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示山橋

27 September 2015

新田川完全版

 下丸子分水(仮)、矢口川の正式名称が新田川と判明いたしましたので、前回からその名前を使っております。

 以前、書かせていただいた、六郷用水分水の新田川に関する記事があまりにも酷いので、補筆、リメイクさせていただきます。なにがどう酷いかというと、なにを伝えたいのか分からない、説明が粗い、写真が見にくいの3点です。これって紀行系ブログならば出来てなきゃダメなやつですよね… また、新しく分かったこともあるのでそれも書き込みたいと思います。

原作3点。一応リンクを貼ります。


 



 新田川は下丸子にある六郷用水の分水口から流れ出し、弧を描くように多摩川方向に進み、多摩川のそばで北古川に合流します。北古川はその後下丸子二丁目付近で多摩川に合流。

 特徴的なのが、六郷用水との接続部周辺以外の流路が多摩川の旧河道*1であることです。しかも、北古川に新田川が合流して多摩川に合流するまでの区間も旧河道です。また、東急多摩川線を越えたあたりから矢口2-5まで六郷用水南堀の分水三百間堀が並走しています。


 今回は、上流から、つまり六郷用水の分水口跡から始めます。


さて、やってきたのは、東京都大田区東急多摩川線下丸子駅そばの六郷用水(藤森稲荷交差点そば)。環八沿いです。

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この辺りに分水口があったはずなのですが、こんもりとしている木々によってみると…

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こんな看板がありました。ここに、石組みのトンネルがあったのですね! 驚き。それ以外の書いてある内容はほぼ新田川の特徴と一致します。


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六郷用水から別れた新田川は、小道の歩道になって多摩川方向に進みます。

少し進むと…

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この写真は下丸子3-3付近。正面(南西方向)は下丸子駅方面、右手(北西方向)は光明寺方面、左手(南東方向)のガラス貼りの建物は大田区民プラザ。

この先で水路が分岐します。ややこしいのでまとめます。推測の部分も少しあります。

  • 流入

北西方向:光明寺の池からの流れ(明確な流路不明)。その流路の途中に光明寺池端の洗い場があったと思われます(下丸子3-3)。

東方向:新田川(今来た所)

  • 排出

東方向:新田川(下流)

南西方向:商店街を流れ、さらに細かく分岐して矢口西小学校や目蒲病院方面などに向かう水路。

目蒲病院方面に向かう水路は北から順に、駅前の名称不明の洗い場、石原の洗い場、伊勢前の洗い場、下河原の洗い場、阿弥陀の下の洗い場を流路に持っていました。


新田川は南東方向に進みます。ここから、旧河道区間スタート。曲がり角はこの先一切ありません。

ちなみに、

参考

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光明寺の池。背の高いフェンスで池が一切見えません。ここも、多摩川の旧河道の一部で、この池は多摩川の残留湖と呼ばれることもあるぐらいです。なお、大田区の民具より、昭和60年代までは池のフェンスがないことを確認しました。



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 市民プラザ内。ここのあたりを流れていたのですが… あるのは人口の池。この光景から、用水路があったなんて信じがたいですが、昔の航空写真を見ると用水路が見えます。


市民プラザを横断するとケヤキ並木の都道11号線と交差。さらに直進。

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小道になります。ちょっと高低差が気になるところですが、気にしない(実際は都道11号線が周囲より低いだけ)。この小道は東急多摩川線の線路にぶち当たって行き止まりになります。

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小道の真ん中に並木が現れます。この辺りは民家の庭先のようになっていますので、通行する際は配慮の精神を忘れずに。


さて、この後線路にぶち当たるのですが、

そのぶちあった所の線路わきにこんなものがありました…

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あれは、よくある暗渠に突き出るパイプですよね?

線路の向こう側はどうなっているかというと…

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並木道が再開されています。

このあと新田川は弧を描くように多摩川に向かって進んでいきます。

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自然堤防の新田神社の脇(右方向)を通過します。この辺りには新田川の橋付き参道があったようですが、その面影はありません。ちなみに、右手の駐車場にはかつて慶応大学の野球合宿場があったそうです。

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送電線の下を通過します。

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うねっとカーブします。

この後、新田川は暗渠の路地になります。

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このさき、北古川に合流します。





なんだかキリが悪いので新田川合流後の北古川も紹介します。

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マンションの谷間になっています。この辺も多摩川の旧河道を利用した流路です。

ちょうどこの道の暗渠のある部分だけに歩道があります。


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北古川、多摩川方向に最後の曲がり角です。そこそこに歩道も広くなってきました。

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空が開けてきました… 終点も近いです。実は一段分歩道が車道よりも低いんです。暗渠の歩道によくあります。


参考

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車道より一段下がった暗渠。しかも奥のほうには暗渠に突き出るパイプが見えます。(砧の仙川沿いの暗渠、2015年6月)

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この歩道橋を上がれば多摩川の土手です。土手の向こうで多摩川に合流していました。





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武蔵小杉に向かって…  

ちなみに、多摩川の河原は世田谷区で唯一の市街化調整区域*2です。


新田川のデータ

全長:約1.5 km

暗渠ポイント:暗渠、暗渠歩道、洗い場跡、遺跡


次回は、このエリア初の開渠のある六郷用水の分水が登場します。お楽しみに。

*1:昔の大きな川の蛇行のあとのこと

*2:新しい開発を控えようという地域。対義語は市街化区域

20 September 2015

北古川

 ご無沙汰しておりました。更新をお休みしてしまいすみませんでした。

そして、皆様のおかげで5周年を迎えることかできました。特に、勝手に休んでいる間にも、時々このブログをわざわざ覗いて下さった方、当ブログアクセスランキング1位の新宿区のみなさま、ありがとうございます。


 さて、今まで何をしていたのかについて書かせていただきます。念願の夢を叶えるために2014年の1月ごろから準備をしました。そして、それを叶た後は、夢をかなえたことによってがらりと変わった周りの環境になれようとしていました。とても答えになっていないような抽象的な書き方ですみません。ただ、下手に書くとプライバシーうんぬんかんぬんがありますので。

 

 この記事は一気に書き上げたものではなく、2013年に企画して、2014年の夏ごろに下書したものです。そのころはすごく病んでいて下書きの文章があまりにも暗すぎたので、かなり文章を変えました。最終回について考える記事なんてまだ公開できませんよね… また、数か月おきにこの文章に加筆・順序入れ替えを重ねています。文章の中には飽きているときに書いたものもあれば、そろそろ復帰しようと思って(結局復帰しなかった)書いた時のものもあります。ですから、すこしちぐはぐしている部分があるかもしれません。

 



ご覧になる前にひとこと

矢口川(仮)下丸子分水は、矢口川(1)(2)は浅はかで間違えたことばかり書いてしまいました。すみませんでした。今回はその訂正内容や新しく分かったことの一部を含んでいます。

3年ちょっと振りの、暗渠特集になります。あと記事が長めです。





 今回は、北古川という用水路をたどります。

 北古川と言われても、どこそこ?と言う感じになるかもしれません… 流路自体は有名かもしれませんが。

 今の北古川は六郷用水の分水で大田区西嶺町にある有名な堰『スッポン』で分流し、中流でスッポンの分水の水を集め、下流で新田川が合流し、多摩川に注いでいたと思われます。また、流路の大部分が東急多摩川線以西にあり、その一部分は東京府大森区蒲田区*1の区境にもなっていたことがあります。

今回の地図になります。流路の一部だけしか載っていませんが。

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大田区の文化財 第23集 地図で見る大田区(3) 57ページ 大東京・横浜・川崎三千分の一地形図 鵜の木 より引用です。測量年1937年。

右半分に分かりづらいですが北古川と書いてあります。また、上が北方向です。


前置きはこの辺にしておいて…

 さて、東急多摩川線鵜の木駅北(西嶺町35)にある六郷用水のスッポンにやって来ました。今の北古川はここから写真右手の家の方向に延びていたと思われます。

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スッポン』という言葉がはじめてな方へ。

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これとは当然違います。

ここのスッポンとは、六郷用水の堰(地下樋口)のこと。別名、樋口(とよぐち)。樋が用水路の底にあったため、大量の水が分流していたそうです。大量に水を吸い込むからスッポンでしょうか? それにしても、大量の水が流れていたということは、そうとう大きな流域面積を誇っていたのでしょうね。

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 流路は玉堤通りの1ブロック奥(六郷用水側)で平行に南に進んでいます。また、1ブロック横には六郷用水もあります。正直言って、このあたりの水路がどこにあったかは不明な点がありますが、位置関係的にここだと推測しました。ここは鵜の木3-3付近 

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 特筆することがないような光景が鵜の木駅付近まで続きます。ちょうど流路がガードレール付きの歩道になっています。この辺りは上の地図で波線小川になっている区間です。

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道幅がここから狭くなります。

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曲がり角に来ました。西(右手)に曲がります。


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曲がると目の前には玉堤通りが。今度は南(左手)に曲がります。

このあたりで今の北古川は玉堤通りに合流します。この地点の流路は少し不明な点があります。

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鵜の木駅前の明かりに照らされます。


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玉堤通りの歩道になった暗渠。マンホールが目立ちます。こんな感じが光明寺付近まで続きます。

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あともう少しで光明寺というところで、急に西(右手)に曲がります。つまり、北古川は多摩川に向かって進みだします。ここは下丸子4-1。

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 水路は東急多摩川線の線路を超えます。特にミニ橋やその他の痕跡はありません。ちなみに、東急多摩川線の『東急』は鉄道会社を示すためにつけているもの(例:JRの乗換案内で聞こえる東急田園都市線のような)ではなく、西武多摩川線と区別するためにつけられた冠です。つまり、東急多摩川線が正式路線名なんです。






線路を超えると…

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 ここから、暗渠らしさが全開になります。北古川は弧を描きながら進みます。この区間は大森区蒲田区の区境になっていました。かつては鵜の木村と下丸子村の区界。しかも、この区間は多摩川の旧河道だったのです。旧河道とは昔の大きな川の蛇行のあとのこと。


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この辺では珍しい生産緑地

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 樋口橋(とよぐちばし)通過。この辺り(下丸子4-9)には樋口の洗い場があったそうです。大正末期の耕地整理で消滅したとのこと。ここから先は植込みがなくなり、ただの幅の広い道になってしまいました。

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 オリンピックというスーパーのある角で、別の流れ(スッポンからの)が合流していました。さらに、ここには池がありました(昭和初期の地図で確認)。現在のタマリバーハイツがある場所です。



そして、ここで、流路は南(上の写真左手)に曲がります。つまり、北古川は多摩川と平行に進みだします。


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じつは車道よりも一段分ここの歩道が低いんですよね。

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 北古川はスーパー堤防わきの大きな道の歩道になって進みます。この周りには戦前から三菱重工の工場がありましたが、現在は移設し再開発されました。そこではブルドーザーといった建設機械を製造していたそうです。また、以前書いた品鶴線下丸子三菱重工引込線の終点にあたります。それにしても再開発によって工場地帯であった雰囲気が一切感じられません。ちなみに、この直線区間の北古川沿いは土地柄、戦中は強制疎開地域になっていました(そして空襲に遭っています)。


ここで気になる記述を紹介したいと思います。水車に関する記述です。鵜の木村と下丸子村の境界線となる光明寺池の排水路が南東向に流路を伸ばし、現在の矢口ポンプ場多摩川に排水するがその途中の六所神社西側(下丸子四丁目16番付近)にあった。所有者は天明宗右衛門家である。(大田区の文化財第21集 大田区の民具より) 

この辺りにも、坂口の洗い場と呼ばれる洗い場が二箇所あったそうです。廃止された時期は不明。下丸子4-17,3-29




しばらく進むと、見おぼえのある景色が…




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ここで新田川と合流!*2 新田川(正式名称)とは昔自分が下丸子分水(仮)だ!!とワーキャー馬鹿みたいに騒いでいた六郷用水の分水の一つです。新田川は下丸子駅付近で六郷用水から分水し、東急多摩川線を越え、弧を描くように南に進み、この場所で北古川と合流しています。以前書いた下丸子分水矢口川の記事内容は間違えた記述ばかりですので、そろそろ訂正記事を出します。



 この景色を見ると、まだ未熟だったころを思い出します(今も未熟かもしれませんが)。当時の記事は見ただけでも恥ずかしさがこみあげてきます。5年前の自分は何のルールも知らなくて、文章も下手で、がつがつし過ぎで、甘い考えで、ユーモアと無茶をはき違えていて…  今もそうかもしれませんが、進歩したと思っています。少なくとも、ほかのブログさんに下手なコメントは書かないように注意していますし、ブログの質も上げたつもりですし、周りにも配慮もしているつもりです。2011年頃に暗渠の先輩方のブログに訳のわからないコメントを書いていた自分が恥ずかしいです。すみませんでした。

 そんな思いもあったので、一時期はここを閉鎖して新しい名前でブログを一からやりなおそうと思っていました。また、こんな恥ずかしいブログの書いているので、楽しそうな暗渠の集まりにも出席しづらくて、困っていました。ただ、閉鎖すると続けてきた意味がなくなりますし、自分を自分で否定しているような気がしてきました。なので、続けることにしました。これからもよろしくお願いいたします。


昔からご覧になっている方はご存じですが、この先の流路を改めて5年前の写真とともにご紹介したいと思います。

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マンションの谷間になっています。実はこのあたりから下流端までは多摩川の旧河道を利用した流路になります。


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多摩川方向に最後の曲がり角です。

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空が開けてきました… 終点も近いです。

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この歩道橋を上がれば多摩川の土手です。堤防の向こうはどのような感じでしょうか。


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そんな足元には治水記念の石碑があります。2010年の写真

あのころはみやすさ関係なしに写真の色温度をいじるのにはまっていました。恥ずかしい。

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 歩道橋のそばには矢口ポンプ場があります。ここでは汚水の大きなごみを取り除く処理が行われているそうです。さらに、この場所には矢口浄水場(矢口水道)がありました。しかし、昭和中期に廃止されました。両者とも北古川と大きな関係がありそう感満載です。

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 土手からは、平成18年に完成した矢口ポンプ排水樋管が見えます。樋管や水門は大規模河川に小河川・用水路が合流する地点に設置されることが多いです。ここで、樋管や水門の役割をおさらいします。通常時は雨水を流したり、大規模河川増水時は水門を閉めて洪水を防止する役割を持っています。また、樋管は小河川を利用したものや、新規で作ったものがあります。

 


土手を下ります。


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樋管からの水が多摩川に合流します。



 「北古川が矢口ポンプ排水樋管で多摩川に合流!」と、行きたいところですが… ちょっと考えておきたいことがあります。

現在の樋管の位置が、昭和の航空写真や地図よりも、多摩川の河口側にずれているような気がします。

 かつての水門は北古川の流路延長上にありましたが、今の水門は矢口ポンプ場の延長上にあるのです。つまり、今ある樋管(平成18年建造)は北古川がベースではなく、矢口ポンプ所のために新規で作られたものではないかと思います。ただ、推測の域を出ないので事実関係を確認中です。

この考え方からすると、北古川の下流端、多摩川との合流点は現存しないということになります。

加筆:やはり、北古川の合流口は現存していませんでした。往時の樋管の写真が大田区立郷土資料館に展示されていました。



 さて、今回特集させていただいた『北古川』ですが、まだまだ書いていないことがたくさんあります。いろいろと話が本当にややこしいので、周りにあるほかの分水を一通り紹介した後で、いろいろと書きたいと思います。キーワードは耕地整理と光明寺です。お楽しみに!




今回のデータ

全長:約3

暗渠ポイント:暗渠型歩道、旧河道、樋管(?)




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↑流路の地図です。これからいろいろと書き足していきます。うまく表示できていなかったらすみません。

リンク:https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=zPECgdXaZX_g.kLHNfkh9XzMQ&msa=0&hl=ja&brcurrent=3%2C0x60186052c1a36643%3A0x4fc26aac505c0d49%2C0&ie=UTF8&ll=35.595548%2C139.696645&spn=0.072737%2C0.11131&t=m&vpsrc=6&iwloc=0004b472002ab98ac12da&source=embed

参考文献・引用元

大田区の文化財第24,25、26集 地図から見る大田区(1)(2)(3)、

大田区の文化財第23集 大田区の民具

写真素材 足成

京浜河川事務所 多摩川

感謝

大田区立郷土博物館様



 最後に、北関東や東北地方の大洪水のいち早い復興などを応援しています。

*1大田区の前身

*2:正直どちらがどちらに合流するかは微妙なところなのです。しかし、大東京・横浜・川崎三千分の一地形図 矢口を見る限り水路の幅の広い北古川に幅の狭い新田川がぶつかっているので、ここでは合流したと書かせてもらいました。間違えていたらすみません