口を濁す

 今日は、気になったコトバをひとつ。「口を濁す」という慣用表現について書きます。
 この表現は、誤用と見なされることが多く、たとえば、文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(大蔵省印刷局,1995)*1はつぎのように書いています。

問いかけられたことに対して、語尾をあいまいに発音し、はっきり物を言わないことを、普通は「言葉を濁す」と言う。ところが、言葉は口から出るところから、「口を濁す」のような言い方が生じたのであろう。
口下手 口が悪い 口が多い 口が過ぎる 口を出す 口を合わせる
などのように使われる場合の「口」は、「言葉」という意味を表すところから、「口を濁す」という言い方が生じるのも当然のことと思われるが、源を論ずれば誤った言い方である。(4-29*2)(p.558)

 今日、北原保雄編『問題な日本語』(大修館書店)を読んでいたら、以下のような記述に目がとまりました。

「口を濁す」は「言葉を濁す」の誤用とする意見が多いようだが、『広辞苑』『日本国語大辞典』『大辞林』のようにそれを正しいと見る辞書もある。使用例は田山花袋から新聞や現代作家に至るまで多数に上る。「{口・言葉}にする」「{口・言葉}を慎む」「{口・言葉}が過ぎる」「{口・言葉}に出す」など、両用できる例も多い。誤用とはしがたい。(p.161)

 「使用例は田山花袋から…」という箇所で、おや、とおもったのです。そんなに古くからある表現なのか*3
 そこで、『日本国語大辞典(第二版)』を引いてみると、

田山花袋(1956)〈平野謙〉一「口をにごして兄の失職の真因を衝かなかった花袋の怯懦を責めているのである」*羽なければ(1975)〈小田実〉一五「岡本は口をにごしてあんまりくわしいことは言いよらんかったですが」

と、ふたつの用例を挙げています。前者は一見、田山花袋の使用例であるかのようにみえますが、よく見てみると、平野謙の著作『田山花袋』からの引用であることが分ります。
 おそらくは、『問題な日本語』の「早合点」なのでしょう。比較的あたらしい表現であると言えそうです*4
 また以下のものは、私が見つけた使用例です。

「そのお客さんの商売は?」
「わたしもよくは知りませんよ」
女中頭は口を濁した。
松本清張けものみち新潮文庫改版,p.137.初出は1962年)

「美帆*5ちゃん、サッカー選手は口にごしといてお笑いになるとはいそうですって…」(久本雅美
日本テレビ系列『メレンゲの気持ち』2002.7.27)

 ほかに、文豪の作品(やはり戦後)から拾ったものがあった筈ですが、失念。

*1:今年、この本の新装版が出ました。出版社が、「国立印刷局」となっています。

*2:第四集の問二十九で扱われた問答であるという意味。

*3:ちなみに、北原保雄編『明鏡国語辞典』初版第一刷は、「口を濁す」を採録していません。

*4:『日国』によれば、「言葉を濁す」の用例には次のようなものがあります(戦後の作品は除く)。*花間鶯(1887-88)〈末広鉄腸〉下・一〇「声を掛けたらハイと答へて跡で詞を濁(ニゴ)したので、愈(イヨイ)よ夫れを見抜いたが」*暗夜行路(1921-37)〈志賀直哉〉二・一二「山本は言葉(コトバ)を濁(ニゴ)し、乗気な風を見せなかった」

*5:白石美帆