HPO:機密日誌

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2010-12-04

スタートアップ企業は雨後の筍のごとし

ここのところ、新しく始めた会社がごくうまくいっているという話しをよく聞く。

ま、ちょっとよくよく見てくと不安になる部分はあるはある。それにしても、これだけ経営ノウハウが公開されていて、かなりのスキルをもって人材が流動化しつつある現代では、雨後の筍のようにスタートアップ企業が育っているようだ。

企業は時期と方向性があると信じられないほど成長する。昨日の日本電産さんも、HDD用のモーターを手がけるようになってから急成長したそうだ。

リアルでお会いした某超成長スタートアップ企業に転職した方は、いままではエスタブリッシュメントになりつつある企業グループで育ち、パートナークラスの役職のキャリアを重ねていた。それぞれの企業で培った経営ノウハウとスキルを、ある急成長中スタートアップ企業でいかんなく発揮されている。すばらしいことだ。スタートアップとはいえ、いや、スタートアップだからこそ、企業の使命についても、シンプルではっきりしている。顧客の需要の風を受ける帆船にたとえれば、小回りのよさは、四本マストの帆船と、競技用の470クラスのヨットくらいの差がある。

「日本丸・海王丸」 (園長さんのガーデンライフ)

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(あ、もしかすると最近のスタートアップさんたちはセールボードだったり、モーターボートだったりに進化しているのか?)

一方、私のまわりの既存企業はがまんくらべをしていて、どこも低収益で悩み抜いている。古い企業の中には、実質債務超過に陥っている企業もお増えていると聞く。当然、こうしたスタートアップしたばかりでも、うまくいっている企業には負の遺産はないだろう。

私は組織内外のネットワーク、いわゆるソーシャルキャピタルが既存の企業の価値だとずっと思っていた。しかし、うまくいっているスタートアップ企業の姿を見ているとほんとうにそうだろうかと思えてくる。急速にソーシャルキャピタルを築く力をすでにもっているところもあるのではないだろうか?しっかりしたマーケティングというか、顧客要望を十分に満たす構造をもっているのは、成長していることから必須であろう。老舗の企業の価値ってなんなんだろうと自問せざるを得ない。

「繁栄」によれば、すでに米国では超大企業が力を失い、新興の中小企業が産業の主導権をにぎりつつあるという。経済学者によれば、人と企業の流動性が十分に高いことが、成長分野に適切な資源分配が行われる条件なのだそうだ。その意味では、ようやく日本でも、今後の成長するスタートアップ企業に希望を見いだせるかもしれない。

gruza03gruza03 2010/12/06 12:44 「千年働いてきました」=「完成品の独占」=京阪広域経済圏の保護と死守。という見方をしています。ですから、現在の「関西広域圏構想」や「道州制」を関西経済界が希望するのは、中世以来の権益の維持に他なりません。という見方ができるかと思われます。

 

 江戸への首都機能と経済消費地の移転(江戸幕府)ということがおきた事により、「下らないもの」=江戸で消費されない商品の創出が興ります。(市場の開拓と技術改革と技術移転)

 その流れの一つとして「蝦夷と京と琉球と」に代表される「俵物」=昆布、管鮑、干しナマコ等をみました。完成品としてではなく、「原材料」「仕掛品」「半製品」として「京」へ向かい、加工(技術)→商品(市場)は「京」が独占します。いまでもそうですが、中国への輸出を直接していないことが多いのです。

 東北地方における、海産物の輸出は関西系を関与する流通形態が多大なのです。

 この点は、東日本と西日本における協同組合の在り方にもつながりますし、農水行政が苦慮する部分でもあります。

 江戸中期の地方の殖産振興は、その流通プロセスへの反旗であったと思われます。技術移転は流通プロセスの改革と飢饉による人口減を補うさいにもおきているのだと思います。東北と北陸(前田藩)とま関係は現代でも続いていて水産加工業、鉱山関係で見てとれます。

 老舗の価値・ソーシャルキャピタル(ミッシングリンク)については、上記のこともありますが、内外流通における生産者(労働者)と消費者と媒介者(三方良し)の在り方として、利益の調整弁として機能(喜捨)が働いていたと感じています。この機能は、戦後急速に衰退したと思われます。

 技術移転と自由と起業(職工からアナルコ・キャピタリストへ)については、日本社会の起業は、どちらかと言うと、職人あがりの人達が多かった(東証二部)と認識しています。バブル前頃からこの形態は急速に減り、商社・金融関係の勤務経験と人脈を利用し、起業する人達が増えたことにより、「都市リベラル」や「アナルコ・キャピタリスト」化していくのは自然の流れだったのかもしれません。

 消費を重視する中間媒介者(サービス産業)の拡大それ自体は否定するものはありませんが、「名変わり、容変われど、月は月」である以上、生産者・労働者と消費者は不可分のものです。ですが、「良き消費者」以外は存在が「無価値」「無駄」であるという考えかたを増長しすぎるきらいが感じてなりませんね。

 老舗の価値・ソーシャルキャピタル(ミッシングリンク)が弱まることで、「紐帯無き社会・経済」によって、コストをかけず利益を生むことの高まりは好ましいものでは無いと感じてしまいます。

 搾取だけで、老舗による教育(労働者教育と商慣習等)のコストを掛けているのもも失われて言ったのは

 私はそれほど頭の整理がうまくないので、覚書程度のブクマでしたので、きちんとした説明ができませんので、これでご勘弁ください。

ひできひでき 2010/12/06 16:49 id:gruza03さん、ありがとうございます、

すごく納得できました。京都が加工技術の独占という認識は、正直明確にはもっていませんでした。しかし、私の業界ひとつとっても京都の商品は価格が倍とか、10倍とかいう単位でいまでも違います。千年にわたる加工技術の「府」であったと考えると納得がいきます。

また、東北地方、江戸、京都という廻船業のルートから見ると、これまた歴史の流れの見え方が違ってきます。よく考えます。

そして、ソーシャルキャピタルが「失われた環」(ご縁)になってしまいつつ(過去完了にすべきか?)ことを考えると、これからの日本の形が想像できなくなります。喜捨については、ましていうまでもありません。陰徳とも言われる行為ですよね。

今後ともよろしくお願いいたします。

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