HPO:機密日誌

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2012-01-22

多様性は政策では作れない: 統治と自由

ジェイコブズの「経済の本質」への批判を考えているうちにひとつの結論に達した。「政府の政策では多様性は生まれない」、ということだ。

政治家や役人は、多様性を嫌う。政治システム、官僚主義は常に一様な被統治性、全体主義を志向する。自分の政策実行の妨げになるからだ。同じ洋服、同じ家、同じ生産様式、同じ消費、同じ方向に駆り出す政策にこそ政治家と役人は生き甲斐を見いだす。絶対王政が中央集権を産み、全体主義へと帰結したのは偶然ではない。歴史的検証は大変興味深いが後にまわす。いくらかの統制は必要であっても、全体主義への希求は、いつでも危うい場所へ人を導く。

必要なのはハイエクの言う自由だ。自然に成長していく社会ネットワークだ。自由な人々こそが多様性を作り出し、社会的ネットワーク、ソーシャルキャピタルを豊穣なものにする。

この統制主義と自由主義の対立の論点については、ハイエクとケインズがラップで解説してくれている。

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この動画の通り、ハイエクとケインズの世紀の議論の決着はついていない。現下の信用収縮につながりかねないEUと米国の社会経済状況を見ていると、政府関係者はハイエクを勉強しておくべきだった反省していると私は想う。いや、反省していて欲しいものだ。

この二人の議論を経済的な指標をベースに評価しようとすることに間違いがある。私の浅薄なハイエク理解からいえば、ハイエクは目先の問題の解決を示そうとしたのではない。社会の構造が自然に行き着くべき姿を示したのだ。その指標はジェイコブズの言う多様性であり、さまざまなブラックスワンべき乗則的な危機への社会の安定性であるべきだ。

ハイエクの解説書を読んでも、自由を抑制する政府の政策がどう社会をゆがめるのか理解できなかった。自由と統制のバランスは多様性、豊穣性の度合いをどう考えるか、と考えるとハイエクが理解できる気がする。その意味で、私のハイエク理解はここにある。

社会の知識は、社会に分散して存在している。特定の誰かによって計画できるものではない。善意であれ、悪意であれ、官僚の支配は集産主義、社会主義にしか結びつかない。

「経済古典は役に立つ」は役に立つ - HPO:機密日誌

そして、「社会の知識」とは政策では育たない。社会の多様性の中、役割分担の中、血と汗のながれる淘汰との闘いの中、はじめて得られ、安定する。多様性の中にこそ社会の力がある。数値で示されるGDPや失業率では社会の多様性、社会の知識ははかれない。

足元を見りゃいくらでも、ご縁も、チャンスも、人と人との信頼の網もあるだろう。それに気づき、それを生かす方法なんざそのまた万倍もある。それに気づかない、生かさない人ばっかになったときに日本のソーシャルキャピタルは崩壊する。お役人にしか頼れなくなったとき、日本は没落する。派遣村だのの連中を見ているをその日が案外近いのかもしれないと感じた。


生半可なハイエク理解でいってしまえば、本来、ソーシャルキャピタルを通じて得られるご縁こそが「正しい信号」であり、インフレ政策だの、補助金だのといった政策によって出される「間違った信号」は間違った資源配分しか生まない。

ソーシャルキャピタル不況、あるいは日本の没落 - HPO:機密日誌

ハイエクの「自由」の帰結とはジェイコブズの言う多様性なのだ。やっと、私の中で経済社会活動と街の活動がつながった。

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■謝辞

haru5742さん、励ましの言葉をありがとうございました。考え続け、このエントリーをあげることができたのはあなたのおかげです。

なにより田中先生のこのエントリーがなければ、通り一遍のジェイコブズの理解しか得られなかったに違いない。感謝。


■参考

経済を自然、生態学としてとらえると残酷な結論に至る。この結論への私自身としての対応策、戦略が見いだせないでいる。

*1:自分のエントリーで自分が復習できるということは、ブログ界隈のよいところ。自分でこれだけ勉強していたのだと感心してしまった。