春の多摩川(3)多摩川の砂利用軌道

このシリーズも中盤に差し掛かりました。

 多摩川の砂利軌道と言うと多摩地区が有名ですが、今回取り上げるのは昭和初期の川崎市中原区にあった砂利軌道です。砂利軌道は文字通り、採掘された砂利を軌道に乗せて運ぶものです。
 この砂利軌道は、東急東横線につながっていて、おそらく横浜や都心方面に運ばれていたと思われます。この軌道は、地図から読み取って二区間に分けることができます。第一区間は、鉄道扱いになっている等々力緑地付近から東横線の線路まで、第二区間は単線軌道になっていた等々力緑地付近から久地付近までです。
 

 これは昭和7年発行1:10000地形図 (地図から見る大田区(1)より引用)田園調布の一部(多摩川駅付近)です。左下に砂利軌道の第一区間と第二区間が描かれています。この単線軌道にはこの範囲だけで2か所も橋がありました。
 さらに、昭和30年代の地図を見ると砂利を採掘した影響で池があります。その池が埋め立てられて今の等々力緑地ができました。



丸子橋を渡ります。ついに、神奈川県突入です!

東急の新丸子の車庫。ここから廃線を探す旅が始まります。ここから線路は弧を描くようにして多摩川に接近していました。

近くの蓋暗渠。二ヶ領用水の分水です。

暗渠のように見える線路敷跡。ここは、中原区小杉天神町368番付近。

先ほどの写真の反対側。多摩川沿線道路沿い。

線路敷を活用した多摩川沿線道路。よく廃線の軌道は道路に使われます。

このあたりは、昔第一区間の操車場(?)でした。そしてここから、ここから第二区間が始まります。

このあたりに橋がありました。この先はほとんど痕跡が残っていません。




 ここに川が流れていましたが、等々力緑地を整備した際に消滅しました。これは、二ヶ領用水の分水と思われます。この分水は等々力緑地の外周に沿って流れ、多摩川に合流していました。

その水門。






より大きな地図で 多摩川の砂利軌道跡 を表示






春の多摩川シリーズ
(1)玉川温室村
(2)御鷹野の圦
(3)多摩川の砂利用軌道跡
(4)田園調布1丁目&田園調布本町探検part1,part2
(5)宝来川(仮)
(6)2つの橋と多摩堤通り