春の多摩川(2)御鷹野圦
ここは、以前lotus62さんが特集なさっていました。今回は庵谷橋→御鷹野圦→元巨人軍グラウンドとなります。
六郷用水の南北引き分けまでの主な堰
- 大蔵の八寸(不明)
謎の多い堰。東から小河川が堰の上手に合流し、堰から多摩川へ向けて排水路が流れていました。また、八寸という堰の名前の由来は分かっていません。
- 玉根橋付近の堰(谷澤川と丸子川の立体交差付近)
前回特集した玉堤分水(仮)と六郷用水の堰。
- 御鷹野圦(田園調布5-49)
六郷用水の調整排水用の堰。gooの国語辞典さんによると圦の意味は土手の下に樋(とい)を埋め、水の出入りを調節する場所。水門。樋口(ひぐち)。樋(ひ)の口。
- すっぽん(西嶺町35)
北古川(旧蒲田区と旧大森区の区境を流れていた分水)と六郷用水の堰(地下樋口)。樋が用水路の底にあったため、大量の水が分流していたそうです。近いうちに特集します。
- 光明時大門前の堰・下丸子の石組みトンネル(南久が原2-31)
新田川(矢口1丁目を流れていた分水)と六郷用水の堰。環八の下に眠っています。
- 南北引き分け(矢口の引き分け) (千鳥3-9)
南堀と北堀を分けていた堰。
大田区の文化財第21集 大田区の民具から引用”吉田氏の記憶では、北堀はど低で約七尺幅、南掘りは砂利底で約十二尺幅であった。 南堀の用水浚いの際には臨時に南堀の流入口に堰が築かれた。これは大蔵の堰で、用水の流域全体を空堀にしたあとなお用水に流入する湧水や小河川の水を一時的に北堀に流すためであった…”ちなみに1尺は30cm、浚い[さらい]とは”土砂・ごみなどをさらう”という意味です。
より大きな地図で 徹底的に六郷用水 を表示
↑さまざまな文献をもとに製作した地図ですが、文献により情報のばらつきがあるため間違った情報が載っている場合がありますので、ご注意ください。
六郷用水(丸子川)と約100mぐらい並走する水路。
少しすると住宅地の中に消えます。
しばらく丸子川に沿って歩くと、六郷用水の水門がありました。振り返ると…
大きな池が! 御鷹野圦の水量調整用のため池でしょうか?
よく見ると奥の方に、はしご式水路が。
その水路(排水路)の続き。コンクリートの開渠からど根性な大きな木が生えています。
近くの駐車場から撮影(玉堤1-2)
先ほどの排水路の下流端。水門があります。
昭和初期の地図を見ると、このさきは多摩川緑地広場を横切って流れ、旧巨人軍グラウンド辺りで多摩川に合流していました。
昔の河原はよく田畑として使われていましたが、今は公園として利用されています。
上の写真は、田園調布4-56の区境でこの水路から分流している水路。水路が湿っている程度の水量です。
田園調布4-52からこの水路はふた暗渠となります。
キャノンテニスガーデン付近でこの水路の痕跡が消えます。
参考文献:大田区の文化財第21集 大田区の民具
大田区の文化財第24集 地図から見る大田区(1)
大田区の文化財第26集 地図から見る大田区(3)
春の多摩川シリーズ
(1)玉川温室村
(2)御鷹野圦
(3)砂利用軌道跡
(4)田園調布1丁目&田園調布本町探検part1,part2
(5)宝来川(仮)
(6)2つの橋と多摩堤通り