芥川也寸志の『八つ墓村』、市川崑…

 わたしが愛してやまない映画音楽に、芥川也寸志作曲の『八つ墓村』(サントラ盤)がある。これは、野村芳太郎八つ墓村』(1977松竹)で使用されたものである。
 芥川の『八つ墓村』は、まず、映画の前宣伝もかねて12インチのシングル盤(ビクターレコード)で先行販売された(77年7月25日)。2か月後には、メインタイトルやエンディングを含めた22曲(といっても数十秒で終わる曲もある)を収録したサントラ盤のLP(ビクター)が出た(9月25日)*1
 シングルのA面は「道行のテーマ」、B面は「落武者のテーマ」(呪われた血の終焉)だったが、いずれも劇中でかかる音楽を「聴きもの」としてアレンジしている。ことに「道行のテーマ」のほうは、序奏部が劇中使用曲の「竜の腭(あぎと)」と全く異なる。また「落ち武者のテーマ」は、LPに収録されていない。
 LPは長らく廃盤となっていたが、1996年に「SLC日本映画傑作選」(サウンド・リスナーズ・コミュニケーションズ)の一枚(通し番号は「6」)としてCDで復活した。このCDには、シングル・ヴァージョンの2曲も特典でついていた(山田誠二『18人の金田一耕助』光栄1998参照)。
 シングルの2曲は、1997年発売のCD「芥川也寸志の世界」(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ)にも、「八つ墓村」という曲名のもと収録された。「メインタイトル」をなんとしても聴きたかった(その頃は今のように手軽に聴けるわけでもなかった)当時のわたしは、事情を知らずにこれを購って*2、残念におもったことだった。後にはこのシングル2曲、そして「煙突の見える場所」「影の車」「猫と庄造と二人のをんな」(「猫のワルツ」)「ゼロの焦点」「八甲田山」等々、芥川の手がけた他の映画音楽も気に入ることになるのだが……。
 それはともかく、このSLC盤「〇〇の世界」は単発企画ではなくて、一連のシリーズだったらしい。というのも、他に「伊福部昭の世界」「黛敏郎の世界」等があって、「ゴジラ」「忠臣蔵」「コタンの口笛」(伊福部昭)、「月曜日のユカ」「女が階段を上るとき」「炎上」(黛敏郎)などの映画音楽を多数収録しているからである*3
 96年・97年のSLC盤はいずれもあっという間に廃盤になってしまったが、2001年には「復刻! 邦画名作選 八つ墓村」(カルチュア・パブリッシャーズ)というのが出た。こちらもシリーズの一枚で、96年のSLC盤をそのまま復活させたものであったから、シングルの2曲もついていた。
 その解説ブックレットには、次のようにある。

 芥川は本作の完成に寄せてこうコメントした。『私の数多くの映画音楽の中で、抒情的なもの、心理的なもの、官能的なもの、象徴的なものなど、手法上のあらゆる要素がふくまれていて、私の映画音楽の集大成です』。多分に映画の宣伝が盛り込まれた、社交辞令的な発言だとも思うが、『八つ墓村』の音楽の特徴性はある程度ここに語られている。(中略)ティンパニトレモロの前奏を経て弦楽器群と木管楽器群のユニゾンが高らかに奏され、山渓の情緒を漂わせる金管楽器群が響くメインタイトルは、郷愁を駆り立てる純日本的で清らかな抒情性を、これでもかとぶつけてくる。

 「映画音楽の集大成」という芥川の発言に対して、「社交辞令的な発言だとも思う」という評があるが、しかしこれは「本音」であったのではないか、と今にしておもう。
 たとえば――いきなり話がとぶようだが――、芥川が音楽を担当した市川崑黒い十人の女』(1961大映東京)に、月夜のビルの屋上で船越英二と森山加代子(役名は百瀬桃子)とが語り合うシーンがある。この異色作のなかでは明らかに「浮いて」いる場面で、森遊机氏も次のように述べている。

――『黒い十人の女』は、そうした無機的な場所を舞台にしてはいますが、一か所、新人タレントの女の子が局舎の屋上でうっとりと月を見ているシーン、あそこだけはロマンティックなタッチでしたね。先ほどの“ノスタルジー”という言葉につながるのでしょうけど。
市川 たしか、森山加代子君でしたっけ……。このシャシンは、当時以来いっぺんも観ていないので、ディテールについてはかなり忘れています。
市川崑 森遊机『完本 市川崑の映画たち』*4洋泉社2015:198)

 この「ロマンティック」なカット(一瞬だけ森山の顔のクロース・アップとなる)から船越と森山とが抱き合うまでの一連のシーンに、「竜の腭」の序奏部が使用されている。その音楽が、ロマンティックなムードをいっそうかき立てているのは間違いない。『八つ墓村』の劇中で「竜の腭」がかかるのも、やはりロマンティックな心情がかき立てられるシーンなのであった*5。それは、洞窟のなかで萩原健一小川真由美とが抱き合うというシーンで、そこに中野良子風間杜夫とが抱き合うシーン*6をパラレル編集で繋いでいる。
 また市川崑『鍵』(1959大映京都)には、中村鴈治郎(2代目)が妻役の京マチ子を抱きかかえて寝室へと運びこむシーンがあるが、ここで流れる音楽の間奏的な旋律は、『八つ墓村』の「檻の中の千鶴子」の主題部に相当する。映画『八つ墓村』では、山崎努*7中野良子(千鶴子)を手籠めにして自宅に監禁する場面で流れる(「檻の中の千鶴子」にもメインタイトルの第一主題が変奏で挿入されている)。
 この記事を書くにあたって、ちゃんと確かめてはいないが、市川崑『ぼんち』(1960大映京都)等、他の市川作品でも『八つ墓村』劇中曲の原曲が使用せられていたと記憶する。
 またも話が逸れるが、この頃は、市川作品が独自の明朝系書体(「新世紀エヴァンゲリオン」などがこれを踏襲したのは有名だろう)を確立させておらず、まだその「前史」というべき極小の「我流文字」時代なのであった。たとえば『鍵』の題字は「いびつな黒い円に白抜きの筆文字を採用。大正期の小説題字などにみられる図案風の表情を湛えてい」て*8、「これが白色のスクリーンにたいして二八分の一ほどの面積で画面中央にすえられた」(小谷充『市川崑タイポグラフィ―「犬神家の一族」の明朝体研究』水曜社2010:152)。同年の『野火』、翌年の『おとうと』に至っては、題字がスクリーン比で「四九分の一程度」(同p.153)か、あるいはそれ以下となる。
 芥川が音楽を担当した市川作品を観ていておもうのは、芥川はこの時期(1950年代後期〜60年代初頭)、一種の「試行期間」にあったのではないか、ということで、アダージョタッチの映画曲から激しいテンポの映画曲まで、実に様々なものを手掛けているのである。
 こうして見ていくと、芥川がそれまでに担当した映画音楽を「集大成」した作品こそが、『八つ墓村』だったとみることができる。タイトルがおどろおどろしいので、映画をご覧になっていない方は音楽まで敬遠してしまうかもしれないが*9、この『八つ墓村』のサントラ盤を聴けば、芥川による映画音楽の神髄をたんのうできるといっても過言ではなかろう。そして面白いのは、市川もこれと前後して独自の明朝系書体を完成させた、という事実である。
 さて『八つ墓村』のサントラは、その後2枚組の「昭和名盤発掘シリーズ」(ユニバーサルミュージック)にも収められたようだが、現在では、上記のCDとともに入手が難しくなっている。だがサントラの一部は、近年「映画音楽組曲八つ墓村』」(甲田潤編)としてまとめられた。この組曲は、「呪われた血の終焉」「メイン・タイトル」「惨劇! 32人殺し」「青い鬼火の淵(道行のテーマ)」「竜のアギト」「落武者のテーマ」の順で6曲からなり、本名徹次cd.&オーケストラ・ニッポニカによる演奏が2009年に収録された。これは2010年、「子供のための交響曲『双子の星』《交響管弦楽と児童合唱と語り手による》―宮澤賢治作・雙子の星より―」とともに芥川のメモリアルアルバムCDにまとめられた(EXTON)。このアルバムには、「映画音楽組曲八甲田山』」(4曲)も入っている。こちらは「メインテーマ」が冒頭にあるのに、なぜ組曲八つ墓村』のほうは「メイン・タイトル」が2曲めに配されているのか分らない(「呪われた血の終焉」が冒頭にあるのも不思議である)。何らかの意図があったのかも知れないが。
 そして、ついに2014年。「あの頃映画サントラシリーズ」の一枚として『八つ墓村』(松竹レコーズ)が出た。このCDのすごいところは、初めて「映画用マスターテープ音源」を全曲で使用したという点である。実は、これまでに出たLP、SLC盤、カルチュア・パブリッシャーズ盤などのサントラは、全て映画用とは異なるミックスで収録されていたのだった。だから、たとえば「メインタイトル」も、松竹レコーズ盤は収録時間が1分30秒弱なのに、これまでは全て数十秒長いバージョンが収録されてきた。さらにすごいのは、このCDに、シングルの音源のみならず、従来のサントラ盤に収録された曲のうちで明らかに違いが分る7曲(「メインタイトル」も含まれる)もあわせて収められたということである。実際に聴き比べてみると、管弦の響かせ方が異なったり、コーダ部に違いがみられたりする。
 なぜ最近になって、急にこのような「完全版」が出たのかは分らないが、昨夏放送されたソフトバンクモバイルのCM「戦国」篇に、『八つ墓村』の「メインタイトル」が使われていたことも、もしかすると影響しているのかもしれない。
(※当エントリは、「Ragdollの主題による変奏曲」中の記事に触発されて書いたことを申し添えておきます。芥川好き、『八つ墓村』好きにとっては必読の記事でしょう)

18人の金田一耕助

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芥川也寸志の世界

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芥川也寸志:子供のための交響曲「双子の星」他

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あの頃映画サントラシリーズ 八つ墓村

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黒い十人の女 [DVD]

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鍵 [DVD]

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完本 市川崑の映画たち

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市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究

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*1:映画公開日は同年の10月29日。

*2:わたしが所有しているのは、1999年のポリスター盤である。

*3:今年の初めだったかに、BS-NHKで芥川や伊福部の音楽がそれぞれ一時間枠で特集されたことがある。映画音楽はかからなかったが、芥川の特集では冒頭に「赤穂浪士」(1964年大河ドラマのメインタイトル)が演奏された。

*4:旧版の『市川崑の映画たち』はワイズ出版から1994年に刊行されている。

*5:さらにどうでもよい話をすると、当時の松竹の『八つ墓村』宣伝用VTRのBGMには、「ロマンティック」の副題をもつブルックナー交響曲第四番(第1楽章)が使われている。

*6:ここで一度も顔の映らない男性が実は風間だと知ったのは、たしか大多和伴彦『名探偵・金田一耕助99の謎』(二見WAi-WAi文庫1996)によってである。また、中野良子日本テレビ系の「いつみても波瀾万丈」(番組タイトルは、初代司会者だった逸見政孝の姓から採っている)に出演した際に、濡れ場は「ご法度」だったのであの場面ではよく似た役者を代役に立てた、と語っており、福留功男だか間寛平だか(あるいは野際陽子だったか)が、「全然分りませんねぇ」といって驚いていたことがある。この中野の発言が、正面からのカットを含めての発言であるとすれば、たしかに驚きである。

*7:本作で山崎は二役を演じていて、こちらは多治見要蔵である。要蔵のモデルが「津山三十人殺し」の都井睦雄であることは有名だろう。ちなみに「津山三十人殺し」を描いたノンフィクションには、筑波昭『津山三十人殺し』(新潮OH!文庫→新潮文庫)や石川清津山三十人殺し 最後の真相』(ミリオン出版)、石川清『妻奈三十人殺し 七十六年目の真実』(学研パブリッシング)などがあり、この事件をモデルにした小説には、横溝正史八つ墓村』だけではなくて、松本清張「闇に駆ける猟銃」(中公文庫『ミステリーの系譜』所収)、西村望丑三つの村』、島田荘司『龍臥亭事件』、岩井志麻子『夜啼きの森』などがある。『丑三つの村』も映画化された(1983年、田中登)が、古尾谷雅人の狂気、そして五月みどりの妖艶さと田中美佐子の可憐さとが印象に残る一作であった。ちなみに「津山三十人殺し」は、先日(12月12日)、FNN系の「激動! 世紀の大事件3」で特集されていた(他に、「ホテルニュージャパン火災」「三毛別ヒグマ襲撃事件」「妻たちの湾岸戦争」「大洋デパート火災」など)。この「世紀の大事件」は今まで四回放送されており、まず「開局55周年」と銘打たれて昨年3月21日に放送されたのが最初で(「羽田沖墜落事故」「あさま山荘事件」「長崎バスジャック事件」「豊川信金取り付け騒ぎ」など)、昨年12月13日に「世紀の大事件2」(「名古屋空港墜落事故」「豊田商事会長刺殺事件」「米同時多発テロ事件」「三菱銀行猟銃男立てこもり事件」など)が、今年3月20日に番外篇「オウム真理教と闘った家族の全記録」が放送されている。

*8:谷崎潤一郎『鍵』の装釘を担当した棟方志功のデザインを意識していたのであろうことは想像に難くない。

*9:リアルタイムでこれをご覧になった方からは、「子供の頃のトラウマだった」、という声をよくうかがう。わたしが初めてこれを観たのは、もちろんリアルタイムではなくて1990年ごろのこと。全部は観なかったが、落ち武者たちが燃え盛る多治見家を見下ろして笑うシーンはたいへん怖かったものである。その後、はじめて全篇通して観たのは高島忠夫解説の「ゴールデン洋画劇場」枠で、1998年のことだった。