「アキハバラ」

 先日、「秋葉原=あきはばら」(という名称)について考えることがあった。するとその後ツイッター上で、偶然それに関する議論を見かけた。
 「あきはばら」は、「秋葉(あきば)権現=秋葉(あきば)神社」が基となっているはずだから、もともとは「あきばはら」or「あきばっぱら」であった。と、私はそう考えていたのだが、ある方によると、元祖「秋葉権現」と「秋葉神社」というのは由来が違っていて、前者を「あきは(ごんげん)」、後者を「あきば(じんじゃ)」と呼んでいたのだとか。だから、「あきはばら」「あきば」という両様の表現が混在しているのだろう。……確かそんな趣旨だったかとおもうが、「あきはばら」は「連濁」によって生じたものであって、また「あきば」については、語原をセンサクしなくても、単純に「あきはばら」の略称として解釈できるのではないか。以下そのことについて述べる。
 北村一夫『江戸東京地名辞典〔芸能・落語編〕』(講談社学術文庫)を見てみると、「秋葉の原(あきばのはら)」と呼ばれた地域は相当な広がりがあって、火除地や鎮火社のあったところは俗称で「秋葉の原」と呼ばれていたらしいことが分る。また同書にも「秋葉権現」は載っているが、読みは「あきばごんげん」である。江戸期にはすでに混同されていたのだろうか。そこで、『日本国語大辞典【第二版】』などを見てみたが、「あきはごんげん」「あきばじんじゃ」が呼び分けられ、別の来由があったということを記したものを見つけることはできなかった。
 しかしいずれにせよ、「あきはばら」という近来の語形は、「連濁」によって生じたものと解釈できるのではなかろうか。
 連濁は、特に和語においては、形態論の立場から説かれる現象である。例外の解釈など、いま細かいことについてはいちいち述べないが、「くさ(草)+はな(花)」→「くさな」、「あお(青)+そら(空)」→「あおら」のように、二つの要素が複合語をつくる場合、後部要素の語頭が「濁音」(この定義は後に述べる)となる。このまとめかたはやや乱暴だが、ともかくそう言える。これを連濁という。ただし、「みず(水)+たま(玉)」は「みずたま」となって、「みずだま」とはなりにくいように、前部要素の末尾が有声子音(といっても、日本語の音韻上、無声子音とペアになっていると見なしうるもの*1。[k]に対する[g]、[t]に対する[d]など。いわゆる濁音*2)をもつ音節である場合、連濁は生じにくい。もっとも、最近は破格のものもたくさんあって、「たびと」「ふじな」「ふじたい」など、いくらでも例外を挙げることはできる。
 さて「あきばはら」は、本来「秋葉の原(あきばのはら)」「あきばはら」であった。これは「あきば+はら」という構成をもつと見なされる。したがって、連濁を生ずると「あきばばら」となる。だが、上で述べたように濁音が連続するのを忌避する動きがあったせいか*3、あるいは意味の切れめをことさらに目立たせようという意識が生じたためか、それはわからないが、前部の「ば」が清音化して、「あきはばら」が成立したのであろう。
 また「あきば」という呼称は、「あきはばら」を「あきは+ばら」と分析し、新語の略しかたとしては一般的な「二拍+一拍」*4にしたがっただけだとおもうのだが(「あき」+「ば」)、一体いつ頃から存在するのだろうか。

*1:だから[n][m]などは含まない。

*2:なお、[h]と対になるべき有声音は本来[b]ではないが、現代日本語ではそのようなペアが成立している。

*3:私もお世話になった某先生が、「舌鼓(したづつみ)」も同じような過程を経て成立したのではないか、と仰っていた。すなわち「した+つづみ」>「したづづみ」(連濁)>「したづつみ」(濁音連続忌避)。

*4:たとえば、「スター/バックス」を「スタ+バ」、「ミスター/ドーナツ」を「ミス+ド」、「トレーディング/カード」を「トレ+カ」と略する。関西の「マクド」も、「マク/ドナルド」を「マク+ド」としたのだから、理にかなった略称なのである。「Mc(マク)」はゲール語系で「息子」の義。因みに、米国本社が押しつけようとしていた呼称「マクダーヌ〔ナ〕ル(ズ)」を故・藤田田社長がつっぱねたというのは有名な話。