清張好み(2)

■『蔵の中』(『彩色江戸切絵図』講談社文庫ほか所収)

「なるほど、聞いてみれば、来年の祝言を境に結構ずくめのことが考えられていたんですね。その鼻先にこの騒ぎが起った。どうも、ご主人、世の中は結構ずくめでうまく運ばねえようですね」(講談社文庫版p.245)
「おっと、無理をして起きることはねえ。そのままでわっちの云うことに答えておくんなさい。……庄兵衛さん、おまえさんがそこにいてはちっとばかり娘さんに訊きにくくなる。若い娘は親の前で話したくねえこともあらアな」(同p.251)

 『蔵の中』といえば、宇野浩二、または横溝正史*1の同名作品のほうが有名かもしれない。特に横溝作品のほうは、ATGによって映画化されたし(監督は高林陽一)、しかも主演(小雪役)があの松原留美子(!)だったのだから、話題にならない筈がない*2
 清張版『蔵の中』は、いわゆる捕物小説である。
 清張は、ほかにも捕物小説を書いており、主なものとしては『紅刷り江戸噂』(講談社文庫)所収の短篇群などがあるが、とりわけ『突風』(中公文庫)所収*3の『穴の中の護符』は、半七老人が「わたし」に昔日の変事を語るという筋、つまり『半七捕物帳』の設定をそのまま借りたもので、江戸の風俗や半七捕物帳に関する知識がなければ到底書き得ない、遊び心たっぷりの佳品である。改めて、清張作品のフィールドの広さに恐れ入る。
 『半七捕物帳』*4は、私が唯一まともに読んだ捕物小説である。「まともに読んだ」とはいっても、約半数の三十五作品(総数は、改作などを含めなければ六十九篇ある)を読んだに過ぎない。それでも、「石燈籠」「旅絵師」「三河万歳」など、捕物のシステムとか江戸の風俗とかが詳細に描かれた作品や、「お文の魂」「一つ目小僧」「ズウフラ怪談」「半鐘の怪」「妖狐伝」など怪奇趣味に溢れた作品(何れも一応の合理的な解決が用意されてはいるが)は、なかなか印象深いもので、たまに再読するし、肝心の謎解きよりも*5、むしろそのディテールに感心してしまうこともある。
 話を戻して、『彩色江戸切絵図』に入っている『蔵の中』や『三人の留守居役』は、戯作者の柴亭魚仙(さいてい・ぎょせん)が岡っ引きたち(『蔵の中』では平吉、『三人の留守居役』では惣兵衛)から、彼らの体験にもとづいた謎かけを与えられるという筋の作品で、ホームズにおけるワトスンや、半七シリーズの「わたし」と決定的に異なるのは、魚仙が語り手ではなくて読者と同じ立場に身を置いている、という点にある。つまり、魚仙もその場で謎解きに参加する、という趣向になっているのである*6
 『蔵の中』が面白いのは、どう考えても堂々巡りになってしまう推理が、発想の転換によってまったく覆され、解決されるというその見事さにある。のみならず、当時の迷信や風俗、登場人物たちの心理状態などが謎解きに巧みに生かされていて、それが、ただでさえ複雑な事件をいっそう複雑なものにしているのである。だからたいへん面白い。
 戸板康二は、講談社文庫版「解説」において、「(半七捕物帳の―引用者)『勘平の死』と似た、不気味な空気がある」とやはり半七ものを引き合いに出し、また「松本氏の心の隅に昔から口碑に伝わる『お染久松蔵の中』という句が、あったのではないか」云々と書いており、この解説だけでも十分に読み応えがある(本作品はのち講談社大衆文学館に入ったが、そちらは未見)。
 さらに戸板は、「その(『彩色江戸切絵図』中の―引用者)セリフは、『半七』をふくむ綺堂の世話物のように、まことに歯切れのいい江戸弁である」とも書いているが、これは清張にとって何よりも嬉しい褒辞であったにちがいない。なぜなら清張は、綺堂作品における言葉づかいについて、次のように語っている*7からだ。

綺堂の台詞には洒落た江戸前の地口がふんだんに出ている。こういうのは濫用すると厭味だが、綺堂のは実に練れている。
今の時代もの小説を読むと、ただ、べらんめえ調さえ書けば江戸の町人言葉と思いこんでいる作者が多い。たとえば、綺堂は「江戸中の黄蘗(きはだ)を舐めたような面(つら)をするな」(半七捕物帳)というタンカを使っているが、現在、こういうものが書ける人がいない。江戸言葉はタンカでさえも機智(ウィット)があるのである。
綺堂の小説に出てくる男の言葉に、「そうかい?」「行ったかい?」というふうに書くところを「そうかえ?」「行ったかえ?」と語尾が「え」になっている。また、女の返事の「はい」が「あい」とか「あいあい」とか芝居調になっているが、これがふしぎに町人言葉の味になっている。
松本清張「私のくずかご」『実感的人生論』中公文庫所収pp.170-71)

*1:清張、正史、そして乱歩の三者の「微妙」な関係について書かれたものとしては、たぶん、小林信彦『人生は五十一から』(文春文庫)所収の「乱歩、正史、清張のことⅠⅡ」(pp.241-52)が出色であろう。推理小説ファンでなくともとりあえず読むべし。

*2:もちろん、私はリアルタイムで観たわけではない。ついでに言っておくと、横溝作品には、“蔵の中”がキーワードとして度々出て来る。ネタばらしになるかもしれないのであまり触れないが、たとえば『真珠郎』がそうである。

*3:表題の『突風』はもと連作小説『影の車』の一篇で、これは現代小説であるが、同名の時代小説『突風』も存在し、こちらは『紅刷り江戸噂』のほうに入っているから、ちょっとややこしい。ちなみに、映画・TVドラマの『影の車』は、その連作小説のなかの一篇『潜在光景』の映像化作品なので、これまたややこしい。

*4:それにしてもファンの多いシリーズである。北村薫(『ミステリ十二か月』、『総特集 岡本綺堂』)、倉橋由美子(『偏愛文学館』)など、ファンを標榜している作家は多く、たとえば倉橋氏は、「年を経て読むたびに滋味が増す」と書いている(講談社文庫版p.18)。流石は綺堂、捕物小説の鼻祖である。

*5:山田風太郎などは、その謎解きがいかにアンフェアなものであるかをこれでもかとばかりに指摘していたくらいだし、推理小説の約束事から大きく逸脱する他の事例も間々報告されている(末國善巳「『半七捕物帳』は本格ミステリーか?」『総特集 岡本綺堂』KAWADE夢ムック所収など)。

*6:魚仙は、惣兵衛の紹介で平吉と知り合うことになるから、設定上『蔵の中』は『三人の留守居役』の続篇ということになるが、私は『蔵の中』のほうが好きである。

*7:昭和42年か43年。『彩色江戸切絵図』が「オール讀物」に発表されたのは昭和39年。