御岳山について(3)都道と登山道の話
今までの流れを一度まとめてみます。
御岳山について(1)集落と都道の話
御岳山について(2)町と鍾乳洞の案内看板の話
御岳山について(特)三ツ合鍾乳洞
5月のある日に御岳山をあきる野市側から登ろうと思いました。あきる野市の十里木という場所から北に進み、御岳山を目指している最中です。途中で三ツ合鍾乳洞や養沢川などに寄り道しました。今回は、御岳山のふもとの上養沢という集落からスタートします。
前回の最後の写真の奥の方に写っていた養沢神社。この神社の脇の方には『世界人類が平和でありますように』と書かれた木製の木の棒がありました。また、ここが御岳山山頂までの最後から2番目のトイレなので注意してください。
この神社の説明です。日天神社は通った道の傍にあったようですが気がつきませんでした。意外とこの神社は歴史が浅いんですね。
ちなみに、明治や大正には神社の統合が流行って数々の鎮守の森が消えました。明治時代に生きた生物学者の南方熊楠博士は、鎮守の森が育む貴重な自然が消滅してしまうと主張して、この運動に反対したそうです。
養沢には五日市町立小宮小学校養沢分校がありましたが、その分校は1965年に閉校してしまいました。
神社の横の分岐には大岳鍾乳洞の案内看板がありました。この鍾乳洞は養沢地区にある三つの鍾乳洞の中で一番規模が大きいようです。
しばらく行くと、バスの操車場が見えてきました。
バスの終点上養沢。そこには、先ほど追い越して行ったピンクのバスが止まっていました。また、その運転手さんは車外でのんびりとなさっていました。
冒頭から出ている大きなパネルの地図はここにあります。他にも関東ふれあいの道の道しるべやその案内板が設置してあります。
地図を見ると、そろそろ登山道が始まるような気がします。
しだいに道が細くなってきました。下山するタイミングを見極めようと思い、御岳山の山岳地図を見て所要時間を計算しました。その結果、御岳駅には約3時間で着くことが分かりました。この時は14時26分なので、ちょうど17時半に着くかもしれません。
途中こんなお地蔵さまたちが。しかし、うかっりして観察するのを忘れてしまいました。そのとき、上を見上げるといつの間にか雲が増えていることに気がつきました。
これは、1847年(弘化4年)に造られたの「御嶽山道供養塔」です。これにより、この都道は江戸時代からの御岳山の登山ルートだということが分かりました。意外と由緒ある道なんですね。
細い道は蛇行する養沢川に沿って走っています。「この曲がりが地図でのあの曲がりかな」と思いながら進みます。
結構奥まで来ました。この写真の奥には林業従事者の方が作業なさっていました。また、そばには廃キャンプ場がありました。
多摩地区の林業について
東京都森林事務所 事業概要平成24年版より引用・一部編集
多摩地域は、気候、土壌などの立地条件がスギ・ヒノキの生育に適しており、古くから「青梅林業」として知られ、主に柱材や足場丸太材の生産を行ってきました。今では、スギ・ヒノキ等人工林の面積は約 30,677haにのぼり、人工林率は全国平均の 41%を大きく上回る 60%となっています。その大半は昭和 30〜40 年代に植えられたもので、木材としての利用はこれからという段階です。
しかし、外材輸入の増加や木材価格の長期低迷が続く中、林業の採算性は悪化の一途をたどり、林業従事者の減少及び高齢化が進むなど、林業の経営環境は年々厳しさを増してきました。
こうした状況の中で、木材の生産、植林など林業生産活動が停滞していることから、人工林の間伐等の手入れ不足や放置化が進み、荒廃が懸念されています。
中略
東京都では、平成21年3月に「森づくり推進プラン」を策定し、豊かな都民生活に貢献する森林の整備と林業の振興及び丘陵地の緑の保全と緑に親しむ取組を重点的に進めています。
その取り組みのひとつで森林計画制度という大きなプロジェクトがあります。
森林計画制度は、木材等林産物の需給の安定と森林の有する公益的機能の維持増進を図るため、森林の整備の方向を明らかにし、森林所有者等の森林施業上の指針とするものです。
この制度の下では、都道府県知事は、農林水産大臣のたてる全国森林計画に即して地域森林計画をたて、市町村は、地域森林計画との適合を図りながら市町村森林整備計画をたてることになっています。
森林事務所は、多摩地域森林計画の区域の全域を所管しており、現在の計画期間は、平成23年4月1日から平成33年3月31日までです。
なお、あきる野市の対象区域の広さは4412.82ha、日の出町は1904.75haです。ちなみに、あきる野市の面積は7734ha,日の出町は2808haです。
ちなみに、都心のソフトウエア開発会社社員だった佐野千草さんは、青梅市に移り住み、奥多摩町で昨年11月から初の奥多摩の森林再生の現場作業員として働いているそうです。
いつ対岸(御岳山側)に渡ればよいのか探っているのですが、橋は廃橋しか現れません。「どこかで橋見落としたにちがいない」と思い、しだいに不安になってきました。
一応確認のために麓の上養沢操車場まで戻ってみることにしました。戻る道の途中で、北に延びている小道を幾つか発見しました。どこに着くのか確認してみましたが、どれも袋小路でした。
10分ほどすると、もう来ることはないと思っていた養沢の操車場につきました。そこにいたピンクのバスは、いつの間にか出発していました。
どこかで道を間違えたはずなのです。間違えた場所を探すために、しばらくの間大きな地図と案内板の前で悩んだり考えたりしました。とりあえず、先ほどの地点のさらに先まで進んでみようと思いました。
その時、ハイカー風のおじさんが都道の奥の方へと向かって歩いるのが見えました。ついて行ったら何かが分かるかもしれないと思い、後を追ってみることにしました。
そのおじさんは私が引き返した地点よりもさらに奥に進みました。道は突然広くなったり狭くなったりと情緒不安定です。
戻ってしまったポイントから3分ぐらい歩くと、青い看板が見えてきました。
どうやら、私は地図を読み違えていたようです。なぜこんな事になったのでしょうか。私は上養沢の操車場の位置を実際よりも御岳山にかなり近いところにあると思い込んでいましたからです。実際は、操車場とここの間には1kmほどの距離があります。出かける前に印刷したGoogleマップに上養沢のバス停の位置を書きこんでおくべきでした。そうすればこうならなかったでしょう。