清張好み(6)

■「二冊の同じ本」(『古書ミステリー倶楽部』光文社文庫ほか)

 私は買ってきた「東洋研究史」を開いておどろいた。書込みの字体はまさに塩野氏のものではないか。まさかこの本が塩野氏の所持品とは思わなかった。氏は同じ本を二部持っていて、一部は私にくれ、一部はどういう経路かわからないが古書展に売られていたのである。
 しかし、もっとおどろくことがあった。この本の書込みも各所に何も記していない空白のページがあるが、その空白ページが私の持っている本の書込みページに当たり、こっちの空白ページが古書展で買った本の書込みページに当たっているのである。つまり二冊を合わせて、全一冊分の完全な書込みになるのだった。(p.15)

古書ミステリー倶楽部 (光文社文庫)

古書ミステリー倶楽部 (光文社文庫)

 清張の作品には、「ブッキッシュ」なエセーやミステリが多い。
 たとえば――今年一月、テレビ朝日が「開局55周年」企画として、二夜連続でTVドラマ『三億円事件』『黒い福音』を放送した*1ので、「小説三億円事件」(『水の肌』新潮文庫所収)を(十数年ぶりで!)再読したが、この短篇にも、ポー「盗まれた手紙」やチェスタトン「見えざる男(インビジブル・マン)」が引かれている*2
水の肌 (新潮文庫)

水の肌 (新潮文庫)

 また、最近になって再文庫化された*3『生けるパスカル』(光文社文庫2014)の表題作も、タイトルがそもそもピランデルロ「死せるパスカル」のもじりであるし、主人公の矢沢は、フロイト『ヒステリー研究』や加藤正明『ノイローゼ』、『自殺の基礎的考察』*4、上野正吉『犯罪捜査のための医学』といった書物を読み漁るし、さらに『供述心理』や芥川龍之介『玄鶴山房』などからの引用もある。もっとも、矢沢の「身勝手さ」にはうんざりさせられるだろうけれども……。 今回取り上げた「二冊の同じ本」も、まさにブッキッシュなミステリで、しかも「書物」そのものにまつわる謎を解き明かしてゆく、という筋書きである。
 引用した『古書ミステリー倶楽部』(光文社文庫2013)の新保博久「解説」によれば、

本編に登場する問題の書物は実在するもので、正確な書名は『欧洲殊に魯西亜における東洋研究史』(一九三七年、外務省調査部。三九年に生活社より再刊時のさいの外題は『欧洲殊に魯西亜に於ける東洋研究史』)。作中に「今から三十数年前の出版」とあるから初刊本のはずだが、引用文とページ数の関係を見ると、著者が参看したのは再刊本のほうらしい。(p.386)

という。なお新保氏は、「八四年に至って松本清張全集(文藝春秋)第五十六巻に収められたものの、永らく文庫化も見逃されていた」(p.385)とだけ述べていて、なぜか触れていないのだが、細谷正充編『失踪―松本清張初文庫化作品集(1)』(双葉文庫2005)が既に収めており、わたしはその文庫で初めて「二冊の同じ本」を読んだのだった。
 清張が好きだ、と云いながら、実は文庫化されるまでこの作品を読んだことがなく、まったくお恥ずかしいかぎりなのだが、一読、直ぐに気に入ったのだった。

失踪―松本清張初文庫化作品集〈1〉 (双葉文庫)

失踪―松本清張初文庫化作品集〈1〉 (双葉文庫)

 しかし北村薫氏は、文庫に入るずっと以前、この作品を「ミステリー通になるための100冊(日本編)」の「まずは本の謎」のなかに加えようとしていたというから、やはり、畏るべき「読み巧者」である。

『二冊の同じ本』を松本清張だから、文庫になっていない筈がないと確認を取らずに入れてしまいました。そうしたところが、文庫版の存在がつかめない。意外でした。梶山季之せどり男爵数奇譚』と、さしかえたいと思います。
北村薫『書かずにはいられない―北村薫のエッセイ』新潮社2014:132)

書かずにはいられない: 北村薫のエッセイ

書かずにはいられない: 北村薫のエッセイ

 ちなみにこの文章の初出は、1998年7月刊の『この文庫が好き!ジャンル別1300冊』(朝日文芸文庫)との由。
 さて、ふたたび新保氏の「解説」に戻ると、

「二冊の同じ本」は「週刊朝日カラー別冊」一九七一年冬号(一月)に発表され、同年七月、日本推理作家協会編の最新ミステリー選集」(光文社)三冊本の第一集〈愛憎編〉に表題作として収録された。(p.385)

というから、この作品はいわば「読み切り小説」として発表されたことが知られる。
 当時の担当編集者だった重金敦之氏は、次のように回想している。

 (『黒の様式』連載時から―引用者)四年ほど経って、「週刊朝日カラー別冊」で、短篇『二冊の同じ本』(一九七一年)を執筆したもらったことがある。季刊の雑誌で一回の読み切りなのに、なかなか先が見えてこない。ページ数の制約もある。とうとう我慢の限界となって、電話口で、「先生、どうも物語が冗長ですよ」と言ってしまった。
 さすがに清張さんも声を荒げて(ママ)、「冗長じゃないよ。筋ばっかり追いかけるから、推理小説はいやなんだ」と、電話で激しく怒鳴られた。ご本人も気が付いてはいたはずで、痛いところを衝かれたと思ったのだろう。
 傍らで電話を聞いていた伊藤道人デスク(後に「アサヒグラフ」編集長・故人)が「冗長とは、よく言ってくれたね。だけど本当だから、仕方がないよ」と呆れたように、慰めてくれた。清張さん六十一歳。私は三十になったばかりのころの話だ。若さゆえの「行き届かなかった」言葉であったと、今では思っている。
(『作家の食と酒と』左右社2010:22-23,初出は「鰻とワインと清張さん」、『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション 上』文春文庫2004*5

作家の食と酒と

作家の食と酒と

 「冗長」という点でいうと、先に触れた「生けるパスカル」中に描かれる主人公の「内的独白」のほうがよほど冗長におもえるのだが、多分、発表媒体の相違、ということもあるのだろう。

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清張好み(1)『恩誼の紐』(『火神被殺』文春文庫所収)
清張好み(2)『蔵の中』(『彩色江戸切絵図』講談社文庫ほか所収)
清張好み(3)カルネアデスの舟板』(『張込み』新潮文庫ほか所収)
清張好み(4)写楽の謎の「一解決」』(講談社文庫)
清張好み(5)『梅雨と西洋風呂』(文春文庫ほか)

*1:フジテレビも「開局55周年」企画として、この四月にTVドラマ『時間の習俗』を放送した。『点と線』につづく三原・鳥飼コンビの第二作。ちなみに七年前、テレ朝は「開局50周年」企画で『点と線』をTVドラマ化したが、三原・鳥飼がその後会わなかったという設定で描かれたので、これでは『時間の習俗』が成立し得ないので残念だ、と拙ブログに感想を記したことがある。フジの『時間の習俗』では、津川雅彦=鳥飼が、「福岡の事件では世話になった」、と内野聖陽=三原に声を掛ける場面があって、「連続性」が保たれていた。なおミステリとしては、『点と線』よりも『時間の習俗』のほうが出来がよいと評する論者も多い。

*2:ドラマ版の主演は田村正和で、田村の口から「盗まれた手紙」のことは語られるが、「見えざる男」は登場しなかった。

*3:松本清張プレミアム・ミステリー」第2弾の一冊で、今月は『雑草群落(上・下)』が出た。

*4:矢沢はこの本を古本屋店頭の「百二十円均」から拾い出した、ということになっている。こういう細かい描写も、本好きには嬉しい。

*5:『作家の食と酒と』の「初出一覧」には〇〇年(2000年)、とあるが、誤記であろう。