『近代秀歌』のことなど

 永田和宏『近代秀歌』(岩波新書2013)に、「啄木の三行書き(短歌―引用者)に影響を与えたのは、土岐善麿であった」(p.118)とあり、善麿の、

りんてん機、今こそ響け。
 うれしくも、
東京版に、雪のふりいづ。

という歌が紹介されている。その解説文に云、

 また、あまり知られていないが、読売新聞社会部長であった大正六年、東京遷都五〇年を記念する読売新聞社の事業として東京・京都間のリレー競走「東海道駅伝」を成功させた。これが今日の「駅伝」の起源になっている。「駅伝」という名をつけたのも土岐善麿であったと言われている。(p.119)

 しかし、たとえば武田薫『マラソンと日本人』(朝日選書2014)に拠ると、次のようである。

1917(大正6)年、首都が京都から東京に遷って50周年という記念の年に、上野を舞台に「東京奠都(てんと)五十年奉祝博覧会」が開催されると、読売新聞社はその協賛事業として京都―東京間の「東京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」を企画した。これが我が国初の駅伝であり、発案者は当時の社会部長で歌人土岐善麿と部下の大村斡だった。社告掲載時点ではまだ「駅伝」の名称は使用されておらず、「奠都記念マラソン・リレー」「東海道の徒歩大競走」となっている。すなわちペデストリアン(19世紀前半の英国や米国東海岸で行われた「車馬に依らない」徒歩競走のこと。pedestrian―引用者)である。「駅伝」の名付け親は、大会副会長を務めた大日本体育協会副会長の武田千代三郎だ。(p.21)

 もっとも、「駅伝」という言葉自体は古来あったのだが、上引はいずれも競技名としての「駅伝」の「名付け親」のことを指している。
 ところで『近代秀歌』は、永田和宏『現代秀歌』(岩波新書2014)の「あとがき」によると、「(刊行後)二年足らずのあいだに、すでに十一刷りまで刷りを重ねている」(p.255)そうだが、「ユリイカ」(二〇一三年七月号)誌上で中村稔氏から「批判ないしは批評」「厳しい指摘」がなされ、後刷で訂正した箇所があるという。

 何よりまず石川啄木の「新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど――」という『悲しき玩具』の一首に関連して、明治四三年のいわゆる大逆事件に触れた部分である。「いちはやくこれに反応した啄木は、新聞社に勤めているという利点を生かし、自らそれについて調査し、「時代閉塞の現状」などの論文を書いた」と書いたのである。これは中村稔氏の指摘のとおり完全に私の間違い。啄木が大逆事件について触れたのは「所謂(いわゆる)今度の事」という、死後はるか後になってから知られるようになった文章においてであった。記憶に頼らず、いちいち原典にあたるという作業の大切さを改めてかみしめたことだった。
 また若山牧水の「うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花」の一首について、「染井吉野」は「江戸時代以降に主流になった桜であり」と書いた部分についても、これは明治以降の花であるとの指摘を受けた。これも私の間違いで、比較的遅く流行を始めた桜であったという知識に、その名前が干渉して「江戸時代以降」と書いたものと思われる。この二点については、第八刷以降の『近代秀歌』で訂正をしておいた。(pp.255-56)

 手許の『近代秀歌』は第9刷(2014.8.12)。それを見ると、上記二点はそれぞれ、「いちはやくこれに反応した啄木は、新聞の記事や裁判にまつわる資料を読みあさったらしく、「所謂(いわゆる)今度の事」という文章を書いて新聞社に持ち込んでもいる」(p.121)、「明治時代以降に主流になった桜であり」(p.170)と訂されている。初版とか初刷とかを偏重すべきではない、ということは、かつてここに書いたことがあるが、その富士川英郎氏といい、永田氏といい、どの時点で正したかを明確に示して下さっているので、読者としてはたいへん有りがたい。
 さて、牧水歌として最も人口に膾炙しているであろう「白鳥(しらとり*1)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は、『近代秀歌』pp.196-99に出て来る。
 永田氏によると次のようである。

 この一首は、牧水の第一歌集『海の声』では、ほぼ冒頭に近い位置に置かれたものである。しかし、『海の声』と第二歌集『独り歌へる』のそれぞれ大部分を収録して、第三歌集『別離』を編んだ時、白鳥の一首は、別の場所に配列されることになった。
 そこでは「女ありき、われと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も昼も断えず歌ふ、明治四十年早春。」という詞書とともに、恋人園田小枝子とともにした旅のなかの一連として配列をしたのである。(略)
 一首が、どういう場におかれるかは、その一首の読みに大きく干渉するものである。この文脈のなかで読むと、白鳥は牧水だけではなく、小枝子と牧水の二人という気もしてくる。(略)
 歌は一首で読むべきか、連作として連作の場のなかで読むべきか、これは古くて新しい、いまなおむずかしい問題なのである。(pp.197-99)

 ちなみに、白石良夫『古語と現代語のあいだ―ミッシングリンクを紐解く』(NHK出版新書2013)の第一章〜第三章が、牧水の「白鳥は〜」の解釈について書いている。白石氏によると、牧水短歌中の「かなし」が悲哀の義で定着したのは、森脇一夫によってそのような解釈がなされたからだという(pp.30-31)。
 白石氏は、「作品と伝記的事実とは食い違うのが当然なのだ」(p.65)という信念のもと、「白鳥」歌をあくまで『別離』という虚構の作品世界において解釈する。そのうえで、「かなし」は「喜びのかぎりない『かなし』である」(p.38)と断じている。

近代秀歌 (岩波新書)

近代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

マラソンと日本人 (朝日選書)

マラソンと日本人 (朝日選書)

古語と現代語のあいだ ミッシングリンクを紐解く (NHK出版新書)

古語と現代語のあいだ ミッシングリンクを紐解く (NHK出版新書)

*1:初出では「はくてう」と読ませていたという。『近代秀歌』p.197。