HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ソーシャルキャピタル不況、あるいは日本の没落

風邪でもブログをアップするのがブロガーなのだそうで・・・。熱にうなされて読み込めてないけど、一応池田信夫先生にトラバ。

本書のテーマとするsocial capitalは、ベッカーの人的資本が個人を単位としているのに対して、社会的なネットワークが資本としての価値をもつと考える理論である。その典型が日本の企業だ。トヨタがあれだけ高い効率を実現できるのは、従業員が思考様式や行動様式を共有し、命令しなくても自発的に協力するシステムができているからだ。終身雇用は、そうした社会的資本を蓄積する手段だった。

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いまもし日本に弱点があるとすれば、これまで蓄えてきたソーシャルキャピタルを使いはたしてしまったことだ。えいえいと室町時代から、農村から、江戸時代から、築いてきた人と人との付き合い方は、明治維新にも、太平洋戦争にも、耐え抜いてくることができた。しかし、戦後の教育と流動性の高さが人と人との付き合い方を変え、生まれて、教育されて、仕事をして、自分の始末をして、結婚をして、また子どもを産むというサイクルを、人とのソーシャルキャピタルの中で一人前にやっていくことがなくなってしまった。

派遣村だかなんだか知らないが、天涯孤独で生まれてきたわけでもあるまい。縁遠になっているとはいえ、田舎だってあるだろう。それが、その場所で生まれたわけでもない日比谷で年越しをするのはいったいどういうソーシャルキャピタルなのだろうか?ちなみに、田舎によっては仕事はあるぜ。私の知人は「これでようやく人を採用できる」と胸をなでおろしていた。

この前ある中央な方のインタビューを読んで本当に悲しかった。「景気対策でいくら田舎にお金を割り振ってやっても、景気浮上の効果がない。中央にお金をそそぐしかない。」という内容だった。ハイエクの本の角に頭をぶつてけて死んでしまえと言いたい。

足元を見りゃいくらでも、ご縁も、チャンスも、人と人との信頼の網もあるだろう。それに気づき、それを生かす方法なんざそのまた万倍もある。それに気づかない、生かさない人ばっかになったときに日本のソーシャルキャピタルは崩壊する。お役人にしか頼れなくなったとき、日本は没落する。派遣村だのの連中を見ているをその日が案外近いのかもしれないと感じた。

生半可なハイエク理解でいってしまえば、本来、ソーシャルキャピタルを通じて得られるご縁こそが「正しい信号」であり、インフレ政策だの、補助金だのといった政策によって出される「間違った信号」は間違った資源配分しか生まない。

だいたいお役人が「のたれ死ぬ自由」や、「商売に失敗する自由」や、「ちょっと健康に悪いけど食べたいものを食べる自由」だとか認めてくれれば、積極的になにかをしなくたって経済は回っていく。お役人が動かないとなにも変わらない、なにも始まらないと考えることが知的高慢なのだ。

へぇへぇ、ぜいぜひ。風邪が辛いので、この辺にしておく。暴言非言のたぐいは風邪の熱のため。苦情があるなら、私の風邪が治ってからにしておくれ。

■いやいや、まさに!

すみません、2連続首肯しちゃいます。

マルクスハイエクがともに見逃したのは、伝統的な部族社会がコミュニケーションの媒体だったという側面だ。正月に郷里に帰ると、東京では出会ったこともない人々の暖かい思いやりにほっとするが、それをになっているのは70代以上の老人だ。やがて日本からこうした親密な共同体は消え、「強い個人」を建て前にした社会になってゆくだろう。それが不可避で不可逆だというマルクスハイエクの予言は正しいのだが、人々がそれによって幸福になるかどうかはわからない。

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