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つれづれなるままに−日暮日記

2016-08-22 日本の獲得メダル数は立派

 リオデジャネイロオリンピックが終わりました。開催直前まで、果たして滞りなく運営できるのか、あるいは世界に名だたる犯罪都市であるため、選手や観客の安全が確保されるのかといった心配がありました。ですが、終わってみると、まあ多少のトラブルがあったものの、全般的につつがなく過ぎた感があります。まだパラリンピックもあり、100%終了したわけではありませんが、、。

 次期開催国である日本の東京は、少なくともリオ以上の完璧性を求められることになるでしょう。これまで、メーン競技場の設計やエンブレムの問題、あるいは開催地・東京が決まった時から3人も知事が変わるなど政治的な混乱もあり、なんだか東京五輪は早々にケチがついた感じでしたが、それでもやはり先進国のメンツにかけて立派にやり遂げてほしいなと、リオを見て改めて思いました。

 今回の日本のメダル獲得数を見ると、金12、銀8、銅21の計41個は、今の日本スポーツ界の実力からいって十分な数ではないでしょうか。少なくとも金メダルが2ケタになったことは、欧州の有力先進国並みで、良かったと思います。最後は負けると思っていた男子体操団体や女子バトミントンダブルスで金を獲ったのは、団体競技に強い日本を再認識させるようで、本当に喜ばしいことです。

 半面、だれもが金メダルを当然視していた女子レスリングの吉田沙保里選手が負けたことは、日本人の多くがショックでした。僭越ながら分析するに、彼女に過信や多少のおごりがあったのではないかと感じられました。事前に4連覇した伊調馨選手を見て、「彼女ができたなら、最強の私にできないわけはない」、試合中も「伊調が最後に逆転したのだから私にもできる」と思ったのかも。

 また、長年にわたって君臨してきた人ですから、同じ階級の外国選手が吉田の弱点探しをしていたでしょうが、彼女自身は逆に有力選手をどれほど調査、研究していたのか。あるいは、自身は感じないようにしていたのかも知れませんが、若干の年齢的な衰えがあり、敏捷性が損なわれていたのかも。いろいろ考えられますが、一番の原因は過剰な自信、上手の手から水が漏れたということではないかと推察しています。

 同じ銀メダルでも、柔道男子最重量級の原沢久喜選手は良く戦いました。小生も、朝ライブで見ましたが、柔道界最強男と言われるフランステディ・リネールという黒い巨人相手にほぼ互角の勝負をしていました。リネールは原沢の投げを恐れて逃げの姿勢で、真面目に組み合おうとせず、技も出せませんでした。

 客観的に見れば、技を仕掛けた分、原沢の方が優勢だったと思います。それでも「指導」の多さで負けたということは、ある意味リネール最強という先入観を持つ審判の判断があったからでしょう。ちょっと残念な結果です。

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 上の写真は、ハバロフスク市内の店頭で見かけたソ連ロシア指導者のマトリョーシカ。最小はゴルバチョフで、中は彼以後の指導者でした。

 

 

2016-08-18 中ロ国境地区視察で、入管の尋問受ける

 かつての記者仲間ら4人で行く毎年夏恒例の旅行はこれまでも触れていますように、今年はロシア極東旅行でした。観光旅行でないので、今までどちらかと言うと誰も行かないようなところを選んでいます。皆、中国駐在経験が豊富なので、勢い目的地は中国が多く、これまで北朝鮮との国境、ロシアとの国境、内モンゴル自治区ベトナムから中国広西チワン族自治区への旅などに行っています。

 しかし、昨年、中国でスパイの摘発を厳しくする法令ができ、その結果、日本人5人が今、スパイの容疑で捕まっています。中国当局は、「日本政府、特に公安調査庁の指示を受けて中国をスパイしていた」と容疑内容を説明するけど、本当にそうかどうも分からない。記者というのは現地取材をするので、スパイ活動とは紙一重。われわれも国境地域になど行っていたら、いつかあらぬ疑いを掛けられ、逮捕されかねません。

 そこで、仲間同士「しばらく中国の辺境旅行はお預けだね」ということになって、今年はロシアの極東部を目的地に選びました。でもロシア極東部であれば、やはり関心が高いロシア中国国境に行きたくなる。最大都市ハバロフスクは特に、2004年に中ロ間の領土確定で二分割された大ウスリー島のすぐ近くです。

 そこで、ロシアガイドの案内で大ウスリー島を”探検”してきました。できたばかりとみられる同島へ続く大橋を渡ると、そこは草ぼうぼうの草原と叢林の原っぱ。牧場がある以外、何か建物があるわけでもありません。やたらアブが多く、人気を感じるとブンブンと寄ってきます。

 いくつかキャンプ場があって、テントを張るグループがあり、ロシア人が10人程度、国境近くの川で泳いでいました。われわれがカメラを向けると、水着を着たデブのおばさんがかなり怒った様子でガイドに詰め寄ってきました。われわれはロシア語が分からないので、何を言っているか不明ですが、恐らく「許可を取ったのか」などの話でしょう。

 われわれはこの前日、ウスリー川を挟んだ別の中国国境の村も視察しています。カーサキビーチェボというその村は、入るときに事前申請が必要で、検問所もありました。ですが、村に入ると長閑なもので、農家のほか、都会人のダーチャ(別荘)などがあります。民族博物館みたいなものもあり、館長のおばさんが親切に説明してくれます。レストランはないので、昼飯は旅行社によって養蜂農家でセットされ、現地の農家食を食べました。

 ウスリー川を挟んで向こう側は中国領土。「東(中国でもっとも東にあるという意味か)」という漢字をデフォルメしたような形の高い鉄塔が見えました。ここには橋もフェリーもなく、両岸両国民が交流することはないのですが、現在の中ロ蜜月を象徴するように、国境に険悪なムードは漂っていませんでした。

 日本人で国境見学は珍しいからでしょうか、2つの国境地区に行ったことで、翌日夜、ロシアの入管当局がわれわれのホテルの部屋を訪ねてきて、「何の目的で村に行ったか」と質問してきました。事前許可も取ったし、ガイドも一緒の見学だったのに、この訪問にはちょっと驚きました。

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上の写真は、大ウスリー島中国鉄塔を背景にした小生と、国境近くの支流で泳ぐロシア人キャンパー。 

 

2016-08-15 三宅宏実選手のしぐさに感動

 ロシア極東旅行から帰ってから、あまり都心に行く用事もないので、散歩に出るか、家で小銭稼ぎの原稿書きをするか、オリンピック放送を見ているかで過ごしています。オリンピックはスポーツ選手が4年間の成果を競い合うもので、悲喜こもごもあり、いつも感動的です。特に、この中でも印象的だったのは女子重量挙げ三宅宏実選手のしぐさでした。

 彼女はジャークで107キロを挙げ、どうにか銅メダルを獲得したのですが、最後の差し上げ成功のあと、いったん袖に帰りかけたものの再び壇上に戻り、バーベルにほほずりをしました。小生はこういうシーンに弱く、素直に感動しました。いかにも仕事道具を大事にする職人のように、スポーツ選手もその器具、道具に一定の敬意を表する態度は実に立派だと感じます。

 物を大事にすることは、物のない時代に育ったわれわれ共通の習慣でしょう。小生も子供のころ両親に「物を大切に」と言われて育てられましたが、同世代の内人と一緒になったあとも、彼女からも新鮮なアドバイスをもらいました。それは、「長い間使い続けた衣服や道具を捨てるときには、『これまでお世話になりました。ありがとう』と言って捨てるものです」とのこと。

 以後、小生は長い間使い続けてよれよれになったり、壊れたりして処分する衣服や道具に対し、感謝の別れをしています。きょう、香港駐在時代から来ていたブルーの半袖ポロシャツを一枚捨てました。このシャツに特別思い出があるわけではないのですが、シャツを抱きしめ、「長い間、僕を守ってくれてありがとう」とキスをして袋に収めました。

 敬意は物に対してだけでなく、国家に対しては余計にそうあるべきです。その点、オリンピックで日本の若いアスリートたちは、愚かなサヨクが見せるような日の丸君が代忌避の姿勢もなく、むしろ表彰台では立派に国旗国歌への敬意を示していました。いい傾向です。政治をスポーツの世界に持ち込んだり、自国を誇れないような人間は真のアスリート、スポーツ国際人だとは言えません。

 その点、柔道の試合で、イスラエルの選手に見事な背負い投げ一本で負けたエジプトの選手が試合終了後、あいさつもせず、イスラエル選手の握手の申し出にさえ拒否する姿勢を示しました。ライブで小生もこの光景を見ていましたが、エジプト男は見事に負けた人間だっただけに実に情けなく、みずぼらしく、愚かと映りました。

 試合が終わったらノーサイドであり、激しい闘いがあればあるほど、肩を抱き合い互いの健闘を称え合うことが必要です。それは、スポーツマンシップというより、むしろ人間としての最低限の礼儀作法に入る話だと思います。

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 上の写真は、ウラジオストック駅前にあるレーニン像。周辺は、日本人は見かけず、中国人観光客だらけでした。

 

2016-08-12 尖閣への侵攻も権力闘争の一環

 中国という一党独裁国は、本当にこまった存在です。南シナ海岩礁を埋め立て軍事基地化を図り、大方のASEAN諸国や米、日、オーストラリアなどの反発を受けているのに、さらに東シナ海尖閣諸島海域で漁船団や公船を繰り出して挑発を続け、新たな紛争の火種を作っています。これでは、小生も含めて中国に近親感を抱いている人間も不快感を募らせ、無関心派はますます中国嫌いになってしまうでしょう。

 尖閣諸島漁船を終結させのは、明らかに党・政府の一定の指示のもとに行われた行動です。かつて1978年、日中平和友好条約が結ばれた際も、中国はことさらその友好ムードをぶち壊すように大量の漁船団を尖閣周辺に集結させました。こうした例を見ると、やはり選挙で選ばれない指導部の限界、非民主主義国の”性”を感じてしまいます。

 というのは、今、中国では党・政府の現役、OB幹部が集まって重要事項を話し合う夏の恒例行事、北戴河会議が開かれています。ここで習近平氏は自らの権力者としての存在理由を誇示するため、どうしても国家の威厳、共産党執政の正統性を示すように対外的に強硬姿勢を取らざるを得ないのです。そうしないと、会議でOBから批判されるし、国内ナショナリストたちの支持が得られないのです。

 実は、1978年も毛沢東主席が死んだ翌々年で、当時の華国鋒指導部に対し、小平派が奪権を企てていました。より対外的に強硬姿勢を示す方が権力者にふさわしいという観点で権力闘争が展開されていたため、勢い国外の敵を作らざるを得なかったのです。つまり、国内政治のために対外関係を利用するという構図です。

 その”敵作り”に利用されたのが日本とベトナムでした。1979年ベトナム侵攻もその一環です。1978年当時、小生は地方支局にいたのですが、当然中国にも関心を持っており、同年に初めて中国を訪問しています。ですから、それまで日中友好をうたってきた中国が今なぜ、日中対決姿勢を示すのか、日本が長年ほうってある小さな領土問題を今なぜ、フレームアップさせるのか、大いに疑問を持ちました。

 その謎解きはそれほど難しくないのです。中国では権力闘争のためには手段を選ばない。自ら権力を奪取するためなら、たとえ外交関係を犠牲にしてでもという思いが幹部に共通しています。逆に見れば、権力闘争に負けると、重要情報を簡単に外国に差し出し、中国国益さえ毀損してしまうということもあり得るのです。

 汚職や職権乱用で無期懲役の刑を受けた令計画元党中央弁公庁主任の実弟令完成は今、兄から預かった大量の機密情報を持って米国に逃亡しており、それをすでに最大の”敵性国”米国に売り渡したと報じられています。その機密の中には、中国核兵器管理に関する情報、指導部の個人情報なども含まれており、事実上、中南海の中を丸裸にするような情報ばかりです。

 愛国主義共産党なんて、ちゃんちゃらおかしい、なにが愛国者か。令完成の例を見れば、一目瞭然。そのほか、中央幹部のほとんどが海外に移住拠点をすでに用意しており、大量の外貨も預託している。権力闘争に負ければ、監獄が待っているだけなので、彼らはすぐさま海外に逃亡する。そんな国なのです。悲しむべき非民主主義国の現実です。

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 上の写真は、極東ロシア・ウラジオストック駅頭で見かけたロシア人ガイド。中国人の旅行団を率いて流暢な中国語を話していました。

 

 

2016-08-08 ソビエト官僚主義が残る極東ロシア

 2日からきのう7日まで極東ロシアウラジオストックハバロフスクを訪問していました。実は小生、中国には数え切れないほど行っていますが、恥ずかしいことに隣国ロシアに足を踏み入れるのは初めて。どんな国か興味津々でしたが、一言で言って、まだ社会主義官僚主義の抜けない国だなというのが率直な印象でした。

 ウラジオストックはもともと軍港都市で、一般国民は許可なく入れなかったということです。それだけに町のたたずまいがどうも人が住みにくい、あまり生活環境に配慮されていないという感じでした。ただ、ロシアにしては極南にあるため、冬の寒さもほどほどであり、港湾を見下ろす景色も素晴らしいため、開放後は結構移住者も多いらしい。今では人口60万人以上とのことで、高層住宅が数多く建築されていました。

 ウラジオからハバロフスクまでは、いわゆるシベリア鉄道を使いました。この鉄道は、小生もかつてよく乗った中国鉄道と似ていて広軌道で、2等のコンパートメント中国の4人掛け「軟座」とそっくり。相対の座席の上にベッドがあり、上下2段で4人が寝られるタイプです。トイレは、排泄物を線路上に垂れ流しにするため、ペダルを押すと、下の線路が見える。このため、駅に停車中や都市部では鍵をかけて入れなくしており、かつての中国列車を思い出しました。

 鉄道は今でも国有であるためか、いたってサービスが悪い。食堂車は値段も高いし、品ぞろいも不十分。服務員の態度も官僚的で、韓国人学生の客が窓のカーテンを開けようとしたら「開けるな」と怒鳴ってしましたし、こちらが呼ばない限り、客に寄り付かない。われわれ仲間4人で食堂車に入っていくと、服務員が客用の食卓で正々堂々と食事をしており、まったく意に介することもなかったのです。このため、食堂車はガラガラ。それでもいいようです。

 かつてのソ連官僚主義はよく耳にしていました。民主主義化したロシアでも、依然サービス方面はソビエト時代と変わらないようです。中国では1990年以降、サービス業は飛躍的に改善された感じがありましたが、ロシアは残念ながらそれがない。この状況では、「シベリア鉄道の旅一週間」などと銘打って、外国人客を大勢招き入れるのは無理かなと感じました。

 ハバロフスクウラジオストックと同規模の人口ですが、さずが極東ロシアの中心地であるため、町のたたずまいが西洋っぽい。市内には車道と歩道をきっちり分けた緑の空間があるし、メーンストリートはフランスドイツで見かけるような古いビルが並び、しかもオープンテラスのカフェ、レストランもあり、おしゃれな感じ。都市全体が人の生活環境を考えた街づくりをしているように思いました。

 仲間の一人が「日本から行ける一番近いヨーロッパなどと言って売り出せば、結構日本人が来るかも」と言っていましたが、小生も同意できました。でも、装いはヨーロッパ風であるけれど、ここもやはり旧社会主義ロシア。さまざまな官僚主義の名残りを見てしまいました。それはまた別便で。

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 上の写真は、ウラジオストックの古い駅舎をバックにした小生と、シベリア鉄道のペダルを押すと、下の線路が見えるトイレ。