〜お仕え日記〜』(みなとすてーしょん、2008年)*15、『真剣で私に恋しなさい!』(みなとそふと、2009年)*16で企画・シナリオを担当する。

現在は、『真剣で私に恋しなさい!S』(みなとそふと、2011年以降発売予定)*17と『太陽の子』(CollaborationS、2011年以降発売予定)のゲーム制作に携わっている。

ゲームのメディアミックスにおける仕事としては、ドラマCDのシナリオや、アニメ版『きみある』のシリーズ構成と一部脚本、漫画の原作などがある。ゲーム以外では、雑誌『BugBug』におけるメディアミックス企画『15美少女漂流記』(サン出版、2009年)*18のキャラクターと世界観原案、雑誌『月刊ガンガンJOKER』で連載されている漫画『アカメが斬る!』(スクウェア・エニックス、2010年)*19の原作を務める。以上が、現在までのタカヒロの略歴と制作作品である。

第一章で記したように、本論ではタカヒロが企画・シナリオを全て担当したPCゲーム作品を「タカヒロ作品」と定義し、論考の対象とする。すなわち『姉しよ』、『姉しよ2』、『つよきす』、『きみある』、『まじこい』がそれにあたる。このように選定した理由の一つは、『姉しよ』から『まじこい』に至る一連の作品が、共通して「明るく楽しい」「キャラゲー」を目指して制作されているからである。もう一つの理由は、タカヒロ自身がPCゲームにおける仕事経歴をそのように公表していることだ。*20

本論はタカヒロが志向する「明るく楽しい」「キャラゲー」について考えるものであるから、異なる路線で作られた『少女人形』、『悪戯4』はその対象外とする。また、『つよきすMH』、『きみあるCS』については、移植作であり原作と根本的には変わらないこと、筆者が未プレイであることから言及は最低限に留める。『みにきす』も実質的にタカヒロが関わっていないことを鑑みて、主だって取り上げることはしない。また、本論が「恋愛ゲームシナリオライタ論」という体で書かれる事情から、非ゲーム作品である各種ドラマCD、アニメ版『きみある』、『漂流記』、『アカメ』についても積極的な参照はしない。

2.2.嗜好

タカヒロ 自分は薄く広くということを意識していますね。自分の場合、社長も兼ねているので、売り上げを出さないことには話にならない。[…]広く一般受けすることを目指しつつ、色々な要素を取り入れて自分なりに料理しているという意識でやっていますね。ただ、自分もすごいオタクですし、自分が楽しくないようなゲームは作りたくない。なので、コアなオタク層にもきっちりと目配せを入れていきたいと思っています。*21

タカヒロは、自身が愛するものを直接的なパロディあるいは間接的なモチーフとして作品に落とし込んでくる。それは、例えば「黒髪ロング」の美少女であったり「仮面ライダー」に登場するキャラクターであったりする。彼はゲームを制作するにあたって、より多くの他者に購入されるべき商品であることを意識しながら、一人のオタク・美少女ゲームプレイヤーとして、自分が楽しく感じるものを作品に投入する。それは、シナリオライティングを自己表現の一環と捉える態度の表れである。

*22:シナリオライターとは何ですか、タカヒロさん?

タ:は!? シナリオライターとは…やべぇ「自己表現の場」としか出てこねぇ。*23

自分が愛するものを積極的にゲーム制作に活かすというタカヒロの性質を踏まえ、作品を読解する助けとして彼の嗜好を紹介しよう。

まず、タカヒロの美少女に対する代表的な嗜好として、姉(実姉、義姉、あるいは年上の女性)、ツンデレや強気な性格、黒髪ロングやポニーテールといった髪色・髪型がある。内面的には男性に対して上位な女性を、外面的にはスタンダードなデザインの美少女を好むようだ。これらはそのままタカヒロ作品のキャラクターデザインに活かされる。*24

続いて、タカヒロが影響を受けた諸作品、諸作家について説明する。

――これまでに影響を受けた作品、作家、あるいはキャラクターはいらっしゃいますか?

タカヒロ 自分はアニメやマンガで育ってるんですよ。作品の傾向的にもビジュアルや声をよく使うんで、そこら辺がメインになるんですよね。だから昔の『ジョジョ』や『ドラゴンボール』がやっていた黄金期のジャンプと、自分が勝手に黄金期だと思ってるんですけど『らんま1/2』、『帯をギュッとね!』、『GS美神』、『うしおととら』がやっていた頃のサンデー、この2つですね。特にサンデーでのドタバタ系はかなり自分の根底にあると思います。時々レビューサイトとか見ると「タカヒロ作品はる〜みっく臭い」と言われるんですけど、意識はしてないけどやっぱり影響受けてるんでしょうね。

それ以外だと『アークザラッド2』とか『サガ フロンティア』とか『ファイナルファンタジー察戮箸キャラクターの個性を大事にしてたRPGが凄く好きで、敵だろうが脇役だろうが個性が立ってるというのは凄く重要なんだというのはそこから学びましたね。特に『FF察戮神羅カンパニーのタークスとかキャラ立ってたんで。今でも人気あるんでやっぱり間違ってなかったんだなって。

あと作風とは違うんですけど黒い話好きなんで、太宰とかも好きだったりします。*25

タカヒロの趣味として一番に挙がるのが漫画である。*26上記の引用内で言及されているもの以外には、『少年ジャンプ』作品として尾田栄一郎の『ONE PIECE』を愛読し、冨樫義博の『ハンター×ハンター』もタカヒロ作品においてほぼ直接的に登場させている。引用文ではいわゆる「るーみっくわーるど」について意識していないとされているが、その後のインタビューにおいて『まじこい』はまさしく『らんま1/2』を志向して作られていたことや、*27「るーみっくわーるど」から物語や世界観に影響を受けていることを本人が言及している。*28他に、西岸良平の『鎌倉ものがたり』も世界観に影響を与えたという。*29

漫画以外の趣味は、アニメ、ライトノベル歴史小説、特撮(平成仮面ライダーシリーズなど)、時代劇(必殺シリーズなど)、ゲーム(三国志系、格闘ゲーム、美少女ゲームなど)と多岐にわたる。それぞれを直接・間接的に作品内に持ち込んでいるのは漫画と同様である。他に、雑誌『GAMEST』(新声社)でエンターテイメントを学び、文章においては田中ロミオの影響が大きいという。具体的な作品名としては『最果てのイマ』を挙げている。*30また、同じ美少女ゲームシナリオライターの中では、麻枝准丸戸史明、王雀孫がライバル・目標であると述べている。*31これらのライターとタカヒロとの相似・相違点を考察していくことは今後の課題としたい。

美少女ゲームに対する嗜好については以下を参照する。

――プライベートでも美少女ゲームはプレイしますか?

タカヒロ プライベートでも美少女ゲームはメチャクチャ遊びますね。自分自身もユーザーであることが企画者として大事だと思っているので。今は時間が切迫しているので控えてますけど……。最近だと、エロじゃないですけど『キミキス』ですか。さらに遡ると『Fate』ですかね。やっぱりあの作品は好きですから。あと『最果てのイマ』なんかも序盤の掛け合いが好きですね。

――傾向としてはどういった作品が多いですか?

タカヒロ キャラが立っていれば何でもやりますよ。さっき言った『Fate』なんかはいわゆる燃えゲーですし、『私立 アキハバラ学園』みたいな濃い系のも好きですし。ただ陵辱物はあんまりやらないですね。どっちかって言うとライト層の中で取っ替え引っ替えやってるっていう感じです。節操がないといえば節操ないですね。

るーす 『戦国ランス』は?

タカヒロ 『戦国ランス』はもちろんやりましたよ。やっぱり上手いですよね、あそこの人たちは。エロゲーとはかくありきというか。あ、だから『戦国ランス』ですね、最近やったのは。*32

タカヒロは、名前を挙げた『Fate/stay night』(TYPE-MOON、2004年)のセイバーや『戦国ランス』(アリスソフト、2006年)の上杉謙信といったヒロインが人気であることを鑑みて、『まじこい』では凛々しさをポイントとした「武士娘」をメインヒロインに据えている。このように、タカヒロは先行する作品を楽しみながら絶えず研究する熱心さと、それを取り込んで自身の作品に活かす力を持っている。

筆者が見るに、タカヒロはサブカルチャーを中心に愛する一人のオタクでありながら、自身の嗜好を商品であるゲームへ投入する際のバランス感覚が非常に優れており、総体として優等生的な人物である。読者もまた、略歴と嗜好を確認することである程度タカヒロの人物像に迫ることができたのではないだろうか。

3.理論

この章では、筆者がどのような視座を持ってタカヒロ作品を語るのかを明らかにする。

3.1.キャラゲーとしてのタカヒロ作品

まず、本論ではタカヒロ作品をキャラゲーとして扱うことを確認しておこう。

この「キャラゲー」という呼称には、キャラクターしかセールスポイントがない商品であるという否定的な意味と、あるいは魅力に溢れたキャラクターを評価する肯定的な意味の二つが存在する。

本論では、「キャラゲー」を「キャラクターを基本単位として、彼らを魅力的に見せることに注力されたゲーム」という肯定的な意味で再定義して用いる。つまり、タカヒロをキャラゲーの創作者として捉えるということだ。

私見では、タカヒロ作品はキャラゲーとしてWebや雑誌などで広く認知されている。タカヒロ自身もキャラクターを基本単位として物語を作っていることを雑誌等で明らかにしており、キャラゲーの創作者であることが理解されている。*33

わざわざこのようなことを確認したのは、次節でタカヒロのシナリオライティングを適切に分類するためである。

3.2.シナリオライティングの三分類

第一章では、タカヒロが行うゲーム制作作業を広義のシナリオライティングとした。本章では、広義のシナリオライティングという創作行為をいくつかの要素に分けて考えたい。そのために、まずは大塚英志が『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書、2003年)で提唱した「キャラクター小説」について触れておこう。

『キャラクター小説の作り方』はいわゆるライトノベルの作家志望者に向けて書かれた本である。大塚はライトノベルの特性を「キャラクター」に見出し、「私」を描く「私小説」に比して「キャラクター」を描くライトノベルやその周辺の小説を「キャラクター小説」と呼んだ。キャラクター小説では、その名の通りキャラクターを中心として物語が作られていく。つまり、キャラゲーとキャラクター小説はキャラクターを基本単位として創作される点において似通っている。*34

キャラゲーであるタカヒロ作品のシナリオライティングは、その創作技法においてキャラクター小説と共通する部分があるのではないか。そのような考えから、大塚が前掲書で示したテーブルトークRPGの役割分担に基づく創作作業の分類を本論にも導入したい。具体的には、以下のようなものである。

大塚はキャラクター小説の創作技法として、テーブルトークRPGの方法論が有効であると言う。*35

[…]キャラクター小説家志願のあなたたちにとって大切なのは「ゲームデザイナー」(世界観を作る人)、「ゲームマスター」(物語を作り管理する人)、「プレイヤー」(キャラクターとして実際に物語を演じる人)の三つの役割分担は、そのまま小説を含めた物語作りの技術の三つの立場に分類されうる、ということです。*36

この三分類はゲーム制作における企画段階の作業(世界観やキャラクター設定)も含んでいる点で、企画とシナリオを兼任してゲームを制作してきたタカヒロの創作行為を分析するのに都合がよい。よって、本論ではこの分類に基づき、広義のシナリオライティングをワールド(世界観)作成、ストーリー(物語≒狭義のシナリオ≒テキスト)作成、キャラクター(人物)作成、という三つの要素からなる創作行為と再定義する。

では、キャラゲーにおいてワールド・ストーリー・キャラクターの三要素はどういった関係を持つのだろうか。筆者は、ワールドにおけるキャラクターの活動がストーリーとして生成されるという理解をしている。言わば、ストーリーとはワールド内のキャラクター達が取るコミュニケーションの副産物である。*37

キャラゲーにおいてはキャラクターの存在がワールドとストーリーに先行するけれども、キャラクターが具体的に魅力を発揮する姿はワールドにおけるストーリーを通すことでしか観察されない。このことから、本論ではタカヒロ作品のワールドとストーリーについて、キャラクターを魅力的に映し出すものとしての機能を検討する。

次節からは、タカヒロが各要素をどのように創作し、「明るく楽しい」「キャラゲー」を制作していったのか、作品論で問われる論点を説明していく。

3.3.ワールド
3.3.1.タカヒロワールド/感覚共有、「明るく楽しい」世界観

初めに、タカヒロ作品における舞台設定、いわゆるタカヒロワールドについて解説する。『姉しよ』から『まじこい』まで、タカヒロワールドは全て時代を現代、場所を日本国神奈川県内の一都市をモチーフとした街に設定している。物語の舞台となる土地を神奈川にしている理由として、タカヒロは(1)神奈川が海、山、古都、都会といった複数の特徴を持つこと、(2)彼自身が神奈川在住であり、知っている街を舞台にするとキャラクターが動く様子が想像しやすいことを挙げている。*38作中の背景画像の多くが現実に存在する神奈川の風景を元にして作られており、タカヒロ作品はいわゆる「ご当地もの」としての側面も持っている。

タカヒロワールドは現実と地続きになった時空間であり、プレイヤーと同時代的・同社会的な感覚で構成されていると言える。プレイヤーは、タカヒロ作品に登場する事物が現実のそれと酷似していることを確認するだろう。例えば、『ハンター×ハンター』をもじった漫画が登場したり、登場人物達が「生活給付金」を支給されるというエピソードがあったりすることによって。これは、タカヒロが影響を受けたと語る高橋留美子作品の世界観「るーみっくわーるど」とも近しい。高橋の「うる星やつら」には、日本SFやアニメ、特撮で育ってきた世代の感覚が織り込まれていた。*39同様に、タカヒロ作品においても第二章で挙げたような漫画、アニメ、ゲーム等で育った世代感覚が如実に表れている。*40

ここで留意しておきたいのは、タカヒロワールドが現実と地続きであり、その世界における事物が我々が生きる世界のそれと酷似していても、決して同一ではないということである。大塚が言うように、世界観とは世界の観方であり、同時に「ズレた日常」であるけれども、*41タカヒロワールドはエンターテイメントを志向する視点によって作られ、そのために現実から「ズレ」ている。

タカヒロ作品は「明るく楽しい」ものを目指しているから、その世界観もプレイヤー(主にオタク)から見て面白おかしいものにならざるを得ない。別の言い方をすれば、タカヒロワールドは偽史的な想像力で「明るく楽しい」世界を成り立たせているということだ。現代の地方都市をモチーフとした架空都市という時空間にオタクネタや時事ネタというデータベースを持ち込んで世界観を形作るということは、非常に偽史的である。タカヒロワールドの舞台となる都市では、建造物の位置関係などが現実のそれとは食い違っている。また、タカヒロは現実に起こった時事の中からネタとして面白おかしいものを恣意的にピックアップして時事ネタとして用いている。そういう意味で、タカヒロワールドは現実と繋がりを持ちながらも偽物として用意された世界である。

このようにして成立するタカヒロワールドは、プレイヤーに対してどう機能しているだろうか。一つには、プレイヤーと作品内のキャラクターの間における感覚共有がスムーズに行われることがある。神奈川県に行けばゲーム内のキャラクターに会えるのではないか、というのは『まじこい』をプレイしていた際の筆者の錯覚だ。これを、現実とゲームとを混同したオタクの妄想だと指摘することは容易い。しかし、それほどまでにタカヒロ作品のキャラクター達が生きる世界は我々が生きる世界に近く存在するとは言えないか。その距離の近さが、キャラゲーとしてプレイヤーとキャラクターの感覚を共有させる上で適切に働いていると筆者は考える。

タカヒロワールドが持つもう一つの機能は、面白おかしい世界観として「明るく楽しい」エンターテイメントを提供しているということである。現実には「暗く悲しい」ことも「明るく楽しい」ことと同じくらい起こっている。まるで「明るく楽しい」ことしか起こっていないかのようにネタばかりで記述された世界は確かに偽史的であるけれども、「明るく楽しい」ゲームを目指して作られているのであれば、それは一面的に正しい、というのが筆者の見解だ。時事ネタは、「暗く悲しい」ことを単に無視するのではなく、それさえもネタにすることで「明るく楽しい」ものとして消化できることが理想であろう。タカヒロがこれまでの作品で用いてきた時事ネタが必ずしもそのような転化を成してきたとは言わないけれども、そのような笑いの効用を意識して今後のタカヒロワールドが記述されることを、筆者は望む。

以上が、タカヒロワールドの機能である。現実をベースとしながら、さらに現実の面白おかしい部分を抽出して構成されることによって、タカヒロワールドはキャラゲーにおいて重要であるプレイヤーとキャラクターとの感覚共有、そして「明るく楽しい」世界観を獲得した。

3.3.2.コミュニティ/アイデンティファイ、セーフティネット

前節では、タカヒロワールドの構成要件とその機能について書いた。本節では、さらにタカヒロワールドの中で要となるコミュニティについて考える。ここで言うコミュニティとは、タカヒロワールド内で主人公を始めとするキャラクター達が構成・所属する集団、およびその場所である。タカヒロ作品では、キャラクター達が様々なコミュニティ内でコミュニケーションを取ることによって多面的な姿を見せる。所属するコミュニティの数だけキャラクターの人格が存在すると言ってよい。コミュニティの機能の一つは、キャラクターをアイデンティファイすることである。

タカヒロ作品は、作中でメインとなるコミュニティの種類によって二つの系統に大別できる。それがホームコメディと学園コメディである。ホームコメディに該当するのは『姉しよ』、『姉しよ2』、『きみある』であり、ここでメインとなるコミュニティは柊家や久遠寺家といった、主人公達が住む「家」である。対して、学園コメディに該当するのが『つよきす』、『まじこい』であり、ここでメインとなるコミュニティは竜鳴館学園や川神学園といった、主人公達が通う「学園」である。また、学園コメディには主人公達が主に幼なじみを中心として結成する「ファミリー」という疑似家族的コミュニティがあり、こちらも作中では重要である。特に『つよきす』以降、制作レベルでヒロインと同等にしっかりとデザインされた男性キャラクターがメインコミュニティ内に配置されるようになっている。

コミュニティの中でも、このメインコミュニティは特別な機能を持つ。それは、コミュニティの構成要員に「明るく楽しい」を約束する、セーフティネットという役割である。セーフティネットは、日常シーンにおける安全とイベントシーンにおける安全を守っている。日常シーンとイベントシーンについては、立ち絵で展開されるシーンと一枚絵(CG)で展開されるシーン、程度に理解してもらえればよい。*42

タカヒロ作品の日常シーンは、基本的にメインコミュニティの中でキャラクター達がドタバタ劇を繰り広げるという形で展開する。その際に、どれだけキャラクター達が荒唐無稽な行動を取っても「明るく楽しい」状態を維持するのがセーフティネットとしてのコミュニティの機能だ。ここでは、不快感の排除(人が死なないようにするなど)を行う程度の機能と考えてよい。いわば作劇上の「お約束」を守るものである。本論ではこの機能について深くは取り上げない。

タカヒロ作品のイベントシーンも、基本的にメインコミュニティの中でキャラクター同士がコミュニケーションを取って展開される。そこでは特定のキャラクターが抱える問題がクローズアップされ、その問題解決を中心にして話が進む。この問題解決における安全とは、キャラクター達に悩みや失敗、挫折といった問題からの再起可能性を与えることだ。家族や仲間、教師達は問題を抱えた者を扶助・保護し、問題を抱えた者はコミュニティの中で再起へ向けた活力を得て、「明るく楽しい」日常へと回帰していく。その再起可能性はいわゆるモラトリアムではないか、セーフティネット機能には問題があるのではないか、といった疑問については次章の作品論で応答する。

タカヒロ作品は段々とそのコミュニティを巨大化・多層化させていき、『まじこい』でコミュニティの在り方自体をテーマに盛り込むことで一つの達成を見せている。そのような観点から、本節ではコミュニティがキャラゲーの核たるキャラクターをアイデンティファイし、さらにメインコミュニティがキャラクターを守り「明るく楽しい」を保証するセーフティネットとして機能すると指摘した。最後に、コミュニティはキャラクターのコミュニケーションによって支えられていることを記しておく。このことは次節で詳述しよう。

3.4.ストーリー
3.4.1.コミュニケーション/他者との関係性

前述した通り、キャラクターを基本単位とするキャラゲーにおいて、ストーリーとはワールド内でキャラクターがコミュニケーションした結果として生成されるものである。タカヒロ作品のシナリオは、キャラクター同士のコミュニケーション(掛け合い)から成るエピソードの集合だと言える。

前節で触れたコミュニティも、キャラクター間のコミュニケーションによって存続する。コミュニケーションがなければ、家庭も学校も容易く崩壊するだろう。

キャラクター達は常にコミュニケーションを取り続け、自分達の姿を他者との関係性によって確認・再認する。プレイヤーもそのようにしてキャラクターを捉えていることだろう。「三姉妹の長女」、「クラスの委員長」といった役割は、設定として最初からそのキャラクターに備えられたものである。しかし、その具体的なイメージを形成して更新し続けるのは、コミュニケーションによって描かれる他者との関係性だ。

コミュニケーションの機能は、コミュニティの形成であり、突き詰めればキャラクターを他者との関係性からアイデンティファイすることである。この機能は、ストーリー内でキャラクターが抱える問題を解決するエピソード(イベントシーン)において表面化する。特に『きみある』や『まじこい』では、この機能についてかなり自覚的なストーリーが展開される。詳しくは次章で説明する。

3.4.2.テキスト/掛け合い

キャラクター間のコミュニケーションの基本単位はテキスト、つまり台詞であると考える。私見では、タカヒロのシナリオはキャラクター間で繰り広げられる掛け合い部分のテキスト(台詞)部分が最も高く評価されている。そして、掛け合いの面白さを強く支えるのがボイスの存在である。*43美少女ゲームにおけるフルボイス仕様が一般的になって久しいが、タカヒロはキャラクター作成の初期段階からそのキャラクターを演じる声優を考え、演者の特性に合わせたテキストを書いている。最も直接的には、声優が過去に演じたアニメやゲーム作品のキャラクターをパロディのネタとして使う。

他に、タカヒロのボイスに対する意識が掛け合いのテキストに表れている例として括弧の使い方がある。会話のテンポを高めるために、本来地の文として説明すべき事項を括弧でくくり、キャラクターの台詞と共に表示するという手法がよく使われる。*44

このように、ボイスへの配慮が見られるタカヒロの掛け合いテキストにも一つの弱点がある。タカヒロ作品においては主人公にボイスが付いていないために、主人公が参加した掛け合いでは、そのモノローグ部分だけ声が抜けてしまうということだ。この抜けはゲームをプレイしていて不自然に感じられるだろう。筆者は主人公にもボイスを付けて構わないと思うけれども、タカヒロはここにおいて美少女ゲームの「お約束」を守り続けている。*45

タカヒロが書くテキストの最大の機能は、キャラクター同士の掛け合いによってコメディを描き、ユーザーに楽しさを提供するということだろう。本論の関心からは離れているため、ここで具体的にテキストからその笑いを分析することはしない。これも今後の課題とする。

3.4.3.ルート/選択の自由

前節ではエピソードの細部としてテキストを論じた。本節ではエピソードの集合としてのルート、ルートの集合としてのマルチエンディングという観点からストーリーを見つめてみよう。

タカヒロは、エピソード単位でキャラクターを魅力的に描くのは巧いけれども、エピソードを配置し、一つのルートとしてストーリーを構築する作業はそれほど得意ではない、というのが私見である。見せ場自体の出来は良いのだが、その見せ場へ至る展開が強引な場合がある。伏線について言うなら、例えば『つよきす』ではルート間の相互補完という形で各キャラクターが抱える問題を示すテキストが隠されていた。これに対して、『まじこい』ではそのような形の伏線も残しつつ少年漫画的な「引き」が多用され、隠された事実は明確な謎としてプレイヤーに提示されることが多い。

全てのタカヒロ作品は、ルートの集合としてのマルチエンディング形式を取っている。マルチエンディングの美少女ゲームは構造的に選択の問題を孕む。ゲームによっては、主人公が一つのルート(ヒロイン)を選ぶ際に、プレイヤーは選ばなかったルートに対する意識を持ち、それが想像力を伴って一種の後ろめたさや感傷を作り出す。

しかし、タカヒロ作品はそのような選択の問題をかなりの程度クリアし、各ルートへの肯定感にあふれたマルチエンディングを形成している。例えば、あるヒロインを選べば他のヒロインが不幸になる、といった問題は発生しない。正確に言えば、主人公がどのルートを選んでも(その結果として不幸になっても)キャラクター達はそのルートなりのやり方で幸福を目指し前向きに生きていく。また、特定のヒロインのルートを正史としないこともタカヒロ作品の原則である。こうした理由から、プレイヤーがどのルートを選んでも後ろめたさは発生せず、「明るく楽しい」雰囲気を維持できている。

どのルートを選んでもキャラクター達は皆幸せに向かっていくのだから、どのルートも正しい。全ての選択肢に正しさが保障されているからこそ、その選択は自由なものとなる。選択が自由であるからこそ、その選択はプレイヤーにとって主体的なものにならざるを得ない。そして、主体的に行われるからこそ、選ぶことの価値や意味も生まれてくる。*46筆者はタカヒロ作品のルートとマルチエンディングをこのように考えている。

3.5.キャラクター
3.5.1.デザイン/ストーリーからの自立

シナリオライターがキャラゲーにおいて「明るく楽しい」を実現するために、キャラクターが幸せに生きているストーリーを作りたいとする。ここで、彼が取りうる方策は二つあるだろう。

一つは、「その後彼らは幸せに暮らし」たという「結果」をシナリオとして直接的に記述することだ。これは率直に効果を発揮するけれども、一歩間違えれば自然さや説得力に欠けたシナリオとなってしまうこともある。そのような瑕疵は、ストーリーによってキャラクター(の人生)を強引に描こうとした結果、キャラゲーの構造に反するために起こる。これまでに、キャラクターの姿はストーリーを通して確認されると述べてきた。だが、それはキャラクターがストーリーによって生成されることを意味しない。本章で説明してきたように、キャラクターがストーリーに先行するというのが筆者の認識である。

では、どうすればいいのだろう。もう一つの方法は、最初から「その後幸せに暮らせ」るような性質を持ったキャラクターをデザインするというものだ。つまり、「原因」を作ってキャラクターに与えることである。「前向きな性格」という「原因」を与えられたキャラクターは、どのようなストーリーにおいても「前向き」に生きていくことだろう。この「だろう」という想像力の喚起によって、キャラクターデザイナーとプレイヤーは共犯的にキャラクターの人生をストーリーとして消費する。ストーリーによって幸せになるキャラクターではなく、その幸せな人生がストーリーになるようなキャラクターを作る。タカヒロが成し遂げてきたキャラクターデザインとは、そのような行為である。

3.5.2.主人公と群像劇/主体と主観

ここで、ADV形式の美少女ゲームにおいて、プレイヤーと主観・視点を共有するプレイヤーキャラクター(PC)とそれ以外のキャラクター(NPC)が存在することを確認しておく。PCは視点人物などと言われる。タカヒロ作品においては、主人公が観測していない場面も主に会話文として記述される。そこでは台詞によって主人公以外のキャラクターの内面が表される。こうして内面が描写されるキャラクターが増えていくと、作品は群像劇的な性格を持つようになる。

本節で示しておきたいのは、主体と主観の区別である。ストーリーにおいて誰かの問題を解決する積極的主体となるキャラクターを本論では「主体的キャラクター」と呼ぼう。また、主観(内面)が描写され他者へ視線を投げかける者として在るキャラクターを本論では「主観的キャラクター」と呼ぼう。多くの場合、主体的キャラクターと主観的キャラクターは主人公として一致する。しかし、先に説明したような群像劇化が行われると、ストーリーの中で特定の問題に対する主体と主観が一致しないことがある。

タカヒロ作品は時代の流れと共により群像劇的な方向へシフトしている。特に『つよきす』と『まじこい』はそのような群像劇を志向して制作されており、筆者はこれをキャラゲーの方向性の一つとして肯定的に捉えている。その理由は、ここで示したような主観と主体の区別に基づくものである。これについては最終章で詳述しよう。

3.5.3.バイタリティ/祝福

タカヒロが生み出してきたキャラクター達は数多く、老若男女様々な人間が入り乱れており、表面的には共通する性質を抜き出すことは難しい。しかし、その内面に目を向けた結果、筆者が多くのキャラクターに普遍的に備わっていると考える特質が「バイタリティ」である。生命力、前向きさ、肯定力、生き汚さ*47などとも言えるだろう。

繰り返すが、タカヒロ作品のキャラクター達が「明るく楽しく」生きていける理由は、タカヒロが彼らの人生をそのように記述したからではなく、彼らに「明るく楽しく」生きていくためのバイタリティを与えたからだ。彼らは、幸せの芽を持たされ、祝福されて生まれてきたのである。

3.5.4.サガ/不変性

タカヒロ作品には、バイタリティという普遍的な性質とは別に、個別に生まれ持ったサガ(性質)を備えるキャラクターが存在する。例えば、『まじこい』のヒロイン川神百代は「戦闘狂(バトルマニア)」というサガを持っていた。サガは、いわゆる萌え属性とも隣接するものだと筆者は考える。タカヒロ作品のメインヒロインは「ヒロイン全員○○」としてデザインされる。その空白には姉、強気、主従、武士娘といった属性が入る。

タカヒロは、このようにキャラクターに与えたサガや属性を不変のものとして捉えている。たとえ他者との関係性が変化したり(誰かと恋愛関係になったり)、成長したとしてもその性質を変えることはできず、各人が一生向き合っていくべきものとしてこれらは描かれている。

同様に、キャラクター達が抱えて生きていくものとして親の存在がある。タカヒロ作品に登場する(主人公達から見て)親世代の人間は、ろくでもない者として示されることが多い。例えば、『つよきす』における伊達スバルの父、『きみある』における上杉練の父、『まじこい』における椎名京の母などである。そして、親が存在すること、あるいは存在しないことは所与のもの(どうしようもなく変更不可能なもの)として作品内で認識されている。

以上のような不変性への態度は、タカヒロ作品のストーリーにおいて形を変えて繰り返し強調される。タカヒロは、キャラクターの不変的な部分と可変的な部分のバランスを取ることに長けている。詳しくは各作品論で明らかにしよう。

3.6.総括

本章の説明をまとめると以下のようになる。

キャラゲーとしてのタカヒロ作品とそのシナリオライティングを、ワールド・ストーリー・キャラクターの三要素から考えた。

タカヒロワールドはプレイヤーと感覚を共有しながら「明るく楽しい」世界観を作り、コミュニティのセーフティネット機能が「明るく楽しい」を保証する。

ストーリーはコミュニティ内における掛け合いというコミュニケーションから生成される。掛け合いは最も表面的な「明るく楽しい」ものであり、コミュニケーションはキャラクターをアイデンティファイする。また、ルート選択は肯定感に溢れた「明るく楽しい」マルチエンディングを作っている。

キャラクターにはバイタリティと不変性が備わっている。バイタリティは「明るく楽しい」ストーリーを描くための原動力である。また、キャラクターの類型として主体的キャラクターと主観的キャラクターを定義した。

三要素がそれぞれに「明るく楽しい」ゲームを作ることに貢献している構図が分かった。では、本章で獲得した視座をもって個別のタカヒロ作品を論じていこう。

続き:タカヒロ論「憧れのあとさき」Web版(下) - 詩になるもの

*1:本書のタイトルは「恋愛ゲーム」という語を用いているが、本論ではこの呼称で統一する。

*2:2010年11月

*3:例えば、『ASTATINE:微妙な距離感。』http://blog.livedoor.jp/april_29/archives/50410458.html

*4:雑誌、書籍、Web、その他の場におけるタカヒロの言葉は補助的な資料として用いる。

*5:念のために書いておくと、筆者はゲームの企画段階から参加していない、いわゆるテキストライターについての論考がナンセンスだとは思わない。

*6:『みなとそふと Official Homepage ご案内』http://www.minatosoft.com/guide.html

*7:本来ならばそこからさらに先へ進み、この章においてタカヒロを美少女ゲーム業界/批評界の中で通時的・共時的に位置づける作業、すなわちマッピングが必要だろう。だが、筆者はその美少女ゲーム経験が浅いために、未だ確固たる歴史観を持たない。先行する美少女ゲーム評論・批評についても十全にその論理や通史を学んでいるとは言い難い。タカヒロに対して適切なマッピングを行うことは今後の課題とする。

*8梅棹忠夫「文明の生態史観」(『文明の生態史観』所収、中公文庫、1974年、初出1957年、104ページ)

*9:以下、『少女人形』と略記。

*10:以下、『悪戯4』と略記。

*11:以下、『姉しよ』と略記。

*12:以下、『姉しよ2』と略記。

*13:以下、『つよきすMH』と略記。

*14:以下、『きみある』と略記。

*15:以下、『きみあるCS』と略記。

*16:以下、『まじこい』と略記。

*17:以下、『まじこいS』と略記。

*18:以下、『漂流記』と略記。

*19:作画は田代哲也。以下、『アカメ』と略記。

*20:黒を愛する 仕事一覧http://www.takahiro.ms/work.htm

*21:坂上秋成司会・構成、「【鼎談】王雀孫×桜井光×タカヒロ/美少女ゲームの突破口――新たなる『楽園』を探して」(『PLANETS vol.7』所収、第二次惑星開発委員会、2010年)

*22:るーすぼーい(シナリオライター)を指す。以降の引用における「るーす」も同じ。

*23:「シナリオライター座談会PART2」(『BugBug』2009年10月号所収、サン出版、2009年)

*24:もちろん、作業段階では原画家との連携によってデザインが進む。例えば、『まじこい』においては外見デザインをほとんど原画家wagiに任せたキャラクターも多く存在する。

*25:『新世紀シナリオライター鼎談!試し読み版 第二回』http://www.foxcomic.com/item/minato/sample_02.html

*26:黒を愛する プロフィールhttp://www.takahiro.ms/pro.htm

*27:『コンプティーク』2009年8月号(角川書店、2009年)

*28:坂上秋成司会・構成、「【鼎談】王雀孫×桜井光×タカヒロ/美少女ゲームの突破口――新たなる『楽園』を探して」(『PLANETS vol.7』所収、第二次惑星開発委員会、2010年)

*29:『まじこいマテリアルブック』(みなとそふと、2009年)

*30:坂上秋成司会・構成、「【鼎談】王雀孫×桜井光×タカヒロ/美少女ゲームの突破口――新たなる『楽園』を探して」(『PLANETS vol.7』所収、第二次惑星開発委員会、2010年)

*31:「シナリオライター座談会PART2」(『BugBug』2009年10月号所収、サン出版、2009年)

*32:『新世紀シナリオライター鼎談!試し読み版 第三回』http://www.foxcomic.com/item/minato/sample_03.html

*33:タカヒロ作品が現在の美少女ゲームユーザーにキャラゲーとして広く受け入れられている一例としては、Web掲示板bbspinkの『エロゲネタ&業界板』で毎年開催される『2chベストエロゲー』の2009年投票結果がある。その内容は、『まじこい』がキャラクターをもって評価されていることを示唆するものであった。『2009年ベストエロゲー投票』http://mas.bne.jp/anko/besterog/2009/

*34:「キャラクター小説」という語は、出版関係者が否定的に使用していたものを大塚が肯定的に再定義したものである。「キャラゲー」という語が否定と肯定両方の意味を持つことに相似している。

*35:現実に、ライトノベルにはテーブルトークRPGのリプレイを源流とする作品群が存在し、大塚はそのような方法論によって書かれた小説を「ゲームのような小説」と呼ぶ。

*36:『キャラクター小説の作り方』(187ページ)

*37:この理解は、まさに大塚が言うところの「ゲームのような小説」と同じものである(キャラゲーはゲームなのだから当然だ)し、東浩紀が言うところの「データベース消費」とも近いものでもある。データベース消費では、一つの物語を、特定の世界観におけるキャラクター達のデータベース(「大きな非物語」)が無数に紡ぎ出す「小さな物語」の一つとして認識する。詳しくは『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001)、『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書、2006年)を参照していただきたい。

*38:『テックジャイアン』2009年9月号(エンターブレイン、2009年)

*39ササキバラ・ゴウ『<美少女>の現代史』(講談社現代新書、2004年)

*40:ただし、タカヒロワールドにおいては漫画、アニメ、ゲーム等に見られる超自然的(スーパーナチュラル)な奇跡は発生しないという原則も記しておこう。ここにおいても、タカヒロワールドは現実寄りの世界観である。

*41:『キャラクター小説の作り方』(218ページ以降)

*42:思考の補助線としては、佐藤心が「すべての生を祝福する『AIR』」(『美少女ゲームの臨界点』所収、波状言論、2004年、初出2003年)で言うギャルゲー(本論における美少女ゲーム)の三層構造がわかりやすいかもしれない。佐藤はギャルゲーの構造を(1)キャラクターの層、(2)コミュニケーションの層、(3)トラウマの層、という三つの層から考えられるとしている。後述するようにタカヒロ作品においてはトラウマという呼び方はふさわしくないと思うので、「問題解決の層」とでも読み替えた方が良いかもしれない。

*43:傍証として、『つよきす』発売後にとあるユーザーがWeb上で非公式に発表した『フカフィレプレイヤー』というソフトウェアの存在を指摘したい。これは、『つよきす』作中のボイス(台詞)を自由に抽出、配置していわゆる音声MADが作成できるツールである。ユーザーがボイスに対して強い興味を抱いていたことを示している。また、『つよきす』のファンディスク『みにきす』の宣伝としてきゃんでぃそふとが作成したCMムービーも、『つよきす』の画像・音声素材を組み合わせたMAD的なものであった。

*44:筆者はこの手法を「カッコメソッド」と呼び、過去に言及したことがある。『タカヒロさんのカッコメソッドについて - まじこい4ever』http://majikoi4ever.g.hatena.ne.jp/highcampus/20100410/1270840949 また、同様の手法を他のライターが使っていることも確認している。例えば、『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人30説+』では、lucyが荒川工論の中でこれに触れている。

*45:『きみある』や『まじこい』のドラマCDでは、人気・実力が高い声優を主人公に配役していることから、決してタカヒロが主人公を軽視しているわけではないと分かる。主人公のボイス抜け問題が解決されているために、タカヒロがシナリオを担当するドラマCDシリーズの掛け合いはゲームより高い評価を受けることもある。

*46:いわゆるダミー選択肢にも同様の効果がある。どの選択肢を選んでもルート内の展開に影響がないのであれば、その選択結果は完全にプレイヤーの主体性を反映したものになるだろう。その積み重ねが、各プレイヤー固有の(もちろん有限個のパターンでしかないけれど)ストーリーとその価値を作っていく。

*47:筆者が知る限り、「生き汚い」という言葉を最初に用いたのは奈須きのこである。「おまえは人々を生き汚いと言うが、おまえ本人はそうやって生きる事ができまい。醜いと、無価値だと知りつつもそれを容認して生きていく事さえできない。」奈須きのこ『空の境界 下』(講談社ノベルス、2004年、初出1999年、25ページ)

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