『広辞苑』第七版刊行

 今月12日、新村出編『広辞苑』第七版(岩波書店)が出た。ネット上では早くも、「LGBT」の語釈に誤りがある(のちに「しまなみ海道」の件も報道された。1.22記)ということで話題となっている。
 第五版の宣伝文句は「私が、/21世紀の/日本語です。」、第六版のそれは「ことばには、/意味がある。」、そして今回は、「ことばは、/自由だ。」である。
 また、六版の予約特典は『広辞苑一日一語』(新書判)だったが、今回の予約特典は三浦しをん広辞苑をつくるひと』(文庫判)である。
 まだ中身をじっくり見たわけではないが、気づいた点や、変更点などについていくつか述べておく。
 まず後ろから見て気づいたが、最後の採録語が変わった。六版までは末尾が、

ん‐と‐す→むとす。「終わりな―」

という空見出しであって、作例がなかなかしゃれていたのだが、七版はその後に、

ん‐ぼう バウ【ん坊】《接尾》(多く動詞の連用形に付く)そういう性質・特色をもつ人や事物。「んぼ」とも。「暴れ―」「食いし―」「赤―」「さくら―」

を追加している。
 山田忠雄ほか編『新明解国語辞典 第七版』(三省堂)は「んぼう」を見出しに立てず、「んぼ」を「『ん坊』の短呼」として採録する。見坊豪紀ほか編『三省堂国語辞典 第七版』(三省堂)は「んぼう」を見出しに立てており、次のようにやや詳しい語釈を施している。

‐んぼう[(ん坊)](造語)(1)困った性質の人を呼ぶことば。「あまえ―・あわて―・けち―・忘れ―」(2)そういう すがたや かっこう、行動(をしている人)。「赤―〔=赤ちゃん。赤いから言う〕・はだか―・立ち―・かくれ―」(3)動植物をしたしんで言うことば。「あめ―・さくら―・つくし―」(4)〔←ぬ+坊〕→ぼう(坊)[三](2)。▽んぼ。

 次に、柳瀬尚紀広辞苑を読む』(文春新書1999)の指摘に即して七版を見てみることにする。
 まず注意しておかなければならないのは、柳瀬著は五版の刊行直後に出ているが、六版でそれらの指摘に応えたとおぼしい箇所がかなりある、ということだ。
 例えば「こゆび」の項。五版の第二義は、「俗に、妻・妾・情婦などの隠語。浮世風呂『おめへンとこの―も派手者はでものだの』⇔親指」となっていたが、これについて柳瀬氏は、「他の二冊(『大辞林』『大辞泉』のこと―引用者)にある身振言語としての小指の説明(小指を立てて云々ということ―同)がないのは惜しい」(p.39)と書いている。六版ではこれを受けてか、「(小指を立てて示すことから)」との注記が加えられている。
 さらに柳瀬氏は「しかし、さすが広辞苑浮世風呂(略)を引いているところが他の二冊と決定的に違う」(p.38)と記しているが、これは、先行する上田萬年・松井簡治共著『修訂 大日本國語辭典』(冨山房*1)に見える用例である。当該箇所を引く。

こ‐ゆび 小指 (名)(略)[二]つま(妻)、又は、せふ(妾)をいふ隱語。(おやゆびの對)浮世風呂三上「御新造さん中略おめへん所の小指も派手者だの」

 『広辞苑』のもとになった『辞苑』が、『大日本國語辭典』に採られた用例を多数「孫引き」していることは、新村猛『「広辞苑」物語―辞典の権威の背景』(芸生新書1970)も「異常な短期間の過程で、多くの範を『大日本国語辞典』に仰ぎ」(p.123)と認めるところであったが、松井簡治自身もそのことを把握しており、『修訂 大日本國語辭典』の序文(1939年6月)で、

(国語辞典の)多くは本辭典に採録した語彙を基礎として、多少の加除修正を施したに過ぎないと言つても、誣言ではないと思ふ。根本的に多數の典籍から語彙を蒐集し、整理するといふ基礎的作業に努力されたと見るべきものは、殆ど見當らない。(p.1)

と痛烈に批判している。これが『辞苑』に向けられた批判であることは、倉島長正『「国語」と「国語辞典」の時代(上)その歴史』(小学館1997)が「特に後半部分は多分に『辞苑』を意識していたとみるのは邪推というものでしょうか」(pp.246-47)と書いていることや、石山茂利夫『国語辞書事件簿』(草思社2004)がさらにはっきりと「松井の指弾のターゲットは『辞苑』とその姉妹辞書である『言苑』だったと考えざるを得ない」(p.189)と記していることなどから明らかだが、石山著によれば、語の取捨選択や語釈の面では、むしろ『広辞林』や『言泉』が多く参照されているようだという。
 話を戻す。柳瀬著は、「本居長世」やポーランドの政治家「ヤルゼルスキ」が『広辞苑』に立項されていないことを指摘しているが(p.23,75)、六版では二人とも加えられた(第七版ではヤルゼルスキの歿年=2014年も示された)。「(「肉球」を)立項して定義してほしい」(p.101)、「鼠害」を立項していない(p.102)という要望や指摘に対しても六版は応えている。「スリジャヤワルダナプラコッテ」の原語の綴りミス(p.106)も訂正されている。「悪太郎」の項の語釈、「たけだけしく悪強い男を人名めかして呼ぶ語」(五版)に対しては、「この『悪強い』が読めない。意味も判然としない」(p.143)と批判しているが、六版ではこの表現が「乱暴な」と書き換えられている。また、五版で新たに採録された「でくわす」に「出会す」という漢字表記しか認められていないことも指摘しているが(p.154)、六版で「出交す」が加えられた。ちなみに、現代言語セミナー『辞書にない「あて字」の辞典』(講談社+α文庫1995)は、他に「邂逅す」「出逢す」「撞見す」「遭遇す」の当て字の用例を示している。
 それから、「広辞苑の『伝説的』の定義がほしい」(p.181)という要望にも六版は応えているし、(「学生語」と注記される)「シャン」「エッセン」は「すでに学生語ではないだろう」という指摘(p.193)に対しては、「旧制高校の学生語」と訂することでこれに応えているし、「トマト」「たまねぎ」の語釈中の「重要な野菜」(p.202)という表現も消えている。
 次に、七版で変更された点について述べる。
 こちらも柳瀬氏の指摘するところであるが、鷗外の史伝に見える語で、かつ『大辞林』や『大辞泉』が採録した「記性」「校讐」「逆推(げきすい)」「救解」「時尚」は、いずれも五版にない。六版にはこのうち「時尚」のみ採録されたが、「記性」「救解」は七版から追加されている。「校讐」「逆推」は七版にも採録されていない。
 「ゴールデンバット golden Bat」は「大辞泉のように(Golden と)大文字で示すのが正しい」(p.138)が、六版では小文字のまま。しかし、七版では“Golden Bat”と明記されている。
 細かいことだが、「じゅげむ【寿限無】」の項の語釈、六版まで「雲行末」となっていたところが、七版では「雲来末」となっている。「けいたい【携帯】」の項、六版は第二義として単に「携帯電話の略」と記されていたところが、七版では「(「ケータイ」とも書く)携帯電話の略」となっている。「みみざわり【耳障り】」の項、六版は「「―がよい」というのは誤用」と記していたが、七版は項目を二つに分け、次のように処理している。

みみ‐ざわり・・ザハリ【耳触り】聞いた感じ。耳当たり。「―のよい言葉」
みみ‐ざわり・・ザハリ【耳障り】聞いていやな感じがすること。聞いて気にさわること。「―なことを言うが」「―な雑音」

 「みみざわり」については、「日本語の用例拾い」を参照のこと。
 また、「にやける」は六版まで俗用に言及がなかったが、七版は第二義として、

俗に、にやにやする。「―・けた顔」

を掲げている。
 以下は、H氏に教わったことである。
 まず「敷居が高い」。六版の語釈は、

不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい。敷居がまたげない。

となっていたが、七版では、

不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい。また、高級だったり格が高かったり思えて、その家・店に入りにくい。敷居がまたげない。

となっており、新しい意味を許容しているようである。
 次に、「ばくしょう【爆笑】」。六版の語釈は、

大勢が大声でどっと笑うこと。「―の渦につつまれる」

であったが、七版は、

はじけるように大声で笑うこと。「―の渦につつまれる」

となっており、「大勢が」という但し書きがなくなっている。「爆笑」については、「『爆笑』誤用説」をご参照いただきたい。
 さらに、一部の字体については拡張新字体を採用している。例えば六版まで「祈禱」だったのが、「祈祷」となっている。
 形の上では、「祈祷」を採用した初版に、いわば「本卦還り」したことになるが、H氏によると、

広辞苑は現在、個々の漢字ごとに方針を決めているのではなく、「人名用漢字(表一)で複数の字体が掲げられている字種については、簡略字体のほうを採る」という内規をもうけ、それを「表外漢字字体表」以降に人名用漢字入りした字種・字体にも適用している(適用しなくていいのに)と思われます。

とのことである。『広辞苑』と(「祷」を含めた)拡張新字体との複雑な関係については、石山茂利夫『国語辞書 誰も知らない出生の秘密』(草思社2007)の第5章「国語改革熱が刻印された辞書たち(上)」をぜひ参照していただきたい。
(※文中の『広辞苑』第六版は、2008.1.11第六版第1刷を参照している。第七版の変更点と見なした諸点のなかに、第六版の増刷で微修正されたものが含まれているかもしれない。その点、どうかご諒承願いたい。)

広辞苑 第七版(普通版)

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広辞苑を読む (文春新書)

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「広辞苑」物語 (1970年) (芸生新書)

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「国語」と「国語辞典」の時代〈上〉その歴史

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国語辞書事件簿

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国語辞書 誰も知らない出生の秘密

国語辞書 誰も知らない出生の秘密

*1:修訂版は1939年発行。手許のは1952.11.28刊の新装版。