どうしても長文を書きたくなったら

結局ここなのか。
ずーっとTwitterにいたよ。2009年からずっと。

でもちょっと、お笑いについて書いてたら長くなったので
こっちに書いておこうと思う。Twitterからの移植。

昨日のヒリヒリさせてよ発言もそうだし、死んだ目×有吉トーキングを垣間見せてもらって思ったんだけど、やっぱ私はお笑いには緊張感が必要だと思ってるんだな。ぬるい予定調和なんかいらないんだよ。

必要としている人もいるだろうからぬるいバラエティの存在までは否定しない。でも私は見ないし、見ても感想らしい感想は出ない。

「笑い=緊張の緩和」説を採る枝雀チルドレンとして思うのは、緊張度が高いほど、落差の笑いも大きいってこと。緊張の質が高いほど、笑いの質も高いってこと。

バカ見て笑うのではなく、脳がピチピチ跳ねるような笑い。想像力に翼が生えるような笑い。頭に「!」が浮かぶ笑い。私が求めているのはこれ。

(バカ笑いも嫌いじゃないけども)(時々でいいよね)(いつもバカだと食傷する)

千鳥大悟的な、暴力的に客と演者の間に緊張感を強いる方法を「緊張感」と言うわけではない。(それはそれで一つの方法ではあるが、であれば、落差としての「緩和」部分は子供みたいな下ネタじゃダメだ)

緊張感を高めるということは、客の期待を高めるということで、それは自らハードルを上げるということなんだし。上がったハードルを軽々飛び越えて見せてこそ芸人。そこが芸人のかっこ良さ。

(システムとして上質な緊張感を包含していたM-1を、だから私は惜しむ者なのです)

有吉は、ぬるい関係性やお約束を壊すトリックスター。距離感の魔術師。客観視の鬼。期待を高めて上げたハードルを時に軽々飛び越え、時に華麗にぶち壊す。

彼がスパイスにならないと味が締まらないし、逆にそういうだらしないところまでテレビは来ちゃってたってことなんだと思う。

予定調和ぶちこわし勢力。フロントマンとしては、有吉と、あとロンブー淳。淳はフロントマンでありフィクサーな感じもする。政治家にはならないで欲しい。

ちなみに、ぶちこわし組に見えるザキヤマさんは、どちらかというと「お約束」の文脈の中にいる人だと思う。爆発力が凄いという意味で有吉と並べ評されがちだけど、比べるタイプじゃない。

そんな有吉が愛しているのが、予定調和の権化、予定調和流の名取みたいな完成された所作を持つダチョウ倶楽部っていうところが面白いわ。

自分に無いところを持つ誰かに憧れ、好きになりすぎたら、好きになりすぎるか憎むしかない。有吉がダチョウ倶楽部を憎んでない(というよりあふれすぎる愛)のを見てると、やっぱ有吉は愛の人だと思う。

頭のおかしい愛だから、たぶん常人には受け止められないと思うけど。

そういう有吉の、ああ見えて実はいい人…に見えてその奥は…でも実は…、っていう洞窟みたいなところが好きだ。虚無を見ているような真っ黒の目をする時が好きだ。捉えたと思ったら残像でした。みたいな。

こんな人リアルで好きになったらえらい目に遭うと思う。気をつけよう。私は闇に惹かれる。

You don't know the power of the dark side...

結論。裏とか闇とか緊張感とかの無い笑いは、ただの反射としての笑いだ。スカーンと何も残らない「ただの笑い」も私は愛してるけど、今TVで見たいのは、心をひっかくような、脳を揺らすような笑いなのです。

番宣、接待、お約束。
通販、ステマ、タイアップ。
まるでただの営業ツール。
目的と手段が入れ替わってない?
ぬるいテレビには飽き飽きなんだ。
でも、自浄作用はまだあると信じたいんだ。

いくらネットにどっぷり浸かっていても、
テレビと決別していたた時期があっても、
私は結局テレビっ子なのです。

ヱヴァ:破 (ネタバレ)

序はねえ、何も期待していなかったの。
ていうか公開もよくわかんないうちにされてたの。
だから結局DVDで見た。


破は昨日レイトショーで観てきました。
最近映画はレイトか水曜日(レディースデー1000円)にしか
行ってなくて、レイト=ガラガラでのんびり、なイメージだったんだけど
いえいえ、混んでました。私のレイト史上いちばん混んでたような。


↓ここからネタバレです。気をつけてくださいませ!↓




































エヴァの感想を書こうと思ったら、自分のエヴァに対するスタンスが
必要になってくる気がして仕方がない。
私が最初にテレビシリーズを観たのは学生のころ。
本放送じゃなくて、多分96年の年末に一挙放送をやってたときだと思う。
それから映画版(シト新生)を観て、97年にあのEOEを観た。
なんじゃこりゃ!って思ってもう1回観た。
その後「同じ映画を劇場で二度以上観る」ことが
それほど特別じゃなくなっていった私だけれど、
そんなことをしたのは生まれて初めてのことだった。
あれからもう12年ですって。
私はあんまり成長してないなー。
でも、エヴァは成長してた。



「他者と分かり合おうとするレイ」(心の機微とか苦手だったじゃん!)
「他者を受け入れようとするアスカ」(孤高のオレ様が高じて病んだのに?)
もそうなんだけど、私が一番びっくりしたのはシンジ。
自分を持っているシンジ?


相変わらず逃げるし(じゃないとシンジじゃない!)、
父親ともぶつかるんだけど、なんつーか、少し大人になってるというか、
以前より意志が鮮明になってるというか。


あれ?あれあれ?なんかちょっとカッコよく見えるんですけど。
かつてあんなにイラッとさせられたシンジに?
EOEなんかホント正味気持ち悪いコイツと思ったシンジが?
と、ほんのり感じながら見てたんだけど、
使徒に取り込まれたレイに向かって
ATフィールドの壁を破りながら「来い!」と叫ぶシンジを見たとき確信に変った。
こいつ、やっぱりカッコよくなってるわ…。


「来い!」ですよ?「来い!」なんて言うキャラだった?
以前のキミなら「来てよ!(どうして来てくれないんだ!)」じゃない?
そんで誰も来てくれなくて泣きべそかいたりしなかった?
シンちゃん…大人になって…。



TV版やEOEに至る映画版の、とんでもなく負のパワーに満ちてて
思春期のニオイ(Smells Like Teen Spirit)がぷんぷんしてて
生と性と死がごたまぜになって、
思わず二度見するほどのバッドエンドで終わり散らかしたあの感じ、
あの感じもキライじゃなかった。
「みんな死んじゃえ!!」が、呪いと同時に祝福だった。あの感じ。
全ての命が、全ての個が、LCLの海と一体になり溶けていく…あの感じ…。



それがどうです!
今回は。



どうした庵野。やっぱりそうなの?
きちんと恋愛して、きちんと結婚して、真人間になったというの?
全て許して受け入れてくれる、ダメなボクが頼れる
唯一の母としてのレイ(ユイ)も、
大人の男(加持)とイチャイチャしくさったあげく
ダメ出しをしてくる叩くべきビッチ(脳内敵)としてのアスカも、
フツーに「個」に戻してあげれたの?
そうして、シンジは大人になれたの?



正統派アニメな感じ。
でもそれも決してイヤじゃない。
すくすくと、エヴァ



次回作が楽しみです。





あ、ひとつだけ「あ〜あ」っていう演出があった。
使途に侵食された三号機と初号機が戦うシーンに
「今日の日はさようなら」がカブるのはどうかな〜。
私は好きじゃないな〜。


戦争やテロなんかの酸鼻を極める映像に、
たとえば「What a Wonderful World」みたいな人生賛歌を
のっける逆説的な演出は、うまく使えばカッコいいんだけど、
鼻に付くとほんと鼻につく。
今回は鼻についた。
ていうか、「あの曲」を使ってくださいよう〜あのシーンは!
あのカッコよくも怖い曲をよ〜!
そんで咆えさせてよ〜。


でも、最後の「翼をください」はアリだと思った。
シーン自体がオリジナルだからかな。
EOEの最後にかかった曲(Komm,susser Tod)と、曲の展開が似ていた。
わざとかな。
翼をください」のシーンは、EOEで言うところの
人類補完計画発動で、みんながベチャッと吹っ飛んだ
あのシーンに相当すると、音楽は示唆しているのでしょうか。




そんなことを思ったので、ウチに帰ってから、
iTunesに入れることもしていなかった
「Komm,susser Tod」のシングルCD(持ってるんですよな〜)を
探して聞きました。


原詩は庵野氏↓。これはこれでいい。EOEの救いの無さが良く出ていて。
中二暗黒時代真っ只中な感じがして。


 不安なの。
 不安なの。
 みんなに嫌われるのが、怖い。
 自分が傷つくのが、怖い。
 でも、ヒトを傷つけるのが、もっと怖い。
 でも、傷つけてしまう。
 好きなヒトを傷つけてしまう。
 だから、ヒトを好きにならない。
 だから、自分を傷つけるの。


 嫌いだから。
 だいっキライだから。


 好きになっては、いけないの。
 だから、自分を傷つける。


 優しさはとても残酷
 心を委ねたら、私は壊れてしまう
 心が触れ合えば、あの人は傷つく


 だから、私は壊れるしかない
 無へと還るしかない


 無へと還ろう
 無へと還ろう
 それは、優しさに満ち満ちたところ
 そこは、真実の痛みのないところ
 心の揺らぎのないところ


 無へと還ろう
 無へと還ろう
 無へと還ろう
 無へと還ろう




でもそれはまた別の話。







次回作が楽しみです。

パコと魔法の絵本 2冊目

仕事がらみのとある人の下の名前がじゅんぺーだったので 「パコを見に行きなさいな」と、会ったこともないのに、そして何故急にそんなことを言い出すのかという理由も言わずに勧めてみた。そしたら今日のメールの追伸に「久々に痛快な映画を見ました」と。私がパコを見れ!と言った理由もわかってくれた模様。ふふふ、皆パコを見るのだ〜。そして笑い、そして泣くがいい!

小学生くらいのころ、母親がベタなドラマで泣くのが不思議だった。「こんなつくり話でなに泣いてんの?」って思ってた。中学くらいになったら今度は、恥ずかしくて親の前でなんか泣けなかった。でも、今はわかるなーベタに泣いてしまう気持ち。何かでも読んだけど、年をとると涙もろくなるのは、経験を蓄積するからなんだそうだ。経験の分、共感できる範囲が広がってしまうのだ。役者に気持ちを重ねやすくなるのだ。そんでいろんな心の動きをうっかり拾ってしまって、涙腺がゆるむんだって。わかるなーそれ。年とっちゃったなー私。


そして今日、2回目のパコ行ってきた。1回目は娘づれのオヤジが隣の席で鼻をぐずぐずにしてたけど、今回は5歳くらいの女児が斜め後ろで号泣……。劇中劇のラスト近くから、すすり泣きなんてもんじゃない、ふええええ、って声あげてずっと泣いてた。

ちびのくせに感受性高いわね!って思いながらも、静かなシーンとかで彼女の「ふええええ」が響いて集中できずに困ったわw すごくいい、切ない、静か〜な泣きのシーンでね、映画見て「うぅ」っていうのと、その子の泣くのがうっとおしくも可愛いのとで、泣き笑いになっちゃいましたわ。それでもぼろぼろだったけど。2度目なのに。知ってるのに。

客電ついてからその子見つけたら、泣きはらした顔して、でも笑ってた。お母さんに「いっぱい泣いちゃったねー」って言われてた。

ああ、いい映画だなあ、って思ったんですよ。

彼女は大きくなってもこの映画のこと覚えてるんだろうな、きっと。

すべての悲劇は、他人にとっては喜劇である

って言ったの誰だっけ。こういう感じのアフォリズムなかったっけ。チャップリン? はちょっと違う? まあいいや。

壮絶な人生を送った(送っている)人はすべからく作家になるべきだと最近思った。もちろん作家すべてがへヴィな生きざまを送る必要はないけれど、へヴィに生きる、または生きるのがへヴィな人すべてに文才があれば、世界はもっといびつな美しさを増すだろうに。

『スターウォーズ 〜クローンの攻撃』『デトロイト・メタル・シティ』and more

さて水曜日。水曜日は映画をなるべく見る日。今日は『デトロイト・メタル・シティ』(以下DMC)と『スターウォーズ 〜クローンの攻撃』(以下SW)を二本立てで観てまいりました。

SWね。あのね、我々オールドファンをなめとんかと。どんだけSWが金になるんかと。ルーカスったらんもう! まずね、配給がワーナー。この時点でダメ。20世紀FOXの「ドラジャッタ!ドラジャッタ!ドゥールルルルジャッタ!」ってスネアドラムそして華麗なるファンファーレから始まらないとSWっぽくないのですよう! そして例の素晴らしいメインテーマも微妙にアレンジされてて、「あのSW」じゃないのよう!ジョン・ウィリアムスよ!主よ!!喜びよ!!

ほんでね、ストーリーもね、なんかタイムボカンみたいなの。壮大なスペースオペラじゃないの。「ドロンボーが悪だくみした」ってレベルの争いなの。スケール小さいの。ジャバ・ザ・ハットもただの親バカなの。バカなの。宇宙の犯罪王のくせに!! ドゥークー伯爵もさ、オメーはノーブルでしょ。ブルーブラッドでしょ。そんな小さな男じゃないでしょ!なんでボヤッキーなのさ!

んで、オールドファン的視点。C3POだけは、絶対オリジナルキャストなのですね、やっぱSWシリーズ唯一の統一キャラなんですね。今回も声だけでも。誰だっけ、あの、あのスーツアクター。あの人が意地でも声アテんのね。カウントドゥークーもオリジナルアクターでした。クリストファー・リーが声アテてました。Over80のおじいちゃんなのにね。そこらへんは評価したい! そこに関してはブラボー! あと、新しいパダワンちゃんの剣術が「座頭市」だったのも私としてはアリでした。でもやっぱ、悪だくみのレベルがドロンボーorショッカーなんだよなぁ…。ああ。


気を取り直してDMC。これは原作漫画が大好きなんだけど、ほんともう原作のオモシロさを忠実になぞってくれてました。バカバカしくて、私はこういうの大好き! 何よりも、松雪泰子のキレっぷりがステキ。あの美貌で「そんなんじゃ濡れねえんだよ!!」「ファック!!!」って言いまくってました。なるほどそれでPG12なのか。松ケンもイイ。クラウザーさんになりきってた(シャウト声は冠徹弥だけども)。あとね、大倉孝二DMC信者役)がイイ。この人好きですわやっぱ。『ピンポン』のアクマ以来好きかもです。同い年です。


あとはねえ、映画はねえ、『セックス・アンド・ザ・シティ』(以下SATC)と『パコと魔法の絵本』(PME)と『少年メリケンサック』(SMS)が早く観たい!!! 『20世紀少年』(NSS)は次点。「アレの映画化」っていうのと、3部作ってところがどうも…ね。とにかく、来週はSATC観ます絶対。本日のTOHOシネマズではあっという間に完売になってて、やっぱ皆待ってたんだなーって、ちょっとジーンとしました。会いたいよサマンサに!(はすっぱでビッチなくせに思いのほか情が深い、サマンサが一番すき)

『女教師〜』そして松尾スズキについて思ったこと

<感想・すもぐりバージョン>
ああ、松尾スズキだなあ、って思った。彼のお芝居はいくつか映像で観ただけで生で観るのは初めてだけど、なんかわかる。わかった気になってるだけかもしれないけど、まあ、初心者なりにわかった気になって書く。『女教師〜』の、っていうより、松尾スズキという人の感想。

松尾スズキという人の大前提なのかもしれないけど、改めて「暗い明るさ」を感じた作品。直前にウェルメイドなお芝居(『宝塚BOYS』)を観ているので余計に感じるのかもしれない。

基本的にギャグは満載。脚本で笑えるのももちろん、役者の笑わせてくれる力もスゴイ(サダヲに限らず)。時事ネタ含めたたくさんのギャグで、めちゃくちゃ笑えるんだけど、作品全体を貫いているのは人間の業の負のイメージ。


だいたい松尾スズキは素直に人間賛歌をうたわない。彼に注目してると、同じ感じの言葉が繰り返し届けられることに気づく。「大卒」「中卒」「名刺」「生まれつき」「きちがい」「しょうがない」「手のひらサイズ」「こぶし大」。何度も出てくるモチーフは「監禁」「知的・肉体的障害者(というより「不具者」といった方がふさわしい*1)」「宗教」「セックス」「狂人」ってこんなの公共の電波に乗せてお茶の間にお届けできません!タブーだらけの水泳大会!でも、単におもしろおかしく描かれているのではなく、観客にショックを与えるということも含めて、すべてに必然性があるのだろうけれど。


松尾作品見てると「人間なんてどうせ皆不具者、健全な奴なんていない。皆狂っているんだから、狂ったままで限りある人生を楽しみましょうか。ね。楽しみましょうよ。この逃げ場のない檻の中で」って言われているきもちになる。

人は皆ひとしく「人生」から逃れられない、死ぬまで。「限りある世界」*2に本気で気づいてしまうと人は狂わずにいられなくなる。どこまでも限りないと思いたいから、どこまでも可能性があると思いたいから、それはもう人生をかけた切ない願いだから、否定されると狂う。「君には時間も空間も、ないんだよ。もしかしてあると思ってたの?どこまでも行ける、とか、思ってた?」。

たぶん、私も含めたほとんどの日本人がそこらへんをあいまいに「わかってるふり」して過している。「わかったふり」じゃどうにもならない状況の人のために宗教があるんだろうけど、だからって安直に、一種バカになることで「救い」が得られる宗教に頼るんじゃなく、結局死ぬまで(死んでも?)救いなんかないんだという諦めと、それでも小さくまとまって生きるしかできないという業を小脇に抱えながら、人生という檻の中で見世物になる。そして「わかってるふり」して見ているあなたもまた、誰かにとっての見世物なのだ(ドーン!)。芝居(に関わる人々)を描く芝居、という入れ子構造がうまくはたらいて、そういうことをズバーンとつきつけられてる気がする。

「範囲ここまで」っていう檻を知恵と工夫でできるだけ広くしよう、快適にしよう、っていうのが普通の人間だとしたら、松尾さんみたいな人はその檻を中からガンガン叩いて、ガンガン叩きまくることで檻の狭さを実感しつつ、そとから見てる人にエンターテイメントとしてのオモシロと切なさを提供しているのかもしれない。「叩いてるw」「叩き続けてるw」「滑稽w」「でも叩くしかないなんて、なんか悲しい…」とかってオモシロ切なく気持よくなりながら見てると、不意にこう言われる「檻の中でもがく俺を見ているお前も、檻の中なんじゃー!ソトにいるつもりかー!!」。気持よくなってる場合か。

結局、人生はお芝居で、ショウほど素敵な商売はない!ってとこまでスコーンと行けば今度は逆にもう明るい、ってことになるのかな。狂わずに済む?

このお芝居も、前提というか横たわるテーマは重たいんだけど、ぶっ壊したい過去の伝統や既存の何かは壊れずに、壊したくない心や未来が壊れていっちゃうんだけど、細かいギャグと開き直ったバカバカしさと乾いた諦めで、結局変に明るい。ドロドロに湿ったぐずぐずの何かを乾燥させたくて必死でドライヤーかけてる感じ。マックスで強風で。そんでまあ表面はカラカラに乾くんだけど、最後ドライヤーの風に吹き飛ばされちゃう(表面だけね)。そんな感じ。どんな感じこれ。このたとえで伝わるの? とにかくまあ、逆説っぽくなるけど、ひねくれ、コンプレックスにまみれ、のたうち苦しんで、暗い奥の方*3から生まれてきた一連の作品は、やっぱり彼なりに暗く高らかにうたわれる、一周しちゃった「人間賛歌」なのだとも思う。

*1:「不具」が一発変換できない。差別語だから? 真剣に書くと長くなるけど、私こういうの好きじゃないわー。自主規制? 差別用語と差別そのものは似て非なるものでしょうに。

*2:松尾スズキは繰り返し「閉じられた宇宙」について語っている気がする。『ファンキー! 〜宇宙は見える所までしかない』というタイトルしかり、『キレイ』で語られる宇宙感(「宇宙の果て」を見に行こうとする登場人物がいて、「これが宇宙の果て? これが宇宙の果て? なんとまあ!」っていうセリフで、宇宙と人生が「閉じている」ってことを証明する)しかり。松尾さんは「宇宙は閉じている」派なんだろう。すなわち、「人間には限界がある」派なんだろう。あでも、「なんとまあ!」の後「花」になるし、わかんないな。ナウシカの最後(カタストロフィ→でもその後小さな芽が出てる)みたいな感じなんかな。どっちにしろ、私はココに関しては、肯定も否定もできん。共感しないが、反感もない。

*3:松尾さんには子宮があるんじゃなかろうか、と時々思う。

『女教師は二度抱かれた』@シアターコクーン・8/16(土)ソワレ

どうしても生芝居が観たくなったので行ってきたよ東京まで。
女教師は二度抱かれた』@シアターコクーン

<ストーリー(BunkamuraHPのあらすじにちょっと加筆)>
演劇界の風雲児と呼ばれる劇団の演出家・天久六郎(市川染五郎)は、歌舞伎界の異端児と注目されている女形・滝川栗之介(阿部サダヲ)とタッグを組み、新しい現代の歌舞伎を創造しようと、威勢よく狼煙を上げている。そんな前途洋々の彼の前に、高校時代の演劇部の顧問である女教師・山岸諒子(大竹しのぶ)が突然現われる・・・。
これは、壊そうと思っても壊れないものと、壊れてほしくないのに壊れていくものの物語である。

<感想・簡単バージョン>
面白かった。笑った。「笑って泣いて」というのとは根本的に違うけど、「笑って潜って」かな。松尾ちゃん、深いんだもん。3時間半の長さを感じたのは、割れそうになった私の尻くらいで、気持ち的にはあっという間。

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