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喜一妄言日記

2018-03-18 とうとう・・・

これを書くべきか否か迷ったが、この日のことを決して忘れないためにも、書き残しておこうと思う。

自分感情の赴くままに書くので読みにくい箇所もあるかもしれない。自分の思いを綴っている自分メモ的な物なので、お許しあれ。


とうとう、この日が来てしまったんだな、という感じだ。

我が家で共に暮らしていた猫(15歳半・メス・雑種)が、3月17日午後8時半、永眠した。


この猫が家にやって来たのは、2002年10月中旬のこと。

入社2年目の私が仕事から帰宅すると、父が何やら小さな生き物を抱いているではないか。人間の役に立たない動植物なんて必要ない、と言い、誰かから貰って庭に植えた花でも平気で引っこ抜き、代わりに野菜を植えるような父が、である。私も随分なことを言われた。曰く、大学を出て就職できない人間は障××だ、野球を観ない男なんてキ××イ、とかね。この言動は兎も角として、その父が小さな生き物を抱いていたのだ。


聞くところによると、そのころ月に2回ほど家に来ていた、両親の茶飲み友達的なTさんが、公園を散歩中に子猫を拾った、とのこと。

生後1か月くらいで、何処かで飼われていたのが捨てられたのか、或いは野良猫の子なのか定かではないが、とにかく人懐っこく、Tさんとその散歩仲間の元に近付いて、鳴いていたそうだ。この時かなり痩せていたので、食べ物を貰うために必死アピールしたのかもしれない。

Tさんも猫を飼っていたので、その子猫を引き取ることにした。

丁度その頃、私の家にネズミが出没するようになり、台所などに置いてある食べ物を齧られる被害に悩まされていた。

Tさんが家に来た際にこの話題になり、ネズミには猫を、みたいな発想で、Tさんから子猫を譲り受け、共に暮らすことになったのだ。


何とも不思議な縁である

もしもTさんと親しい間柄でなければ、Tさんの散歩時間が異なっていたら、Tさんではなく別の人がこの猫を引き取っていたら、この猫が警戒心の強い子だったら、もしも家にネズミが出なかったら、この猫が私の家にやってくることは無かったであろう。別の人に貰われたかもしれないし、或いはカラスに襲われるなどのトラブルにより、命を落としていたかもしれない。色々な偶然が重なり合って、家に来たのだ。


の子が家に来たことは、私達にとって非常に有益なことだった。

仕事やら何やらで色々とギスギスしていた時期だったが、この子を抱っこしたり一緒に遊んだりしているうちに、皆穏やかになっていったし、共通話題も出来た。

夜勤夕方まで寝ていると、いつの間にか部屋に入ってきて私の布団の上で丸まって寝ていたり、布団の中に入ってきて私の胸の上で寝たり、ゲームキャラドリームキャストの「斑鳩」に出てくる敵キャラ)の動きを追い、テレビ画面をペチペチ叩いたり、高い所に置いたおもちゃを「あれ取ってよぉ」という感じで鳴き、自分の鼻を私の鼻にくっつけてきたり、母が旅行で居なくなると寂しいのか私と同じ部屋で寝たり、母が帰宅すると嬉しさのあまり階段を2段3段飛ばして飛ぶように降りて母を出迎えたり・・・と様々な思い出が次から次へと出てくる。

携帯電話スマートフォンも、購入したら真っ先にこの子写真を撮って待ち受けやロック画面に設定した。この前機種変更したばかりのスマホの画面は、2年半くらい前のものだ。さすがに、死んでしまう十数日前のやつれた姿は撮影できない。ああ、こういうことを思い出すだけで涙が出てくる。


この猫は食欲旺盛だったが、喘息持ちであり、2か月に1度くらいのペースで動物病院に連れていく必要があった。

自然の成り行きに任せればいいのに、病院に連れて行って動物を生き永らえさせるのは人間のエゴだ、と思う方もいるかもしれないし、この子自身としても病院に連れていかれるなんて頗る迷惑だったかもしれない。しかし一緒に暮らしている者としては、一日でも長生きしてほしいと思うものなので、その辺は理解していただきたい。

で、食欲旺盛なこの子体重は、一時期6キロ近くにまで達した。動物病院先生曰く、喘息持ちだから太り過ぎでなければ体力を保つため、ある程度体重がある方が良いとのことだった。


10歳くらいから、時々食べたものを吐き出してしまうようになった。

この頃はまだ、しょうがない子だねえ、とか、食べ過ぎたんじゃない? と楽観視していた。というよりは、家族皆が可愛がっている猫の老いや死を考えたくなかったのだ。

徐々に、吐く頻度は増えていったが、吐いた後はそれを取り戻すかの如く食べていたし、また腎臓などに負担の少ない高齢猫用の餌を中心に与えていくようになったので、一応気にはしておくけど、深刻になるほどではない、そんな感じで数年ほど過ごした。


大きな異変が見られるようになったのは、去年のGW明けぐらい。

寝食とトイレは1階で、昼寝や真夏の暑い時に2階に上がる、という暮らしを送っていたこの子が、トイレと水を飲むとき以外1階に降りなくなった。食べ物も食べたがらない。母が食べ物を口元に持って行っても口を開けないどころか、部屋の隅で縮こまって震えるようになった。

これはまずいと思ったが、水は飲むのでスープを与えたところ飲んでくれた。これが奏功したのか次第に食欲も回復し、また病院で点滴も打ってもらい、この時の体調不良は一旦は解消した。

しかしこの頃から、吐く頻度が増えていくようになり、体重がみるみる減少していった。また、この一件以来、2階に上がることはなくなった。


いっとき好転したかのように見えたが、体調は徐々に悪くなる一方だった。

せめて、食べたがっているものを食べさせて、また点滴も受けて、体重を維持して長生きできれば。その一念で、この子が好きそうなものを与えた。

この頃には食欲や食べたいものが日によって異なっていた状態で、カリカリを欲しがる日もあったし、おやつしか食べない日もあった。

缶詰を開けたらほぼ全部を平らげた日もあった。水・お湯以外ほとんど口にしない日もあった。

吐いてしまう頻度はさらに増えていき、1日に3・4度吐くこともあった。丸っこい体型から脂肪と筋肉が削げていき、体重は1キロ台に。骨を皮が覆っているような感じになっていた。

こんな状況なので、点滴を打つ回数も、1カ月に1回から2週間に1回、1週間、3日・・・と増えていった。足下も覚束なくなり、膀胱も緩んでしまったのか、お漏らしが多くなった。自力トイレまで歩いていくものの、間に合わずに漏らしてしまう。ほぼ毎日そんなだった。

あれだけ綺麗好きだったこの子が、食べ物や自分の糞尿で汚れようが一切お構いなし。もはや毛づくろいをする体力・気力も無くなったのだろうね。そして食欲も低下していった。しかしこんな時でも、まだ目は死んでいなかった。やる時はやる、そんな感じだった。人間が食べてるものを欲しがって、おすそ分けするとがっついて食べたのだ(これには賛否あるだろうが、病院先生から欲しがってるものは与えてください、と言われていた。もう手遅れだから、未練が残らないようにとの配慮だろう)。


の子が死んでしまう1週間くらいの出来事を書いておく。

  • 両親が言うには、私が日勤で出勤した日、両親の朝・夕食を一緒に食べたがったそうだ。当然、玉ねぎ等禁忌ものや味の濃いものは与えなかったが、バターにごはん、ハム、あじの開き、焼鮭などなど。ペースト状のおやつ以外ほとんど食べなくなってしまっただけに、一生懸命食べている姿を見て、両親とも嬉しくなったそうだ。
  • 3月12日のこと。去年のGW明け以来、全く2階に上がってこなかったこの子が、自ら上がってきた。やせ細って筋肉ほとんど無いから、一段一段、力を振り絞って上って来たのだろう。むかし、昼寝をしていたお気に入り場所に連れて行ったり、2階からの景色を眺めさせた。しばらくして降りた後、数時間後にまた自力で上がってきたから、行きたい・見たい場所に連れて行った。2度目で降りるときに、階段の途中でそこそこ大きな声でニャオと鳴いたのが、私が聴いたこの子最後の鳴き声だ。
  • 翌日も上がろうとしたが、もう上る力も無くなったのか、途中で止まってしまったので、私が連れて行き、景色を見せた。更にその次の日は、母が庭を歩かせたり玄関からの眺めを見せたり、私の部屋の中も見せた。私の部屋は汚部屋というヤツで、本やら同人誌やらブルーレイやらいろいろ散乱しているので、猫だろうが両親だろうが入れないようにしている。いっぽう、この子にとっては一部屋丸ごとキャットタワーみたいなものだったのだろう、元気な時は隙あらば入ってきた。積んであった同人誌エロゲの上に乗っかったりして、楽しかったんだろうね。そんな興味津々だった場所なので、もう一度見せておきたかったのだ。
  • 12日夕方、私が風呂に入っていると、風呂アコーディオンカーテンを動かす音が聞こえたので開けてみたら、この子が入ってきた。風呂場でお湯を飲むのが好きだったので与えてみたら飲み、その後、風呂場に置いてあった猫用の草をじっと見ていたので、これも与えてみると、食べづらそうにしながらも何本か食べた。

こうやって書いてみると、この子自身、死期が迫っていることを悟っていて、まだ辛うじて意識があるうち、動けるうちに最後の力を振り絞って、生きているうちにやっておきたいことをやったんだろうな。最期が来る前に、自分暮らしていた家の中を見たい、周りの景色を眺めたい、家の外を歩きたい、人間と一緒に食べたい・・・そんな感じで、“死に支度”をしたのかもしれないね。


それから、17日午前中までは、ほぼ寝たきりとなった。

口にするものは、ほんの少しのお湯とペースト状のおやつ。他は頑として受け入れない。水分を取る量も減ったので、おしっこも出なくなったが、ウンチの方をしたいのか、何度か自力トイレに行こうとした。

しかしトイレまで行くのも厳しくなっていたので、母が抱っこしてトイレに連れて行き、17日午前ついに排便した。

やっと出たねえスッキリしたねえ、と声をかけたり頭を撫でたりしながらお尻を拭いていたその頃から意識が混濁しはじめたのか、目の輝きが次第に失われ、虚ろな表情になっていった。

父は午後から外せない用事があったので、私と母が交互で付きっきりで介護介護といってもスポイトで僅かばかりのお湯や流動食を与えるだけで、これもほとんど口に入れなくなっていた。父が帰宅した時などに二度三度、目を動かすことはあったものの、トロンとした表情は変わらない。もはや、呼吸をするだけとなっていた。この子に一番懐かれていた母は大泣きしながら名前を何度も読んだり身体を撫でたり。母に負けず劣らず可愛がっていた私ももらい泣き。夕食を食べたものの、どんな味かも覚えていない。夕食どころじゃなかった。


そして17日午後8時半。

カッ、カッ、カッと荒い呼吸を6・7回しながら、前脚後脚を痙攣させ、息を引き取った。15年半もの間、一緒に暮らしてきた猫が永眠したのだ。

率直に言って、とても辛い。家に来た子猫の頃から最期を看取るまで、ずっと一緒に居たのだから。今まで一緒にいてくれてありがとうね、と声をかけてあげたい。喘息とか吐いたりとか、体重も落ちて苦しかっただろうけど、もう苦しまなくていいんだよ、ゆっくり休んでね、とも言いたい。

それから、17日まで頑張ってくれてありがとうね、という思いもある。勤務シフト上、土曜日はほぼ毎週出勤なのだが、個人的な都合で17日は休みとなったのよ。普通に出勤していたら、看取ることも出来なかっただろうからね。


18日午前1時にこれを書き始めて、今は18日6時だ。

母は号泣し疲れて眠り、起きたらまた泣き始めた。泣きながら、離れて暮らしていた親兄弟が亡くなった時よりも辛いと言っていた。

私もこれを書きながら色々なことを思い出し、涙でモニターが霞む。首輪に着けていた鈴がチリンと鳴ったような気がして、猫の遺体がある部屋に行くと、号泣する母と既に冷たくなった猫。私だって、20代前半から40過ぎるまで一緒に暮らしていたのだ。仕事で嫌なことがあったり、残業続きで草臥れた時も、この子を愛でたり、寛いでいる姿を眺めたり、餌を食べて口の周りを舌でペロッと舐め回している仕草を見て、どれだけ心が和んだことか。

今日は、お世話になった動物病院先生の所へ挨拶に行く。先生が居なかったら、この子は喘息の発作で、もっと早くに死んでしまっていたかもしれない。15歳半まで生きたのだから大往生ではないか。先生のおかげだ。

その後、動物病院を通して葬儀屋さんを呼ぶ予定だ。今日から夜勤なのでいつまで起きていられるかわからないが、これが最後のお別れとなるので、身体を拭いて綺麗にして、出来る限り起きて見届けたい。


これまで、「ペットロスwwwwwww」なんて風に思ったりすることもあったが、いざ自分がその立場に置かれてみるとよく分かる。

たかが猫一匹死んだくらいで・・・と思うことなかれ。いい年した男が泣くなんて情けない、とも言わないでくれ。というか、言われたら我慢できなくなりそうだ。一緒に暮らすようになってから最期を看取るまでの間の、たくさんの思い出が、次々と思い浮かんできて、涙が出てくる。こればかりは、年齢も性別関係ない。


まあ今は、ロスがどうこうよりも、15年半を共に過ごしてくれた愛猫に、今までありがとうゆっくり休んでね、と伝えたい。涙が止まらん・・・