HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

成田空港と同い年の私にもうひとこと言わせてくれ

ひとことお詫びをもうしあげたい。

finalventさんのところでコメントさせていただいた。

hihi01 2008/09/28 10:58 finalventさん、おはようございます。これはもっと長いプロセスの結果です。数年前に航空管制をようやく戻され、空路の目処がたったので羽田の拡幅が意味を持つことになりました。日本がいまだ被占領国たる証左です。

finalvent 2008/09/28 17:10 hihi01さん、ども。この問題を課題にきちんと取り上げたのは石原じゃなかったかな、と。

読売社説 横田空域返還 首都圏の空が便利になった : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記

私の不明をお詫びしたいです。よく調べずに発言しました。もうしわけございませんでした。

まず、なぜ首都圏の国際空港が成田でなければならかったから始めたい。これは空域の問題と切っても切り離せない。

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http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/kiti/kuiki/kuiki.htm

羽田空港、というか東京自体が西側を横田空域、つまりは首都圏を航空管制を米軍に握られてたまま戦後は推移している。以下に述べるように、徐々に返還はすすんでいるもののいまのところ完全返還は戦後何年たっても難しい。

上に引用した東京都の作った図を見ればわかるように都内からのアクセスと航空管制の問題から北総地域に国際空港をつくるのは、昭和30年代から40年代にかけては自然の理であった。空港の場所の設定、その開発の進め方うんぬんとういことをいいだすときりがなくなるので、ここではふれない。ただ、日米安保条約が存在する限りということは普通の政治家やお役人の感覚では未来永劫羽田が単独で首都圏の国際空港需要をまかなえるとは思っていなかった。

ここをひっくり返したのは、確かに石原知事だった。

東京都でも、あくまでも首都圏全体を視野に置いて、空港機能及び利便性の向上の実現を目指して、航空政策基本方針、仮称でありますけれども、そういったものを本年度じゅうに取りまとめたいと思っております。

http://www.gikai.metro.tokyo.jp/gijiroku/honkaigi/2000-2/d5220313.htm

では、「航空政策基本方針」とはなにか?

この発想はかなり画期的であったと思う。横田軍民共用を口にする人はいたが、段階的であっても航空管制を日本に戻すことが可能であるとはだれもが想像しなかったはずだ。

結果として、かの社説になる。

東京・羽田空港から西に向かう旅客機のルート設定が容易になった。

 空港の西側に広がり、米軍横田基地が管制権を握る「横田空域」の一部が日本に返還されたからだ。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080927-OYT1T00742.htm

wikipediaにもこの辺に推移についてまとめてある。石原知事の貢献については私は全く無知であった。知ったかぶりをしていた。反省したい。