御岳山について(1)集落と都道の話

 突然、独りで御岳山に登りたくなりました。そして、思い立ったら吉日なのでその日に御岳山に登ることにしました。


 「どうせ御岳山に登るのなら」と思い、御岳山をケーブルカーのある御岳駅側(北側)から登るのではなく、あきる野市側(南側)から登ることにしました。あまりにも急で、ほとんど準備をしていなかったので、最低限の装備しか持っておらず、山に登るのにも拘らず登山靴ではなく運動靴、リュックのキーホルダーは鈴ではありませんでした。しかし、三国峠の蛭による悲劇の光景が脳裏をスッと横切ったので、蛭よけグッズ(食塩入りの壺)は持って行きました。




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 出かける前の僅かな時間に、インターネットで情報収集を行い、休日運転を行う中央線の快速電車の車内でその日のプランを頭の中で組み立てました。そして、立川駅青梅線に乗り継ぎます。青梅線のドアが半自動式(ドアの開け閉めが手動)で、都会から来た方々がその扱いに困っているところを多々見かけました。ドアの開け閉めが半自動式なのは冷暖房の節約をするためだそうです。

 拝島駅五日市線に乗り継ぎました。五日市線は全線単線で、レジャーで有名な秋川という多摩川の支流に沿って走っています。そのためか、乗客のほとんどがレジャー客で、ここでもドアの扱い方に困っている光景が見られました。
 武蔵引田という終点から二つ前の駅を過ぎると田舎度が濃くなり、終点の武蔵五日市駅はまさに山間部の地方都市の中心駅という感じになっていました。


 武蔵五日市駅からは御岳山の入り口のある十里木という場所までバスを使って移動します。車内にはたくさんのレジャー客が乗車していました。そのためか車内では、彼らがこれから行くと思われる御蕎麦屋さん、キャンプ場の話、恋愛の話や世間話なども聞こえました。また、地元の御客さんは中高年の方が多いようでした。途中には戸倉や五日市といった聞き憶えがありそうな地名があります。
 バスは秋川渓谷に沿って進みます。ヘアピンカーブでは吊革につかまった人がグルンと揺れていました。車窓は上高地のアクセス路の国道158号線の島々集落付近のものとそっくりでなんだか懐かしくなりました。


 武蔵五日市駅を出発して15分、ようやく十里木の交差点に着きました。右の都道201号線に進みます。また、正面にはデカイ看板があります。どうやら鍾乳洞の宣伝のようです。鍾乳洞の宣伝看板はとにかく大きいです。
 この時、ちょうど12時06分、すでに一日の半分が過ぎていました。多摩川沿いにある御岳駅に17時半に着く予定です。ちなみに、十里木から御岳山の山頂付近、そして、山向こうの御岳山のふもと(御岳)までは一本の都道201号線だけで行けます。
 ちなみに、この近くには、あきる野市が戸倉・十里木地区の活性化を目指して25億円で建てた秋川渓谷瀬音の湯があります。どうやらアルカリ性が強いお湯でお肌がすべすべになるらしいです。






 今回の地図です。十里木→上養沢→御岳山→御岳駅の順に南側から歩きます。


 あきる野市五日市町秋川市が1995年に合併して誕生しました。人口は2013年(平成25年度)81,818 人、世帯数は33,795世帯です。ちなみに、2005年度(平成17年度)80,675人、世帯数は30,934世帯と、2013年はこの年と比べて1143人、2861世帯増加しました。また、兵営25年度の年齢別人口集計表を見ると、働き盛りの35〜45歳代と年金暮らしを始める60〜70歳代(66歳は除く)の人口が多いです。また、あきる野市は山間部(おもに旧五日市町)と市街地(おもに旧秋川市)に分かれています。





 ピンク色の小柄なバスが走っています。このバスは上養沢という御岳山の南側の麓から武蔵五日市駅を結んでいます。また、左側には秋川国際マス釣場の宣伝パネルがでかでかと置いてあります。

 この都道201号線は140mlで通行禁止になります。これは杉並区や奥多摩町の一部で大雨注意報が発令される程度の雨量です。この道をずっと行くと御岳山に着くので道に迷う心配がありません。



少し行き、秋川をまたぎます。

下流

上流側。ここもレジャー客でにぎわっています。お昼時なだけあってバーベキューをしている人が多いです。


都道沿いの集落にあった現役の郵便ポスト。あきる野市内には、これと同じものが幾つかあるそうです。





沿線は新緑の5月だけあって、木々も動物たちも活動が活発になっています。


 左側に見えるピンク色もしくは紫色の花は藤の花です。ちょうど満開で、いくつかの山の一部が紫色になっていました。眼下に見えるのは養沢川です。ちなみにこの道はこの川に沿って走っています。

 この写真を撮っていたときに、目の前にブヨらしき大きな虫が目の前にやって来て、ものすごく驚きました…  ヒル対策はしているのに、ブヨ対策はしていなかったのです。刺されたら嫌なのでその場を去りました。


ガチガチになった法面は落石予防のためです。




さらに、都道を北上ます。

 都道沿いに不法投棄によって汚染された一角がありました。看板があるのにこの有様です…。
 たった一人がある場所に少しでもごみを捨てると、そこにごみがどんどんたまります。さらにごみがたまり、そこはとても汚く、臭くなってしまいます。そして、汚く臭いので誰も近寄らなくなってしまうので、さらにごみが溜まる… という悪循環の話があります。


ヘキサは無いけど… これは有ります。






 橋をまたぎ、軍道という集落に入ります。ここから、片側一車線でなくなります。どうやら、看板を見るに、この辺りでは通学路のようです。


 都道の脇には、ちょっとした堰もあります。また、この近くには138年の歴史を誇るあきる野市立小宮小学校明治6年1873年開校)の校舎があります。「平日になったらこの道は子供たちの声が響くのかな?」と思ったのですが、2012年に閉校していたようです。閉校当時の児童数は17名、小学二年生の学級はありませんでした。彼らは武蔵五日市駅の傍の五日市小学校に移ったようです。
 





軍道の一つ先のバス停にて。次回はここから、終点まで紹介します。そしてあの名所に…!!




誠に勝手ながら早稲田にできる新道(2)の公開は延期させていただきます。すみませんでした。