春の多摩川(4)田園調布1丁目&田園調布本町探検part2

part1の続きです。


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-多摩川園ラケットクラブ跡地
 現在、多摩川園ラケットクラブは田園調布せせらぎ公園になっています、東京の名湧水57選に選ばれています。昭和3年の地図を見ると、東側の斜面に土砂崩れによる崩土が数か所あります。第一湧水池はぬかるんだ水溜まりとなっていますが、第二湧水池は水生植物も映えている池になっています。池から公園事務所の近くにある池に注ぐ小さな流れがあります。また、公園の真ん中にある崖際の池は、湧水ですよ感丸出しの人工の滝からの水と、第一湧水池からの僅かな水が注いでいます。

地図にはない湧水

小さな流れ

人口の滝

第一湧水池

第二湧水池


 更に昔は多摩川園という遊園地でした。昔の利用者に話を聞いたところ、コンパクトな遊園地だったと言っていました。昭和初期の絵ハガキを見ると、シープレインという船と鉄塔が合体した飛行塔アトラクションや、夢のお城という白塗りのパーキングエリア風の建物が描かれています。また、東門周辺には能楽堂がありました。
 いまは当時の面影はなく2つの湧水池と3つの多目的広場、5つの原っぱがある自然公園になっています。ちなみに冬季(11月〜1月)の入場は午前8時から午後4時30分までになっています(入場は4時00分まで)。

斜面

原っぱ
 
-田園コロシアム
 昔は田園コロシアムテニス場でした。更に昔、そのそばには田園グラウンドという野球場がありました。今はテニスクラブと小学校があります。

眼下のテニスクラブ。

-とりこの坂
 田園調布せせらぎ公園の北側にあります。昭和初期に“どりこの”という清涼飲料を開発した郄橋孝太郎医学博士が住んでいて、いつの間にか”どりこの”坂…と呼ばれるそうになったんだとか。ちなみに、『どりこの坂』という名前が定着する前は『池山の坂』と呼ばれていたそうです。”どりこの”は昭和初期に年間220万本(当時の日本の人口の100人に3人が買った)も売りあげた滋養飲料で一ビン450㏄入りで1円20銭(10000万円以上)とかなり破格でした。ちなみに、“どりこの”レシピは高橋博士の死とともに闇に葬られました。

坂上

坂の中盤
富士見坂
田園調布せせらぎ公園の南側にあります。今は富士山を望むことはできません。



伏見稲荷
今ははなき稲荷神社。現在はマンションになっています。石碑だけ残っています。


-旧中原街道
 沼部付近の中原街道(相州街道)旧道の痕跡は桜坂と玉堤通りのうねっとしたカーブの部分で、中原名物の御酢の輸送路であったため御酢街道と呼ばれていました。ちなみに東海道が整備される以前は参勤交代に使われていました。
 桜坂は勾配を緩和するために、割掘り状の坂となっています。筆者はミーハーではないので坂のみを紹介します。桜坂はかつては沼部大坂と呼ばれていて、坂上には東京オリンピックの際に造られた國旗掲揚塔や桜橋(構造不明)があります。旧道の痕跡は北から順に桜坂、沼部駅前、丸子の渡し跡となっています。詳細は上の地図を見てください。

丸子の渡し跡。

沼部駅前。

桜坂。

-中原街道
 ゆるやかな谷筋な川跡を利用した新道。新道の区間は田園調布警察署前交差点(東京都大田区)から丸子橋交差点(神奈川県川崎市)です。



春の多摩川シリーズ
(1)玉川温室村
(2)御鷹野の圦
(3)砂利用軌道跡
(4)田園調布1丁目&田園調布本町探検part1,part2
(5)2つの橋と多摩堤通り