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和平協定

2012-09-20

「桐島、部活やめるってよ」のリアリティ

12:11 | 「桐島、部活やめるってよ」のリアリティを含むブックマーク

桐島、部活やめるってよ」という映画を池袋に観に行きました。ちなみに岡田は今バイト探してるってよ。(わりとどうでもいい)

ネタバレせずに内容を説明すると、桐島って生徒が部活をやめたことが引き金になって、周りの高校生たちのかりそめの友情への懐疑など内に秘めていたモノが表出しちゃう様を淡々と描く群像劇って感じです。青春っていえば青春だけど、僕はあんまりこの映画のなかの高校生たちに「青さ」は感じなかったし、映像やストーリーから一片も「春」は感じなかったので、あんまり青春青春って形容するのには抵抗を感じます。

高校生たちは皆どこか冷めていて、自分のスクールカーストをきっちり心得ている感じ。僕自身の高校時代と重ねてみても、まぁ高校生って案外もう自分の未来の限界を悟った気でいる子が多かったし、セックスしてる子はしてるししてない子はひたすら趣味とか部活とかに打ち込んでセックスを無視したような態度で日々を送っていましたから、リアリティはあったと思います。僕自身がどうだったか、っていうのは語り出すと長いし置いておきます。

最近は「リア充」なんて言葉が流行ってて、つまりリアル(ネットとかじゃなくて現実)が楽しく充実してる人のことを指しているのですが、この映画はリア充にも、冴えない「非リア充」にも、限りなく平等にお勧めできます。

でも、そもそもリアルって言葉の定義はすごく曖昧で、ネットだって源流を辿れば生身の人間が転がしてるんだし、僕は現実逃避なんて行為はそれこそ不可能だと思います。だってアニメもゲームも人が作ってるんだもん。どこまで逃げても人間は人間から逃避することは出来ないと思います。

だからリア充って言葉自体僕はそんなに使うことを推奨しませんが、それでも日本人はカテゴライズすることが果てしなく大好きなので、あえて人類をリア充/非リア充に分けた場合、って事になりますが、とにかくあまねく全ての生きている人に安心して「面白いよ」と言える作品になっていると思います。

僕も趣味で小説を書いているのですが、最近書いた中編のコンセプトがこの「桐島、部活やめるってよ」と似ていて、しかも当然ながらこちらの「桐島」の方が完成度もそのコンセプトの先にあるものへの回答もきちんとしていたので、勝手にショックを受けました。人がたくさん出てきて、それぞれの思惑が絡み合って、それが最終的に奇しくも何らかの結末に向けて同じ方向へ加速し、収束する。

群像劇の定石ですが、ちゃんとこの定石に則って話を展開させるのってすごく難しいのです。それをこの映画は演出における豊富なアイディアも捨て置かずにすごく上手くやってのけている。本当に感服しました。え、原作書いたのって僕と同年代の人なんですか。それはちょっと、いやかなりショックだなぁ。

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

とにかく、この映画すごく面白かったです。今のところ今年のベスト1。あんまり映画を観ないので信用できないベスト1ですが。「アヴェンジャーズ」よりは心に刺さりました。

現役高校生も昔学生だった大人も、人生楽しめてる人もそうでない人も、クライマックス近辺で神木隆之介が発するセリフにハッとすると思います。自分が今生きている世界に無意識にリミットを設けてしまう僕ら人間のちょっと馬鹿げた性(さが)が少しだけ愛おしいものであるような、そんな気持ちになるはずです。

「人は誰もがストレンジャー/何かを探しているのさ」(LAPIZ)

2012-07-17

遊びであり、いじめではなかった

21:18 | 遊びであり、いじめではなかったを含むブックマーク

昨年大津市で、中学2年生の男の子が亡くなった問題について少し思うところがあったので久しぶりに日記を書く。


5月の第1回口頭弁論で、同級生側のうち2人は「遊びであり、いじめではなかった」との認識を示し、いじめ自体を否定していた。

毎日新聞 7月16日(月)9時40分配信 より)

遊びといじめ境界線っていったい誰が引くんだろう。あるいはいじめとけんかの違いって誰が見極めるんだろうか。

僕は小学校、中学校と頻繁にクラスメイトと衝突して、その度に「喧嘩両成敗」的な措置を仲裁に入った先生から受け、お互いの非を認め合い、がっちり握手をしたりして事を穏便に「済まされてきた」。

僕にちょっかいを出してきたクラスメイト達は口を揃えて「冗談のつもりだった」と言う。また仲裁に入った大人も、僕に「君は冗談を真に受け過ぎる」と諭してきた。

果たして彼らの言う「遊び」「冗談」には本当に罪はないのだろうか。僕には遊び、冗談、無邪気なからかいと呼ばれる行為に潜む危険性がとても根深いもののように思える。

それは何も今回いじめを行ったとされる当の子供たちや保護者、学校、教育委員会に限った話ではない。

「冗談」と「いじめ」を巡るジレンマは社会全体を巻き込んで長らく存在し続けながら、何故か無視され続けている事案だ。

例えばテレビでの芸人弄りを批判するつもりはない。ただ、そういう場面は各種メディアにおいて今現在溢れかえっており、それらのパフォーマンスを子供たちが真似したがる現状に本格的なブレーキをかける術を、今の日本は持ち合わせていない。

遊びは遊びであるという歪んだ認識のもと、遊びの「道具」にされた生徒ですらいじめられている自分を受け容れられず、過酷な「遊び」において自分を加害生徒と対等の立場に置こうとする。それは加害生徒たちの「これは遊びである」という認識を強め、いじめを一層過激なものにさせる。

いじめにおいて被害生徒が加害生徒とあくまでも友人であり、何をされてもそれは遊びの延長、と自分に言いきかけせ、耐えようとする心境は想像を絶する。

僕の場合は被ったいじめいじめではなく「けんか」である、と言い聞かせられ、自身の非を半ば強引に認めさせられる、という手段でなんとなく小学校、中学校を過ごすことになった。

いじめを行った子供たちが今回の事件を全面的に「遊びのつもりだった」と言い張る事には無理がある。しかし、全てではなくともどこかでは本当に「遊び」感覚で彼を自殺に追い込んだとは言えないだろうか。

いじめ、けんか、冗談。これらを客観的に見極めるのは難しい。人間の性質上、いじめと呼ばれる行為は規模の大小問わず根絶が難しい問題だ。

しかし自殺という最悪の結末を防ぐ方法ならいくらでもあると思う。誰が悪いという話ではないが、あえて悪を挙げるとすれば、それはいじめという概念を曖昧なまま定着させてしまった世の中だと思う。

2012-04-30

4/27 Free Sex Mania@新大久保アースダム (自分のmixi日記から転載)

18:12 | 4/27 Free Sex Mania@新大久保アースダム (自分のmixi日記から転載)を含むブックマーク

4/27は大学のあと新大久保アースダムへフリーセックスマニアを観に行った。開場より1時間近く早くライブハウスに着いてしまったので、入口付近にある屋台で買ったホットクを齧りながら待っていた。


(フリーセックスマニアというのは…って僕はこういうの説明するのド下手だし、僕のマイミクさんでこの日記をわざわざ読んでくださってる方には今更不要だとは思うのですが、一応説明させていただくと、、、単語の通りの意味です。そういうバンドがいるのです。多分知らない人が名前だけ聞いて想像するより、余程変態的なバンドです。3ピースで、ギターボーカル、ベース、ドラムという構成なのですが、それはもうテンションが(とあるお客さんの言葉を借りれば)サイコパスの域に達しています。)


開演…。色んなバンドが出てきてそれぞれ良かったのですが、今回はFSMのライブのことだけを書きたいので割愛します。

3番目のバンドの中盤くらい?でスーツ姿のスガワラさんがアースダムに来る。間もなく楽屋の方へ。

この日のトリがフリーセックスマニアだったのだけど、始まるまでにちょっと時間がかかった。セッティングで手こずっている様子だった。でももうこの時点でメンバー3人とも若干不気味にニヤニヤしていて、「あ、これはもう今日やばいな」と思った。なんとなく。

「I Wanna Be Your Cat!!!」の『アナネコ』という曲で始まり、数曲を挟んで、たしか『口紅ベーション』の時に暴れまくっていたスガワラさんがとうとうステージを降りて来た。

パフォーマンスとしてステージを降りてくるミュージシャンなんて昔から数えきれないほどいるし、それ自体は字面ではそんなにすごい事とは受け取れないだろうけど、その、降りて来てしばらくひたすらにギターを弾き倒している姿が圧巻というか、本能的に「この人何かする!」という危惧を抱いて3歩くらい当人から退いてしまったあの感じは今でも覚えている。

重要なのは、豚の臓物を投げるとかオナニーするとか殴りかかってくるとか自傷行為をするとか、スガワラさんが実際にそういう行為をしなかったことだ。

なのに客が本能的に危険を察知してスガワラさんの周りに空間をつくってしまったという事実。つまり「殺気」が半端じゃなかったのだ。

「気」で周りを圧倒するのは実際に行為に及ぶことの何倍も難しいと思う。というかそういう、気配が人間を動かすというのは尋常じゃないエネルギーが要るはずで、それを間近で感じることが出来たという体験は感動的だったのと同時に少し恐くもあった。

それはスガワラさんだけじゃなくてベースのフジイさんやドラムのモリモトさんにも言えることで、演奏中ちょっと恐かった。ステージ上で笑顔で会話を交わしたり、微笑ましい場面はたくさんあったはずなのだけど、ちょっと僕は恐くなってしまった。

しかし3人ともただの変態ではなく凄腕のミュージシャンなので、ちゃんと客にロックミュージックも提供していた。ただ不気味なオーラを発するだけではなく、とびっきりのガレージロックも同時に発していた。それがまた最高にカッコよくて、何がなんだかわからなくなってしまったところで終演。

あっという間だった。本当にすぐ終わってしまったような感じで、思わず終演後スガワラさんに「もう今日は終わりですか!?」と2回くらい訊いてしまったが、スガワラさんは「もう今日はみんな帰って寝た方がいいよ」と言って片づけに取り掛かっていた。

モリモトさん、フジイさんからも少しお話をうかがうことが出来たが、もうとにかく今日は疲れた!という感じだった。

僕も早く眠前の抗鬱剤を飲まなきゃならないのでさっさと家に帰ったが、とにかくその日のライブは凄まじかった。初めてアフター・ザ・スラッヂを観た時に匹敵する感動があったと思う。

わーー、本当はもっと僕の近況報告とか文学フリマの告知とかしたいのですが、FSMの感想が大分長くなってしまったので、一旦アップして休憩します。

いや、本当に凄かったんだってば!!!

2012-04-09

Feel The Pain

15:37 | Feel The Painを含むブックマーク

ひさしぶりにこちらのブログに手をつける。

文学フリマ用のブログにもいろいろ書いたけど、あれはあくまでも文学フリマに関わる話をアップしていくブログっていうのが当初の目的だったはずなのに、気づいたらなんだかあまり関係のない僕の近況みたいなことも書いてしまっていたので、そういうことはちゃんと分けて、こちらのブログに書いていくようにしようと思う。

暇人なうえに「暇を潰すこと」にも無頓着という度し難く退屈な人間なので、早くも書くことに窮している節があるが、そこは一度書き始めてしまったので致し方ないだろう。何か書く。

f:id:highzya:20120409150956p:image

僕はDinosaur jrが好きで、Dinosaur jrのライブにこそ行ったことがないものの、Jのソロライブなら観た。ファンだと言ってもいい。

ギターの音が好きなのだ。専門的な話は分からないけれど、あの「ガガーッ」っていう、まるで弦ではなくてざらざらしたコンクリートを箒で擦っているような…小学校の給食調理室の年代物の排気口から出る生暖かい風の音のような…イマイチ上手い喩えがみつからないけれど、とにかくあのギターの感じが心地いい。それにのっかるJの力の抜けた声も。

僕は初期に出された3枚のアルバムが特に好きだ。

  • Dinosaur
  • You're Living All Over Me
  • Bug

別にそれ以降のアルバムが嫌いだとか、ベースがルーでドラムがマーフじゃないとダメ、とかはっきりとした理由はないけれど、なんとなく、「ダイナソー聴くかな」と思い立つと大体この3枚のうちから選んでいる。

やっぱり音が若々しいのがいいのだろうか。わからない。僕の場合Dinosaur jrは聴いていてスカっとする曲とモヤっとする曲がある。モヤっとする曲は絶対演奏してるDinosaur jr自身もモヤっとしてるんだろうな、と勝手に思っている。アルバムだとモヤっとする曲の次に大抵スカっとする曲が入っている気がするから。

D

人によってモヤっ/スカっの基準は様々だと思うけど、僕は上にあげたような曲でスカっとする。まぁ叫んでるしわかりやすいですね。

2011-09-02

Dear Future/COALTAR OF THE DEEPERS

13:47 | Dear Future/COALTAR OF THE DEEPERSを含むブックマーク

DEAR FUTURE

DEAR FUTURE

届いた―!!!

ヘビロテ中です。