脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

汚名挽回

 思い立ったが吉日、唯我独尊勝手に言語学のコーナー。基本的に世間様に舌を出すスタンスなので、テストで書いても大っきく×されるのがオチなのでお気をつけ下さい。

 昨今のプチナショナリズム(by香山リカ)の風潮に乗って、「正しい日本語」がブームですが、その中で「役不足」と並んで槍玉に挙げられる「汚名挽回」。下手に使うと「汚名返上」か「名誉挽回」の間違いだよ、と鬼の首でもとったかのように突っ込まれます。しかし、これは言葉狩りされねばならぬほど間違った表現なのでしょうか。

 とりあえず、世間様の評価を探ってみましょう。しかし、名誉挽回も汚名返上も故事来歴のある由緒正しい言葉ではないので、権威ある大きな辞書では相手にしてもらってません。なのでもう少し卑俗な四字熟語辞典でもあたってみましょう。一冊だけ汚名挽回に言及したのがありました。

なお「汚名挽回」という表現は「名誉挽回」との混同から来たもの。

いきなり雲行きが怪しくなってきました。しかし大丈夫です。所詮あの悪名高い*1岩波の辞書。しかも館外持ち出し可の一般書扱いの簡易辞書。これにて一件落着というわけにはいかないでしょう。とはいえ「汚名挽回」の成り立ち自体はこの通りでしょう。なので、今度は語義を元に意味が通るか否かを考察してみましょう。

 せっかく手元にあるので、『岩波四字熟語辞典』から、

  • 「汚名返上」殊勲をあげて、不名誉な評判を打ち消すこと。
  • 「名誉挽回」失敗して一度失った信頼を取戻すこと。

なんだか分かりやすくしようとしすぎて不正確になってる気はしますが、まあ大意としてはは問題ないですね。次各部の辞書的意味。ちなみに出展は『大漢語林』です。

  • 「汚名」かんばしくない評判。不名誉。
  • 「名誉」1、ほまれ。よい評判。名声。2・3・4省略
  • 「返上」お返しする。返すの敬語
  • 「挽回」もとに引きもどす。恥をそそいだり、遅れていることを取り返したりする。回復。

上三つには問題ないですが、「挽回」について補足。現代国語では上記の意味に加えて、派生的意味として「取り戻す」の意味も含有してます*2

 さて組み合わせてみましょう。「名誉挽回」「汚名返上」問題ないですね。「名誉返上」返しちゃいけません、明らかな間違いです*3。問題の「汚名挽回」、「芳しくない評判を回復する」。十分意味が通りそうです。事実一般的表現として「頽勢を挽回する」というのもありますし、「汚名(という状態)を(元の、汚名を蒙る前の状態へ)挽回する」という言い回しは十分理に叶ったものだと判断できます。

 では何故、「汚名挽回」が間違いと勘違いされているのでしょうか。それは各語の意味の広がりを考慮せず、単純に「対義語」に当てはめる風潮が招いたものだと考えます。「名誉」の対義語が「汚名」であるからして、「挽回」は「返上」の対義語だと誤解*4されたのが全ての発端でしょう。「汚名(そのもの)を返上する」の構造にそのまま挽回の意味を当てはめて「汚名(そのもの)を挽回する」=「芳しくない評判を取り戻す」と解釈され、間違った表現のレッテルが貼られたのでしょう。もう一組の組み合わせ「名誉返上」が誰の目にも明らかに間違っているというのも不幸でした。

まとめ

 結論としては、「汚名挽回」は「名誉挽回」と「汚名返上」の混同から生まれた表現ではあるが、意味としては間違ってない。というところでしょうか。しかし昨今の「正しい日本語」ブームは日本語の矯正の美名の下に、言語の進化の可能性を刈り取っているような気がしてなりません。前述の「役不足」ももう少しで新たな意味を獲得できるところだったのを無理やり矯正され、意味の広がりを極度に限定された使いにくい表現に後退してしまった気がします。我々はもう少し日本語の可能性を信用して、誤用に寛容になってもいいんじゃないでしょうか。

追記

正しくない日本語 - 脱積読宣言
この話題に関しては、3/12のエントリーでも考察しているので、御参照下さい。

今日の一行知識

「新(アラ)たな」は誤用で「新(アタラ)な」が本来正確な形*5
ここにも正しくない日本語が

参考文献

岩波書店辞典編集部編『岩波四字熟語辞典』岩波書店(2002)

岩波四字熟語辞典

岩波四字熟語辞典

谷沢永一渡部昇一広辞苑の嘘』光文社(2001)
広辞苑の嘘

広辞苑の嘘

鎌田正・米山寅太郎『大漢語林』大修館書店(1992)
大漢語林

大漢語林

新村出編『広辞苑 第五版』岩波書店(1998)
広辞苑 第五版 普通版

広辞苑 第五版 普通版



*1:広辞苑の嘘』を参照するまでもなく、広辞苑の時事ネタ・古語の扱いと誤認誤用っぷりは酷いもんです。正式な文書を書くときは面倒でももう少し大きな辞書で確認を取りましょう。

*2:もとへもどしかえすこと。とりかえすこと。回復。(『広辞苑 第5版』より)

*3:正規表現は「名誉失墜」

*4:挽回の意味を「(物を)取り返す」に限定すれば間違いではない

*5:「新しい」が連体詞化した「あたらな」の言い間違い「あらたな」が語感の良さからか定着してしまったらしい